研究出張報告

インド研究者によるロシア出張の記録

三輪博樹(プロジェクト研究員)


 

 新学術領域研究「ユーラシア地域大国の比較研究」が中間評価でA 評価を受けたおかげで、 内政班を含むいくつかの班が追加予算を支給された。これを使って、 2011 年2 月22 日から3 月7 日までおよそ2 週間の日程で、ロシアに出張させていただいた。滞在先は、日程の前半 は北カフカース地方・ダゲスタン共和国 の首都マハチカラ、後半はモスクワであった。

 私の専門はインドの国内政治であり、最近では、インドにおける民主主義の安定性や、国 家統合の問題などに特に関心を持っている。ダゲスタン共和国を出張先に選んだ理由は、多 くの民族が共存し、イスラム教というロシアでは少数派の宗教を信仰する人々が人口の多数 を占めるダゲスタンの事例と、インドのカシミール地方や北東部諸州などの事例を比較する ことによって、多民族の共存、国家統合、政治や社会の安定の実現、などの問題に関して何 らかの知見が得られるのではないかと考えたからである。また、今回の出張先を決定する際 には、北海道大学・スラブ研究センターの松里公孝教授のアドバイスも大きかった。

 私はロシア語をまったく理解できず、ロシア語での挨拶すらできないという有様であるた め、日程の前半には松里教授が通訳も兼ねて同行してくださった。後半には、ロシア科学ア カデミー民族学研究所の研究員であるナタリヤ・ゾトヴァさんに、通訳兼コーディネーター をお願いした。通訳を通してのやり取りはもどかしいものではあったが、私は聞き取り調査 に際してIC レコーダーなどの録音機器は使わない主義であるため、質問・通訳・回答・通訳 というリズムは、インタビューのメモを取る上では非常にやりやすかった。お二人の先生方 には心から感謝を申し上げたい。

マハチカラ市内
マハチカラ市内

 最初の目的地であるマハチカラへは日本からの直行便はないため、2 月22 日にまずはモス クワへ向かい、1 泊した後、翌23 日に国内線でマハチカラに向かうこととなった。同行して いただいた松里教授は、モスクワ からマハチカラへ向かう際に、空 港関係者や警察関係者などとの間 でトラブルが発生する可能性をひ どく心配しておられたが、実際に は拍子抜けするほどスムーズな移 動だった。空港の警備は確かに厳 重だったが、テロの危険に晒され ている国ではごく当たり前の警備 体制であると思えた。マハチカラ の空港では、ダゲスタン大学のマ ゴメド・ラスル・イブラギモフ教 授が我々を迎えてくださり、その 後、同教授のご自宅でのパーティーにご招待いただいた。イブラギモフ教授にはその後も何 度も夕食をご馳走になり、また、アポイントに関する交渉や、移動に際しての自動車の運転 など、多くの面でお世話になった。イブラギモフ教授にも心から感謝を申し上げたい。

デルベントの金曜モスク前の広場
デルベントの金曜モスク前の広場

 マハチカラの市内はごくありふ れた地方の中核都市といった風情 で、正直なところ、それほど魅力 のある街とは思えなかった。ただ し、マハチカラでの滞在中は、毎 日雪かみぞれ混じりの雨に見舞わ れ、徒歩での移動の際にはぬかる んだ道との闘いという状況だった ため、私の印象がマイナス方向に 補正されている面は否めない。天 気の良い時期に、マハチカラの旧 市街などをゆっくりと散策すれば、 印象もまた異なるものになっただ ろう。他方、イブラギモフ教授をはじめ、マハチカラの人々は人間的に非常に魅力的な方々 ばかりで、また、いただいた食事もどれも美味しいものだった。私には幸いなことに好き嫌 いというものがまったくなく、どのような料理でも美味しく食べられる自信があるのだが、 北カフカースの料理はまた格別だった。いただいた食事の多くが家庭料理だったこともあり、 毎日食べても飽きることのない料理であると思った。

 マハチカラ滞在中の後半、2 月27 日には、ダゲスタン共和国南部の都市デルベントに日帰 りで行ってきた。デルベントには、ユネスコの世界遺産にも登録されている要塞の遺跡があ るのだが、インドのデリー市内にあるレッド・フォートやクトゥブ・ミナールなどを見慣れ た者にとっては、正直いまひとつと言わざるを得ないものだった。ただし、デルベントの要 塞遺跡では、降り積もった雪をかき分け、寒さに凍えながらの見学だったため、こちらもや はり、私の印象がマイナス方向に補正されている面は否めない。他方で、デルベントの市内 は異国情緒にあふれた素晴らしく魅力的な街であり、丸一日滞在しても飽きることはないだ ろうと思われた。当日は曇時々雨というあいにくの天気だったが、良く晴れた日であれば、 町並みが太陽に照らされてさぞ美しいことだろうと思った。

デルベントのシナゴーグ
デルベントのシナゴーグ

 デルベントでは金曜モスクのほか、ユダヤ教の会堂であるシナゴーグも見学させていただいた。また、シナゴーグではラビのご好意により、 ユダヤ教のカシュルートに則った鶏肉の処理の過 程を見学させていただいた。何かおどろおどろし い儀式を期待していたが、実際に連れていかれた のは、市内の食肉処理場兼販売所のようなところ だった。生きた鶏を処理する一連の過程において、 宗教的にもっとも重要と思われる作業はラビ本人 が行っているようだったが、鶏の毛をむしるなど といった他の作業は食肉処理場の従業員に依頼し ているようだった。従業員のおばさん達に迷惑が られ、おばさん達に気を使いながら鶏肉の処理を 進めるラビの姿は、宗教指導者とは奉仕者なのだ ということを強く印象付けるものだった。

 ダゲスタン共和国は、ロシアの中でも特に民族 構成が複雑な共和国であると言われる。ダゲスタ ンでは14 の国家構成民族が定められており、そ の中でも特に、北コーカサス語族であるアヴァル 人やダルギ人、テュルク語族のクムク人などの比 率が大きい(松里公孝「ダゲスタンのイスラーム: スーフィー教団間の多元主義的競争」前田弘毅編 著『多様性と可能性のコーカサス:民族紛争を超えて』北海道大学出版会、2009 年、123-124 頁)。 またダゲスタンでは、ロシアでは少数派であるイスラ ム教徒の人口が非常に多い。私がマハチカラで聞き取 り調査を行った際の関心事項は、ダゲスタンにおける 民族同士の関係は現在どのような状況になっているの か、民族のアイデンティティーとイスラム教徒として のアイデンティティーはどのような関係にあるのか、 イスラム教徒の人口比が極めて大きいダゲスタンにお いて、共和国政府とロシア連邦政府との関係、宗教指 導者と連邦政府との関係などはどのようになっている のか、などの点であった。

鶏肉の処理を進めるラビ
鶏肉の処理を進めるラビ

マハチカラでの聞き取り調査に際して強く印象に 残ったのは、インタビューに応じてくれた研究者や政 策関係者、宗教関係者のほとんどすべてが、ダゲスタ ンにおける宗教や社会をめぐる状況や、共和国政府と ロシア連邦政府との関係などについて、いずれも「非 常に良好」であると強調していたことだった。曰く、 ダゲスタンの諸民族の関係は非常に良い。曰く、ダゲ スタンのイスラム教徒は非常に穏健であり、一部の若 者が急進主義に走っているに過ぎない。曰く、共和国 政府と連邦政府との関係は非常に良好である。曰く、ロシア語はダゲスタンの諸民族を結び つける上で非常に重要な要素である。・・・などなど。このような内容は、宗教やカーストな どをめぐる暴力事件のニュースに日々接しているインド研究者にとっては驚くべきことであ り、俄かには信じ難いものだった。

 もっとも、ロシア語もできない外国人に対して、インタビューに応じてくれた関係者がど こまで本音を披露してくれたかは疑わしい。イブラギモフ教授と松里教授の雑談、インタ ビューに同席した方々の会話、パーティーでの参加者の歓談などの内容(それらはいずれも、 松里教授による通訳と解説付きのものだったが)などから、ダゲスタンの諸民族同士の間に 様々な確執があるのだろうということは容易に想像することができた。また、外部の者に対 して、宗教や社会をめぐる状況が「良好」であると殊更に強調するということは、裏を返せば、 そのような良好な状態を維持することが大きな課題だということに他ならない。民族同士の 関係が本当に良好なものであるならば、細かい問題点などを指摘することが多くなり、話の 内容はむしろネガティブなものになるだろうと想像されるからである。さらに、「優等生」的 な回答をする可能性が高いと思われるエリート層ではなく、ダゲスタンの一般の人々にイン タビューを行うことができれば、得られる印象は異なるものになっていたかもしれない。

出張日程の後半では、モスクワに1 週間ほど(3 月1 日~ 6 日)滞在し、同じように聞き 取り調査を行った。松里教授はご都合により3 月2 日に一足早く帰国されたため、前述のと おり、残りの4 日間は、ロシア科 学アカデミー民族学研究所のナタ リヤ・ゾトヴァさんに通訳兼コー ディネーターをお願いした。ナタ リヤさんは通訳およびコーディ ネーターとして非常に優秀だった ほか、ご自身も北カフカース地方 の民族問題に興味をお持ちだった ため、聞き取り調査で得られた内 容に関する補足説明や、私が十分 に理解できなかった箇所について の解説などもしていただき、理解 を深める上で非常に助かった。

ロシア科学アカデミー
ロシア科学アカデミー

雪と雨が続いたマハチカラが嘘のように、モスクワでは晴れの天気が続き、気温もそれほ ど低いものではなかったため、モスクワでの滞在は非常に快適だった。市内での移動には地 下鉄を利用した。公共交通機関を用いてアポイント先に向かうことができる(すなわち、そ れほどに公共交通機関が発達しており、また信頼性や安全性が高い)というのは、本来なら ばそれが当然であるはずなのだが、インドでの調査の際にはもっぱら借り上げ車やタクシー を利用していた私にとっては違和感を感じるほどに新鮮な体験だった。しかしその一方で、 ロシアでは、移動にタクシーを使うことは金額的になかなか厳しいもののようである。一度、 アポイント先に遅刻しそうになったときに、通訳のナタリヤさんにタクシーを使うことを提 案してみたが、そんな高いものに乗れるかと言わんばかりに却下された。街中の移動という 点だけに限定すれば、気軽にタクシーを使えるインドのほうが楽なのかもしれない。

今回のモスクワ滞在において感銘を受けたのは、何といっても、人々のマナーの良さである。 建物の出入口や地下鉄の乗り降りなどでは、周囲の人々に対して配慮をするのが当然といっ た様子だった。初めてモスクワを訪れた外国人の目から見た、極めて限定的な印象ではあるが、 物価の上昇など経済的に様々な問題を抱えていると言われる一方で、人々の行動ひとつひと つには何かしら余裕があるようにも思われた。インドは現在、ロシアと並ぶ新興経済国のひ とつに数えられているが、このような「民度」という点では、インドがロシアに追い付くの は残念ながらずいぶん先のことになるだろうという気がした。

マハチカラでの聞き取り調査と同じく、モスクワでも、ダゲスタン共和国における民族同士の関係、民族のアイデンティティーとイスラム教徒のアイデン ティティー、共和国政府と 連邦政府との関係、宗教指導者と連邦政府との関係、などについて聞き取りを行った。たい へん興味深かったのは、インタビューに応じてくれたほぼすべての研究者やジャーナリスト (ダゲスタン出身者も含む)が、ダゲスタンにおける宗教や社会をめぐる状況などについて、 マハチカラで得られた回答とは正反対の評価を示したことである。ダゲスタンの諸民族の関 係は必ずしも良好というわけではなく、有力な政治家や実業家などを中心に形成された主要 民族ごとのグループが、互いに対抗する構図になっているようである。また、ダゲスタンに おけるイスラム過激主義の動きは非常に深刻なようであり、ジャーナリストの中には、イス ラム過激主義の動向について極めて悲観的な見通しを示す者も見られた。

インド研究者としての経験から判断すれば、ダゲスタン共和国の状況については、モスク ワでの聞き取り調査で得られた内容のほうがより信憑性が高そうである。いずれにしても、 どちらの評価がより現実に近いものなのかという点については、今後の研究の中で詳しく検 討していきたい。また、ダゲスタンの状況を部外者であるひとりの外国人(=私)に対して 説明するときに、マハチカラとモスクワとでこれほど内容に違いが生じてしまう理由を探っ ていけば、ロシアにおけるマイノリティーの問題や中央- 地方関係などを研究する上で、何 らかのヒントが得られるのではないかとも考えている。

他方、モスクワでの聞き取り調査において個人的に面白かったのは、「ロシア人(Russians)」 という英語の単語をめぐるほんの些細なトラブルであった。インタビューに際して、私が「ロ シア国籍を有している人々」という意味で、すなわち、ロシアという連邦国家に所属してい る国民全般という意味で「Russians」という単語を使ったのに対して、通訳のナタリヤさん の訳し方や、インタビュー相手の認識のしかたによって、先方には私が「ロシア民族」のこ とを言っているのだととらえられ、やり取りが噛み合わなくなることが何度かあった。「ロシ ア人」と「ロシア民族」は、ロシア語ではそれぞれ異なった単語になるようである。これは おそらくロシア研究者にとっては常識であろうし、ロシア語をまったく理解できない私が悪 いのであるが、民族としてのアイデンティティーの根幹に関わるような単語が、ロシア語で は明確に区別されているにもかかわらず英語では区別されないという事実は、なかなか興味 深いことであると思った。

今回の聞き取り調査で得られた事柄については、北カフカース地方やダゲスタン共和国に 関する既存の研究の内容などとも合わせて、現在検討を行っている最中であり、調査結果に ついてはいずれ論文などの形でまとめたいと考えている。他方、今回のロシア出張の目的は、 ロシアの北カフカースの事例とインドのカシミール地方や北東部諸州などの事例とを比較し たい、という意図によるものであったが、約2 週間(移動日を除けば実質約10 日間)ほどの 滞在で当初の目的がどれほど達成できたのか、正直なところあまり自信がない。このような ロシアとインドの比較研究が可能であるという手応えは掴んだので、可能であればもう一度 ダゲスタン共和国に滞在し、じっくりと現地調査を行いたいと考えている。また、通訳を通 して調査を行うにしても、ロシア語がまったくできないというのではお話にならないという ことも痛感したので、ロシア語の読み書きと会話が多少ともできるようになるべく、これか ら努力していきたい。

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