ITP International Training Program



ASEEES大会参加記

桜間 瑛

(北海道大学大学院文学研究科博士後期課程)


  去る11月17日~20日にかけ、ワシントンD.C.で開催された第43回 Association for Slavic, East European, & Eurasian Studies(旧 American Association for the Advancement of Slavic Studies)大会に参加し、報告を行った。



  筆者は、2008年3月のITP英語合宿に参加しており、その恩恵にあずかりながら、その後に長期の留学に出かけたこともあり、それを生かす機会のないままでいた。そうした中、2011年の1月、大学院の同僚であった高橋沙奈美さんよりこの学会のパネルに参加しないか、という誘いを受けた。締切りの関係でその日のうちに返事がほしいという。突然の話と学会の規模の大きさに当惑したものの、せっかくやってきたチャンスを逃すのももったいないと考え、その場でタイトルを決めて、参加させてもらうこととした。

  韓国人のJoonseo氏によって組織されたこのパネルは、Defining Local Identities in Post-Soviet Russiaと名づけられた。氏の呼びかけには、様々な国の方が参加を表明し、結果的にパネルを2つにして参加することとなった。筆者は留学先でもあったカザンの現在の自己イメージについて報告することとした。

  3月ごろまでは事務的な連絡がいくつかあったが、青島陽子さんの参加記にもあるように、専門のスタッフがいるため、質問などにも即座に返事が送られ、組織力の高さには感服した。その後、全体のプログラムが発表された後は、しばらくこれに関する連絡などもなくなった。その間、3月に筆者自身は2度目となる英語キャンプに参加し、改めて英語でのプレゼンテーションについての訓練を受けた。夏には現地調査に出かけ、この報告のための若干の資料を集めた後、8月末には、北京で行われた東アジア学会で報告を行った。この北京の報告は、筆者として初めての海外での学会報告となったものの、とても成功と言えるものではなく(多分に学会の運営による部分もあったとは思うが)、消化不良な思いが強く残った。その後9月から本格的な準備を始め、組織委員会からの薦めに従い、大会開始の2週間前に討論者はじめ、各参加者にペーパーを送り、大会を待つこととなった。



  筆者の参加したパネルは最終日に置かれたものの、大会の雰囲気にも慣れておこうと、大会前日に現地入りし、初日から会場に足を運んだ。会場は、ワシントンD.C.のほぼ中心部に位置する Omni Shoreham ホテルで、その1階のほぼすべての部屋が会場に充てられた。その中で、常時30〜40ものパネルがある中から、関心を持てそうなものを見つけては、そこに出かけた。もっとも、頭の中ではもっぱら自分の報告をどうするか、というイメージを作ることに気が回り、あまり落ち着いて議論などを聞くことができなかったのは残念であった。

  青島さん平松潤奈さんの参加記にあるように、パネルごとの聴衆の多寡は顕著である。手狭な部屋が閑散としていることも珍しくなく、そうした小規模のパネルの場合、参加者から聴衆まで、ほとんど全員が旧知の間柄で、そこでの報告の枠を超えて、内輪の話題に収斂していくように見えるものも目に付いた。また、東欧などの移民の子孫と思われる研究者が集まってパネルを構成しているものも目立ち、改めてアメリカという国が移民からできていると共に、その子孫によって研究が担われている部分が大きいのだ、ということを再確認させられた。

  筆者はカザンというヨーロッパ・ロシアの東端をフィールドに、民族学的研究を行っているが、全体の傾向としては、ヨーロッパ・ロシアの中央や東欧をテーマにしているセッションの割合が高いように思われた。筆者のような専門の場合、Central Eurasian Studies Society のような場所の方が報告の場としては適切であったかもしれない。テーマの設定は、筆者が見た印象として、歴史について文化史的なアプローチのパネルや、現代の社会学的調査などについてのパネルが目立ったように感じる。

  多くの聴衆を集めていたのは、やはり著名な研究者が参加しているものや、ホットな話題をテーマにしているもので、おおきな部屋あるいはホールに、人が満員に近いようなところもあった。時間帯によっても参加者の数の違いは明瞭であり、自分のパネルにどれだけ人が集まるかについては、運による部分も大きいだろう。どのパネルも議論は活発で、丁々発止のやりとりが展開された。



  筆者のパネルは、最終日の最後のパネルで、全く人が来ないのではないかと危惧された。実際、当日の朝に会場のホテルに出かけてみると、すでに多くの人が帰路に着く準備をしていた。そうした中、パネルの始まる時間の10分ほど前に会場の部屋に向かった。そこで、コメンテーターを務める高橋さんと一緒になり、先のパネルが終わるのを待った。他の参加者との面識はなく、辛うじて司会を務めるJoonseo氏と前日のもう一つのパネルで顔を合わせただけで、どのような方と一緒なのかもよくわからないまま待つこととなった。会場が空いて、中に入ると、廊下で隣にたたずんでいた女性が同じく報告者で、フィンランドから来たKurki氏だということが分かった。さらにしばらくすると、もう一人の報告者で韓国から来たKorgun氏も現れた。そこでKorgun氏から、司会を務める予定だったJoonseo氏が所用で来られなくなったことを伝えられ、代わりに司会を務めることとなったペテルブルグ大学のLomagin氏を紹介された。そもそもコメンテーターも、元は別の方にお願いしていたが、所用で来られなくなり、急きょ高橋さんが務めることとなった。こうした変更は、他のパネルでもそう珍しいことではないようである。

  挨拶もそこそこに、順番とそれぞれの持ち時間を簡単に確認し、パネルが始まった。聴衆は予想以上に集まり、多少の出入りがあったものの、常時10人程度は席についていたように思われる。青島さんが書いているように、ほとんどの報告は、パワーポイントや聴衆用のペーパーを用意することはない(パワーポイントを使えない、というわけではないが、使用の可否を問い合わせたところ、会場設備の貸出として$400~600必要だと言われ断念した)。筆者も、簡単なレジュメは用意したものの、事実上「ペーパーを読む」ことに終始することとなった。英語キャンプでは、グレッグ講師より、「ペーパーを読む」のではなく、「パフォーマンスする」ことが重要だ、と言われていたが、それを実現できなかったのは残念であった。もっとも他のパネルを見ても、アメリカの研究者を含め、ペーパーを読み上げる報告者が多かったように思う。とはいえ、ただ読むだけだとしても、筆者の場合やはり躓くところなどがよくあり、聴衆の表情がそれに合わせて変化するのが見えるところにかなりのプレッシャーを感じた。ただ今回のパネルについては、忍耐力のある聴衆に恵まれ、パネル参加者の関係者が多かったらしいこともあり、途中で席を離れる人がそれほど目立ったわけではなかった。質疑になると、カザンという町自体に関心を持つ聴衆が何人かいたこともあり、筆者にもいくつかの質問が寄せられた。予め想定していた質問もあったものの、本番の席になると緊張もあって、十分に回答できなかったことには、歯がゆい思いがした。やはり青島さんの指摘している通り、アメリカ人が主体の学会なだけあって、求められる英語力のレベルは相当に高い。筆者も、報告のための英語力を向上させる必要性を痛感させられた。



  怒涛のように過ぎ去った学会であるが、振り返ってみると、報告自体は成功とはいえないが、参加したことはそれなりに意味のあったことであると思う。何よりも、綺羅星のごとき大物研究者たちが一堂に会して、報告・議論をしているところを見ることは、なかなか体験できるものではない。その迫力に触れるだけでも、十分に意味があるだろう。

  もちろん、パネルと報告の成功も考えなくてはいけない。そのためには、まずタイトルにキャッチーなものをつける必要がある。何よりも、聴衆が来ないことには、スタートラインに立つことはできない。また、タイトルで興味を引くことができれば、実際の会場には足を運ばなくても、後に連絡が来るかもしれない(実際、筆者には帰国後にペーパーを送ってほしいというメールが来た)。その上で、報告をするに当たっては、論旨を明確に、クリアな議論をしなくては、聴衆はすぐに興味を失って去ってしまう。筆者自身も、冗長に感じる報告は、たとえテーマが興味深くても、20分の報告を聞き続けることすら辛く感じた。もちろん、ペーパーの内容自体も十分に充実させたものにする必要はある。これだけの規模の学会になると、どのようなテーマでも、ある程度は共通する部分を持つ研究者は存在する。うまくそうした研究者と遭遇できれば、パネルの内外で、生産的な議論ができるはずである。



  最後に、今回の大会参加に当たっては、北海道大学スラブ研究センターより、渡航費等の援助を受けた。末尾ながら、関係の方々に感謝の意を伝えたい。


[Update 11.12.13]




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