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研究員の仕事の前線

2014年5月6日

スラブ・ユーラシアの今を読む:ウクライナ情勢特集4

ウクライナ危機から見るロシアの危機

宇山 智彦

現状維持パワーから現状変更パワーへ



2月の政変以降のウクライナ、特に東部情勢の泥沼化は痛ましい限りだが、ウクライナ情勢が示すもう一つの深刻な問題は、ロシアの対外行動に重大な変化が起きているということである。この点で私は、今回のロシアの態度を2008年の南オセチア紛争との類推で解釈する人々とは異なる立場をとる。南オセチア紛争は、南オセチアやロシア側の挑発というファクターはあったにせよ、直接には、ソ連崩壊直後から事実上の独立状態にあった南オセチアをグルジア(サアカシュヴィリ政権)が武力で統合しようとしたことで始まっており、ロシアの介入には現状維持のための必要悪という面があった 。そもそも2000年代後半のロシアは、「主権民主主義」というやや面妖な概念によっても表現されていたように、米国ブッシュ政権の野心的な世界戦略に対し、主権国家体制を保守しようとする側にいた。



ところが今回、ロシアは驚くほどの速さでクリミアを併合したうえ、ウクライナに連邦制を押し付けようとし、他の旧ソ連諸国のロシア系住民に対する保護権をも主張するなど、周辺諸国の主権を軽視する態度を示している。折しも、近年までやはり主権国家体制の維持に利益を見出していた中国が、東アジア・東南アジアで力による現状変更に乗り出そうとしているのではないかという懸念が高まっている。人口と兵力が世界最大の中国、面積と保有核弾頭数が世界最大のロシアが、共に国際秩序の変更を目指すとしたら、世界を大きく不安定化させることになりかねない。



屈折した歴史観と感情政治



ロシアはなぜこのような態度をとっているのだろうか。欧米がロシアに対して侮辱的な態度を取り追い詰めたから反撃したのだ、ウクライナの暫定政権がロシア系住民を危険にさらしたからやむを得ず保護に乗りだしたのだと言う論者もいるが、果たしてそうなのだろうか。


ロシアの考え方を理解するのに重要な手がかりを与えてくれるのが、3月18日のクリミア併合文書署名式を前にプーチン大統領が行った演説(いわゆるクリミア演説)である。この演説で目立つのは、クリミア、ウクライナだけでなく、欧米に多く言及していることである。欧米の旧ユーゴ、アフガニスタン、イラク、リビアへの介入、2000年代半ばの旧ソ連諸国での「カラー革命」や今回のウクライナ政変への肩入れ、そしてNATOの東方拡大を非難し、「ロシア封じ込め政策が18世紀、19世紀、20世紀に実行され、今日も続けられている」と被害者意識をむき出しにする。

もっともだ、と思う人もいるかもしれない。しかしプーチンが言及した事件のほとんどは、ブッシュ政権時代やそれ以前に起きたことである。米国の他国への介入やコソヴォ独立承認に一矢報いる、というのであれば、2008年のグルジアへの攻撃とアブハジア、南オセチア独立承認で既に果たせたはずだ。他国の領土の奪取という、米国が過去百年間していないことをするのは、米国の行動へのリアクションとして説明できる範囲を超えている。NATO拡大も基本的には2004年までに行われたことである。ウクライナがNATOに加盟する可能性への危機感をプーチンは盛んに煽るが、サンクトペテルブルグのすぐ近くにあるエストニアがNATOに加盟したことが、この10年間ロシアに脅威を与えてきたというような話はまず聞かない。


この演説でもう一つ特徴的なのは、ロシアをソ連崩壊の被害者として描いていることである。ソ連崩壊によって「大国がなくなった」、クリミアを「強奪された」、ロシアは「頭を垂れ、あきらめ、この屈辱を飲み込んだ」、と言う。ロシア自身がソ連崩壊を助けたとも認めてはいるが、そもそもソ連解体は、ロシア指導部の主体的選択ではなかったのか。欧米はむしろ、ソ連を刷新・維持しようとするゴルバチョフをぎりぎりまで支え、ソ連崩壊後もロシアにさまざまな援助をしたのではなかったか。

しかし恐らく、プーチンにとっても、彼の演説に喝采した国会議員や多くのロシア国民にとっても、そうした客観的事実関係は問題ではない。彼らはロシアの国力がしぼんだ1990年代から2000年代前半を屈辱の時代と見て、その責任は自分たちではなく欧米にあると思いたいのである。欧米や日本の一部で語られる「現実主義者プーチン」とは異なる、感情に突き動かされる政治の姿がここにある。同時に、米国の対外政策がブッシュ政権時代よりソフトになったにもかかわらず、いや米国のヘゲモニーが弱まった今こそ、意趣返しをする時だという計算も働いている。


「裏世界」の表面化と反知性主義



プーチン演説は文体論的に言うと、口語的・俗語的な表現が随所にちりばめられている点で興味深い。プーチンはもともとそうした表現を好む傾向があり、決して新しい現象ではないが、最近の彼の言動が、ロシア人のソ連復活待望の機運の中で歓迎されていることを考えれば、皮肉なことである。というのは、建前やイデオロギー的正当性が重視されたソ連において、このような俗語的・感情的表現は非公式な場で使われるものであり、政治指導者の公式の演説に登場することはまずなかったからである。

KGBによる裏工作や情報戦が、共産党の建前論と表裏一体になっていたというのもソ連体制の重要な一面ではあったが、ソ連崩壊後の「野蛮資本主義」を経てKGB出身のプーチンによる「秩序」が打ち立てられたロシアでは、表と裏の区別があいまいになり、裏世界の勢力と論理が堂々と表に現れるようになっている。ロシアとウクライナの各地から、社会の周縁にいた軍人やならず者が集まって、「親露派」としてサディスティックに権力と暴力をふるうウクライナ東部は、そうした状況の極限を表している。

ソ連でも政治的虚偽やプロパガンダが横行していたとはいえ、そこにそれなりの一貫性と説得力を持たせようとする努力が、学問的知識をも動員して行われていた。しかし今年のウクライナ情勢に関してロシアの指導者や政府系メディアは、暫定政権はファシスト政権だとか、ロシア語を話すことが禁止されたとかいった、少し調べればすぐに嘘だと分かる情報を繰り返し流して、ロシア国民やウクライナ東部住民を洗脳している(私はウクライナ政変直後の時期にロシアに滞在し、この手法が大きな効果を発揮していることを実感した)。そして、クリミアを併合するつもりはない、ロシア兵は黒海艦隊以外クリミアにいないといった嘘をついては、後でそれを簡単に翻す。知性による批判的検証を愚弄した、良心的ロシア知識人にとっていたたまれない状況が作り出されている。


ポピュリスト権威主義:多数派の快感



プーチンの政治姿勢は強権的、権威主義的だが、現時点で多数の国民の支持を得ていることも無視できない。彼の俗語的・感情的な語り口は、かつてのゴルバチョフのようなエリート臭の強い言葉遣いとは違い、民衆に分かりやすい。そして何よりも、最近のロシアにおける民族主義・国家主義の高まりと波長が合っている。ニュースサイトやSNSでは、ロシアの「大国としての復活」をプーチンが指導してくれたことに感謝し、他国を侮蔑する居丈高で昂揚感・快感にあふれた書込みが数多く見られる。

プーチン自身、クリミア併合が92パーセントのロシア国民に支持されていると演説で語ったように、国民の気分をよく把握し、自分の人気を計算したうえで政策を実行している。このようなポピュリズムと権威主義の結合が、プーチンの目下の権力基盤を強固にしている。しかし多数派の熱狂的な支持への依拠は、少数派の排除をも意味する。今のところ言論や政治活動が全面的に統制されているわけではないが、クリミア演説の中に現れる「民族の裏切り者」「第5列」という言葉が示すように、政権に批判的なメディアや知識人を売国奴扱いし、嫌がらせをする風潮は高まっている。


卓越した戦術、戦略の欠如



クリミアの無血併合にしても国内の世論操作にしても、KGB的な戦術能力を最高度に発揮したプーチンの手際は鮮やかであり、欧米の場当たり的な対応のはるか上手を行っているように見える。ロシアへのシンパシーや国粋主義志向を持つ欧米人・日本人の一部にも、プーチンへの賞賛が広がっている。しかし冷静に考えてほしい。彼のやっていることは、果たして長期的にロシアの得になるのだろうか。


ウクライナでの親欧米政権の安定化を妨害し、クリミアを奪取したことは、ロシア人の溜飲を下げさせたかもしれないが、これによって欧米の死活的利害に直接的打撃が与えられたわけではなく、結局は兄弟民族であるウクライナ人へのいじめに過ぎない。他の旧ソ連諸国はほとんど沈黙しているが、ロシアの拡張主義への警戒感は確実に高まっており、ロシア指導部が目指す旧ソ連諸国再統合にプラスにはならない。欧米の微温的な制裁に対してロシアは強気の姿勢を取っているが、今後外国投資が減り、欧州諸国がロシアのガスへの依存を低めていけば、ロシア経済の体力を奪うことになろう。現状変更パワーとして存在感を高めようにも、経済力、技術力、人口などの基礎力で中国の後塵を拝するロシアに、できることは限られている。そうした弱みを冷静に把握したうえで長期的な発展戦略を考えようとする態度は、今のプーチン政権には見られない。

ロシアはこれまで国際社会でそれなりにポジティヴな役割を果たしており、特に紛争解決については、1990年代のタジキスタンから近年のシリアに至るまで、主権国家保持の観点から独自の取り組みをしてきた。他の旧ソ連諸国に対する外交も基本的に現実主義的であった。時に政治的な不一致があるとはいえ、根本的には、世界のどの地域の人々よりもロシアをよく知り、文化や価値観をある程度共有する旧ソ連諸国は、ロシアにとって大きな財産のはずである。それなのに主権国家体制の変更に走り、他の旧ソ連諸国との関係を不安定にすれば、ロシアは世界の中で孤立しかねない。

国内的にもロシアはさまざまな社会問題を抱えている。愛国主義的高揚も、行き場を失えば、国内の民族間関係など社会的緊張の悪化につながるだろう(既に十数年来、中央アジア・カフカスからの労働移民とロシア人との関係は、深刻な問題になっている)。一見、ロシアの大国としての復活を示しているかのように見える現在の状況は、一皮むけば多くの危機を孕んでいる。

幸いロシアの中にも、ここに述べたような問題意識を持ち、ロシアとウクライナ双方の将来を憂慮する人々が、少数ながら存在する。ロシアに関わる外国人として私たちができるせめてものことは、そうした良識派のロシアの人々が居場所を失わないよう、精神的に支援することであろう。大国による小国への圧迫、国民的支持を受けた指導者による少数派への圧迫といった問題は、東アジアの、日本の私たちにとっても決して他人事ではない。19世紀以来ロシア周辺で、大国からの解放運動と専制からの解放運動の連帯のスローガンとして繰り返し語られてきた、「あなたたちと私たちの自由のために」という言葉が今、再びアクチュアルな意義を持っている。



宇山智彦(うやま・ともひこ)

北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授
モスクワ大学歴史学部留学を経て東京大学教養学部卒、東京大学大学院総合文化研究科博士課程中退。専門は中央ユーラシア近現代史、比較帝国史、比較政治。編著書に、『中央アジアを知るための60章』(明石書店、2003年;2010年第2版)、Asiatic Russia: Imperial Power in Regional and International Contexts (London: Routledge, 2012) などがある。

*本稿の内容は、スラブ・ユーラシア研究センターなど、いかなる組織を代表するものでもなく、執筆者個人の見解です。


  1. 南オセチア紛争について当時筆者が述べた見解として、以下を参照。宇山智彦「南オセチア紛争:非承認国家問題の正しい理解を」北海道大学スラブ研究センターウェブサイト、2008年8月13日;同「アブハジア・南オセチア:小さな地域の大きな紛争」『世界』2008年11月号、54~61頁;同「グルジア紛争後の中央ユーラシアとロシア:小国のバーゲニング・パワーが作る国際秩序」『現代思想』2009年3月号、206~217頁。

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