千島、オホーツク、樺太、満州という、かつての日本の北境界にかかわる資料を展示いたします。
来館者の皆様とともに歴史を追体験し、地域の未来を考えます。
主な展示物
(根室市歴史と自然博物館蔵) |
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日露戦争(1904~1905年)終結後、ポーツマス講和条約により、サハリンの北緯
50度以南は日本に割譲された。国境には、まず、天文測量による標石4基が置かれ、それらの間に地上測量による中間標石17基、19基が設置された。標石
の意匠はにより、日本のが刻んだ。素材とされた花崗岩も日本産である。 標石意匠
天文測量による標石で、現存が確認できるのは、本資料のみである。 |
香月泰男美術館蔵 |
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満州で終戦を迎え、シベリアに抑留された香月泰男画伯。倶知安で美術教師も務めた画伯が30年近くかけて残した「シベリア・シリーズ」。その代表作「業火」の習作が、初めて北海道の地を踏みまし た。 奉天から北上を続ける間、私は貨車の鉄格子にすがっていつも外を眺めていた。これは絵になる、あれは絵
にならない、そんな ことばかり考えていた。強いてそうすることによって、他の兵隊たちと同じような、孤独と疲労から来る虚脱状態を防いでいたともいえ
る。そんなある日、天に届くばかりの火炎をあげて、兵舎が燃えているのを見た。何日間も燃えつづけているのだという。火薬
庫でもあるのか、炎がすさまじくはぜて、あたかも悪業の終末を告げる業火の如く見 えた。 |
(北海道大学スラブ研究センター所蔵) |
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現在、一天測はサハリン州立郷土博物館で展示中、三天測のオリジナルは所在不明で日本時代に作れたレプリカが現存。日本時代の絵ハガキ、写真、拓本、一天測の現在の写真等を集めて作成。
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樺太日露国境第一天測標石 | 樺太日露国境第三天測標石 |
(根室市歴史と自然博物館蔵) |
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近年、ホタテ漁の漁具に掛かり、事故の要因となるため、約1.5km分が引き上げられた。展示資料はその一部。1875年(明治8年)、により千島全島は 日本領となり、特に島、島、島、群島の北方四島への移住と開発が本格化した。一次産業以外の発達をみなかった北方四島では、生産資材や日用品、郵便物は、 主に根室から海路で供給された。根室と北方四島は一体の地域圏を形成していたのである。 当時、郵便局は島内外の連絡を担う中核施設であり、電信ケーブルも国後島の各郵便局を結んでいた。郵便物の定期集配はあったが、冬季は不定期になりがちであった。そのため、電信は島外との連絡手段として重要な位置を占めていた。 |