SLAVIC STUDIES / スラヴ研究

スラヴ研究 44号

ハバロフスク地方および沿海地方における機械工業企業の動態分析

村 上  隆

Copyright (c) 1997 by the Slavic Research Center( English / Japanese ) All rights reserved.

はじめに
1.極東の機械工業の特徴
2.極東の軍産複合体の実態
3.輸送費・エネルギー費の高騰
4.地域間経済関係の崩壊
おわりに
参考文献
注釈
要約

は じ め に

ロシア極東地域はウラル山脈以西のヨーロッパ部の工業中心地から遠く離れており、ウラジオストクからモスクワま でのシベリア幹線鉄道の距離は9,302kmにも及ぶ1。 その面積は622万km2 と日本の約16倍にも相当するほど広いが、人口は1995年初現在わずか763万人に過ぎない。しかも最近ではこの地域からの 人口流出が目立っている。極東地域はほとんどを永久凍土に覆われ、インフラストラクチャーも未整備で概して生活環境が悪く、この地域は伝統的に人口の定着 率が低かった。現在、人口流出を加速化させている背後には生活の困窮がある。ソ連時代に政府からの補助金を受けていたこの地域、とりわけ北方地域は、市場 経済への移行過程で中央からの優遇措置をほとんど失い、地域の産業も不振を極めたことから住民は生活基盤を失ってしまったのである。
極東地域は産業発展の初期の頃から植民地的性格をもっており、金やダイヤモンドの非鉄金属資源、森林資源および 漁業資源の中央への供給源であった。このような採取産業の修理基地として機械工業(機械製作・金属加工業、以下機械工業と称す)が興され、また軍事的目的 で極東地域に軍産複合体が集積されていったのである。現在、ロシア極東の機械工業は極めて困難な経営状態に陥っている。1991〜1994年間の極東地域 の機械工業部門の生産量減少幅は、ロシア平均よりも大きく、またロシア極東地域の他の主要産業部門の減少幅よりもはるかに大きなものであった。このような 極東地域の機械工業の不振の原因は、この地域における幾つかの特殊な事情に起因している。その第一は機械工業創設が自然発生的に生まれたものではなく、主 として辺境地区での軍事的目的のために創設されたことである。したがって、第二は機械工業に占める軍需生産の割合が高いことである。軍需費の大幅削減は頼 みの国家発注を激減させ、極東の機械工業は壊滅的な打撃を受けた。第三はソ連の時代に地元の経済構造や需要を無視して、国家計画委員会(ゴスプラン)が中 央集権的手法で生産力の配置を決めていったことである。したがって、極東の機械工業企業で必要とする原材料は域外から移入され、一方、域内需要に合致しな い最終製品の多くが域外に移出されてきた。第四は輸送費・燃料費・人件費等生産コストの上昇である。原・燃料や最終製品の長距離輸送を必要とする伝統的な 需給関係の下では、鉄道料金の急上昇は極東の工業企業に大きな打撃を与えた。寒冷地でのエネルギー消費も大きく、僻地での人件費も高い。
本稿の目的は、ハバロフスク地方および沿海地方に集積している極東の機械工業が、市場経済への移行のプロセスで どのような問題を内包しているのかを、約20企業に対して行ったアンケート調査を検討材料として分析し、将来の極東の機械工業の発展可能性を検討すること にある2

1.極東の機械工業の特徴

極東の機械工業は急激な市場経済化の犠牲者となった。中央集権的な社会主義経済体制の下で経済合理性をほとんど無 視して配置された機械工業が、なし崩し的な市場経済の進行の過程で、中央政府の支援がなくなれば崩壊していくのは当然のことである。極東の工業総生産高に 占める機械工業のシェアは1990年には18.7%を占めていたものが、ソ連崩壊後急速に低下し、1994年にはついに10.4%まで落ち込んだ(第1表)。1990年には、水産加工を主体とする食品工業(工業総生産比は 30.5%)に次いで重要であった機械工業も、1994年になると食品、非鉄金属、電力、燃料に次いで5番目にランクされるほど衰退してしまったのであ る。このことからも明らかなように、極東では採取産業への原料依存化傾向がはるかに急ピッチで進んでいる。地域間経済関係の破綻、輸送費・燃料費の高騰、 競争力がないための販路の喪失によって、伝統的な地場の資源開発により多く依存するようになった。それらは、漁業に頼る食品加工であり、金、錫、ダイヤモ ンド採掘の非鉄金属工業であり、寒冷地に電力・熱を供給する発電業であり、また電力や暖房用に石炭を供給する燃料産業である。極東の産業は高度化に逆行し ており、いわば、産業の原始化が進んでいる。工業生産の減少傾向は何も極東だけではなく、全国的にみられる傾向であり、極東全体としてみれば必ずしも深刻 な状況にないようにみえるが、問題は機械工業の集積地帯であるハバロフスク地方で工業の減産がより顕著にあらわれていることである(第2表)。沿海地方を除けば極東の他の地域はもともと機械工業が産業を支えるほ ど重要な意味をもっていなかったから、減少傾向も大して問題にならないといえる。
機械工業は、極東にしては交通が発達し、自然・気象環境も比較的良く、人口の多い南部のハバロフスク地方および沿 海地方に集中している。機械工業の重要性が相対的に低下した1995年においてさえ、極東の機械工業生産高の77.1%はこれら両地域で占められているの である(第3表)。とくに、ハバロフスク地方では同年にそのシェアは49. 3%を占め、このことからもハバロフスク地方に機械工業企業が集積されていることがわかる。1990年には工業総生産高の33.8%を生産して首位の座に あったハバロフスク地方の機械工業も、1994年になると15.5%まで落ち込み、電力、燃料に次ぐ部門に転落してしまった。ハバロフスク地方の機械工業 が急激な減産に陥り始めたのは1993年に入ってからであり、1994年には前年比51%減、1995年にはさらに前年比42.8%減と工業全体の減産幅 (それぞれ41.7%減、23.2%減)を大きく上回るものとなった3
ハバロフスク地方の機械工業の特徴は、重工業部門と軍産複合体とに集約されていることであり、主力製造品は、鋳 造用技術設備、ディーゼル機器、ガスタービン、金属切削機械、クレーン、ケーブル、穀物収穫用コンバイン、バッテリーおよび造船、航空機である。(第5表)に示すように、1990〜1994年間にはこれら主力製品が急激な減産 を記録しているのである。とくに、この時期に90%以上の減産を経験して、事実上操業停止状態にあったのは、ディーゼル機器、鋳造機械、暖房用ボイラーで あり、橋梁型クレーンやガスタービン、暖房用ラジエター、ケーブル製品も深刻な減産に直面した。我々の現地企業調査によっても、この事実が確認されてい る。(第6表)に示すように、暖房用ラジエターを製造する「ハバロフスク暖房 機工場(Khabarovskii zavod otopitel'nogo oborudovaniia)」の生産量は1990〜1994年間に77% 減、ディーゼル機器を製造する「ダリディーゼリ(Dal'dizel')」のそれは67%減、橋梁型クレーンを製造する「起重輸送機工場 (Pod"emno-transport ivnoe mashi)」は71%減、ガスタービンを製造する「ダリエネルゴマシュ (Dal'energomash)」は56%減を記録しているのである。
機械工業に働く就業者数(工業・生産要員)も減少した。しかし、減少率は減産率ほどではなく、依然として多くの 余剰人員を抱え込んでおり企業の収益に悪影響を及ぼしている。
沿海地方の機械工業は、極東のなかではハバロフスク地方に次いで重要であり、軍産複合体の集積地帯でもあること はハバロフスク地方と変わりない4。ハバロフスク地方の機 械工業が重工業主体であるのに対し、沿海地方のそれは消費財の生産シェアが高いのが特徴である。軍需品以外の主力製品は冷蔵庫、ラジオ、洗濯機である(第4表)。沿海地方の機械工業の減産はハバロフスク地方よりも1年早く、 1992年から始まっており、工業全体の落ち込みより高いテンポで減産が進行した。その結果、工業総生産高に占める機械工業のシェアは1990年の23. 7%から1994年には13.9%まで減少したのである。

2.極東の軍産複合体の実態

極東の機械工業といえば、軍産複合体(Voenno-promyshlennyi kompleks)とほぼ同義語であり、この地域の機械工業は基 本的には軍産複合体企業によって形成されているID5。極 東の工業都市は自然発生的に生まれたのではない。この地域に強力な軍事力を保持するために、モスクワが1930年代以降、人工的に重工業を中心とする軍産 複合体の集積地域を形成していったのである。軍産複合体が地域経済コンプレクスの主要な形成要素であり、軍産複合体を核として周辺に関連生産企業が誕生 し、また同時に軍産複合体が社会・インフラストラクチャーの建設の役目を担った。
このようにして生まれた軍産複合体の集積都市は、沿海地方のアルセーニエフ市(Arsen'ev)、ボリショイ・カーメニ市(Bol'shoi kamen')、ハバロフスク地方のコムソモリスク・ナ・アムーレ市(Komsomol'sk-na-Amure)、ソヴェツカヤ・ガヴァニ市 (Sovetskaia gavan')、アムールスク市(Amursk)およびエリバン地区(El'ban)であった6これらの都市は軍産複合体の企業城下町であり、生産・社会インフラスト ラクチャー、地方財政のほとんどすべてが軍事発注に依存していたのである。この他、ウラジオストクやハバロフスクのような大都市にも軍産複合体企業が誕生 した。
軍産複合体の企業は、上述のように極東南部のハバロフスク地方および沿海地方に集中しており、地域発展の決定的な要素となり続けてきたが、極北で は 軍そのものが社会インフラストラクチャーの建設や機資材・生活物資の供給に貢献してきた。

軍民転換実施前の極東地域の軍産複合体は、地域の工業生産全体からみれば、工業総生産高の約10%、工業・生産要員数の13%、固定資本額の 6%を 占めており、これらは他の漁業や非鉄金属工業のような代表的な専門化分野に匹敵するほど大きな規模である7極東地域の軍産複合体を構成するのは38企業であり、このうち4企業は いまだに未完工建設状態にある8

軍産複合体の規模削減が始まったのは事実上1989年からのことである。当時、ハバロフスク地方および沿海地方では、軍需生産は機械工業製品の生 産 高の約3分の2を占めていた。旧ソ連時代には軍産複合体の企業は、工業の国防関連の連邦諸省に所属しており、極東のそれらは造船工業省、航空機工業省、電 子工業省および国防産業省に所属していた。このことからも明らかなように、1989年時点で極東の軍産複合体企業の総生産高の90%は、造船、船舶修理、 航空機製造によって占められている。
沿海地方の軍産複合体を構成する企業は1994年現在19企業あり、このうち民需品の生産に特化している企業は6企業、軍需生産の民需転換に加 わっ ている企業は13企業である9これらの企業の軍需生産とし ては、伝統的に造船、船舶修理が主体であり、舶用機械をはじめとする器具製作や航空機製造の企業も含まれている。これに対してハバロフスク地方の軍産複合 体企業は、1994年現在12企業であり、航空機製造や造船が主体である10

極東地域の軍産複合体の特徴は、研究・開発部門が弱いことである。造船の基本設計は主としてサンクト・ペテルブルグで行われ、極東にある設計研 究所 は補助的な役割を担っているにすぎない。極東の軍産複合体には9つの科学・設計研究所と研究所の支部がある。なかでも、極東設計研究所「ボストークプロエ クトベルフィ(Vostokproektverf')」は、ウラル山脈以東のシベリア・極東にあって、造船企業の改造・再装備のための設計書類を作成する 唯一の研究所である11

旧ソ連の時代に潤沢な国家資金を背景に、高度の有資格労働者を集め、先端的な研究・開発を行い、資材・機械の優先的配分を享受してきた軍産複合体 は、軍事費の大幅削減とそれに伴う軍事物資の国家発注の減少によって危機に直面した。とくに、ソ連邦崩壊後の旧ソ連構成共和国との生産関係が壊れたこと は、ロシアの軍産複合体の基盤を大きく揺るがすこととなった12。 ロシア国内の伝統的な資材・機械補給システムも壊れた。その結果、人工的に配置された軍産複合体を、中央からの支援のない状況下で、過去の大きさのままで 維持し続けることは不可能であることが明らかになった。極東の軍産複合体が生き抜く道は、軍民転換を進めるか、内外の市場を対象に国の支援を受けながら兵 器をつくり続けていくかである。
ロシアの軍産複合体の特徴は、企業が軍需品のみならず民需品を製造していることにあり、旧ソ連の時代には、とくに耐久消費財の多くが軍産複合体の 企 業で製造されていたことにある。例えば、ロシアの国産のテレビ、ミシン、カメラ、ビデオの100%、アルミニウム圧延材の94%、計算機の95%、ディー ゼル機器・ディーゼル発電機の88%、掃除機の72%、チタン圧延材の71%、洗濯機の66%、オートバイの52%は軍産複合体で製造されていたのである13。とはいえ、重工業優先政策の下に軍産複合体の企業の資金、人材、 機械・資材はもっぱら軍需品生産部門に投入され、民需品生産は工場の端に追いやられ、片手間に製造されていたのであった。そのために、ソ連が耐久消費財の 生産分野で西側先進工業諸国に決定的な遅れをとることとなったのである。
ソ連が内外に向けて軍民転換の推進を表明したのは、1988年12月の国連総会におけるゴルバチョフ・ソ連共産党書記長(当時)の演説である。 50 万人の兵力を削減し、軍需産業を圧縮させることでソ連経済の脱軍事化を明らかにしたことは、西側にとっては大いに歓迎すべきことであった。しかしながら、 その後の軍民転換計画は、主として資金不足のために遅々として進んでいない。とくに、1991年末のソ連邦崩壊、1992年から始まった価格自由化、財政 安定化のショックセラピー政策は伝統的に古い体質をもつ軍産複合体を破滅に追いやり、軍民転換の処方箋が機能しないまま、その生産活動を凍結させていった のである。軍産複合体の生産量は、1992〜1995年の4年間にマイナス68.8%を記録し、このうち民需品の生産高は58.7%減少したのに対し、軍 需品のそれは83.3%も落ち込んだ14。この傾向は 1996年に入ってさらに加速されている。軍需品の減産が、短期間にこれほど急激に進むとは想定されなかったにしても、国家財政による軍需費の大幅削減の 方針がとられれば当然起こりうることであった。連邦政府の軍事予算による兵器・軍事技術の買い付けのための支出額は、1990年の1,320億ドルから 1995年には140億ドル、1996年には80億ドルまで落ち込んだのである15
このような軍需費の大幅削減と軍産複合体の生産急減の傾向は、当然のことながら極東地域にも波及した。極東地域の軍産複合体企業の生産量の落ち込 み は1992〜1994年の3年間に60%であった。1993年からは民需品の生産減少が軍需品のそれを5〜6%上回っている16
沿海地方の軍民転換企業の生産動向をみれば、1989年以降毎年減産を続けているが、(第8表)にみるように、極度の不振に陥ったのは1993年に入ってからのことである。それまで何とか減産を小幅に とどめてきた沿海地方の軍産複合体企業は1993年になって一挙に生産量を落とした。しかも、二桁台の大幅なマイナス成長を記録している企業が多い。この ような傾向は1994年にも持ち越され、一層深刻になっている。(第8表)に 示す1994年の数値は実勢価格であるのでプラスに転じている企業があるが、この年のインフレ率を考慮すれば不振続きであることに変わりない。では、なぜ これほどまでに1993年以降不振に陥るようになったのだろうか。
1990年以降、毎年減産を続け、1993〜1994年間にも一層経営を深刻化させた企業は、工場「イズムルド(Izumrud)」、公開型株式 会 社「ヴォストチナヤ・ヴェルフィ(Vostochnaia verf')」、工場「ラジオプリボール(Radiopribor)」および「プログレス AAK(Progress)株式会社化される前の名称はサズィキン記念アルセーニエフ航空機製造企業(Arsen'evskoe aviatsionnoe predpriiatie im.Sazykina)であった。この他、1993〜1994年間に、ウラジオストク企業「エラVAOOT(Era)」、工場「ズヴェズダ (Zvezda)」、株式会社「アスコリドAO(Askol'd)」は不振を極めた。1990年代に入って一 貫して減産を続けている「イズムルド」「ヴォストチナヤ・ヴェルフィ」「ラジオプリボール」および「プログレス」にみられる共通の特徴は、軍民転換が進ま ないために生き残り策として軍需品の生産を維持し、その結果、相対的に軍需品のシェアが高まったことにある(第9表)。「イズムルド」工場は1994年には前年に比べて民需品の電気ミキサー、照明器具および玩具の生産量が 大きく落ち込み、軍需品のシェアが相対的に高まった。「ヴォストチナヤ・ヴェルフィ」はもともと軍需品の生産シェアが90%近くであり、軍民転換として船 舶の内装技術を生かして家具の製造に従事しているが、この分野の転換は進まず若干低下傾向にあるものの、1994年現在なお76.8%の軍需品生産シェア を維持している。「ラジオプリボール」は民需品として極東のラジオの全量を生産しているが、その生産量は1992年の約10万台から、1993年には約5 万5,000台、1994年には約2万台へと5分の1に減少している17。 その結果、軍需品のシェアは再び高まった。アルセーニエフ市にある航空機製造会社「プログレス」は、航空機工場でありながら軍民転換商品として洗濯機、家 具、子供用乗物を製造している。これらの製品製造は1993〜1994年には減産となっており、軍需品のシェアが高まっている。この工場は航空機の注文が ないことから、操業停止の危機にあり、現在もっとも厳しい環境にある。
この他、軍民転換として電熱器を製造するウラジオストク企業「エラ」、家具製造の「ズヴェズダ」、金物製品、照明器具を製造する「アスコリド」は 民 需品の生産が振るわず、相対的に軍需品の生産シェアを高めている。
このように軍民転換による民需品生産が不振を極めている背景には、国内市場での需要が減退したからではなく、価格面、品質面あるいは納期の点で 輸入 品に対抗できなかったという競争力の欠如の本質的な問題がある。
ハバロフスクの軍産複合体の状況については、データに乏しく、実態を解明しにくい。軍産複合体の不振は沿海地方と同じくするものであり、軍産複合 体 企業の1994年の生産高は前年に比べて59%落ち込み、なかでも軍需品の生産は63.7%減を記録している18この数字からもハバロフスク地方においても軍産複合体がいかに不振 であったかをみることができよう。
ロシア全体でも極東地域でも軍民転換が進まない現実は、(第7表)に 端 的にあらわれている。沿海地方では軍民転換の方針によって軍需品の生産シェアは低下を続け、1992年には半分以下の43%まで圧縮されたが、 1993〜1994年は民需品の生産不振によって軍需品の生産シェアは再び50%を上回るようになった。沿海地方に比べてハバロフスク地方は軍産複合体企 業における軍需品のシェアが例年高く、軍民転換もかなり遅れている。軍需品の生産シェアは毎年60〜70%台の高い水準にあり、この地方においても軍民転 換はほとんど進んでいないことが読み取れる。
軍民転換の進捗状況をロシア全体でみれば、国防産業国家委員会傘下の軍産複合体の総生産高に占める軍需品の生産シェアは、1993年には31%、 1994年には約35%、1995年前半には32%と生産構造に抜本的な変化が起こっていない19。このことは全国レベルでも軍民転換が掛け声倒れに終わっているこ とを示している。
極東の軍産複合体企業が軍民転換で新たにどのような商品を製造し始めたのだろうか。V.ソジノフ(V.Sozinov)は、軍民転換の成果は少な い としながらも、沿海地方では「ズヴェズダ」の小型冷凍船、「クラスヌイ・ヴィムペル」の民間利用の各種銃、プログレス社の「K‐34」型ヘリコプター、 「AN‐74」型航空機をあげている20
軍民転換が進まない最大の原因は転換資金不足にあり、沿海地方の場合、1992〜1995年の軍民転換計画に基づいて、1992年には、1991 年 価格で総額70億3,700万ルーブル(9億1,700万ドル)が必要であると見積もられた。しかし、1992〜1994年間に連邦から実際に振り向けら れたのはわずか0.8%の5,430万ルーブルにすぎなかったのである21。 しかも優遇クレジットの形で軍民転換資金を借りているので、民需品の生産が軌道に乗らないうちに返却しなくてはならない。死の状況にある企業の生き残り策 として、「ダリプリボール」のV.チトコフ(Vladimir Titkov)社長はウラジオストク市議会の経済委員会で、「器具生産の幾つかの小規模企 業を集めて企業合同(Ob"edinenie)を設立し、『ダリプリボール』の遊休設備を利用して製品を製造する。その際3年間税金を徴収しない。その結 果、1999年には予算収入を倍増させることができるし、850人以上の職場を確保できる」ことを提案している22
生産激減でロシアの軍産複合体は経営難に陥っており、その債務額は1993年の1兆4,000億ルーブルから1994年には2兆1,000億ルー ブ ル、1995年には5兆3,000億ルーブルに膨れ上がっている24。 緊縮財政政策を取り続けるロシア政府に、軍民転換資金の増額を期待することができない。その結果、生き残り策として1994年後半以降盛んに言われるよう になったのは、武器輸出による軍産複合体の建て直し案である。ロシア政府決定No.479によって、一定の制限のなかで兵器の生産者が独自に輸出できる権 限が付与されたのである。この結果、軍民転換政策は逆戻りする傾向にあり、輸出用兵器の生産増大をもたらしている。ロシアの兵器輸出額は、1992年には 23億ドルであったものが、1993年には25億ドルとなった。「ロスヴォオルジェニエ(Rosvooruzhenieロシア兵器)」によれば、1994 年には34億ドルとなり、1995年にはすでに契約されているものだけでも50〜60億ドルに達するという25。ストックホルムの平和問題研究所(SIPRI)の報告書でも、ロ シアの兵器輸出の急増が指摘されており、世界市場でのロシアの兵器輸出シェアは1994年には4%であったが、1995年には17%まで拡大したと指摘し ている26。1995年に兵器輸出でもっともドラスチッ クな変化が起きたのは極東である。1995年上半期にはロシアのほとんどの地域で兵器輸出が増えたが、極東地域は前年同期比で6倍にもなったのである27
兵器輸出は果たしてロシアの軍産複合体を救うことになるのだろうか。かつての発展途上諸国に対する援助的な性格の延長線上の問題として把握した場 合、それなりの効果は期待できよう。しかし、ロシアの軍産複合体は経済破綻のプロセスで技術的にも、人材的にも、設備の点でも先端的な製造拠点としての環 境をすっかり失ってしまった。軍産複合体が兵器生産を維持できるとすれば、伝統的な市場(例えば中国、インド)への細々としたつながりだけであろう。市場 経済化の流れのなかで軍産複合体が兵器生産を維持しようとすれば、大型の設備投資を行い、新たな資材・機械供給のネットワークを構築しなくてはならない。 極東においては航空機の製造は極めて経済効率の低い部門であるといわざるを得ない。

3.輸送費・エネルギー費の高騰

極東地域の機械工業が深刻な減産に陥った最大の要因として、鉄道料金の急上昇がしばしば指摘されている。社会主義時代に公共部門である鉄道の国内 運 賃は政策的に極めて低く抑えられており、極東の企業にとっては鉄道運賃はほとんど問題にならなかった。しかし、1992年初の価格自由化によって鉄道料金 も統制色を残しながらも、急激に上昇した。『ロシアの運輸・通信』統計によれば、1991年12月から1994年12月までの時期に一般利用の輸送貨物料 金は4,840倍に増大しており、この増加率は同時期の工業製品の生産者価格の上昇率3,800倍を大きく上回っている(第10表)。このうち、鉄道料金は5,745倍になっており、より大幅な上昇と なった。このように全国的にみても鉄道料金の上昇が企業に大きな負担になっていることが読みとれる。ソ連時代の格安料金のことを考慮すれば、企業に運賃負 担がのしかかってきていることは明らかであろう。当然のことながら、極東地域のように原材料の供給や製品市場から遠い地域では、企業にとって輸送費はさら に重圧となっている。沿海地方の貨物運賃は1991年12月〜1994年12月に9,867倍にも跳ね上がっており、ロシア全体の上昇率の倍を記録した。 とくに、1992年12月から1993年12月にかけて34.9倍も上昇しており、価格自由化の翌年にも沿海地方では大幅な上昇がみられた。なぜ、沿海地 方だけがこれほどの上昇率となったのかはデータ不足で解明できない。運賃タリフの設定はモスクワの運輸省が行っており、沿海地方が勝手に料金を設定できな いし、沿海地方はハバロフスク市にある極東鉄道総局の管轄下にあり、したがって沿海地方でもハバロフスク地方でも鉄道料金の上昇率は大きく変わらないはず である。おそらく、太平洋岸に重要港をもつ沿海地方は、海上輸送が鉄道輸送に匹敵するほど大きいことからこの分野で大幅な上昇があったものとみられる。
ハバロフスク地方の貨物運賃の上昇率はロシア全体よりも低いが、これを追いかける形で上昇している。輸送手段の半分近くは鉄道輸送であり、鉄道運 賃 は、対前年比で1991〜1994年間に4,852倍と他の輸送手段よりも高い上昇率を記録している。この上昇率がロシア全体の鉄道運賃よりも低いとはい え、遠距離輸送のことを考えれば大きな負担になっていることに変わりない。
企業レベルでは運賃がどれほど重荷になっているだろうか。アンケート・ヒヤリング調査で生産原価に占める運賃の割合をみたのが(第11表)である。ヒヤリングでは原価要素を労務費、減価償却費、材料費、輸送 費およびその他の5項目に分類しており、材料費の内訳の一部として燃料・エネルギー費を挙げている。調査は主としてインタビューで行っており、帳簿上の厳 格な数字を求めることは不可能であり、むしろアンケート解答者(企業上層部)の即断に大きく左右されるので印象が述べられることも多く、精緻に欠ける嫌い がある。生産原価に占める運賃のシェアが年と共に高まる傾向のなかで、運賃のシェアが極端に高い企業とまあまあ妥当とみられる企業に二分できる。 18〜25%もの高い企業は運賃の上昇が製品製造に強い影響を与えていると実感している企業である。橋梁型クレーンおよびガントリー・クレーンを製造する ハバロフスク市の起重輸送機工場は、その生産シェアを1994年には1990年に比べて3分の2以上落としている企業であり、材料の90%を地元のアムー ルスターリ(Amurstal')製鋼所から購入している。部品・半製品の内製率は1994年現在23%であり、65〜70%をロシア国内の他企業、と くにウラジオストクおよびノボシビルスクの工場から購入している。輸送距離は比較的近いが、材料の鋼材は量的にかさばり、輸送費が膨らんで生産原価に占め る輸送費の割合は年々増える傾向にあり、1994年には18%まで拡大している。主として住宅用パネル(金属構造物)を製造するハバロフスク金属構造物工 場(Khabarovskii zavod metallicheskikh konstruktsii)は、起重輸送機工場と同じようにかつては鋼材の 60%を地元のアムールスターリ(Amurstal')製鋼所から購入していたが、価格上昇と必要な鋼材の種類が調達できなくなったことから、現在ではウ ラル地域のニージニー・タギール(Nizhnii Tagil)製鉄所、マグニトゴルスク(Magnitogorsk)製鉄所およびリペツク (Lipetsk)製鉄所から移入している。そのために輸送距離が遠く、輸送費が生産原価の4分の1を占めるほどになっている。
ナホトカ船舶修理工場(Nakhotkinskii sudoremontnyi zavod)は100%船舶修理に従事しており、20カ所の極東 の船舶修理工場のなかで唯一まともに稼働している工場である28。 機械、電気、鋳造、パイプ、船体修理、部品製造などの工場をもち、修理に必要な鋳造品、部品をつくっている。鋳造品の内製率は100%、部品も70%と内 製率が高い。この工場では、熟練度の高い労働者の賃金水準が高く、生産原価に占める従業員の賃金の割合が比較的高い。内製率が高いために、材料費が相対的 に小さくなっているが、輸送費が1994年には25%も占めており、鋳造品の輸送費がかさんでいるものとみられる。輸送費が生産原価の18%を占めている アムールスク機械製作工場(Amurskii mashinostroitel'nyi zavod)は特殊機械を製造しており、軍需品の生産シェアが半 数を占める。鋳造品の内製率は100%、部品の100%は極東域内から供給されており、なぜ輸送費のシェアが高いのかわからない。

以上の4企業を除けば生産原価に占める輸送費は10%以下にあり、このうち0〜5%以下の企業は11企業、5%以上10%以下の企業は5企業で あ る。一般に、日本の機械工業企業に比べて輸送費の生産原価に占める割合が高いといえよう。ただ、このような傾向がロシアでも極東にみられる独特のものであ るかどうかは比較検討するデータがないので残念ながら判断できない。

燃料(石炭、ガス、石油製品)およびエネルギー(電力、熱、ガス、水力)の生産原価に占める割合は、1992年初めの価格自由化にともなう統制価 格 の上昇で毎年高まっている。極東の機械工業の企業をみれば、1990年〜1994年間にほとんどの企業でエネルギー・コストの割合が上昇しており、しかも かなり顕著にみられる。極東の企業の燃料・エネルギー消費が大きい理由として指摘できることは、第一にほとんどの設備が旧式で、老朽化しており、電力消費 が大きいこと、第二に鋳造品の内製率が高いこと、第三に寒冷地のために暖房費がかさむこと、第四に自工場内に効率の悪いボイラーステーションをもつことが 多く、建物も天井が高く、古いために熱効率が悪いということである。企業は資金不足のために、これらの状況を改善させることができず、エネルギー価格の上 昇を設備の更新で吸収することができず、そのまま生産原価に占めるエネルギーの割合が高まる結果になっている。生産原価に占める燃料・エネルギー費の割合 が20%を超えているのはゴーリキー記念ハバロフスク工場(Khabarovskii zavod im. Gor'kogo)である。この工場は主とし て船舶用ウインチ、クレーン、発電設備を製造しており、新造船の発注がない状況ではこれら商品の注文がほとんどない。鋳造品の内製率は97%と高く、この 部門でのエネルギー消費が大きいとみられるが、このような企業はごく普通であり、なぜこの企業のエネルギー消費が大きいのかこれだけでは説明できない。燃 料・エネルギー費が生産原価の10%以上を占めていて、大きな負担になっている企業はウラジオストク船舶修理工場(Vladivostokskii sudoremontnyi zavod)、ビロビジャン機械製作工場(Birobidzhanskii mashinostroitel'nyi zavod)、アムールスク機械製作工場、ウラジオストク市の「ヴォスホド」およびハバロフスク暖房機工場の5工場である。このうち、軍産複合体で特殊機 械を製造しているヴォスホドと鉄道車両牽引車を製造しているビロビジャン機械製作工場は鋳造品を独自で生産していないが、燃料・エネルギー費の負担は大き い。これに対して残る3企業の鍛造品は内製率100%であり、この部門での燃料・エネルギー消費がかなり高いものとみられる。(第12表)

4.地域間経済関係の崩壊

ロシアの極東地域とシベリア、ヨーロッパ部との間にどのような商品の動きがあるのか、地域間経済関係を分析しようとすると、部分的なデータに頼る し かなく、この関係を明確にさせる十分な統計が存在しない。そうしたなかで産業連関表と運輸に関する統計が全体を把握する上で効果的であろう。前者は5年毎 に作られ、1987年のものがもっとも新しいものである29。 後者によって物流の全体の流れを把握することは可能であるが、地域間の詳細なデータは不足している30
産業連関表から明らかなことは、ロシア極東地域は、伝統的に域外からの移入が域外への移出を上回っていることである31。極東地域の移出が上回っている、つまり移出入が黒字になっている 分野は、当然のことながら伝統的に極東で特化されている産業であり、それらは非鉄金属、林業・木材加工・紙パルプ、漁業、建材である。逆に移入依存度の高 いのは、機械、軽工業、鉄鋼、化学であり、極東で産業基盤が脆弱な産業である。なかでも、機械工業は1987年には移入額の3分の1強を占め、もっとも域 外依存度の高い産業となっている。極東域内の機械工業製品の約半分は移入に頼っており、1980年代後半には一貫して増大する傾向にあった32
このことは極東は域内機械需要の半分しか賄えないことを示しているが、問題はそのことにあるのではなく、極東で需要のない機械を製造してわざわざ 域 外に供給しているという事実にある。極東で製造される一般機械の80%までが域外に移出されている。なかでも、金属切削機械の80%、起重・輸送設備の 56%、ディーゼル機器・ディーゼル発電機の58%がロシア・ヨーロッパ部に移出されているのである33。電気機械の約4%、金属切削機械の約1%、ディーゼル機器・ ディーゼル発電機の約15%が域内で消費されているにすぎない。
上述のような製品を製造するのはハバロフスク地方である。金属切削機械の最大メーカーはハバロフスク工作機械工場(khabarovskii stankostroitel'nyi zavod)であり、生産量は1991〜1994年間に半減している。V.レベディコ(V.I.Lebed'ko)副社長は支払い能力の低下が減産の最大 の要因であると考えている。(第 13表)はハバロフスク地方の機械工業品の移出入の傾向をみたものである。金属切削機械の移出量は1992〜1994年には減少したが、1995 年には再び拡大している。起重・輸送設備(起重機・橋梁型クレーン)を製造しているのはハバロフスクの起重輸送機工場であり、この企業は移出に大きく依存 している。近年、これらの移出量は減少を続けてきたが、1995年には金属切削機械と同様大幅な回復傾向がみられた。この企業の生産は1990年に比べれ ば30%まで減少したが、その理由としてD.リャボフ(D.Riadov)副社長も支払い能力の低下を指摘している。ディーゼル機器・ディーゼル発電機を 主として製造している大手は、「ダリディーゼリ」である。主として船舶用のディーゼルを製造するこのハバロフスク地方有数の機械メーカーは工場がほとんど 停止するほどの不振に陥った。ディーゼル機器・ディーゼル発電機の移出量も1993年以降激減したが、1995年には回復基調にある。このように、移出に 依存する機械工業品は概して1993年以降激減したが、1995年に入ると若干回復の兆しがみえてきている。
「ダリエネルゴマシュ」はハバロフスク地方で最大規模の工場の一つであり、タービン、コンプレッサー製造では著名な企業である。しかし、その生産 量 は1990年に比べれば半減している。主力のタービンはもっぱら域外に供給されているが、1991年に2基を域外に、1基をCISに供給して以来、全く製 造されていない。コンプレッサーも伝統的に域外に市場を形成しているが、その供給量はほとんどゼロとなった。会社は新製品の熱併給発電所用およびガス工業 用ポンプに期待を寄せており、その供給量は1993年から漸次増加している(第14 表)
一方、材料・部品については、極東の機械関連企業の約半数が鋳造品および鍛造品の生産設備をもっており、内製率が高い。現地調査を行って回答した 企 業19企業のうち、鋳造品を自社内で100%製造しているのは6企業であり、それらはアムールスク機械製作工場、生産合同「ヴィムペル (vympel)」、ウラジオストク船舶修理工場、ビロビジャン変圧器工場(Birobidzhanskii zavod silovykh transformatorov)、ナホトカ船舶修理工場およびウスリースク機関車修理工場(Ussuriiskii lokomotivoremontnyi zavod)である(第15表)。 「ダリレムマシュ(Dal'remmash)」は1993年までは自社内に工場を持っていたが、閉鎖され、1994年からは域外に依存している。これらの 生産体制は企業内で使われる製品を小規模で製造することが多く、効率が低い。鋳造品製造に必要な原料は主としてウラル地域の製鉄所から移入されている。極 東にはコムソモリスク・ナ・アムーレ市にアムールスターリ製鋼所が存在するだけであり、この製鋼所は普通鋼材の狭い範囲の構造材しか供給できず、極東域内 の機械工業の需要には適合しない。
部品・半製品の製造を全面的に自社内で行っているのはウラジオストク船舶修理工場であり、軍産複合体のアムールスク機械製作工場および極東生産合 同 「ヴォスホド」は域内の供給に全面的に依存している(第16表)。ナホトカ船 舶修理工場および「ダリレムマシュ」は内製率が高いが、その他の企業は主として域外から部品・半製品を調達している。機械工業は高度化すればそれだけ部品 の種類が増え、極東のように機械工業の発達が未成熟であれば、その分域外からの調達が増えてくる。とくに、ハバロフスク地方では、機械工業は使用する部品 の種類が少ない重工業部門が主体であり、域外の依存度の高い割には域外からの供給量は少ない。沿海地方の企業では内製率が高く、原料の一次加工から完成品 の製造まですべての工程を事実上自社内で行っている34
材料・部品の供給の典型的な例は「ダリエネルゴマシュ」であろう。機械部品は品目と能力によって製造工場が寡占化されており、国産に依存する限り 概 して需要家の選択の余地はない。旧ソ連の生産分業体制がまだ崩れていないからであり、支払い能力の低下による需要の減退で伝統的な企業からの調達量を大幅 に削減せざるをえなくなっているのである。例えば、「ダリエネルゴマシュ」は1991年〜1995年間にコンプレッサーに必要な電動機や自動化装置のほと んどを購入できなくなった(第17表)これに対して、鋼材や重油の供給源は多 様であり、消費側の選択の余地が残されている。極東域内からの供給には限界があり、ウラル地域の製鉄所や製油所から購入する場合が多い。

お わ り に

極東の機械工業は、輸送費の高騰、市場関係の崩壊、軍産複合体の解体によって危機にさらされている。果たして、今後極東の機械工業は復興できるの で あろうか。問題の山積している極東地域の機械工業をロシア政府および極東地域行政府はどのように立て直そうとしているのであろうか。その具体的な方向を探 る手だてとして、1996年4月に採択された「1996〜2005年における極東・ザバイカルの経済社会発展連邦目的別計画(通称、極東長期発展プログラ ム)」をみてみよう35。  全体の発展プログラムのなかで、機械工業部門は機械工業全体と軍需生産の民需転換の特別課題とから成り立っている。
 機械工業全般の課題としては、
  1. 機械工業製品の減産停止、生産活動の安定化および今後2〜3年間の地域の機械工業生産、とくに鍵となる部門の生産増加。
  2. 技術集約度が高くて、生態学的に安全で輸入代替の機械工業品および内外で競争力のある生産の確保。
  3. 新たに導入された企業および軍民転換設備での新規職場創設によって、社会状況を安定化させ、機械工業企業の知的・労働潜在力を維持し効率的に 利用すること。
  4. 機械工業企業の対外経済活動の拡大、とくにアジア・太平洋地域、がうたわれている。
極東の機械工業の構造改革として、将来、器具製作、エレクトロニクス、工作機械の3分野の発展が重視され、農業や資源開発に必要な機械・設備の生 産 拡大を果たすことで、遠距離からの機械工業品の移入を減らすことが目指されている。また、輸入代替として電力用変圧器、小出力変圧器およびバッテリーの生 産が方向づけられている。
上述のような課題が実際に少しでも実現されれば、極東の機械工業が蘇生できるだろう。問題はどのようにしてこのような課題を実践し、そのために必 要 な財源を確保していくかである。なるほど、極東プログラムには資金配分の計画は盛り込まれているが、国家財政が逼迫し、企業は債務に喘ぎ、国民は生活苦に 悩まされ、外国の投資を当てにしようにも投資環境が悪すぎて外国企業は投資に慎重にならざるを得ないという八方塞がりのなかで、プログラムの課題は結局の ところ絵空事になりかねないのである。
これを克服するには極東地域がもっている潜在力をいかに生かすかにかかっている。潜在力を期待できるのは非鉄金属、エネルギー、水産といった分野 の 資源であり、アジア・太平洋に近いという地政学的な条件である。国家の支援を全面的に当てにしていたような、かっての中央集権的な経済体質では、このよう な潜在力を効率的に機能させることができない。資源開発に必要な資金調達の方法として外資導入が決定的な要素であり、そのための投資環境を整備する必要が ある。極東地域がアジア・太平洋地域に隣接していることは客観的にみて有利な条件ではあるが、それだけでは十分な条件ではない。極東の企業自身がアジア・ 太平洋地域を有望な市場と判断して、積極的に自助努力していく必要がある。これまでロシア極東の機械工業品の輸出はほとんどみるべきものがなく、1994 年の輸出構造を例にとれば、アムール州を例外としてすべての地域で1%をきっているのである(第18表)。アムール州が4.5%と若干高いのは中国向け輸出が多かったからである。このようなシェアは、機械工 業品の輸出ではアジア・太平洋地域は輸出市場としてほとんど機能していないことを示している。
極東の機械工業の生産基盤は老朽化しており、他地域から供給される材料や部品も質的に劣り、そこで製造されるほとんどの最終製品は国際競争力に勝 ち 抜くことができない。ロシア国内では機械部品のモノカルチャーが依然として、色濃く残されているために、競合製品を製造する環境がなく、これに依存してい る企業の製品は自ずと質的に限界がある。これを克服するには国内に中小企業を養成して競争関係を創設していき、外国からの部品輸入を拡大していくことが必 要である。いま、極東の機械工業に必要なことはアジア・太平洋地域を販路の対象として視野に入れながら、資源の開発とその加工度を高めることを最優先させ る産業政策をとって、人材、資金、機械・設備および技術を集中的に投入していくことである。
極東の機械工業が解決しなくてはならないもうひとつの大きな問題は、軍需産業の民需転換である。ロシア政府および極東の行政府は今後極東の軍産複 合 体をどのようにしようとしているのであろうか。その路線はやはり「極東長期発展プログラム」に盛り込まれている。この計画に一体化しているのはロシアの 「1995−1997年の軍産複合体企業の軍民転換計画」の一部を成す「極東・ザバイカルの軍産複合体の軍民転換計画」である。極東・ザバイカルの軍民転 換計画には22の具体的な軍産複合体の軍民転換計画が盛り込まれており、このうちハバロフスク地方および沿海地方の部分を示したのが(第19表)である。ここにはそれぞれの企業において、どのような民需品を製造 し、どの程度の投資が必要になり、どのような成果が期待できるか具体的に述べられている。民間航空機製造や造船・船舶修理(商船・漁船)にみられるよう に、現有の軍産複合体の能力を活用した方向と技術集約型でエコロジー面でも安全で輸入代替を実現できるエレクトロニクス産業をベースとした医療器械、通 信、家電製品、計器類の製造方向とが明示されている。現実の極東地域の軍産複合体の実情とこの地域に求められている市場性を考えれば、この軍民転換計画は 十分に妥当性をもった計画であると評価できる。問題は実行能力にある。極東の軍産複合体の将来は、連邦水準で考えられているのは適切な軍産複合体の能力を 維持し、国家は軍事発注によって物的・財政的源泉を保証し、兵器輸出を組織するという、軍事力の十分性を念頭に入れた、むしろ軍事力強化の方針すら伺える 内容である。また、連邦レベルでは優遇クレジットと優遇税制を適用させることがうたわれてはいるが、これらは過去において導入され、ほとんど成果が得られ なかったものである。地方自治体水準では軍民転換施設への地域補助金や地方税の優遇税制措置が、企業レベルでは民需生産企業との技術協力がうたわれてい る。地方レベルでは財源に乏しく、ほとんど効果を期待できない。このような政府の軍産複合体に対する姿勢は本質的に軍民転換にあるのではなく、軍需品も民 需品も製造する多様化(Diversifikatsiia)であり、抜本的な構造改革を考えているわけではないのである。資金調達面で、ロシア財務省が IMF指導による緊縮的な財政政策をとっていれば中央からの投資資金の配分が望むべくもない。したがって軍産複合体企業自らが投資を促進できるような制度 上の方策が実施されなければならない。しかし、この問題には全く深入りしていない。このような状況下で、むしろ、現実に軍民転換が進むであろうとみられる のはサハリン大陸棚石油・天然ガス開発に必要な機械・設備の軍産複合体での製造である36。開発にあたっては主として外国投資によって、総額250億ドルの 投資が見込まれており、機資材の供給にはロシア企業を活用するローカル・コンテンツ(Local contents)が前提とされている。とくに、プロ ジェクトを監督するオブザーバー委員会には国防産業国家委員会議長が参加しており、石油・ガス掘削のためのプラットフォーム建造ではハバロフスク地方の軍 産複合体の参加が予定されているのである。このようなケースは、すでに開発計画に着手しているので現実的であるといえる。
しかし、(第19表)のような軍民転換計画を実現させるには莫大な資 金 が必要であり、資金の手だてのない計画は結局のところ気休めにすぎない。
*本稿は、文部省科学研究費補助金・国際学術研究「ロシアにおける地域社会の動態分析」(研究代表者 北海道大学スラブ研究センター山村理人)に よ る研究成果の一部である。

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