去る3月19日(木)、ワルシャワ大学及びヤゲロー大学で教鞭をとる言語学者ロムアルド・フシチャ教授がセンターを訪問された。フシチャ教授は、 ポーランド語を中心としたスラヴ諸語と東アジア諸言語の研究に取り組まれ、中でも現実的文分節(テーマ・レーマ)研究や敬語論は著名である。教授の敬語論 は「敬語論:文法・語用・類型」(2006年、ワルシャワ)として出版されているので、関心のある方はぜひご一読されたい。
ロムアルド・フシチャ教授
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個別言語研究の伝統に捉われない研究姿勢を貫く教授は、ポーランドの言語学界ではいわば「異端」的な存在であるが、これは決して悪い意味ではない。 フシチャ教授は言語学の理論的な知識だけではなく、実際に自由に操れる言語の数 は10を超え、その学問への飽くなき探究心は「異端」に正当性を与えている。
今回は私の専任セミナーのコメンテーターとして教授をセンターにお招きしたのであるが、これまでセンターでは言語学関係の催しがほとんど行われてこなかっ たので、これを機にフシチャ教授に特別講義をお願いした。センターの研究動向と雰囲気を遠まわしに(?)お伝えしたところ、勘の良い教授は「政治と文法: 社会記号論によるポーランド語敬語諸相」と題した講義を企画してくださった。講義はポーランド語の人称代名詞の使用法を共時的かつ通時的に論じるもので、 伝統的なポーランド語研究における代名詞の扱いを批判的に紹介した上で、数多くの実例を元に、特に政治と言語使用との関連を強調しつつ、代名詞の社会的機 能と文法的特徴に関する教授の持論が展開された。
敬語論
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さて、私がフシチャ教授に初めてお目にかかったのは学部3年生のときであるから、もう10年も前のことである。当時東京大学の言語学研究室に研究員として 滞在していらした教授は、私が所属していたスラヴ語スラヴ文学研究室で、西スラヴ諸語統語論の対照研究に関する連続講義をされた。私は恥ずかしくて人前で 質問できなかったので、講義後にこっそりと質問させていただいた。フシチャ教授は、私の的外れな質問にも非常に丁寧に答えて下さったが、様々なスラヴ諸語 の、しかも標準語だけではなく方言をも含めた圧倒的な知識を、淀みない日本語で的確に説明されたので、教授の偉大さを感じるというより、むしろその奥深さ に絶望的な気分にさえなった。
向かって右より筆者、シャトコフスキ教授、レンビシェフスカ女史
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数年後、スラヴ語類型論研究のためにセルビアに留学していたとき、恩師の一人沼野充義教授から大学間協定に基づくワルシャワ大学への長期派遣のお話をいた だいた。セルビアに慣れてきた頃であったから当然迷ったが、私の迷いを知ってか、沼野先生は「フシチャさんの指導も受けられますよ」とおっしゃった。まさ に殺し文句である。
ワルシャワ大学に赴任したときにフシチャ教授は、私のことを覚えていらっしゃらなかったが、自分の研究テーマを教授に申し上げると、教授は自分の「専門」 を狭めないでいろいろな講義に出ることを勧められ、ポーランド学科、西・南スラヴ学研究所、応用言語学科、形式言語学科など様々な学科に私を連れて行き、 多くの先生を紹介してくださった。スラヴ諸語方言研究の重鎮ヤヌシュ・シャトコフスキ教授もその一人であった。
シャトコフスキ教授のスラヴ諸語方言学の講義は、基礎的なことから非常に高度なことまで網羅され、その理路整然とした説明は見事という他はなかった。た だ、各スラヴ語の方言テクストを正確に発音させ、それをその場でポーランド語に訳すのは非常に困難であった。しかし、この講義でカシュブ語(方言)のテク ストを輪読したことがきっかけで、私は研究の範囲を広げることとなった。方言テクストに出てきたカシュブ語特有の構文についてフシチャ教授にお話しする と、すぐにポーランド語と比較して論文にまとめるように強く勧められた。教授はその場で幾つもの例文、主要な研究者の名前や参考文献を教えてくださった。 その後、フシチャ教授との交流を続けながらカシュブ語に関する幾つかの論文をまとめた。今回の専任セミナーのテーマもその一つである。
専任セミナーでの批評を踏まえ、今回の論文はモスクワ大学で行われた大規模な国際シンポジウム「現代世界におけるスラヴ諸語とその文化」(2009年3月 24~26日)にて、幾分変更したものをイギリス・スラヴ東欧研究学会(BASEES)(2009年3月28~30日)の年次集会で報告したが、どちらの 学会でも概ね好意的に受け止められた。改めてフシチャ教授および関係者に感謝する次第である。
向かって右より筆者、ストーン教授、ヴェーラ夫人
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尚、モスクワではシャトコフスキ教授、そして当時シャトコフスキ教授の講義を一緒に聴講していた東スラヴ諸語方言研究者ドロタ・レンビシェフスカさんとの 束の間の再会を喜んだ。
また、オックスフォードではカシュブ語研究について西スラヴ諸語研究の大家ジェラルド・ストーン教授と意見交換し、共同研究の新たな可能性も見えてきた。
小さなカシュブ語が紡ぎだした私の人脈は、北はポーランドのヘル半島から南はマケドニアのスコピエまで、西はイギリスから東は日本までと極めて広い。しか し、その始まりはフシチャ教授との出会いにある。今後の研究生活において、このような出会いはどれぐらいあるのだろうか。それを思うと研究にも精が出ると いうものである。