ロシアにおける銀行の資金運用状況 (1992〜1998年初め)
-所在地別、設立母体別、規模別視点から-

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はじめに

 ロシアの銀行の資金運用状況を分析する際、ソ連時代より活動しているロシアの銀行は過去の顧客関係にどのような影響を受けているのか、金融市場の発達したモスクワに拠点を置く銀行の活動には一定の特色が見出せるのか、規模による活動の差異は存在するのかなどといった疑問が生ずる。こうした疑問に答えるためには、ロシアの銀行を旧国有銀行系の銀行とそうでない銀行に分類すること(設立母体別分類)、モスクワとそれ以外の地域の銀行に分類すること(所在地別分類)、さらに銀行を特定の規模別に分類すること(規模別分類)が必要になる。しかし従来のロシアの銀行に関する研究では、ロシアの銀行活動状況全般を取り扱ったものがその大半を占めており、類型別に銀行活動を分析したものはほとんど見られない。銀行の類型別活動の差異に着目した研究があったとしても、設立母体別分類のみに着目したものや規模別視点のみから分析したものにとどまっており(1)、所在地別、設立母体別、規模別視点からの包括的分析は閑却されていると言ってよい。そこで本稿ではロシアの銀行活動の特色を明らかにするために、ロシアの銀行を設立母体別、所在地別、規模別に分類し、類型別に銀行活動の特徴を分析した。また本稿は分析データとして従来利用されることが少なかった、『経済と生活』紙および『フィナンシャル・イズベスチヤ』紙に定期的に公表されている100大銀行リストを活用しているという点でも特徴的である。『経済と生活』紙に関しては1994年7月1日、1995年1月1日、1996年1月1日、1997年1月1日のデータを利用した(ただし1998年以降大銀行リストは掲載されていない)。また『フィナンシャル・イズベスチヤ』紙に関しては1996年1月1日、1997年1月1日、1998年1月1日のデータを利用した。なおそれ以前のデータでは貸出に他銀行への貸出が含まれるかどうか不明であったため利用しなかった。本稿の分析期間が1998年初めまでとなっているのは、1999年の『フィナンシャル・イズベスチヤ』紙には預金等の資金調達面のデータは掲載されているが、資金運用面のデータは掲載されていなかったためである。

 さて設立母体別活動の分析では銀行を旧国有銀行と非旧国有銀行とに分類した。なお旧国有銀行に関しては、さらにロシア貯蓄銀行(旧ソ連貯蓄銀行)、ソ連工業・建設銀行系、ソ連農工銀行系、ソ連住宅・社会銀行系(ロシア外国貿易銀行を除く)、ロシア外国貿易銀行に細分して、データを集計した(2)(設立母体別銀行数は表5を参照)。銀行所在地別分析では、モスクワ市およびモスクワ州に所在する銀行(以下、モスクワの銀行と呼ぶ)と、それ以外の11の経済地区(北部、北西、モスクワ市・州を除く中央、ヴォルガ・ヴャトカ、中央黒土、ヴォルガ、北コーカサス、ウラル、西シベリア、東シベリア、極東の11地区。ただしカリーニングラードはデータが存在しないため、分析には含まれていない)に所在する銀行(以下、地方の銀行と呼ぶ)別に集計した(所在地別銀行数は表6を参照)(3)。また本稿では、銀行の類型別特徴を明確化するために回帰分析を利用した。その際、データ数の制約から、設立母体別に分析する場合には旧国有銀行と非旧国有銀行とに、また所在地別に分析する場合にはモスクワの銀行と地方の銀行とに分類した。回帰分析に際しては、非旧国有銀行を1、旧国有銀行を0とするダミー変数、およびモスクワの銀行を1、地方の銀行を0とするダミー変数を定数項および説明変数の係数に加えた。さらに銀行を規模別に分類して銀行活動の相違が見出せるかどうかも回帰分析で確認した。規模別差異の分析に際しては100大銀行を上位50行、下位50行に分類した上で、両類型の活動が統計的に有意に異なるかどうかを確認するために分散分析検定(チョウ検定)を行った(4)

 ここでロシアの銀行の類型別分析に移る前に、ロシアの銀行の資金運用状況の変遷を概括的に述べておこう。まず、1992年1月の価格自由化により発生したハイパーインフレの下、銀行は負債勘定にあるルーブル建て資金の目減りにより利益を享受しつつ、外貨取引(5)、短期貸出により収益を得るほか、資金を外貨建てで保有することにより自動的に為替差益を獲得した(6)。その後政府の一連のインフレ抑制政策によりインフレが沈静化し、為替レートも安定化した。このため銀行は不稼動資産として外貨を保有しつつも、1994年頃より収益を確保するため資金をコール市場で運用する傾向が広がった。しかし調達期間よりも長い期間運用して利ざやを得るという構造が、政府のインフレ抑制的な財政・金融政策の下で破綻し、1995年8月にコール市場で銀行が連鎖的にデフォルトに陥った。このため銀行は資金の運用先を非銀行部門への貸出や国債保有に移している。特に国債は、中央銀行からの借入による政府の財政赤字の補填が認められなくなった1995年以降発行額が激増した。1996?1997年にはインフレ率の更なる下落を受けて公定歩合が引き下げられたため、国債利回りは、1996年6月には176.2%であったものが1997年7月には18.4%へと大幅に低下した(7)。このため銀行は、不稼動資産を減少させる一方で、非銀行部門に対する貸出を増大させる傾向を見せた。

 さて、ロシアの銀行活動の分析においては、他の銀行に対する貸出が重要な意味を持つため、貸出を銀行以外に対する貸出(以下、非銀行貸出(8))と他の銀行に対する貸出(以下、他銀行貸出)に分けて分析した。以下では、非銀行貸出、他銀行貸出、国債保有に関する類型別銀行活動状況を分析する。

1.非銀行貸出

 本節ではロシアの銀行の類型別非銀行貸出状況を分析する。まず(1)では非銀行貸出の一般的状況、すなわちルーブル建ておよび外貨建て貸出を含めた状況を分析し、(2)では非銀行貸出の中でも外貨建て貸出を取り上げる。

(1)非銀行貸出の一般的状況

 『経済と生活』紙および『フィナンシャル・イズベスチヤ』紙に掲載されたデータの集計を利用して、非銀行貸出状況を見てみよう。この数値はあくまでも集計されたものであり、各銀行の個別的特徴を把握することはできないが、本稿では銀行の類型別特徴を概括的に把握することを目的としているため、その限りでは当該分析は有効であると考える。まず設立母体別に見てみると、『経済と生活』紙のデータではソ連工業・建設銀行系やソ連農工銀行系銀行の資産総額に占める非銀行貸出の割合が高くなっており、1996年初めにはそれぞれ54.0%、56.7%、1997年初めには40.6%、48.3%となっている(表1)。これらの銀行の非銀行貸出割合が高いのは、当該銀行が1988年に民間銀行設立が認められる以前よりソ連において活動しており、旧来からの顧客との関係が強かったことによる。ソ連住宅・社会銀行系銀行の資産総額に占める非銀行貸出割合は、1994年7月時点で29.9%、1997年1月時点では36.2%となっている。この類型の銀行は、概して農業部門などの収益が見込まれない分野の国家プログラムには参加していない(9)。またソ連住宅・社会銀行系銀行には、後に非銀行貸出に重点を置く銀行も、有価証券取引に重点を置く銀行もあり、銀行により多様な資金運用活動が見られる。ロシア外国貿易銀行の非銀行貸出割合は1994年7月には5.7%、1995年1月には11.4%となっており、他の類型よりもはるかに低い数値を示している。これは同行の資金運用の中心が外国の銀行への預金に置かれていたことと関係する。例えば1993?1995年初めにおける同行の外国銀行への預金が資産総額に占める割合は67.6%、56.3%、44.0%となっており、きわめて高い水準にあった(10)。また非旧国有銀行の非銀行貸出割合は、1994年7月には34.4%、1997年1月には37.5%となっており、ソ連工業・建設銀行系やソ連農工銀行系の銀行の数値よりも低いが、ソ連住宅・社会銀行系の銀行よりも高い数値を示している。

 次に『フィナンシャル・イズベスチヤ』紙のデータを見てみよう。同紙のデータでは非旧国有銀行の割合が高くなっており、1998年1月時点で40.3%となっている(表2)。ソ連工業・建設銀行系、ソ連農工銀行系、ソ連住宅・社会銀行系の銀行、およびロシア外国貿易銀行の非銀行貸出の比率はほぼ同水準で、20%台半ばとなっている。『フィナンシャル・イズベスチヤ』紙のデータにおいて、非旧国有銀行による非銀行貸出の割合がソ連工業・建設銀行系やソ連農工銀行系の銀行の割合を上回っているのは、『経済と生活』紙と資産の定義が異なるためである(11)。またロシア貯蓄銀行の資産総額に占める非銀行貸出の割合は低い水準にとどまっており、1998年1月時点で10.0%であった。ロシア貯蓄銀行の非銀行貸出の比重が低いのは、同行がソ連時代から企業との関わりが薄かったことに起因する。

 次に所在地別に見てみよう。『経済と生活』紙のデータでは1994年7月および1995年1月におけるモスクワの銀行の資産総額に占める非銀行貸出の割合は、26.7%、29.0%となっているが、地方の銀行の非銀行貸出の割合は、いずれの経済地区でもモスクワの数値を大きく上回っており、例えば、東シベリアが67.5%、北部が63.0%、極東が60.0%、ヴォルガが59.5%となっている(表3a)。しかし1996年、1997年にはモスクワの銀行の非銀行貸出割合は大幅に上昇し、それぞれ43.3%、37.7%となっている一方、地方の銀行の非銀行貸出割合は減少する傾向が見られる。『フィナンシャル・イズベスチヤ』紙のデータでは、ロシア貯蓄銀行を除くモスクワの銀行の資産総額に占める非銀行貸出の割合は、1998年1月時点で、35.8%となっている(表4a)。また他の地区でも非銀行貸出の割合が30%台半ばの数値を示すところが多く見られ、モスクワの銀行と他の多くの経済地区の銀行との間には、非銀行貸出に関する顕著な差異は見出せない。

 ここで『経済と生活』紙のデータを用いた回帰分析の結果を見てみよう(表7)。これによると1994年および1995年には設立母体別、所在地別、規模別差異のいずれもが見られるが、1996年および1997年には非銀行貸出における類型別差異はほとんど見出せなくなっている。なお1994年および1995年においては小規模のモスクワの旧国有銀行銀行で非銀行貸出割合が高くなる傾向が見られる。また規模別差異に関する回帰分析では規模が小さいほど資産総額に占める非銀行貸出比率が高くなる傾向にある。

 次に『フィナンシャル・イズベスチヤ』紙のデータを用いた回帰分析の結果を見てみよう。このデータでは1996年から1998年まで銀行の設立母体別に活動の差異が存在し、他方銀行の所在地別差異は見られないことが示された。設立母体別観点からすると、規模が大きい非旧国有銀行ほど資産総額に占める非銀行貸出比率が高くなっている。また年を追うごとに銀行の規模別活動の差異が明確になっていることがわかる。ここでは規模が小さいほど非銀行貸出割合が高くなる傾向が示された。

 ここで、大規模銀行と中規模銀行をめぐる関係に触れておきたい。大規模銀行(特にモスクワの銀行)が資産規模を拡大するにつれて、中規模銀行を買収するなどして、支店網を拡大する動きが見られた。こうした支店拡張は買収企業の周辺で行われている(12)。また中規模銀行(特に地方の)が大規模銀行(特にモスクワの)に顧客を奪われる事例も多数見受けられる。たとえば、旧ソ連工業・建設銀行系のウラル工業・建設銀行は、顧客のボゴスロフスキー・アルミニウム工場をモスクワの大銀行であるロシースキー・クレジットに奪われた(13)。また旧ソ連工業・建設銀行系のチェリンドバンクは、顧客のチェリャビンスク圧延管工場およびマグニトゴルスク冶金コンビナートを、モスクワの大銀行である首都貯蓄銀行およびロシア工業建設・銀行にそれぞれ奪われた(14)。大規模銀行に顧客を奪われる事例は、ソ連時代より地方の有力工業企業との関わりが深かった地方のソ連工業・建設銀行系の銀行(ロシアでは中規模銀行に位置する銀行が多い)によく見られる。

(2)外貨建て非銀行貸出

 類型別に見たロシアの銀行の非銀行貸出を分析する際には外貨建て貸出の比率にも注目しなければならない。というのは、ロシアの銀行における非銀行貸出総額に占める外貨建て非銀行貸出額の比率は1997年12月初めの段階で36.6%と比較的高い割合を示しており(15)、また外貨建て非銀行貸出においても類型別差異が明白に見られるからである。類型別外貨建て非銀行貸出状況を分析する前に、銀行と企業の双方が外貨建て貸出(借入)により得られるメリットを考えてみよう。銀行側は外貨建てで資金を貸し出すことによりインフレなどによる債権の目減りを防ぐことができる。またルーブル・レートが下落する場合は、銀行は為替差益を獲得することができる。企業の側からすると、外貨建て借入の方が、ルーブル建て借入と比べ、ある程度利子率が低いならばメリットがある。ここでルーブル建て借入額 L と外貨建て借入額L*がt期の為替レート(ルーブル建て相場)etを介して等しくなる、すなわち

L = L*et

となる場合を考える。t+1 期における為替レート(ルーブル建て相場)を et+1 、ルーブル資金借入利子率を r 、外貨資金借入利子率を r* とすると、t+1 期における返済額は、ルーブル資金借入では、

L ( 1+r )

 外貨資金借入(ルーブル換算)では、

L* et+1 ( 1+r* )

となる。

 両者の差を取ると、

L*{et+1 ( 1+r* ) - et ( 1+r )}

となるため、結局、企業にとっては 1+r が ( 1+r* ) et+1 / et よりも大きい限り、外貨資金借入の方が有利になる。しかしながら貸し手としての銀行の立場の強さを考えれば、ルーブル・レート下落予想が高まり、銀行の為替差益獲得期待が強まる場合には、外貨建て貸出比重を増大させることは大いにありえ、また実際こうした行動が見られた(16)。企業にとってはルーブル・レートが大幅に下落する場合は、売上金を外貨建てで受け取ろうが、ルーブル建てで受け取ろうが、ルーブル建てで借り入れた方が有利であることを考えると、外貨建て貸出により銀行が享受していた利益は、企業が享受していた利益よりも大きかったと予想される。

 さて外貨建て非銀行貸出の状況は『フィナンシャル・イズベスチヤ』紙のデータより確認できる。『経済と生活』紙のデータでは、外貨建て貸出総額の状況、すなわち他銀行貸出も含む外貨建て貸出状況が示されているため、ここでは前者のデータを利用して分析を進めた。ロシア貯蓄銀行を除くモスクワの銀行の外貨建て非銀行貸出が資産総額に占める割合は1996年初めで63.1%、1997年初めで57.8%、1998年初めで45.1%であったのに対し、地方の銀行は、はるかに低い数値を示している(表4a)。例えば1998年1月時点において北部で供与された非銀行貸出総額のうち、わずか0.1%が外貨建てで供与されたに過ぎない。また同じ時期において地方の中で最も外貨建て貸出比率が高い西シベリアでさえ、その比率は22.4%にとどまっている。

 次に設立母体別に外貨建て非銀行貸出状況を見てみよう(表2)。ロシア外国貿易銀行は非銀行貸出の9割以上を外貨建てで供与しており、他の設立母体の銀行と比べて外貨建て貸出の割合が圧倒的に高い。またロシア貯蓄銀行、ソ連工業・建設銀行系、ソ連農工銀行系の銀行の数値は30%に満たず、ソ連住宅・社会銀行系の銀行(ロシア外国貿易銀行を除く)は非銀行貸出のおよそ4割を外貨建てで供与していた。非旧国有銀行の場合は比較的高い数値を示しており、1996年初めには非銀行貸出に占める外貨建て貸出の比率は67.8%であった(ただし1998年初めには44.7%に減少している)。

 ここで外貨建て非銀行貸出の回帰分析による結果を見ておこう(表7)。これによると、設立母体別の差異は明確に見られるものの、所在地別、規模別差異はそれほど見出せないことがわかる。設立母体別差異からすると、大規模な非旧国有銀行ほど資産に占める外貨建て非銀行貸出の比率が高くなる傾向にある。

 さて外貨建て貸出比率が高い銀行の設立者や株主を調べてみると、主に輸出企業が含まれており、中には海運業者や外国旅行代理店などが含まれることもあることがわかった(17)。このため資産総額に占める外貨建て非銀行貸出割合に関しては銀行の所在地別差異は明確ではなかったものの、経済地区別の外貨建て非銀行貸出額と輸出額との間に何らかの相関関係が存在する可能性がある。外貨建て貸出額と輸出額との相関を調べるために、1998年4月初めにおける経済地区別外貨建て非銀行貸出額(FL)の、1997年の経済地区別輸出額(EX)およびその自乗(EX2)への回帰を取った。推計式は次式の通りである(18)

FL = 0.000** -3745.31***EX +0.259*** EX2

(2.563) (-4.205) (7.613)

-R2 = 0.947

 説明変数の係数は統計的に有意にゼロと異なり、また自由度修正済み決定係数は0.947と高い数値を示している(括弧内の数値は t 値。数字に付された**は5%水準で、***は1%水準で有意であることを示す)。このことから経済地区別に見た銀行の外貨建て貸出と輸出との間に相関関係があると言える。

 1996年以降の外貨建て非銀行貸出の状況は上記の通りであるが、1994?1995年の状況は不明である。しかし『経済と生活』紙より他銀行貸出も含む貸出総額に占める外貨建て貸出割合は把握できる(表1)。これによると、モスクワの銀行の貸出総額に占める外貨建て貸出の割合は、1994年7月時点で55.8%、1995年1月時点で52.5%と高い数値を示している。他方、地方の銀行の外貨建て貸出割合はモスクワと比べてはるかに低く、モスクワの銀行との差は歴然としている。設立母体別に見てみると、非旧国有銀行の貸出総額に占める外貨建て貸出の比率は、1994年7月で63.1%、1995年1月で67.0%と高い数値を示している一方、ソ連工業・建設銀行系の銀行の場合は、同じ時期でそれぞれ12.4%、23.4%、ソ連農工銀行系の銀行の場合は5.5%、10.1%となっている。またソ連住宅・社会銀行系の銀行の場合は、38.7%、48.4%とソ連工業・建設銀行系やソ連農工銀行系の銀行よりも高い数値を示してはいるものの、非旧国有銀行よりも低い数値にとどまっている。

2.他銀行貸出

 本稿では他銀行貸出を貸借対照表の「貸出」の項目に含まれるものと定義し、他銀行内のコルレス勘定資金は含まないこととする。1993年末時点ではコール市場での取引額が多かったのはジェラヴァヤ・ロシアとミチシシェンスキー商業銀行の2行だけであったが(19)、1994年頃より特にモスクワにおいて他銀行への貸出が活発化した。1993年頃まではロシアの銀行はハード・カレンシーを保有して自動的に為替差益を得るという形でも収益を得ていたが、為替レートの変化率をコール・レートが上回るときにはコール市場の取引額が増大する傾向が1994年頃より見られるようになった。これは、ハード・カレンシー保有による為替差益よりもルーブル建てコール・ローンを供与する方が利益が得られたためと思われる(20)。ただし不稼動資産としてのハード・カレンシーの比率は高い水準にとどまっていた(21)。また外貨建ての他銀行への貸出に関しては金利や取引額等のデータが入手できなかったため、詳細な事情は不明である。

 さて、銀行はコール市場で資金を調達し、これを順イールドのもとで調達資金よりも長い期間でコール・ローンとして供与することにより収益を得ることができた。このためコール市場資金の3分の2が当該市場内で回転しているだけであったという指摘もある(22)。結果として、資金の調達期間と運用期間との間に差異が生じて、流動性が失われることになった。また1995年7月には、国債の発行額の急増や緊縮的な財政・金融政策を反映して、コール市場への資金流入額が減少した。この結果、1995年8月24日、ナツィオナリヌィバンクがコールマネーを返済できなくなり、その後連鎖的に中・上位銀行4行がデフォルトに陥ったため、コール市場取引は翌日物取引を除き停止されることになった。結果としてモスクワに拠点を置くほとんどの銀行が何らかの損失を被ったという(23)。コール市場危機後、そこから引き揚げられた資金は国債市場に投入されたり、非銀行貸出に向かうことになった。また危機後すぐに、ロシア貯蓄銀行、ロシア外国貿易銀行、インコムバンクなどといったモスクワの大銀行間で、資金を融通し合う旨の合意がなされている(24)

 ここで、各類型の他銀行貸出の状況を見てみよう。本稿の定義に沿う他銀行貸出のデータは、『経済と生活』紙に掲載された1994年7月および1995年1月時点のものである。なお『経済と生活』紙の1997年のデータおよび『フィナンシャル・イズベスチヤ』紙のデータには、他銀行貸出およびコルレス勘定資金が含まれている(25)

 『経済と生活』紙のデータによると1994年7月および1995年1月時点におけるモスクワの銀行による他銀行貸出が資産総額に占める割合は、それぞれ4.9%、14.6%となっている(表3b)。地方の銀行による他銀行貸出は概して活発ではないが、ウラル地方では銀行の資産総額に占める他銀行貸出の割合は1994年7月および1995年1月時点で、それぞれ6.0%、17.7%となっており、モスクワの銀行の数値を上回っている。

 経済地区別の取引状況をさらに詳しく見てみると、1994年にはモスクワにおけるコール市場取引期間は1週間以内の取引が中心であり、コール・レートの変動は公定歩合の動きにはあまり影響されていない。これは、中央銀行の市中銀行への貸出額が相対的に小規模にとどまっているからである。他方、地方のコール市場取引は3ヶ月ものが中心であった。どの地方のコール市場取引規模もモスクワの10分の1以下であり、また中央銀行の地方の市中銀行に対する貸出額が相対的に大きかったために、コール・レートは公定歩合に敏感に反応した(26)

 設立母体別にみると非旧国有銀行の資産総額に占める他銀行貸出は16.3%を占め、他の設立母体別類型の数値を大きく上回っている(他類型の銀行の数値はいずれも3%に満たない)(表1)。旧国有銀行の中でもソ連工業・建設銀行系およびソ連農工銀行系銀行の非銀行貸出が一般に活発でないのは、当該銀行の非銀行貸出の比重が高いことの裏返しである。またソ連住宅・社会銀行系銀行の中には他銀行貸出を活発に行っていた銀行も見られるが、この類型の銀行の他銀行貸出割合を引き下げているのは、当該類型の中でもっとも資産規模の大きいモスビジネスバンクの影響が強い。同行は非銀行貸出水準も他銀行貸出水準も高くないが(1995年初めにおける非銀行貸出は資産総額の38.3%、他銀行貸出は資産総額の0.0%)、同行の年次報告書によると、対他銀行債権が1994年初めで56.2%、1995年初めで35.0%にも達する(27)。『経済と生活』紙の他銀行貸出の数値を参考にすれば、この対他銀行債権のほとんどは、他銀行のコルレス勘定に預金されたもの(特に外貨建てで)と推察できる。というのはインフレ率が高い水準にとどまっていた頃は、ロシアの銀行は他銀行のコルレス勘定に外貨を預け入れ、利子と為替差益を得る傾向があったからである(28)。また『経済と生活』紙では把握できなかったロシア貯蓄銀行の他銀行貸出状況にも触れておこう。同行の他銀行貸出状況は同行の年次報告書でさえも不明瞭である。1992年度の年次報告書によると1993年初めにおける法人に対する貸出のうち37.4%が他銀行貸出であった。1993年度年次報告書によると当該年度の貸出総額の91%は法人向け短期貸出であり、このうち52%は他銀行への貸出であった。1994年度年次報告書では同行の他銀行貸出状況は不明であった。1995年度年次報告書によると、法人向け貸出残高のうち他銀行への貸出は、1995年初めには62%を占めたが、1995年8月のコール市場危機の影響で1995年末にはこの割合は28%にまで減少した。また1997年初めおよび1998年初めにおける同行の資産総額に占める他銀行への貸出割合はそれぞれ、2.8%、1.3%となっている(貸出総額に占める割合は、12.0%、5.7%)(29)。なお同行の主要な資金運用先はコール市場危機以後、国債保有に移っている。

 また、設立母体別に見た他銀行貸出状況の特徴を指摘したものに、次のようものもある。非旧国有銀行はコール市場において借り手および貸し手として行動していたが、旧国有大銀行は貸し手としての活動が中心であったというものがそれである(30)

 ここで、他銀行貸出がどの類型の銀行において活発であったかを回帰分析により確認しよう(表7)。『経済と生活』紙のデータによると、銀行の設立母体別に見た他銀行貸出の差異は見られるものの、所在地別および規模別に見た差異は明確でない。設立母体別視点からすると、非旧国有銀行は旧国有銀行よりも資産総額に占める他銀行貸出の割合が高くなる傾向が示された。このことは逆に『経済と生活』紙のデータにおいて非旧国有銀行の非銀行貸出が、他の類型の銀行よりも活発ではないことと関係があると言える。上述の通り非旧国有銀行は、概してソ連工業・建設銀行系の銀行などと比べて、企業との関わりが他の類型の銀行と比べて薄く、資金運用先として他銀行貸出を活用していると言える。

 参考までに、他銀行貸出にコルレス勘定資金などを加えた「他銀行内にある自行資金」の状況を、『フィナンシャル・イズベスチヤ』紙のデータで見てみよう。所在地別に見ると、ロシア貯蓄銀行を除くモスクワの銀行の数値は1996年初めには19.6%、1997年初めには18.7%、1998年初めには12.7%であったのに対し、地方の銀行は多くの経済地区でモスクワの銀行よりも低い数値を示した(表4b)。また設立母体別に見てみると、概してソ連工業・建設銀行系およびソ連農工銀行系銀行、ロシア貯蓄銀行の数値は低い水準にとどまっていた(表2)。ロシア外国貿易銀行の数値は、1996年初めで48.3%、1997年初めで37.8%、1998年初めで36.3%ときわめて高い数値を示している。他方、非旧国有銀行の資産総額に占める他銀行内資金の割合は、ロシア外国貿易銀行を除く旧国有銀行の数値を大きく上回っており、1996年初めで20.5%、1997年初めで18.9%、1998年初めで11.7%となっている。

3.国債保有

 1993年5月より短期国債が発行されることになり、銀行の新たな収益源として注目を集めるようになった。国債発行額は1995年以降激増する。財政赤字は1993年には対GDP比で11.0%、1994年には10.3%に達したが、1993年には財政赤字の71.4%が、また1994年には76.0%が、中央銀行の融資および利潤で賄われた(31)。1995年には財政赤字の対GDP比は、大幅に減少して3.3%にとどまった。しかし1995年には財政赤字を補填するために中央銀行から融資を受けることが最初の3ヶ月を除いて禁止されたため、1995年には国債発行額が急激に増加することになった。1994年の短期国債発行額は20.5兆ルーブルであったのに対し、1995年の発行額は第1四半期だけで21.7兆ルーブル、第2四半期だけで35.6兆ルーブルに達した(32)。このため多額の資金が国債購入に向かった。

 国債購入の活発化は前述のコール市場危機も一因となっている。危機直後には中央銀行の決済勘定残高が急増したが、これらの資金の運用先として注目されたのが国債市場である。週ごとの短期国債流通市場における相場は、コール市場危機後の1995年9月には2.5?3%の割合で上昇していった(収益率は低下)。また銀行資産総額に占める短期国債の割合も上昇している(33)

 ここで『フィナンシャル・イズベスチヤ』紙のデータを用いて銀行の国債保有状況を見てみよう(『経済と生活』紙では銀行の国債保有状況は不明)。まず所在地別に見ると(表4b)、1998年初めにはロシア貯蓄銀行を除くモスクワの銀行の資産総額に占める国債の割合は7.2%であったのに対し、他の多くの地区における銀行の資産総額に占める国債の割合はモスクワの数値よりも低かった。しかし同じ時期にヴォルガ・ヴャトカでは7.3%、ウラルでは10.7%となっており、モスクワの数値よりも高くなっている。

 また設立母体別に国債保有状況を見てみると、ロシア貯蓄銀行の資産総額に占める国債保有割合が圧倒的に高く、1996年初めで22.9%、1997年初めで32.2%、1997年7月初めで30.0%となっている(表2)。この他、ロシア外国貿易銀行も比較的高い数値を示しており、1998年初めにおける資産総額に占める国債の割合は12.5%であった。これらの銀行と比べると、ソ連工業・建設銀行系、ソ連農工銀行系、ソ連住宅・社会銀行系の銀行、非旧国有銀行の数値は低くなっており、1998年初めの数値は、それぞれ4.6%、3.6%、5.9%、7.9%であった。

 ここで、『フィナンシャル・イズベスチヤ』紙のデータを用いた回帰分析の結果を見てみよう(表7)。1997年にはどの類型別特徴も見出せなかったが、1996年および1998年には設立母体別、所在地別、および規模別差異のいずれもが明確に見られた。これによると、モスクワに所在する大銀行ほど資産総額に占める国債の保有割合が高くなる傾向にあった。大規模銀行の国債保有額の割合が中規模銀行よりも高くなる傾向は、大規模銀行の非銀行貸出が中規模銀行よりも低くなる傾向と対応していると考えられる。

おわりに

 最後に類型別に見たロシアにおける銀行の資金運用状況をまとめてみよう。まず『経済と生活』紙のデータで設立母体別非銀行貸出状況を見てみると、ソ連農工銀行系、ソ連工業・建設銀行系の銀行の非銀行貸出割合は当初高い水準にあったが、徐々にその割合が低下している。また、モスクワ市・州に所在する銀行の非銀行貸出割合は他の経済地区と比べて格段に低かった。『フィナンシャル・イズベスチヤ』紙のデータでは、非旧国有銀行の非銀行貸出割合が最も高く、それに続いてロシア貯蓄銀行を除く旧国有銀行の割合が高くなっており、設立母体別に非銀行貸出割合が異なる傾向にある。しかし所在地別に見ると、非銀行貸出割合の類型別相違は顕著には見られなかった。また大規模銀行の方が中規模銀行よりも資産総額に占める非銀行貸出割合が低くなる傾向にあり、年を追うごとに大規模銀行と中規模銀行との活動の差異が明確になっていった。

 外貨建て非銀行貸出の状況では、大規模な非旧国有銀行の資産総額に占める外貨建て非銀行貸出比率が高くなる傾向が見られた。しかし所在地別および規模別に見た外貨建て非銀行貸出割合における相違は明確でなかった。また経済地区別の輸出額と外貨建て非銀行貸出の間に相関関係が見出せた。

 次に他銀行貸出状況を見てみよう。設立母体別に見ると、非旧国有銀行の他銀行貸出が、旧国有銀行よりも活発である傾向が見られた。所在地別に見ると、1994年にはモスクワ市・州をのぞく中央地区で他銀行貸出が活発であり、1995年にはモスクワ市・州およびウラル地区で活発であった。上述の通り非旧国有銀行は、概してソ連工業・建設銀行などと比べて企業との関わりが薄く、資金運用先として他銀行貸出を活用していると言える。

 資産総額に占める国債保有割合では、1996年および1998年において設立母体別、所在地別、規模別差異が明確に見出せ、モスクワに所在する大銀行ほど資産総額に占める国債の保有割合が高くなる傾向にあった。

 このようにロシアの銀行活動では、資金運用対象ごとにさまざまな類型別特徴が見出せた。旧国有銀行はソ連時代からの活動に大きな影響を受けており、旧来からの顧客の関係により銀行活動の内容が左右されている。また金融市場の発達したモスクワの銀行はこうした市場を活用しつつ活動を展開している。大規模銀行は有力な顧客を獲得し、支店網を拡張するなどの行動が目立つ反面、中規模銀行に比べて非銀行貸出の比重が低くなる傾向が見られた。近年、銀行の大規模銀行と中規模銀行との活動の差異が注目される一方、特に設立母体別活動の特徴は新聞紙上でも取り上げられなくなる傾向にある。しかし本稿の分析からは、100大銀行に限ってみれば銀行の設立母体別特徴はいくつかの資金運用局面で明確であることが示された。確かに銀行の設立母体別差異は弱まる傾向が見られるものの(34)、今後も設立母体別特徴を念頭に置きつつ分析を進める必要がある。

 なお本稿は資料の制約から分析対象を100大銀行に絞らざるを得なかった。このため上記の分析によりロシアの銀行システム全般に当てはまる特徴を示せたわけではない。また1999年の資金運用に関するデータが不十分なため、1998年8月危機後における銀行の類型別活動の特徴がどういった形で見出されるか明確にできなかった。このため分析対象をより拡大し、かつ1998年の金融危機以後の状況を明らかにすることが残された課題である。


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