スラブ研究センターニュース 季刊2007年春号 No.109 index

WORLD WAR ZERO??

デイビッド・ウルフ(センター)

 

陽気の所為で神も気違になる。「人を屠りて餓えたる犬を救え」と雲の裡より叫ぶ声が、逆しまに 日本海を撼かして満洲の果まで響き渡った時、日人と露人ははっと応えて百里に余る一大屠場を 朔北の野に開いた。すると渺々たる平原の尽くる下より、眼にあまる獒狗の群が、腥き風を横に 截り縦に裂いて、四つ足の銃丸を一度に打ち出した様に飛んで来た。狂える神が小躍りして「血 を啜れ」と云うを合図に、ぺらぺらと吐く燄の舌は暗き大地を照らして咽喉を越す血潮の湧き返 る音が聞えた。 ( 夏目漱石『趣味の遺伝』1906 年)


The Russo-Japanese War in Global Perspective: World War Zero, Volumes I and II (Brill Academic Publishing: Leiden, The Netherlands, 2005; 2007)

2005 年5月慶應義塾大学で一週間にわたる日 露戦争百周年記念学会が開かれ、50 以上の論文 について議論が交わされた。この記念学会はそれ 以前に行われた数々の小規模の会議や学会、また 5年間の準備の成果を示すものであった。記念学 会の締め括りは読売新聞社調査研究本部と共同で 催された最終日の公開討論で、会場は大手町にあ る日本経済団体連合会のホールであった。その公 開討論で初めて記念学会で発表された日露戦争に 関する新たな視点の数々が公表されたのである。

尚、記念学会には慶応義塾大学と読売新聞社調 査研究本部の他、国際交流基金、東京財団、日本 航空、リーマン・ブラザーズ証券株式会社の後援 があったことを記しておきたい。

この記念学会の集大成は、幸いにも計1300 ペー ジ以上に及ぶ二巻の論文集となってオランダのブ リル学術出版社から『戦争の歴史』シリーズとし て出版された。この論文集は、日露戦争について専門的に学ぶ者にとって必読の書となるこ と間違いないが、そうでない者にとってもきっと楽しめるはずだ。たとえば90 以上の、白黒 のみならずカラーを多く含む地図やイラストは読者の興味を引かずにはおかないだろう。

収録された論文の性格は二つに大別できる。一つは、様々な学者の研究によってこれまで 知られてきたことを専門的また総括的に解釈したもの。もう一つは、新たな資料を使って新 しい視点や結果を提供しようとしているもの。であるが、ここでは後者に目を向けてその内 容の一部を紹介したい。

最も強調したい成果の一つとして、『第零次世界大戦(WORLD WAR ZERO)』という概念 がある。これは、明治37・8 年の戦争に世界史的な意義を与える概念である。当時の先端技 術としての機関銃、塹壕、鉄道、集中砲術は、第一次世界大戦が勃発する1914 年の10 年前 のこの戦争ですでに使われていた。

イアン・ブロッフの著作である『近時の戦争と経済(1904 年)』( 露文の原著は1898 年出 版) が予期したように、戦場での行き詰まりは、勝敗を宣言する前に戦闘国の国庫を破綻さ せ、社会を崩壊させた。日露戦争では日本の財政は破綻し、ロシアでは各地で反乱が起こった。 欧州の主要国すべてが観戦武官を日露両軍に派遣していたにもかかわらず、次の大戦がどれ ほど悲惨な結果をもたらすことになるか誰も想像できなかった。

中立を宣言するかしないかに拘わらず、世界中の国々がこの戦争の影響をうけ、どちらか に肩入れをした。中国・韓国は戦場となった。フランスはロシアの同盟国、イギリスは日本 の同盟国となった。ドイツはロシア寄り、米国は日本に声援を送った。「第三世界」の国々が 固唾を呑んでこの戦争を見ていたのは、脱植民化後の自国の将来を日本の勝ち誇った姿に照 らし合わせていたからである。

「第零次世界大戦」論はこのような日露戦争の全世界的影響が根拠となっている。 勿論、学者は議論するのが本分なので、参加者すべてがこの新しい概念を支持したわけで はない。七年戦争かナポレオン戦争の方が「第零次世界大戦」に相応しい、という意見もあった。 また、この概念は百年前の時代の人々には知る由も無い「後知恵」である、というもっとも な意見もあった。しかし、後知恵、という意味では第一次世界大戦も同じことであり、「最大 の戦争(The Great War)」と当時呼ばれたその戦争が「第一次大戦」と名を変えるのは、不 幸にも新たな視点が第二次世界大戦によって現れ、それよりもさらに酷い悲劇が、一層大き なスケールを持って繰り返されたためである。活発に異論が出される、というのが最良の学 術的議論であるのだから、「第零次大戦」論は今後も引き合いにだされるであろう。一方、参 加者の全てが、東京での決定が世界的な影響を及ぼすようになったのは日露戦争以降である ことを認めている。つまり、この戦争以来、世界情勢は欧州を超えて、日本を語らずして把 握できなくなったのである。この時点で日本と米国が世界舞台に登場したといえる。

新たに公開されたロシアの史料によって、外交、軍事、諜報に関するそれまで知られてい なかった事実がわかってきた。和田春樹(東京大学名誉教授)、タチアナ・フィリポヴァ(『ロー ジナ』編集主任)は、ロシア人が人種差別から日本を軽く見ていた、という従来の説を覆した。 ロシアの高官や知識階級は日本軍の潜在能力と文化的達成度に関して、高く評価していたこ とがわかった。イーゴル・ルコヤノフ( ロシア科学アカデミー) はロシアがよろめきながら 戦争に参入した原因の多くが、皇帝にあることを示した。ルコヤノフと加藤陽子( 東京大学) によって、サンクトペテルブルクでも東京でも戦争への道に歯止めをかけることが不可能に なるような決断がなされた運命的な時期が、1903 年春から夏であったことが明らかにされた。

ブルース・メニング( 米国参謀幕僚大学)、エフゲニイ・セルゲエフ( ロシア科学アカデミー)、 ディビッド・ウルフ ( 北海道大学スラブ研究センター) は戦前、戦中の日本の諜報活動がど れほど効果的に行われたかを、新たに公開された史料を使って示した。ロシアは終盤でやっ と追いつくことができた。ウルフのロシアと日本の双方がどのように中国人を諜報活動に利 用したか、という比較研究は、戦場となった中国にとってこの戦争の意味は何であったかと いう問題を提起する。李安山(北京大学)、中見立夫(東京外国語大学・アジア・アフリカ言 語文化研究所)、平川幸子(早稲田大学)はその問題の答えに我々を近づける。韓国に関する 二つの論文は、通常疎かにされるこの視点を提示する。自国の運命に大きく関わる問題が扱 われることを予想して、中国、韓国の両国はポーツマス会議に参加を希望したが、セオドア・ ルーズベルトは弱小国と看做した両国の参加を受け入れず、彼らの要望を無視した。

日本に関しても、重要な史料が見つかっている。ジュリアン・コルベットの『1904-5 年日 露戦争の海戦(Maritime Operations in the Russo-Japanese War, 1904-1905)』は、日本海軍が日 露戦争で学んだ教訓を総集した『極秘明治三十七・八年海戦史』から抜粋して英国海軍に提 供したものとして知られるが、論文集ではその原本が、東郷平八郎がロシア艦隊を旅順で破 壊する使命を果たせなかった原因を明らかにする史料として登場する。この東郷の失敗によっ て、乃木大将らによる旅順港の長期にわたる包囲が必要となった。これらの偉大な英雄は史 料の中では困難な問題を抱えて苦しみ、時に他の多くの人々を死に至らしめるような間違い を犯すという、生身の人間として現れる。横手慎二( 慶応義塾大学) が発見した草稿と実際 に出版された陸軍編纂の陸軍史の比較から、軍事上・政治上の理由で、陸軍が草稿に含まれ ていた内容の一部を削除していたことがわかった。例えば、陸軍の元々の作戦では、日本軍 の占領目的地はロシア軍の後方部隊の本部であったハルビン(哈爾賓)であった事実が明ら かになった。

端的に言えば、興味が軍事、外交であれ、政治、経済、文化であれ、誰もがこの二巻の論 文集から新たな情報や解釈を発見できるはずだ。まずは、論文集に収録された以下の写真や イラストをご覧ください。

尚、論文集第二巻の目次は下記のウェブサイトでご覧いただけます。

http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/books_new/2007/urufu/contents.html

図1
図1

図1:戦争初期のロシアのポスター。タイトルは、「敵は恐ろしいが、神は慈悲深い」とある。巨大な 農奴が満州の要塞から韓国、更に日本へと飛び越える途中で、日本海軍を沈没させる。陸強国の力が海 運国のそれに勝るという考えを示唆している。隅のほうで米国、イギリス、中国がロシアを相手に陰謀 を練っているが、それは無駄に終わる。

図2
図2

図2:来るべき日本海軍の勝利を表している。日本の海兵がロシアの将校を蹴飛ばし、海に落とす。 この錦絵は暗に日本が世界の国家の序列を覆し、「一等国」になろうとする意志を示している。


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