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4th East Asian Conference on Slavic and Eurasian Studiesに参加して高橋 美野梨(日本学術振興会特別研究員) 2012年9月4日から5日にかけて、インド共和国西ベンガル州コルカタのMaulana Abul Kalam Azad Institute of Asian Studies: MAKAIASにて、The Image of the Region in Eurasian Studies を共通テーマとする国際学会「4th East Asian Conference on Slavic and Eurasian Studies」が開催された。私は、報告者の一人として当学会に参加した。 学会には、合計12のパネルが組織され、専門分野を異にする40名超の報告者が参加した。他の国際学会に比して、規模の面では必ずしも大きなものとはいえないが(むしろ小規模であるとさえいえるのかもしれないが)、その分じっくりと腰を据えて一つ一つの報告と向き合うことができる学会であったように思う。また、インド、中国、日本、韓国、ポーランド、ロシア、タジキスタン、英国等々から、様々なバックグラウンドを持つ多くの研究者が一堂に会したことは、当学会がある特定の国や地域に限定されず、文字通り開かれた場であったことを証明している。但し、あくまでもテクニカルな部分ではあるが、学会の共通言語が英語・露語であったため、いくつかの報告は通訳抜きの露語で行われており、露語を解さない者にとっては多少の居心地の悪さを感じたことは付言しておきたい(実のところ私は、学会の共通言語が二つあることを学会初日まで、より正確には露語で報告した報告者の第一声を聞くまで知らなかった)。 学会は、パネル1~5までが一日目、パネル6以降は二日目という構成で進められた。「East Asian Conference on Slavic and Eurasian Studies」という学会の名称及び「The Image of the Region in Eurasian Studies」という学会の共通テーマからも明らかなように、報告者の多くは中東欧・ユーラシア地域を専門とする研究者であり、パネルの大半もそれに基づき設置されていた。私は北欧・北大西洋/北極海域(主にデンマーク・グリーンランド)の現代政治を専門としているため、当該地域の研究をどこまで理解できるのか多少の不安はあったが、事前に大会プログラム及び報告要旨が配布されていたこともあり、想像していたよりもスムーズにパネルの議論に入っていくことができた。報告のなかには、学界における「常識」を塗り替えていこうとする野心的な内容・論理によって構成されているものもあり、着眼点・議論の切り口の点で非常に勉強になった。 他方で、パネルでの議論を通じて気になった点もいくつかあった。まずは、報告者・ディスカッサント・フロアのコメントそれぞれの「タイムマネジメント」について。次に、研究報告における「研究枠組の不在」についてである。まず一つ目の「タイムマネジメント」というのは、規定の時間に沿った形で自身の発言をある程度コントロールし、報告者による研究の枠組をふまえつつ議論を進めていく能力のことを意味している。この「タイムマネジメント」がことごとく破たんしている状況を、特に質疑応答時の一部の報告者やフロアにいる方々を通して目にすることがあった。議論好きという国民性?民族性?パーソナリティ?といった点を差し引いても、質疑応答で一人当たり10~15分話し続ける状況に私は多少の疲労感を覚えた。この「タイムマネジメント」をめぐる問題というのは、次にあげる「研究枠組の不在」に起因している可能性もある。パネルの全てに参加できたわけではないので一括りに述べることはできないし、ディシプリンごとの「ルール」を無視して一括りにコメントするのはナンセンスだが、当学会を通して私は、研究枠組(整理道具)を設定していない(明示していない)いくつかの報告に出合った。それは、「一方で既存の考え方を参考にしながら、他方では既存の枠組では分析できない現象をいかに分析するか」(岡部達味)という点を明示していない報告を意味している。この点で、いくつかの報告に対して私は「一体いかなる理由でこの問題について議論しているのだろう」という印象を持った。その結果として、報告者がいかなる条件下で、何を考え、何を主張しようとしているのかを秩序立てて理解することが難しくなってしまった。このことが議論の要点を曖昧にさせ、限界設定のない(ゆえに、とても長い)議論を生んでしまう一つの要因となったとも考えられる。 最後に、私が参加したパネル及び報告内容について簡単に述べ、当学会にかんするノートを締めたいと思う。私は、報告者の一人として8番目のパネル「Northern, Central and Eastern Europe: Macro regional and Comparative Approaches」に参加した。当パネルは、司会者一名、ディスカッサント一名、報告者四名の構成であり、私以外の報告者は中・東欧を専門とする研究者であった。報告者間の研究テーマや方法論におけるつながりはほぼなく、一つのパネルを組むために寄せ集めた感は否めなかったが、この点はパネルを立ててから報告テーマを募集したのではなく、テーマが集まった段階でパネルを組織した当パネルの限界を示しているのだろうと思った。とはいえ、司会者の方からは事前に提出したペーパーに基づき報告ごとに鋭いコメントを出して頂いたし、ディスカッサントの方からは的確な論点整理によってフロアとの質疑応答をスムーズにして頂いた。当パネルが一定の成功を収めたとすれば(少なくとも失敗ではなかったとすれば)、それはお二方のおかげである。 パネル内最後の報告者であった私は、「The EU Regulatory Empire and Whale Protection Regulation」と題して、欧州連合(European Union: EU)、EU加盟国であるデンマーク、そしてデンマークの自治領であり、且つ国際捕鯨委員会(International Whaling Commission: IWC)によって認められている先住民生存捕鯨(Aboriginal/Indigenous Subsistence Whaling: A/ISW)を享受する地域の一つであるグリーランドの三者をめぐるクジラ・捕鯨問題について、イアン・マナーズ(Ian Manners)等の先行研究によってEUの域外に対する影響力の一側面として指摘される「規範的パワー」に焦点を当てながら議論を展開した。議論を展開していく上で心がけていたのは、学会の共通テーマがthe image of the regionをキーとしていたため、そのテーマに適合するような内容にすることと、インドという地で北欧地域を事例とした報告をする以上、小さなことに拘らず、できるだけ大きな文脈で議論しようということであった。報告では、EUが2008年6月の環境相理事会にて「鯨類保護」(加えて、A/ISWには「反対しない」ことを明示)という規範を打ち出した後に開催されたIWC年次総会において、EU加盟国が「一大ブロック」の形でグリーンランドによるA/ISWに基づくザトウクジラ捕獲枠要請を退けた、という事例をもとにEUの支配的影響力について説明を試みた。その際に私は、その影響力を説明する概念として「規制帝国(Regulatory Empire)」(鈴木一人)を援用することとした。規制帝国とは、端的に言えば、EUの経済市場のキャパシティを梃子にしながら「普遍的な価値」を有する規範を形成することによって、物理的な強制力なくして域外(そして、結果として域内)の政治的共同体に影響力を行使する主体を指している。それでは、EUをめぐるクジラ・捕鯨問題を規制帝国概念から見ていくことで、一体何を読み取ることができたのか。それは、「A/ISWには反対しない」ことを含むEU「鯨類保護」規範に示されているように、民族自決の原理を認めつつも、統治主体としての自身の影響力をある意味では「控えめに」行使し、EU域内及び全世界の鯨類保護にかんするEUのコミットメントを強化しようとする統治主体としてのEUの姿勢であった。但し、今回の報告を通じて私は、単にクジラ・捕鯨問題を議論しようとしていたわけではなく、グローバル化する政治経済を鑑みつつEUの影響力と経済成長著しいインドを対置してみたいと思っていた。それゆえに私は、EUの影響力は力の行使・威嚇による強制とは異なるし、国際制度の機能性に着目し規制を受ける側が自己利益からある規範に従うといった説明からでも把握しきれないものであるといった点を強調した上で、それをインドの文脈に当てはめてみたいと思っていた。その試みは必ずしも成功しなかったかもしれないが、自身の考えをある程度クリアに提示することはできたのではないかと思っている。 なお、報告後の質疑応答では、EU‐デンマーク‐グリーンランドの事例からクジラ・捕鯨問題を政治的に問うことの積極的な意義について質問を受けた。フロアの中には、デンマーク‐グリーンランドの視点からクジラ・捕鯨を文化的な問題として捉えようとする声があった。これについては、この報告の主語はあくまでもEUであり、EUがそういった文化的な側面を持つ問題を政治的に利用していることに焦点を当てるこの報告の趣旨(限界設定)を説明した。 |
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