スラブ研究センターニュース 季刊 2006
年春号
No.105
原暉之教授 3月18日の講演にて
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19年間、センターに勤務した原暉之教授がこの3月をもって定年退職しました。原教授は、研究面でセンターをリードしただけではなく、1989年から 1992年までセンター長を、1997年から2001年まで北海道大学附属図書館長を務め、センターと北海道大学の運営面でも多大な貢献をされました。
センターでは、原教授の退職を記念して、3月17日(金)から19日(日)まで歴史系の国際シンポジウムを開催しました。17日には、ロシア・ソ連史一般 に関する英語使用のシンポジウムが、18~19日には、原教授が21世紀COEプログラムの一環として推進してきた研究会「ロシアの中のアジア、アジアの 中のロシア」の拡大版として、日本語・ロシア語使用のシンポジウムがおこなわれました。この3日間の催しのために、クラスノヤルスク、ウラジオストク、そ してチラスポリから歴史家が招かれ、また、センターの長期滞在外国人であるミハイル・ドルビロフ氏とマシュー・レノー氏も報告しました。18日には原教授 自身が「北東からみた海のアジア近代史」と題して講演し、その後アスペン・ホテルで送別会がおこなわれました。送別会では、北海道大学副学長であり図書館 長でもある逸見勝亮教授などからご挨拶をいただきました。一人の教員の退職を記念して3日間の国際シンポジウムが開催されたことは異例であり、このこと自 体が、原教授がセンターで有していたウェイトを物語っています。原教授は、3月22日の評議会において、北海道大学名誉教授として承認されました。
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原教授の研究歴は、大きく三期に分けられると思われます。第1期は、1960年代後半から70年代にかけてのいわば若手時代で、この時期、教授は、 第一次ロシア革命と議会の開設、ユダヤ人問題など、比較的スタンダードなテーマに従事しました。論文集『ロシア革命の研究』(1968)所収の論文におい ては、第一次革命後の議会選挙における選挙人団(クーリエ)制の採用が、予期せざる結果として、諸社会集団の集団的帰属意識を強めてしまったことを指摘し ました。これは、ややもすれば「体制・対・社会運動」という二項対立的な認識に陥りがちであった当時のロシア史研究の中では異彩を放つものでした。
第2期は1970年代から80年代にかけてであり、この時期、原教授は、シベリア・ロシア極東の地域史、日露関係史を主に研究しました。筑摩書房から 1989年に刊行された『シベリア出兵:革命と干渉1917-1922』は、その集大成と呼べるものです。この本は、視野の壮大さ、実証の精密さの双方か ら、刊行後20年近くを経て、当該研究分野における世界的な金字塔としての地位を失っていません。原教授の特徴として、ロシアとの関係を通じて日本の近代 史を見直そうとする姿勢、そのためロシア、日本双方の史料状況に精通していることがあげられます。この特徴は、たとえば、論文「ポーツマス条約から日ソ基 本条約へ」(講座『スラブの世界』第8巻所収、1995年)において遺憾なく発揮されています。
第3期は、1990年代以降のいわば円熟期であり、この時期、原教授は、シベリア・極東地域史研究に基礎をおきつつも、様々な史学方法論上の提言をおこな うようになりました。歴史学と地理学を結合する必要性、交通史・物流史・海域史への注目、跨境史(トランスボーダー・ヒストリー)の提唱などです。たとえ ば、1995年に発表された「歴史の歩み:道のロシア史」(『もっと知りたいロシア』所収)は、交通・物流という観点からロシア史を概観するものでした。 また、1990年代にあいついで出版された『インディギルカ号の悲劇:1930年代のロシア極東』(筑摩書房、1993)、『ウラジオストク物語:ロシア とアジアが交わる街』(三省堂、1998年)は、市民向けのスタイルで書かれていますが、上述の先進的な方法論を実証研究に応用したものです。
このような方法論的革新性をもって、原教授は、1990年代後半にスラブ研究センターが主導した科学研究費補助金重点領域研究「スラブ・ユーラシアの変 動:自存と共存の条件」のイニシエイターのひとりとなりました。また、教授は、同時期に弘文堂から刊行された講座『スラブの世界』シリーズ全8巻の編集代 表でした。
地理、交通、物流、海域、そしてトランスボーダーな要因に注目する個性的な方法論の結果、原教授は、「地域研究史学」とでも呼ぶべき新しいジャンル を開拓したと言えます。その結果、原教授の研究は、歴史家にのみならず、日本におけるスラブ・ユーラシア地域研究全体に学際的な影響を与えることになりま した。実際、若い世代が原教授の方法論を継承し、発展させるならば、日本のスラブ・ユーラシア史研究をより個性的なものとすることが可能であり、その国際 的な認知度はいっそう高まるでしょう。
原暉之教授は今年度から北海道情報大学で研究を継続されることになりました。
連絡先 |
069-8585 江別市西野幌59番2 |
北海道情報大学経営情報学部 | |
℡ 011-385-4411 |
内線225 |
デイビッド・ウルフ氏 |
原暉之教授の定年退職に伴う専任教員人事は、スラブ研究センターの教授人事としては初めての試みとして、公開選抜原則の下におこなわれました。昨年 の6月2日から7月30日にかけて公募がおこなわれ、20名の応募者がありました。選考委員会と協議員会における慎重な検討の結果、デイビッド・ウルフ氏 を招くことになりました。日本のスラブ・ユーラシア研究者にとってはウルフ氏は古くからの友人ですが、あえて略歴を紹介すれば、彼は1960年生まれ、 1991年にカリフォルニア大学バークレイ校において19世紀末から20世紀初頭の満州・ハルビンをテーマとした学位論文により博士号を取得しました。 1991年から96年まではプリンストン大学で助教授を務め、1997年以降は、ウッドロウ・ウィルソン・センターが主催する冷戦史プロジェクトにおいて 主導的な役割を果たしながら、世界各地の有名大学・研究所で客員教授などを務めてきました。1999年には、博士論文を基にした著書 To the Harbin Station: The Liberal Alternative in Russian Manchuria, 1898-1914 をスタンフォード大学出版から出版しました。
ウルフ氏は、スラブ研究センター、とりわけ原暉之教授がこれまで進め、世界に向けて提唱してきた地域研究的な史学、特に跨境史(トランスボーダー・ヒスト リー)の方法論を発展させてきた第一人者です。ウルフ氏の関心と守備範囲の広さ、それを支える語学力は驚異的なものであり、北東アジアにおける大豆の歴史 からリトアニアのKGBまでをカバーしています。近年、戦後100周年にからんで活発化している日露戦争研究においてもWorld War Zero (2005) のようなユニークな論文集を編んでいます。
ソ連においては国境地帯の歴史やディアスポラの研究は厳しく制限されてきましたから、ハルビン、満州、東清鉄道などに対するウルフ氏の問題関心は、旧体制 下では実現困難なものでした。この点では、ウルフ氏は、ペレストロイカ期におけるアルヒーフ使用の自由化の恩恵をフルに享受した世代です。その後、天安門 事件で揺れる1989年の中国で東清鉄道関連の中国側アルヒーフを文字通り「掘り起こし」ました。一説によれば、ウルフ氏は、旧ソ連圏の12の文書館、旧 ソ連外の12ヵ国の文書館で仕事をした経験があります。ロシア国家歴史文書館が無期限に閉鎖されている現状では、こうした経験・ノウハウは、日本の研究者 の共有財産とする必要があるでしょう。
こんにちのスラブ研究センターは、木村汎・長谷川毅・伊東孝之時代と比べ、現地の研究者との協力はずっと発展していますが、その反面、欧米とのつながりの
若干の弱化は否めません。北米出身者で欧米の主要なスラブ・ユーラシア研究機関で働いてきたウルフ氏は、センターの国際性をいっそう高めてくれるでしょ
う。
17名の応募者の中から慎重な審査をおこなった結果、新規に5名の方々が本年度の21世紀COE非常勤研究員に採用されました。また2名の方が前年
度からの継続となります。
氏名 |
経歴 |
研究テーマ |
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荒井 幸
康 |
(あら
い・ゆきやす) |
一橋大学
大学院言語社会研究科博士課程修了(継続) |
モンゴ
ル・ブリヤート・カルムィクの言語政策 |
永山ゆか
り |
(ながや
ま・ゆかり) |
北海道大
学大学院文学研究科博士課程修了(継続) |
言語学、
アリュートル語 |
赤尾 光
春 |
(あか
お・みつはる) |
総合研究
大学院大学文化科学研究科博士課程修了(新規) |
文化人類
学、ユダヤ文化研究、イディッシュ文学 |
大串
敦 |
(おおぐ
し・あつし) |
グラス
ゴー大学大学院社会科学研究科博士課程修了(新規) |
政治学、
ソ連崩壊過程の研究 |
菊田
悠 |
(きく
た・はるか) |
東京大学
大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学(新規) |
文化人類
学 |
志田 恭
子 |
(しだ・
きょうこ) |
北海道大
学大学院文学研究科博士課程修了(新規) |
歴史学、
ロシア近代史 |
長尾 広
視 |
(なが
お・ひろし) |
東京大学
大学院総合文化研究科博士課程修了(新規) |
ソ連の政
治社会史・外交史(1930年代末~60年代初頭) |
センターで今年度、学振特別研究員として在籍するのは次の方です。
氏名 |
経歴 |
研究テーマ |
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越野剛 |
(こし
の・ごう) |
北海道大
学大学院文学研究科博士課程単位取得退学(継続) |
19世紀
ロシア文学、ベラルーシ文学史 |
2月22日の教育研究評議会において、中村総長がセンターの林忠行教授を北海道大学理事・副学長に任命することを報告し、承認されました。これに伴 い、林教授は、4月1日から来年の4月末までセンターの籍を離れることになります。これは、井上芳郎副学長の学外転出に伴い、これまで企画・経営室で役員 補佐を務め、井上副学長を支えていた林教授に白羽の矢が立ったものです。センターのような小所帯から敏腕研究者である林教授を全学運営のために派遣しなけ ればならないことは損失ではありますが、北大運営における研究所・センターの地位を高めるためにも必要な負担かと考えられます。
センターでは、林教授の理事就任により空いたポスト(ポイント)を利用することとし、これまでそれぞれCOE特任研究員、COE研究員であった毛
利氏と福田氏を助手として1年間採用することとしました。
氏名 |
研究テーマ |
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福田 宏 | (ふく
だ・ひろし) |
チェコ近 現代史 |
毛利公美 | (もう
り・くみ) |
亡命ロシ ア文学・現代ロシア文化 |
毛利氏は21世紀COEプログラムの特任研究員として、福田氏は、林氏の留守中、センターの東中欧研究の水準が下がることのないように活躍すること が期待されています。
公募していました客員教授は12名の応募があり、審査の結果、今年度は次の6名の方々にお願いすることになりました。
氏名 |
所属 |
研究テーマ |
雲 和広 | 一橋大学
経済研究所 |
中国東北
地域・ロシア極東地域の経済連関と社会基盤構築の現状 |
麓 慎一 |
新潟大学
教育人間科学部 |
19世紀
後半におけるロシアの極東進出と北方世界 |
三浦清美 |
電気通信
大学電気通信学部 |
中近世ロ
シア社会と正教会 |
三谷惠子 |
京都大学
大学院人間・環境学研究科 |
バルカン
における「空間」と「移動」の表現と表像 |
本村真澄 |
石油天然
ガス・金属鉱物資源機構 |
北東アジ
ア市場におけるエネルギー安全保障とロシア |
劉 孝鐘 |
和光大学
人間関係学部 |
極東ロシ アにおける「黄色人種問題」 |