来訪者の印象

シンシア・ウィタカー(ニューヨーク市立大学 /センター外国人研究員として滞在中)

 
 筆者 昨秋、イワオヌプリ岳にて 
 自分が初めてアジアを訪れ、日本で十ヶ月を過す許可を得たのだ、ということを自覚すると、私はすぐ、異国情緒あふれる文化の探検を期待し、魅惑的な空想におちいりました。神秘的な東の映像が私のイマジネーションをよぎりました。そして降り立った札幌は − 多忙で、現代的で、L.L.ビーンやタワーレコードまである西側の町でした。着物はほとんど見かけません。スラブ研究センターは、会話しながらロシア語から英語へと天才的に会話を切り替える、まったくのコスモポリタンです。私の大きな、コンピュータ化されたオフィスの窓からは、二十近くあるコートの一つでテニスを練習する北海道大学の学生たちが見えます。テニスコートは樹木に覆われたこのキャンパスに点々と散らばり、大学の風景は、米国中西部でおくった私の大学院時代を思わせます。最初の週の終りに、私はセンターにいるガイジンたちの守護天使である望月さんに向かって、ここで一番エキゾチックなのは6フィート5インチある私の夫だ、と苦情を言いました。  私の第一印象は誤りでした。私は料理とハイキングと芸術が好きなのですが、日本ではこれが三つとも小説のようなスリルをともなうのです。日本の食べ物は世界のどこの国にも劣らず美味しいし、特に私たちの住む北海道は最高です。季節になれば近くの農場から果物や野菜が収獲され、魚屋はオホーツクの匂いのするカニを売ります。ジャガイモとイチゴがこんなにおいしいところは他にありません。新人には、というより未熟者には台所で目が眩んでしまうような材料を使って、私は厚焼き玉子からざるそばまであらゆるものに挑戦し、狂信的「大豆主義者」になりました。料理は日本人にとって重要です − テレビ番組の半分は食べ物に関するものなのですから。センターの林さんはこの道の専門家で、私たちに天ぷらの妙技を教えてくれることになっています。  伝統芸能の世界へ踏み込むのは難しいことですが、努力の価値はあります。ビーンビーンと鳴る13弦の琴、優雅な様式美で繰り広げられる能の舞台、歌舞伎のゆっくりと官能的な、悲嘆にくれる「鷺娘」の踊り、茶道でお茶を立てる際にしなければならない無数のジェスチャーなどは、日本独特の文化要素です。徳川時代の着物の展覧会を見てから、私はそれが人の手で作られたもののうちもっとも美しい衣服だと確信するようになりました。幸い、日本で一番安く古い着物を扱う店が札幌にあり、店主は何時間でも品物を見せてくれます。  京都では、城も神社も仏閣も、誰もが言うように壮大なものでしたが、日本庭園は楽園のようです。桂離宮の庭園は、私が今まで訪れた人の手による場所の中で、もっとも美的に洗練された場所でした。曲がり松の「アングル」や丸く刈り込まれた植込み、苔に覆われた橋、曲線を描く池は、どの方角から見ても完璧なバランスとプロポーションにあるのです。日本庭園は瞑想のための場所で、パンフレットによれば、木々は私たちに語りかけ、石たちは年ふりて聡く、獅子嚇しの音は私たちの耳を清めて山々に響く仏陀の声を聞かせるのであるから、来訪者は沈黙を守らねばならないとか。  それほど精神的でないものも、ニューヨークからの来訪者を驚かせます。日本の町々は(その建造物は特別な印象を与えませんが)清潔で安全です。私は町の公園で一時間ほど散歩する間、全幅の信頼を持ってバックパックをその場に残していったものです。他にも、入った瞬間全員が「いらっしゃいませ!」と叫ぶ、商店やレストランでの笑みを絶やさぬ上品なサービスは、帰国したらさぞかし恋しく思うことでしょう。ただ、どこにでもいて上からカーカーと脅すカラスや、センターへの行き来に四方から私を横殴りにしていくブヨのようなサイクリストたちには、喜んでサヨナラを言いましょう。  しかしこれまで書いたことはケーキの飾りに過ぎません。私がここへ来たのは18世紀ロシアの専制政治について読み、書き、考えるためです。そしてその期待は裏切られませんでした。スラブ研究センターには真剣でアカデミックな雰囲気と驚くほど豊かなライブラリ・コレクションがあり、素晴らしいユーモアのセンスにあふれた同僚たち、いくら感謝しても足りないほどお世話になったコンピューター・スタッフがいます。今年満喫しているような理想的な仕事の環境に遭遇することなど、生涯に二度とないでしょう。お辞儀をして、ドウモアリガトウゴザイマスを申し上げます。

(英語から久保久子訳)
 

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