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※フリスチアノーヴィチの論文からの推定(本文第2章および注56参照)。
1825 | シューベルト、ピアノ連弾曲『大葬送行進曲ハ短調 ロシアのアレクサンドル1世の逝去に寄せる』を作曲 |
1826 | シューベルト、ピアノ連弾曲『英雄的大行進曲イ短調 ロシアのニコライ1世の戴冠式用』を作曲 |
1828 | シューベルト没 |
1829 | 『ネフスキイ年鑑』出版(シューベルトの作品を含む) |
1835 | スタンケーヴィチ、『魔王』を発見する |
1837 | スタンケーヴィチ、歌曲集『白鳥の歌』第2部を入手 ドイツのテノール歌手ブライティングの客演(-1840。『魔王』ほかシューベルト歌曲の紹介) |
1838 | オドーエフスキイ『孤児』 |
1839 | チェロ奏者セルヴェのコンサート(シューベルトのワルツの変奏曲を披露) |
1840 | この頃オガリョフが『セレナーデ』をロシア語に翻訳 |
1841 | ドイツの歌姫ハイネフェッター、『さすらい人』ほかシューベルト歌曲を披露 レールモントフ、未刊の小説を遺し、決闘に斃れる |
1842 | リストの最初のロシア公演(『魔王』ほかの自作ピアノ用編曲を披露) パナーエフ『アクテオン』 |
1843 | リストの2度目のロシア公演 イタリア歌劇団の最初の巡業(ヴィアルドー、ルビーニ来る) |
1844 | パリのテノール歌手ヴァルテル、コンサートで『アヴェ・マリア』と『セレナーデ』を歌う クララ・シューマンのコンサート エルンストによる自作の『魔王』ヴァイオリン用編曲の披露 |
1847 | リストの3度目のロシア公演 |
1855 | ツルゲーネフ『ヤーコフ・パースィンコフ』 |
1856 | ツルゲーネフ『文通』、『ルーヂン』 |
1858 | シューベルトの『ハ長調交響曲』、ロシアでの初演(ペテルブルグ貴族会館) トルストイ『アリベルト』 |
1859 | ツルゲーネフ『貴族の巣』 ゴンチャローフ『オブローモフ』 アントン・ルビンシュテイン、ロシア音楽協会 (PMO) を創設 |
1862 | ツルゲーネフ『父と子』 |
1863 | フリスチアノーヴィチの論文『フランツ・シューベルト』 |
1867 | 『未完成交響曲』ロシア初演(?.ルビンシュテイン指揮酔・: モスクワ貴族会館) |
1869 | 『未完成交響曲』ペテルブルグ初演(バラキレフ指揮酔・: ペテルブルグ貴族会館) |
1872, 1874 | チャイコフスキイによるシューベルトの四重奏、交響曲などについての論文 |
1885 | チェーホフ『道に迷った人びと』 |
1886 | シューベルトに捧げられた「歴史的交響曲コンサート」(?. ルビンシュテイン指揮) |
1897 | シューベルト生誕100周年:各地で記念コンサート、また記念論文多数 |
1897-98 | トルストイ『芸術とは何か』 |