北海道大学スラブ
研究センター
宇山 智彦
はじめに:報告の趣旨
「中
域圏」論の再検討と講座シリーズの企画に向けての論点の提起と試論
Ⅰ.「中央ユーラシア」という地域概念:「新地域」
か?
元来は歴史・言語文化研究の用語。デニ
ス・サイ
ナーが1940年に口頭で使い始め、1954年の本で「ユーラシア大陸の一部で、定住民の大文明の境界の外に位置する」地域と定義[Sinor 1970: 95]。1963年には、ウラル・アルタ
イ系諸言語とそれを話す人々の歴史に関する研究手引書[Sinor 1963]のタイトルに使った。その後彼自身「ユーラシア大陸の一部で、ヨーロッパ、中東、イン
ド、東南アジア、東アジアの境界の外に位置する」地域と定義し直したほか[Sinor
1974: 215]、さまざまな研究者がそれぞれの意味で使
う。
Central Eurasian Studies
Societyのウェブサイトでは、“We define the
Central Eurasian region broadly to include Turkic, Mongolian, Iranian,
Caucasian, Tibetan and other peoples. Geographically, Central Eurasia
extends
from the Black Sea region, the Crimea, and the Caucasus in the west,
through
the Middle Volga region, Central Asia and Afghanistan, and on to
Siberia,
Mongolia and Tibet in the east”
[http://cess.fas.harvard.edu/CESSpg_org_info.html]
Central Eurasian Studies Review誌での「中央ユーラシア」とは何かに関する、深まっていかない議論。各研究者の出身地域
や関心のある地域(特に旧ソ連領中央アジア)を中心にイメージする傾向。
自称
としては未定着。ロシア語や現地語で使われるのは稀。つまり、アイデンティティの単位ではない。ただし外部からの「まなざし」が今後現地の研究者等の認識
に影響していく可能性も。
地域
統合も欠如(中央アジア、コーカサスなど、アイデンティティがある程度定着した地域枠組みでも統合は困難)。
「ネットワーク型」というような特徴づけはしにくい(イスラーム世界はネットワーク社会だ、という言辞も一面では正しいが、現実のムスリム社会が持つ領域
性やヒエラルヒー構造を隠蔽する側面)。
研究
者の戦略としての地域設定:
①中
央アジア、コーカサス等が「マイナー」な地域であるだけに、より広い地域を設定して学界を形成し売り出していく(それが均質な実体的地域でないことは十分
に意識しておく)
②よ
り求心性のある諸地域のはざまであるだけに、相互に関連した事象や、有効な比較の対象となるものごとの起きやすい地域 → 歴史研究の用語であったものを現状分析にも使うことの根拠
そも
そも「地域」とは、分析の可変的な枠組み、ないし研究者が蛸壺にこもらずに目を配っておくべき範囲(「中域圏」)であり、過剰な意味的負荷を持たせるのは
議論の妨げにしかならないのではないか?
Ⅱ.「イスラーム世界」概念の見直しと中央ユーラシ
ア
「中
央ユーラシア」概念そのものにおいて宗教は二義的。多宗教の共存。「イスラーム復興」をこの地域の現状の主軸として語ることは不可能。(中央ユーラシアの
うち非ムスリム地域の研究が軽視される傾向の危うさ)
しか
しイスラーム地域研究が、中央ユーラシア研究が常に意識するべき研究分野であることは疑いない。
イス
ラームは狭義の精神生活だけではなく政治・社会・経済すべてを包括しようとする宗教。しかし実際にそれが貫徹するとは限らないし、地域による違いも大き
い。だがムスリムおよび外部の研究者は、しばしばイスラーム世界を一体のものとして語ろうとする(歴史的にも、帝政期・ソヴェト初期のロシア人たちは「ム
スリム」を一まとめに見る傾向)。
その
余波としての「中央アジア=新中東」論 →
破綻
イス
ラームが脚光を浴びると、何が「正しいイスラーム」であるかをめぐる争いがムスリム社会を分裂させるという逆説[宇山 2000a]。
最近
の日本人イスラーム地域研究者の中での批判的議論:「イスラーム世界」の空間としての実在や分析枠組みとしての有効性への疑問[羽田 2002][羽田 2003][加藤 2002]。イスラーム思想・
イスラーム世界を理想化する研究者が少なくないことへの非難[池内 2004]。
「イ
スラーム地域研究」:イスラームをキーワードとしてある地域(西欧・北米や日本でもよい)の一定の側面を理解するという意味と、たまたま住民の多数がムス
リムである地域の研究の集合という意味だけでも(実体的・一枚岩的な「イスラーム世界」を前提としなくとも)、十分有意義ではないか。
中央
ユーラシア研究からの「イスラーム世界」概念見直しの可能性:1つの民族の中にムスリムと正教徒が混ざり合い、その違いが重要な意味を持っていない例
(アブハズ人、オセト人)。「ウズベク人・タジク人は純粋なムスリムでカザフ人・クルグズ人は半ムスリム」というような二分法ではなく、どの民族・地域に
ついても、イスラーム・ファクターを過大評価も過小評価もしない研究の模索。
Ⅲ.帝国論の検討
1.モンゴル帝国からロシア帝国へ
ロシ
アはモンゴルの継承国家であり、ロシア帝国の拡大はモンゴル支配の裏返しだという見方[岡田
1992: 216-221][杉山 1997: 357-360]。
その当否は別としても、イヴァン雷帝のカザン征服に見られる両者の地位の交代は、「長期の16世紀」論[山下 2003]とも関係する一つの画期だが、モンゴル帝国の中核地域の一つであった中央アジアにロシ
アの支配が確立するのは19世紀後半。3世紀に及ぶ「過渡期」をどう見るか?
もう
一つの画期 − 18世紀前半〜中頃の大動乱:
ジュンガルの大攻勢、カザフのアブルハイル・ハンらのロシア臣従、イランのナーディル・シャーの攻勢、ドゥッラーニー朝成立(アフガニスタン建国)、ジュ
ンガルの滅亡と清朝の新疆支配。その結果として、
①
モン
ゴル帝国の系譜を引く遊牧政権の自律性が弱まり、中央アジア草原の国際関係がロシアと中国を抜きにして語れなくなった(→生態学的境界を越えてのロシアの
拡大)。
②
定住
民地域の王朝でもチンギス統原理が実質を失い、政治的正統性としてのイスラームの重要性が高まっていく。
③
少な
くともカザフの場合、「民族」的な意識が文学・文書に現れるようになった[宇山 1999:
93-96](他の「民族」については検討が必要だが、タター
ル・バシキールの「ブルガル」意識などもパラレルな面を持つ可能性)。
→
ロシアによる直接支配に先立つ「近代」の萌
芽。近現
代を考える際に、少なくとも18世紀以降を視野に入れておく必要性。
2.ロシア帝国論
中央
ユーラシア研究にとってのロシア帝国の重要性:民族運動をひたすら反ロシア運動としてとらえる従来の見方を批判し、ロシアが提供した制度的・思想的枠組み
が現地の社会・運動に対して持った意義に注目する研究動向[Khalid 1998][Uyama 2003]。
ロシ
ア史研究における帝国論の流行と問題点:
①
「同化」をめぐる議論の整理の必要:「同化」「ロシア化」の定義(焦点となるのは言語か、宗教か、法か)。法原則の単一化・平等化と実態としての差別のず
れ。統治者側の「意図(希望)」と「施策(または無為)」と「効果」のずれ(どれか一つだけを取りあげると偏頗な議論に)。「帝国の基本」が同化でないこ
とは明らかだが、「国民帝国」[山室 2003]との関係を考える必要。
②
「普遍主義」「領域主義」という誤解(帝国の理想化につながる危険):地域ないし民族ごとに統治規程類が多数作られ、同じ領域内でも民族や身分ごとに適用
される法や統治方針が違う。むしろ細分化された「個別主義」だが、同時に政策立案者は他地域の例を頻繁に参照。
③
軍・軍人の役割への注目の必要。「力こそが権威の源」「峻厳だが公正」「父親的保護者」という帝国の自己イメージ。
(ソ連「帝国」論〔アファーマティヴ・アクション帝国論[Martin 2001]をどう
受け止めるか〕、特に「大祖国戦争」期および戦争直後の重要性についても考えるところがあるが、ここでは省略)
Ⅳ.グローバル化と国家
1.中央ユーラシアにおける権威主義的主権国家体制
の確立は時代への逆行か?
ソ連
崩壊後しばらくは国境の壁が低く、再統合志向が強かった中央アジア諸国が、「国家主権」「国家性」「国防」を強調し、国境の警備・規制を強めている[宇山 2000b]。
「グ
ローバル化とともに主権国家が溶解しつつある」という日本のインテリの常識や、世界に民主主義が広まるのは必然だという欧米の観念からすれば異常事態。
しか
し1990年代半ば以降世界的に見ても民主化は停滞傾向。また日本や中国、ロシアなどでもナショナ
リズム(民族主義というよりは国家主義)は顕著。アメリカも国家の力を誇示。ヴィザ制度や難民受け入れ基準の操作による外国人入国規制強化も広範。→偏っ
ているのは「常識」の方ではないのか?
2.「グローバル化」は世界を均質化させ国家を弱め
るのか?
①
既に
指摘されていること:グローバル化の不均衡
「グ
ローバルな〔経済〕過程の大部分は国家領土のなかで実現される」「経済的空間の脱国家化と政治的言説の再国家化」[サッセン 1999: 12, 44, 129]
「グ
ローバル市場が機能するのは、まさしく地方と地方、国と国、地域と地域の間に違いが存在するから」[グレイ 1999: 82]
「グ
ローバリゼーションが急速に進む中、……反動としての再領域化の力が、『帝国』の超領域的な力と相まって、境界を強化したり、境界を新たに引きなおしたり
している」「周辺部においては低強度紛争が蔓延していく。……無政府状態化の危機は、部族紛争への退行といったプレモダン現象ではなく、……国際政治経済
レジームのネオ・リベラル化の圧力を介して新たに出現したハイパーモダンないしはポストモダン現象〔←政治経済的外圧によるパトロン・クライアント関係の
分裂・対立〕」[土佐 2003: 12, 35, 37]
②「主権国家」の神話性と消し去り難さ
もと
もと主権国家や国民国家が絶対的なものとして一様に存在していた時代はない。参考:ソ連邦構成共和国の「主権」
イラ
ク攻撃は主権国家を否定したものと言われるが、冷戦期の米ソによる他国への介入と本質的に異なるのか? また一旦は相手国の主権を否定しても、いずれは「主
権移譲」することが前提。
攻撃
対象となった国や「破綻国家」にとっては「国家の再建」が最重要課題に。これらの国を見て他の国々は国家体制強化に励む(タジキスタン、アフガニスタン内
戦が他の中央アジア諸国の国家観に及ぼした影響)
③「主体の多様化」がもたらすもの
非国
家主体が国際的に活動する自由は高まっているが、各国内での主体間の対立を、国を超えて仲裁する方法は確立していない。主体が多様化すればするほど、国家
は「裁定者」としての自らの役割を強く主張。
同時
に、国家が直接責任を負う範囲が縮小するなかで、国家が社会から遊離したり社会の一部のみの保護者となる危険が増す。中央アジア諸国も、複雑な側面はある
が、基本的には国家による社会の丸抱えではなく、ネオ・リベラリズム的な放任+恣意的介入を特徴とする。地方共同体(村、マハッラ)は福祉機能の代替や国
民の監視に利用されるが、自律した「市民社会」的機能はむしろ弱められる。権威主義体制は単なる先祖返りやソ連体制の継続ではなく、国家と社会の遊離、
「大きな物語」の消滅とヴァーチャルな「権威」、といったポストモダン現象の側面を持つ。
「国
民国家の相対化」は肯定的に語られてきたが、力を弱められているのは「国家」よりも「国民」なのではないか?
3.共有されない「価値」「理念」
①
言
説・制度の地域性
アラ
ブのオカルト的終末論・陰謀史観と、欧米の思想への無関心[池内 2002]。
CIS諸国の、欧米とは異なる法
制度や国家観の相互模倣。ロシア・メディア経由の世界認識の共有。欧米の学問的発想や現代思想のCIS諸国、特に中央アジアへの浸透しにくさ。
日本
の政府エゴと一般人の「プチ・ナショナリズム」や村八分意識との結合。
②欧米の言説の換骨奪胎
自国
流「民主主義」という言説。「対テロ戦争」での面従腹背(ただし、対米協力は民主化にも反民主化にも直結はしていない)
部分
的には中央アジア諸国はヨーロッパ的(アメリカ的ではなく)価値基準を受け入れている面も(トルクメニスタン、カザフスタン、クルグズスタンの死刑廃止な
いし執行停止。ただし必ずしも人権尊重を意味しない)。
③西側の国際的関与の歪みと「安定-混沌」の地域構造化(21世紀的「帝国」論)
「新
中世圏」「近代圏」「混沌圏」という分類[田中
1996]:これが前提としていた相互依存的世界観は、帝国的
世界観で補う必要があるが(「新中世圏」自体にも亀裂)、混沌を周縁に固定させようとする世界構造を考えるうえでは今でも有用。
現在
の中央ユーラシアの地政学的価値の過大評価 →
今後の過剰介入や放置の可能性。大国が限定
的にしか
関与しなかったタジキスタン内戦が最も首尾よく解決したという教訓。
仮に
グローバルな政治統合が進行していくとすれば、多様な価値・文化を排除しようとする抑圧的なものになる可能性。
グ
ロー
バル化を含む地域横断的現象を観察する際の国・地域枠組みの有用性と、それを固定することの危険性
参
考文
献:
池内恵(2002)『現代アラブの社会思想:終末論とイスラーム
主義』講談社現代新書。
池内恵(2004)『アラブ政治の今を読む』中央公論新社。
宇山智彦(1999)「カザフ民族史再考:歴史記述の問題によせ
て」『地域研究論集』Vol.2,
No.1.
宇山智彦(2000a)「イスラームはムスリムを連帯させるのか離間
するのか:中央アジア国際関係とイスラーム運動」『21世紀の国際社会とイスラーム世界』日本国際問題
研究所。
宇山智彦(2000b)『中央アジアの歴史と現在(ユーラシア・ブッ
クレットNo.7)』東洋書店。
岡田英弘(1992)『世界史の誕生』筑摩書房。
加藤博(2002)「イスラム史は何を明らかにしたか」『歴史評
論』630号。
ジョン・グレイ著、石塚雅彦訳(1999)『グローバリズムという妄想』日本経済新聞
社。(原著1998年)
サスキア・サッセン著、伊豫谷登士翁訳(1999)『グローバリゼーションの時代:国家主権のゆ
くえ』平凡社。(原著1996年)
杉山正明(1997)『遊牧民から見た世界史:民族も国境もこえ
て』日本経済新聞社。
田中明彦(1996)『新しい「中世」:21世紀の世界システム』日本経済新聞社。
土佐弘之(2003)『安全保障という逆説』青土社。
羽田正(2002)「『イスラーム世界』史の解体」『別冊 環④ イスラームとは何か:世界史の視点から』藤原書
店。
羽田正(2003)「『ヨーロッパ』と『イスラーム世界』? 二項対立的世界史叙述の克服にむけて」谷川稔編
『歴史としてのヨーロッパ・アイデンティティ』山川出版社。
山下範久(2003)『世界システム論で読む日本』講談社。
山室信一(2003)「『国民帝国』論の射程」山本有造編『帝国の
研究:原理・類型・関係』名古屋大学出版会。
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Meso-Mega Area Dynamics in Slavic Eurasia: Focused on Eastern Europe,” Paper presented
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[http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/coe21/pdf01/ieda040302.pdf]
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