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ウクライナ情勢特集2ウクライナ危機で考えたこと ―ポスト冷戦・境界レジームのほころび―
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スラブ・ユーラシアの今を読む:ウクライナ情勢特集2
ウクライナ危機で考えたこと
―ポスト冷戦・境界レジームのほころび―
ウクライナが大変である。キエフで政変が起こり、あれって正統性があるのだろうかといぶかっていたら、クリミアがあっという間にロシアになってしまった。実は政変が起こった時すぐにこのシナリオを心配していた。新政権がすぐに挙国一致体制や国民的和合の雰囲気をつくろうとせず、ロシア系住民を挑発するような行為をとったりしたら危ないことになると直感した。実際、クリミアには黒海艦隊の基地があるから、ロシアが力を使うのは難しくない。プーチンがそんなことはしないと思っていたのだろうか。この点、私は未熟なウクライナの指導者たちの責任の大きさを何よりも指摘せざるを得ない。
冷戦終結後のソ連空間の境界レジームは、一言で言えば、植民地が独立した時などに旧境界線をそのまま国境とみなすウティ・ポッシデティス(uti possidetis)の原則と空間構成には触れないステータス・クオ(現状維持)を前提として成り立ってきた。だがこのレジームの下で、国際法の2つのルールが常に緊張関係をもってせめぎあっていた。一つは、国際法でいう国家主権の尊重原則のコロラリー、例えば、国内問題不干渉、領土保全などであり、これに挑戦するルールが、人民の自決権、人権の尊重、人道的干渉などであった。
冷戦終結のプロセスのなかで、これに隣接する東欧においては、しばしば後者が前者に優り、境界レジームを動かしてきた。そもそも、冷戦終結の呼び水である「ベルリンの壁」崩壊、これ自体が、東と西のドイツの境界を消滅させている。アナーキーな境界変動を抑えるため、どこかでバランスをとらねばならなかったから、人民の自決権原則の行使は、それが平和的になされるときにのみ受け入れられるとされた。この平和的な国境変更の承認、翻れば、武力での国境変更は許されないとする理解は、いわばヘルシンキ原則でもあり、境界レジームの準則となるのは自然にみえた。そして幸運なことにゴルバチョフは基本的に東欧の変動に不介入を貫いた。その後のチェコとスロバキアの「離婚」も自決権原則をもとに話し合いを通じて平和裏に行われた。
だがこの準則が守られなかったのが、ユーゴスラビア連邦のケースである。クロアチア共和国の独立に対するドイツの加担、ボスニア・ヘルツゴヴィナ紛争におけるEUや米国の介入とセルビアに対するロシアの支援は、不干渉原則も平和的な国境変更の可能性も吹き飛ばした。人権の擁護やジェノサイドに対する人道的干渉の是認が、外部介入をさらに正当なものした。その結果、境界は人為的にまた暴力を経て変動した。ミロシェヴィチの暴虐があったとしても、米国の深い介入がコソヴォ自治州の独立への道を用意した。
東欧とは対照的に、旧ソ連空間では長年、表向きは境界レジームが守られてきた。さらに国家主権が自決権の原則よりも優先されてきた。旧ソ連構成共和国の境界を独立国家の国境として維持するガラス細工のような努力は20年の時間を経てほぼ定着したかのように思われた。空間の構成もそれなりに安定したかのようにみえた。
いま思えば、国際社会はこの表向きの現状に慣れ過ぎていたのかもしれない。現実にはこの空間においても権力資源をめぐる紛争により、多くの亀裂が生じていたのは確かだ。プリドニエストル、カラバフ、オセチア、アブハジアなどの非承認国家群がこのルールの亀裂のなかで誕生する。ロシア連邦のなかでモスクワからの自立性の極めて強い国家としてチェチェンが機能する。それでも国際社会はポスト冷戦下の境界レジームが維持されているようにふるまってきた。この綱渡りの安定を揺り動かしたのが、2008年夏のロシア・グルジア戦争であったことは言うまでもない。あのときもロシアを挑発したサアカシュビリの指導者としての未熟さが批判されたが、結果として南オセチアとアブハジアがロシアによって国家承認された。
ある意味で、今回のウクライナ危機を契機としたクリミアのロシア編入は、旧ソ連空間におけるポスト冷戦の境界レジームがほころんでいった延長線上にある。興味深いのは、今回、ロシアはクリミアに住むロシア人の人権と自決権を、国家主権の尊重原則の上位に置いている。これに対して、欧米はウクライナのクーデターは不法とはいえ国内問題に干渉すべきではなく、「力による領土併合」は国家主権を蹂躙する明確な国際法違反と考えているのだろう。攻守が入れ替わり、これまでロシアは東欧空間で欧米によって苛まれてきたロジックをオウム返ししている感もある。問題はこれがレジームの完全な崩壊へと導かれるのか、それとも今回のケースをあくまでクリミアという「例外」とみなすのか、議論の分かれ目はここにある。
イーゴリ・イワノフ元外相などロシアの外交サークルや研究者の多くは、自分たちはあくまで引き起こされた事態に反応しているだけだ(自分たちはrevisionistではない)とし、後者の道に希望をつなぐ。他方で少なからぬ米国の識者たちは法理を盾に前者の文脈を読み込み「戦闘状態」だ。ウクライナ系米国人のミハイル・アレクセイエフ(サンディエゴ州立大)は、米国が熱くなる理由として、さらに、1)ウクライナの事例が先例になって世界中の国が核武装へ向かうことへの危惧(ロシアも参加した1994年のブタペスト・メモランダムはウクライナに核兵器をあきらめさせることで領土保全を約束していた)、2)(境界変更が引き起こす困難を予測して)ソ連に何事が起ころうとも現在の共和国間境界を係争とはしないと決議した1991年の(八月クーデター後の)最高ソビエトの決議に抵触すること、を指摘する。
約束事を振りかざす米国に対して、それを恣意的に運用し自分たちを追い込んだのは米国だと反論するロシア。事態の推移は予断を許さない。だが、解釈がかなり異なっているとはいえ、双方はまだルールのせめぎあいのなかで論議を続け、共通の土俵はかろうじて残っているようにみえる。この議論が潰えたとき、ポスト冷戦レジームは崩壊する。
岩下明裕(いわした・あきひろ)
北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授
九州大学法学部卒。九州大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学、法学博士。著書に、『中・ロ国境4000キロ』(角川書店、2003年)、『北方領土問題:4でも0でも、2でもなく』(中公新書、2005年)、『北方領土・竹島・尖閣、これが解決策』(朝日新書、2013年)などがある。
*本稿の内容は、スラブ・ユーラシア研究センターなど、いかなる組織を代表するものでもなく、執筆者個人の見解です。