スラブ研究センターニュース 季刊2007年春号 No.109 index

トルコ、ユーラシアのへそ 訪問記、2007年3月

松里公孝(センター)

 
世界総主教座に付属する協会で行われる日曜礼拝
世界総主教座に付属する協会で行われる日曜礼拝

スラブ研究センターのチュルク 学者と言えば、宇山智彦氏や、新 しく赴任した長縄宣博氏が有名だ が、実は私もトルコの同僚とは長 い付き合いがあった。ヴォルガ・ ウラル研究、イスラームや帝国の 比較研究、そして環黒海地域の非 承認国家問題に従事していれば、 否が応でも国際学会などでトルコ の同僚と話す機会が多くなるので ある。今回、グローバルCOE に向 けた国際協力網の構築を主目的と してトルコを訪問する機会に恵ま れたことは、私にとって、積年の 借りを返したような気分になる事件だった。ただし、現代トルコそれ自体については、私に はユルマズ・ギュネイの映画から得られる程度の知識しかなかったのだが。

3月25 日、日曜早朝、まだ真っ暗なイスタンブール空港に着陸、タクシムという外国人向 け観光街にあるホテルに荷物を預け、テクテクと小ボスポラスの対岸にある正教の「世界総 主教座」の日曜礼拝を見学に行く。噂どおりの小さな教会で、おそらく最大限100 人くらい しか礼拝に参加できないだろう。この日の参加者は常時30 人くらいか。しかも半分以上は出 たり入ったりの観光客である。典礼言語は全く理解できなかったが、中世ギリシャ語だそうだ。 説教なしで、2時間近く儀式は続く。イスラームの礼拝を見慣れた者は、あまりの形式主義 と偶像崇拝にとまどいを覚えるだろう。

コンスタンチノープルの主教座は、451 年のカルケドン公会議により「世界総主教座」の 地位を与えられた。これはコンスタンチノープルを征服したオスマン朝にとっても好都合だっ たので、庁舎としての聖ソフィア寺院は剥奪されたものの、一応は保護されてきた。オスマ ン帝国の解体に伴って正教諸民族の教会は独立したが(ギリシャの独立を阻止できなかった 当時の総主教は、詰め腹を切らされて処刑された)、カルケドン公会議の決定を根拠に、いま だに「世界総主教」のステータスを自認している。実際には、(狭義の)ギリシャ正教会から の支援に深く依存しているようだが。

なお、トルコ政府は、この主教座をたんにトルコの正教徒を代表する組織とみなしており、 「世界総主教座」とは認めていない。正教のワールド・ポリティクスでは、「ロシアとコンス タンチノープルの競争」などという言葉をよく聴くが、両者間の力の差は歴然としている。 もしかすると、ギリシャ正教会の権威を高めるために存在しているのかもしれない。外交担 当主教を直撃取材するが、あまり英語が得意でないらしく、明らかに何も答える権限のない 若い助祭に回されてしまう。やはりギリシャ語か、せめてトルコ語ができなければ正教研究 は無理なのか。

残り5日間の平日で、イスタンブールからイズミル、アンカラを回って、イスタンブール に戻ってくる。上記のトピックに沿って、マルマラ大学、ボアズィチ大学、イズミル経済大学、 アンカラ大学、中東工科大学など主要大学の専門家を訪問する。研究者と話すことが目的だっ たが、ジャディード(イスラーム改革主義)研究の大家で、アンカラ大学神学部のハディー ス(ムハンマド言行録)担当教授であるメフメト・ギョルメズ氏が現在トルコ宗務局(Diyanet) 副議長を務めていることから、宗務局に出向いて興味深い話を聞いた。また、同僚の助けで、 トルコ国営放送NTV のニュース部長に話を聞くこともできた。

さて、エルドアン首相が日に5回の礼拝を欠かさず、首相夫人が公務以外の場ではヘジャ ブ(スカーフ)をしているところから、現与党・公正発展党を穏健イスラーム主義の政党と みなす見方が一般的である。やや意外なことだが、私が様々なエキスパートに質問した中で は、公正発展党は、保守的な倫理観に訴えかけているだけで、イスラーム政党とは言えない という答えが多かった。もちろん、公正発展党や宗務局がEU加盟路線を追求することには、 ヨーロッパ的な人権基準を導入することでケマル・アタチュルク以来の戦闘的世俗主義を緩 和しようとする意図があることは有名である。この点では、ムスリム指導者の立場は、EU 加 盟によってマイノリティ保護や地方分権を推進しようとするクルド人のそれと類似している。 しかし、フランス、ドイツなどでもヘジャブへの法的な規制が強まっていることで、彼らの あては外れてしまった。

トルコでは、国立・私立を問わず、大学では女子学生はヘジャブをつけることを禁止され ている。つまり、若い女性は宗教上の戒律をとるか教育をとるか選ばされるのである。アン カラ大学の神学部を訪問したとき、女子学生が皆ヘジャブをしていたので、さすがに神学部 は例外かと思ったら、そうではなかった。門番の前を通るときは外す、門を通ったらまたつ ける、教授たちはヘジャブをつけている女子学生を見たら注意する義務があるのだが、人権 侵害はしたくないので見て見ぬ振りをするというイタチごっこが行われているのである。

トルコにおけるイスラーム主義(地上にシャリーア国家を作る試み)云々を議論するため には、トルコにおける世俗主義の伝統と、その国際的な広がりを考察しなければならない。 オスマン帝国においてはスルタン(俗)=カリフ(聖)制が採用されていたが、実際には、 宗務はシェイヒュルイスラーム(宗務長官)によって行われていた。一説によればシェイヒュ ルイスラーム制の起源はオスマン朝よりもずっと古く、セルジューク朝に求められ、しかも、 おそらくエカテリーナ2世がロシア帝国に導入した宗務局のモデルのひとつであった。長縄 氏などが明らかにしたように、帝政末期ロシアのヴォルガ・ウラル地方では、この宗務局が 保障した精神的自治空間がジャディード運動の揺籃となった。シハブッディン・マルジャニー などの著作は、オスマン帝国でも大変な人気を博したが、反動性を強めていた当時のシェイ ヒュルイスラームは、これらを禁書にしてしまった。革命と内戦のせいでジャディードはロ シアで活動場所を失い、その多くはトルコに亡命し、アタチュルクのブレーンとして世俗国 家建設に協力することになった。

このように、シェイヒュルイスラーム制、こんにちのロシアとトルコの宗務局の間には制 度的な、またオスマントルコの伝統、ジャディード運動、アタチュルクの世俗主義の間には 思想的な継承性が濃厚である。ジャディード運動などという、イスラーム研究上、一見マイナー なテーマに従事している人たちが、アンカラ大学部の神学部の教授になったり宗務局の副議 長になったりしているのがトルコに行く前は不思議であったが、ジャディード主義が、この 国の国家建設にそれほど枢要な位置を占めていたことを知って納得する。

トルコにおいては、約8万人を数える「聖職者」は、すべて国から給料をもらっている。 トルコ政府が宗務局を通じてムスリムのイデオロギーをコントロールしていることは、EU 加 盟交渉において問題にされた。しかし、ギョルメズ副議長によれば、他のイスラーム諸国で は、宗務局のような一応政府から独立した機関ではなく、「宗務・ワクフ管理省」がムスリム をより直接的に統括しており、しかもこの省は内政上の党派闘争に与するのが常であるから、 トルコの制度は政教分離の観点からより望ましいものなのである(なお、トルコではワクフ はアタチュルク革命直後に私有化 された)。

トルコ宗教局の巨大な庁舎
トルコ宗教局の巨大な庁舎

こんにちトルコ宗務局は、ロシ ア、ブルガリア、アゼルバイジャ ン、クルグズスタン、カザフスタ ンなどの宗教中等学校や大学神学 部に講師を派遣している。いかに カラバフ問題などで緊密な同盟関 係にあるとはいえシーア派のアゼ ルバイジャンも神学上の援助対象 になっているのは一見奇妙だが、 ギョルメズ副議長によれば、トル コに23 ある大学神学部のすべてに 卓越したシーア主義の専門家がい るので、アゼルバイジャンを援助することも容易だそうである。そのうえ、トルコ宗務局は クリミアに約20 名のイマームを送り、(俗人であるラフィク・ムハメトシンを最近学長に据 えた)タタルスタン・イスラーム大学にも2人講師を派遣している。これらの援助は、あく まで先方のムスリムが援助を頼んできた場合にのみなされ、トルコ宗務局の世界戦略などな いと表向きは言われる。また、宗務局が自力で援助するわけではなく、あくまで世俗政府間 の合意に基づく援助である。トルコ宗務局が、アブハジアにおけるイスラームの劇的な衰退を、 手をこまねいて見ているしかなかったのはそのためである(Acta Eurasica 既刊の拙稿参照)。

スーフィズムなどのチャンネルを通じて、トルコのイスラームはユーラシアにかなりの影 響力を持っている。しかし、公式イスラームについて言えば、戦闘的世俗主義とイスラーム の国家管理(そして、破戒に対する寛容さ)を特徴とするトルコ・モデルは、ロシアにおい てタタルスタン以外に共鳴者を見出さなかった。このトルコ=タタルスタン・モデルが、タ タルスタン以外のムスリム地域においてしばしば嘲笑の的となっていることについては、別 稿(Europe-Asia Studies に近刊)で述べる通りである。サラトフの若いムスリム活動家が心 地よく感じるのは、トルコではなくアラブ諸国なのである。ロシアからの情報チャンネルを カザンが独占しているせいで、トルコのイスラーム指導者は、ロシアの宗教情勢について間 違った認識を持っている感じがする。もちろん、こうした情報チャンネルを嫉妬深く独占す るところが、カザン・タタールの外交に長けたところなのだが。

 EU 加盟交渉に当たっては、「聖職者」に国庫から給料を払っていること、アレヴィ派(シー ア派の一分派)を排除していること、宗務局議長が世俗権力によって任命されていることが 問題にされた。このうち、国庫からの給料については、ギリシャやベルギーなど、ヨーロッ パに類似例があることをもって反論し、アレヴィ派は、宗務局の業務対象に入れられた。最 大の変化は、宗務局議長の初めての選挙が来年予定されていることである。これについても、 カトリックや正教の宗教指導者が選挙されたなどということは聞いたことがないとギョルメ ズ副議長は笑っていた。

 紙幅の関係で宗教についてしか書かなかったが、トルコが環黒海地域ばかりか、ヴォルガ・ ウラル地域や中央アジアまでも含む広域政治過程のへそのような位置を占めていることは明 らかになっただろう。非承認国家問題についても、EU拡大についても、私は同じ印象を受けた。 この国の研究者との協力を緊密にすることは、日本人のユーラシア認識を深め、正確にする 上で、大きな意味を持つだろう。


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