世界戦争とネオ・スラヴ主義 ―第一次大戦期におけるヴャチェスラフ・イワノフの思想―

 

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  1. 本稿ではイワノフの詩について扱うことはできないが、イワノフの戦時期の詩を扱った研究として以下のものがある。Баран Х. Первая мировая война в стихах Вячеслава Иванова // Вячеслав Иванов. Материа-лы и исследования. М., 1996. С.171-185.また第一次大戦と文学の関係については以下を参照。Ben Hellman, Poets of Hope and Despair: The Russian Symbolists in War and Revolution (1914-1918) (Helsinki: Institute for Russian and East European Studies, 1995); Цехновицер О. Литература и мировая война 1914-1918. М., 1938.
  2. 「ネオ・スラヴ主義」をどのように規定し、そこに誰を含めるかは困難な問題である。ベン・ヘルマンはリャザノフスキイにならってこの用語を20世紀初頭のスラヴ主義思想の継承者を指すものとして用い、エルン、ローザノフ、ブルガーコフに加えてイワノフを挙げ、さらにベルジャーエフ、フランク、ゲルシェンゾーンもこの潮流に含めている。ただヘルマンはこの問題に関して、ネオ・スラヴ主義をソロヴィヨフ以降の潮流(ベルジャーエフ、ブルガーコフ、フランク、ゲルシェンゾーン)と見るヴァリツキをも参照している。だがソロヴィヨフがスラヴ主義に対して否定的でもあったことを考えれば、スラヴ主義の継承者という規定とソロヴィヨフ以降という規定では明らかに違いが出てくる。今はソロヴィヨフにまで溯って検討することはできないが、後に明らかになるように本論の規定はヴァリツキに近く、「ネオ・スラヴ主義」をスラヴ主義の継承というより、それから一定の距離を置く保守主義的な傾向を指すものとして用いている。ただそうなると「ネオ・スラヴ主義」という呼称が適切か否かも問題だが、ここでは新たな造語を行なうより、ある程度流通している「ネオ・スラヴ主義」という用語を選択することにした。См. Хеллман Б. Когда время славянофильствовало. Русские философы и первая мирова// я война // Studia Russica Helsingiensia et Tartuensia: Проблемы истории русской литературы начала XX века. Slavica Helsingiensia 6. 1989. С.212-213. また、ディヤコフもこの用語を用いているが、彼は上に言及した研究者たちとは違い、それを運動史的な概念にまで拡大して用いている(『スラヴ世界―革命前ロシアの社会思想史から―』彩流社、1996年、259-317頁)。ディヤコフのような視点が重要であることは言うまでもないが、本稿では上述の研究者たちにしたがって「ネオ・スラヴ主義」を思想史的な意味に限定して用いることにする。
  3. См. Иванов Вяч. Поэт и чернь //Собрание сочинений. Т. 1. Bruxelles, 1974. С.709-714.
  4. いくつかの論文を参照する必要があるが、とりあえず以下のものを参照。 Иванов Вяч. Вагнер и Дионисо-во действо //Собрание сочинений. Т. 2. Bruxelles, 1975. С.83-85.
  5. 拙稿「芸術の専門化―ロシア未来派の美学の考察」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第43輯・第2分冊、1998年、を参照。
  6. Русская мысль. 1914. 12. С.83-132.
  7. Франк С.Л. О поисках смысла войны // Русская мысль. 1914. 12. С.125-132.
  8. Булгаков С.Н. Русские думы // Русская мысль. 1914. 12. С.108-115.
  9. Эрн В.Ф. От Канта к Круппу // Русская мысль. 1914. 12. С.116-124.
  10. Рачинский Г. Братство и свобода // Русская мысль. 1914. 12. С.83-87.
  11. Трубецкой Е.Н. Война и мировая задача России // Русская мысль. 1914. 12. С.88-96.
  12. ヘルマンはトルベツコイとラチンスキイは無条件にネオ・スラヴ主義に含めることはできないとしているが(Хеллман. Указ.соч. С.214.)、ネオ・スラヴ主義をスラヴ主義とは一定の距離を置くものと見るわれわれは、両者ともネオ・スラヴ主義に属するものと考える。
  13. 酒井直樹『死産される日本語・日本人』新曜社、1996年、171-172頁。
  14. 同上、235頁。
  15. Гройс Б. Поиск русской национальной идентичности // Вопросы философии. 1992. 1. С.52-60.
  16. Трубецкой Е.Н. Старый и новый национальный мессианизм // Избранное. М., 1997. С.316.
  17. Булгаков С.Н. Размышления о национальности // Сочинения в двух томах. Т.2. М., 1993. С.441.
  18. Эрн В.Ф. Время славянофильствует // Сочинения. М., 1991. С.384.
  19. 第三節でベルジャーエフに見られる同様の傾向について触れる。
  20. 例えばブルガーコフは「国民」と「階級」を対置して次のように言う。「経済に基づく集団は可変的な生の外的諸条件に、すなわち歴史的経験に根拠を置くものだが、国民性はヌーメン的であり、その根拠は所与の経験的な基礎よりも深い所に置かれている」(Булгаков. Размышления о национальности. С.450.)。またベルジャーエフも同様の主張をする。彼は народという言葉は「民衆」という階級的な意味で使われることもあるが、それは「国民」という意味で使われる場合にのみ、「可想的、超経験的、神秘的な現実」を表わす言葉になると述べる(Бердяев Н. Алексей Степанoвич Хомяков. М., 1912. С.209-215.)。いずれの場合も「階級」を歴史的なもの、「国民」を先験的なものとして区別するわけだが、これによって「国民」が変更不可能な超越的な共同性とされるのに対して、逆に「階級」は表面的な見せ掛けの集団とされてしまう。国民共同体の神学化は、もちろん階級ばかりではなく、国民以外の様々な差異を隠蔽してしまうのである。
  21. たとえば「スラヴ主義的」と批判されているブルガーコフは『道標』に寄せた論文で、神学化された国民共同体について次のように述べている。「国民理念のこうした理解は決して国民的排他主義を導くものではなく、逆にこうした理解のみが諸国民の友好の理念を肯定的なやり方で基礎付けるのだ」。Булгаков С.Н.Героизм и подвижничество // Вехи. Из глубины. М., 1991. С.65. この主張はスラヴ主義を批判して諸国民の共存を主張するトルベツコイの考え方からそれほど遠くはない。
  22. ヴァリツキはソロヴィヨフがスラヴ主義の継承者からその批判者へ移行したことを指摘した上で、ネオ・スラヴ主義者(彼はそれを「道標派」と同 一視している)が「マルクス主義からカントを経由してソロヴィヨフへ、そしてソロヴィヨフからスラヴ主義へ」 移行したと指摘している(Andrzej Walicki, The Slavophile Controversy: History of a Conservative Utopia in Nineteenth Century Russian Thought (Oxford: Clarendon Press, 1975), p.578.)。ネオ・スラヴ主義が道標派と重なるかどうか、したがってマルクス主義という項目がこの図式に必要かどうかは別として、ソロヴィヨフおよび彼のスラヴ主義観を考慮に入れれば、ネオ・スラヴ主義の輪郭はより明確になるはずである。この問題は別の機会に検討したい。;
  23. ハインリヒ・シュタムラーは、イワノフがドイツに対して行なう批判とトーマス・マンがドイツの正当化のために行なう西欧批判が類似していることを指摘している(Heinrich A. Stammler, "Belyj's Conflict with Vjaceslav Ivanov over War and Revolution," Slavic and East European Journal 18 (1974), p.266.)。この皮肉な事実からわかるように、特殊主義の提示する否定的な他者イメージ、またその反照としての肯定的な自己イメージは極めて観念的である。それは西欧でもドイツでもロシアでも、どこにでも見られる要素を自他の国民全体の特徴と同一視した結果でしかなく、まったく本質的なものではない。
  24. Иванов Вяч. Духовный лик славянства // Собрание сочинений. Т.4. Bruxelles, 1986. С.666-672.
  25. ベン・ヘルマンは、汎スラヴ主義を批判していたネオ・スラヴ主義者が戦時期には再びスラヴの統一を問題にするようになったと指 摘し、特にイワノフ、ベルジャーエフ、ゲルシェンゾーンの名 を挙げている。Хеллман. Указ.соч. С.223-224.
  26. Иванов Вяч. Живое предание // Собрание сочинений. Т.3. Bruxelles, 1979. С.339-347.
  27. たとえば、鵜飼哲「国民人間主義のリミット」ルナン・フィヒテ他『国民とは何か』インスクリプト、1997年、270-286頁、参照。
  28. Иванов. Духовный лик славянства. С.669-670.
  29. Иванов Вяч. Вселенское дело // Родное и вселенское. М., 1917. С.5-18.
  30. 西川長夫「国家イデオロギーとしての文明と文化」同『地球時代の民族=文化理論』新曜社、1995年、39-107頁。
  31. Иванов. Духовный лик славянства. С.672.
  32. Bernice Glatzer Rosenthal, "Lofty Ideals and Worldly Consequences: Vision of Sobornost' in Early Twentieth-Century Russia," Russian History 20:1-4 (1993), pp.179-180.
  33. これはローゼンタールの言葉であるが、本稿でいうネオ・スラヴ主義にほぼ相当する。
  34. ここでは文脈から外れるので共同50 体概念としてのソボールノスチの検討は行なわない。この問題については、イワノフ、ブルガーコフ、フローレンスキイのソボールノスチを論じた注のローゼンタールの論文および同論者による以下の文献を参照。 Bernice Glatzer Rosenthal, "Transcending Politics: Vyacheslav Ivanov's Visions of Sobornost'," California Slavic Studies 14 (1992), pp.145-170. ローゼンタールはソボールノスチがボリシェヴィズムと同様に個人の自由を抑圧するものだとしてそれを批判的に検討している。
  35. Иванов. Духовный лик славянства. С.670.
  36. Иванов Вяч. Легион и соборность // Собрание сочинений. Т.3. Bruxelles, 1979. С.260.
  37. Иванов Вяч. Легион и соборность. С.254-255.
  38. たとえばイワノフは「ソボールノスチ」 と「組織」について次のように述べている。「二つの原理にはそれぞれの場所があるのであって、一方が他方を排除するようなことは決してあってはならない」 。 Обатнин Г.В.К описанию позиции Вячеслава Иванова периода первой мировой войны // Новое литературное обо-зрение. 1997. 26. С.151.
  39. Иванов. Живое предание. С.341.
  40. Иванов Вяч. Лик и личины России: к исследованию идеологии Достоевского // Собрание сочинений.Т.4. Bruxelles, 1979. С.404.
  41. Трубецкой. Старый и новый национальный мессианизм. С.299-323.
  42. 以下のものを参照した。Булгаков. Сочинения в двух томах. Т. 2. С.764.
  43. Бердяев Н. Епигонам славянофильства // Биржевые ведомости. 1915. 14678. 18 февраля. Утреннийвыпуск.
  44. Бердяев. Хомяков. С.209.
  45. 原文はвселенский идеалである。вселенскийという言葉は第五節で見るようにイワノフにとって重要な概念であり、第五節では原文のままにしておいたが、日本語に訳すときには「全教会的=世界的」もしくは「全教会的」という訳語をあてることにした。
  46. Булгаков. Размышления о национальности.
  47. Бердяев. Хомяков.
  48. ただ、ベルジャーエフはロシアの原理を世界化すべき普遍的なものと見なしており、この点でイワノフやトルベツコイとは異なる。Бердяев. Хомяков. С.229-230.
  49. Трубецкой. Война и мировая задача России. С.95.
  50. Иванов. Легион и соборность. С.260.
  51. オバトニンによると、エゴーロフという研究者がイワノフとスラヴ主義を比較し、後者に対する前者の新しさを指82 摘してそこにネオ・スラヴ主義の「83 ネオ」84 の意味があるとしている。残念ながらエゴーロフの論文は参照できなかった。 См. Обатнин. Указ.соч. С.148.
  52. Andrzej Walicki, A History of Russian Thought: From the Enlightenment to Marxism (Stanford: Stanford University Press, 1979), p.107.
  53. マンハイムの言う保守主義は、むしろ「現状肯定」 を特徴としており、その点でスラヴ主義は必ずしも「保守主義」の定義に収まらない。そのことはヴァリツキも指摘している。
  54. Иванов-Разумник. История русской общественной мысли. Т.1. М., 1997. С.369.
  55. スラヴ主義とロマン主義の関係については以下を参照。Степпун Ф. Немецкий романтизм и русскоеславянофильство // Русская мысль. 1910. 3. С.65-91. また注58の文献も参照。
  56. カール・マンハイム著、森博訳『保守主義的思考』ちくま学芸文庫、1997年。
  57. Andrzej Walicki, A History of Russian Thought, p.94
  58. Nicholas V. Riasanovsky, Russia and the West in the Teaching of the Slavophiles: A Study of Romantic Ideology (Cambridge: Harvard University Press, 1952), p.78
  59. 拙稿「98 歴史の超越とシンボリズム」99 『ロシア文化研究』第6号、1999年。できるだけ重複100 を避けるため、前論文では《О русской идее》を中心に論じたので、本稿では《Переписка из двух углоを中心に論じる。
  60. Иванов Вяч. и Гершензон М. Переписка из двух углов // Иванов Вяч.Собрание сочинений. Т.3. Bruxelles,1979. С.384-415.
  61. Иванов Вяч. О русской идее // Собрание сочинений. Т.3. Bruxelles, 1979. С.321-338.
  62. 注20で見た通り、ブルガーコフとベルジャーエフは「階級」と「国民」を対比して前者を歴史的なもの、後者を先験的なものとして国民共同体を神学化し、「階級」 の対立を二次的なものとしていたわけだが、ここでイワノフも同 じことを行なっているわけである。
  63. オバトニンはイワノフが「無意識(潜在意識)の克服 」によってソボールノスチを成立させようとしていたと述べているが(Обатнин. Указ.соч. С.153.)、これは適切な言い方ではない。イワノフが無意識に可能性と同時に危険性も見ていたのは事実だが、 例えば次のようなイワノフの言葉に見られるように、彼は意識においては分裂してしまう国民統合の可能性を無意識に見ていたのである。「文化による階層化や細分化はすべて、我々の国民心理において潜在意識による統合力の抵抗に出会う」(Обатнин. Указ.соч. С.153.С.327.)120
  64. ヴァリツキは次のように述べている。「 彼[ソロヴィヨフ]の哲学的貢献によって、未来の世代は、スラヴ主義から一定の哲学的・宗教的イデーを引き出しつつ、同 時にスラヴ主義の「古代のロシア」 というユートピアを、さらにはスラヴ主義のエピゴーネンの反動的政治観をも無視できるようになった」 (Andrzej Walicki, The Slavophile Controversy, p.578.)。ソロヴィヨフ以降の世代に属するネオ・スラヴ主義者たちは、ソロヴィヨフを参照することで、われわれも見てきたように、スラヴ主義の反動的なナショナリズムを回避するわけだが、同 時に過去の理想化、つまり国民主体の根拠を「歴史」に置くことも止めるのである。
  65. スラヴ主義の戦争観については以下を参照。高野雅之『ロシア思想史―メシアニズムの系譜』早稲田大学出版部、1989年。
  66. Сапов В.В. Князь Е.Н.Трубецкой. Очерк жизни и творчества // Трубецкой Е.Н. Избранное. М., 1997.
  67. 戦争に関してではないが、以下の文献がこうした問題を批判的に検討している。Дмитриев В. ВячеславИванов и Платон // Новый Журнал. 1988. 172-173. С.323-330.
  68. Иванов. Вселенское дело. С.5.
  69. Иванов. Вселенское дело. С.5-6.
  70. 西谷修『戦争論』講談社学術文庫、1998年、99-107頁。
  71. たとえばレーニンは次のように述べている。「アジアにもアメリカにも未占領の土地、つまりどの国家にも属さない土地は存在しないのだから、……今検討している時代の特徴は、地表の最終的分割であると言わねばならない。最終的というのは……資本主義諸国の植民地政策が地球上の未占領地の占拠を完了したという意味である。世界ははじめて分割され尽くしたのであり、このあと訪れるのはその再分割でしかない」。Ленин В.И. Полное собрание сочинений. Т.27. М., 1962. С.373-374.
  72. イワノフはこれと同じ論理でメレシコフスキイのドストエフスキイ批判を批判する。メレシコフスキイは、コンスタンチノープルはいずれロシアのものになると主張したドストエフスキイを批判するが、イワノフによればコンスタンチノープルはロシアの最終的な自己確立にとって不可欠な土地であり、その領有を主張したドストエフスキイは正しかったのである。 Иванов. Лик и личины россии. С.467-476.イワノフはвселенский な全体は恣意的な分割を許さない変更不142 可能なものであると見なすが、ここに見られるように、コンスタンチノープルがロシアに属するか否かの決定は、イワノフにとっては本来的でも、外から見ればまったく恣意的なものでしかない。先験的な世界秩序という考えがいかに観念的であり、かえって侵略的になりうる可能性を持つかは、ここからはっきりと窺うことができる。
  73. Иванов. Вселенское дело. С.16.
  74. Иванов. Вселенское дело. С.18.
  75. 注20および62参照。
  76. ジェームス・ウェストは、雑誌『哲学と心理学の諸問題』周辺の哲学者の独自な新カント派解釈が大戦前の市民社会の危機に対する応答であったこと、そして彼らの問題設定とイワノフの国民論に共通性があることを指147 摘している。 James West, "The Philosophical Root of the "National Qustion', " Studia Slavica 41 (1996), pp.55-66. この論文では扱えなかったが、国民共同体の神学化を考える上でもロシアの新カント派受容は重要である。
  77. 注72参照。イワノフが先験的で変更不 可能と主張する世界秩序は、外から見れば恣意的に構成されるものでしかないのであり、そこに美的なものが介入する余地がある。

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