ITP International Training Program



オックスフォード滞在記


中村 真

(ITP第3期フェロー、派遣先:オックスフォード大学 聖アントニー校)[→プロフィール




2010年7月から2011年6月まで北海道大学スラブ研究センターのインターナショナル・トレーニング・プログラム(ITP)の長期派遣フェローとしてオックスフォード大学のセント・アントニーズ・コレッジのロシア・ユーラシア研究センターに籍を置いて在外研究に専念するというまたとない貴重な機会をいただいた。オックスフォード大学に派遣されるまでは、地域研究や社会科学の研究者と交流したことはないに等しい状態だった。そのため、セント・アントニーズでの生活は、毎日が緊張と発見と反省、そしてある意味では摩擦の連続でもあったと言って過言ではない。そこで、小文では、同地での生活や研究、そして研究者として考えさせられたことがらについて思いつくがままに記してみようと思う。(今年の2月に開催したセミナーの詳細については、以前当サイトへ寄稿した小文をご笑覧していただけると幸いである。→[click]






セント・アントニーズの本館(2010年10月中旬撮影)



オックスフォードに着いてわたしが最初に困ったのは、住居の確保と言葉の問題の二つに他ならない。
 アメリカへ派遣された同期の二人とは違って、わたしは渡航前に住居を押さえることができなかった。セント・アントニーズの構内には、上級研究員(ITP フェローは同校では上級研究員 Senior Associate Member の資格で在籍することになる)のために用意される宿舎もあった。だが、支給される滞在費ではとうていまかない切れない家賃だったために、借りることをあきらめざるを得なかった。また、渡航の時期が悪かったのか、院生のために用意されている寮の部屋にも空室がないという状況だった。そこで、まずは市内にある B & B(ベッド・アンド・ブレックファースト)に宿泊して、大学関係の種々の手続きを行いつつ、複数の不動産業者に物件をいろいろ見せてもらうことにした。さまざまな価格帯の物件を15件ほど見せてもらった末に、中心部から少し離れた住宅街にある一人暮らし用の小さなフラットを月635ポンド(並びに住民税を月120ポンド前後)で借りることにした。ルームシェアではなく一人暮らし用の部屋を借りたのは、コレッジではわたしの研究室が用意されていなかったからだ。コレッジや図書館だけではなく、自宅においても読書や書き仕事を一人で黙々と行えるような落ち着いた環境を確保しておきたかったのだ。住居を確保するのに10日ほどかかってしまったが、不動産業者とのやり取りを通じて英語での電話にも慣れた上にオックスフォードにおける不動産事情を垣間見ることもできた点では貴重な経験だった。




テムズ川(2011年4月頃撮影)

英語の聴解に困り続けたことは、言うまでもない。出身地域と階層によって使う言葉が大きく異なっているために、街中で交わされている言葉をそれなりに聴き取れるようになるのには数ヶ月かかった。そうしたこともあって、到着した時には外国人研究者向けに大学が用意していた英語の講座を受講することも考えたが、夏期講座がすでに始まってしまっていたために受講しないことにした。むしろ、タームが始まってからセミナーや講義に出席するという「乱取り」のような実践を通して、アカデミックな場における言葉のやり取りや諸々の習慣に慣れた方が良いと判断した。そう考えて、タームが始まってから音楽学とロシア文学のセミナーや学部生向けに開講されていたチェコ文学史の講義へ実際に出ることにした。最初のターム(10月初旬から12月初旬)では、予想通り耳がまったく付いてゆかなかったがためにかなり面食らうことになった。わたしが顔を出していた二つのセミナーでは、書きかけの論文の原稿をナチュラル・スピードで読み上げるだけで、パワーポイントによるスライドや配布資料などが一切用意されないということが普通だった(チェコ文学史の講義でも原稿を読み上げるというスタイルだったのだが、比較的ゆっくり目に話されている上にチェコ文学に関する基本的な知識もそれなりにあったので、わたしにも分かりやすかった)。その結果、こちらに基本的な知識がない場合には、往々にして話の内容にまったく付いてゆけなくなってしまった。とは言え、慣れとは恐ろしいもので、二つ目のタームの頃からだんだん耳が付いてゆくようになった。




Taylor Slavonic の正面

普段の研究は、主として Taylor Bodleian Slavonic and Modern Greek Library で行っていた。この図書館はスラヴ諸語と現代ギリシア語で書かれた人文系の文献を専門的に扱っており、チェコ語文献のコレクションも非常に充実していた。このコレクションには19世紀に出版された図書の多くも開架式で配列されていたので、それまではコピー資料や復刻版でしか知らなかった文献も実際に手に取って読むことができた。この図書館には主として言語や文学に関する文献が収蔵されている関係上、19世紀から20世紀にかけてのボヘミアやモラヴィア在住のチェコ人による民謡研究に関する文献も多数収められていた(チェコ人の音楽に関する文献は、ボードリアン図書館の閉架書庫にそれなりに所蔵されていた)。本文や脚注や参考文献表で示唆されている文献情報に導かれるがままに、次から次へと文献を渉猟していった。そうこうしているうちに、今後の研究方針について考え直すようになった。それまでは、博士論文での議論の延長線上で、19世紀末から20世紀初頭にチェコ人がボヘミアやモラヴィアで行っていた民謡研究の文化史的背景やナショナル・アイデンティティの問題について従来の音楽学の分析装置だけではなく、英語圏の人文学や社会科学において提唱された道具立てを駆使して考えてゆこうと考えていた。だが、所期の目標を言葉の真の意味において遂行するには、チェコ人の研究者が連綿と受け継いで来た文献学的な知を自家薬籠中のものにしていることが前提となる。しかし、民謡に関してチェコ人の研究者たちがものした数々の文献の「現物」を手に取って読んでみるうちに、そうした基本的なことがらに関する知識がわたしにはまだ不十分であることを痛感させられた。チェコ人の民謡研究者が長年にわたって積み上げて来た知に対して最大限の敬意を込めた真摯な応答を行い得るような研究を実現させるには、かなりの年月と労力を費すことが必須となってこよう。Taylor Slavonic に日参したり、セント・アントニーズで開催するセミナーの組織のためにいろいろな文献を読んだり、音楽学や文学の研究者たちやセント・アントニーズで親しくなった研究者たちと世間話や研究状況に関する話に興じているうちに、このような確信を抱くようになった。そこで、短期的には作品や著作とその背景の分析に軸足を置いた「伝統的」な西洋音楽史研究の手法へ回帰した研究を重ねつつ(ただし、それは従来の方法や考え方に安住したり屈伏したりするということでは断じてない)、所期の目標を達成できるようにするための研究を気長に、少しずつ積み上げてゆくための方法を考えていった方が良い——と考えるようになった。




ボードリアン図書館の中庭(前に見えているのは、科学史博物館)

こうした考えに至ったのは、セント・アントニーズにいたことや、ロシア文学のセミナーやチェコ文学の講義を聴講したことも大きく影響している。セント・アントニーズはオックスフォード大学のコレッジの中でも外国籍の学生や教員がとりわけ多いことで有名で、外国籍の学生が学生全体の6割以上を占めている。同校で知り合った学生や研究者たちと話をしていると、地域研究や社会科学においては現地出身者が英語圏の大学で学位を取り、英語圏の学界の第一線で活躍することが普通にあるということを知った。また、ロシア文学やチェコ文学の講義に顔を出していた際にも、現地(つまり、ロシアもしくは旧ソ連諸国やチェコ共和国)からやって来た学生や研究者が非常に目立ったことに驚いた。地域研究に携わっておられる方々には「何を今さら!」と呆れ返られてしまいそうだが、人文学の研究の世界においても理系の研究の世界と同様に現地から英語圏への頭脳流出が確実に進みつつあることの一端を、わたしはオックスフォードに来て初めて垣間見たのだ。こうした光景を目の当たりにしているうちに、現地出身者でもなければ英語圏出身者でもない(さらに言えば、英語圏の大学から学位を授与された訳でもない)わたしのような者が取り組んでいる研究を彼らに対してどのような意義を持ったものとして理解させるべきなのか――ということについて考え始めた。もちろん、現地出身の研究者には現地の資料の読解に関しては量の点において到底かなわない。また、英語を母語とし、英語圏で教育を受けた研究者に比べると、英語の運用能力において圧倒的に劣る。だが、現地出身でもなく、英語を第一言語としている訳でもない、わたしたちのような者にも「強み」があるとすれば、英語圏において発信される学問の言説に対して「第三者」の立場を取れるという点にこそなかろうか。現地出身だからと言って、彼らが行う分析が絶対的に正しいとは限らない。むしろ、現地の学問の言説からの影響を知らず知らずのうちに受けていることもあり得よう。英語圏の研究者に関しても、同じことが言えるだろう。こうしたことを考慮に入れると、両者の視点と等しく距離を取った「中立的」な議論を提供し得るという点にこそ、わたしたちのような立場にある者の強みがあるのではないか――と考えるようになった。もちろん、わたしは、英語とそれにまつわる文物の覇権を肯定するつもりもなければ、こうした状態に甘んじることを良しともしない。だが、そうした立場を英語を用いて表明しない限り、誰からも認知されることなく終わってしまうのだ。




ボードリアン図書館の中庭(正面に見えているのは、本館の建物です)

オックスフォード滞在中には慣れないことばかりだったために、セミナーの組織や BASEES での発表の準備に際してはいろいろと大変な思いもした。やり残したことも多いので、内心忸怩たる思いもある。だが、世界からさまざまな分野における俊英が集まる中でとてつもなく贅沢な1年を過ごすことができたのは、何事にも代え難い経験だった。(また、10年以上にわたって音信不通になっていた友人とオックスフォードで再会し、合奏を個人的に楽しむだけではなく、年末と年明けの二度にわたって内輪で演奏会さえ開いていた。)セミナーの組織や開催を通して、イギリスでの研究者とのつながりもいろいろと作ることができた。目下、英語圏で刊行されている査読誌へ投稿するための論文の原稿を準備しているところである。一日も早く投稿し、掲載されることによって、日本でお世話になった方やイギリス滞在時にさまざまな方から受けた学恩に報いたいと思う。






University Church of St Mary の正面



最後になったが、このようなまたとない貴重な機会を下さったスラブ研究センターの ITP 責任者の松里先生、そして事務作業を一手に引き受けて下さった阿部さんと越野さんにはただひたすら感謝するばかりである。そして、わたしをセント・アントニーズ・コレッジのロシア・ユーラシア研究センターへ快く受け入れて下さったアレックス・プラヴダ Alex Pravda 先生と同センターの秘書のリチャード・ラミッジ Richard Ramage さんにも心からの謝意を表したい。また、同期フェローの青島さんと花松さんからも、滞在中にはメールなどを介していろいろな面で助けられた。ここで改めてお二方に心からの感謝の意を表したい。






町外れの公園から中心部を撮影


(Update:2011.09.12)





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