< !-- Google Tag Manager (noscript) --> キルギス共和国における 急進主義的構造改革と企業行動
−制度分析−

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* 本稿は、平成11年度文部省科学研究費補助金(特別研究員奨励費)による研究成果の一部である。本稿の執筆にあたっては、西村可明教授、久保庭眞彰教授(共に一橋大学経済研究所)、並びに『スラヴ研究』誌レフェリーの先生方より貴重な示唆やコメントを頂いた。また金田辰夫教授(鈴鹿国際大学)、杉浦史和氏(一橋大学大学院)及びアスカル・サルグロフ元キルギス共和国国家資産フォンド議長からは数多くの文献と資料の提供を賜った。ここに記して謝意を表したい。

  1. 宇山氏が指摘するように、同国名としては「クルグズ」ないし「クルグズスタン」が正しい表記であると思われるが(宇山智彦「中央アジア現状分析の基本的視座:日本の中央アジア研究への提言」『中央アジアの社会変容に関する総合研究』(東北大学学際科学研究センタープロジェクト中間報告)1998年、204頁)、ここでは便宜上、「キルギス」ないし「キルギスタン」という既に広く慣用とされている名称を用いる。但し、企業名等の固有名詞については原文を尊重した表記を行う。
  2. 金田辰夫『体制と人間:中央アジア小国の再生』日本国際問題研究所、1995年、 147頁; ADB, Country Economic Review: Kyrgyz Republic (CER: KGZ 97007)(1997), p.1. (なお金田氏の先駆的業績は、本稿の議論にとって大変参考となった。)
  3. IMF, Kyrgyz Republic: Recent Economic Developments (staff country report No.98/8)(Washington, D. C., 1998), p.30; M. Sagers, "Gold Production in Central Asia," Post-Soviet Geography and Economics 39:3 (1998), pp.143-144.
  4. 例えば1991年を基準(100)とした97年のキルギスタン、カザフスタン、ウズベキスタンの国内総生産はそれぞれ65、71、87であり、総工業生産は同様に53、51、111であった(Межгосударственный ста-тистический комитет Содружества Независимых Государств (CISSTAT). Содружество Независимых (CISSTAT). Государств в 1997 году. Москва, 1998. C.21, 29)
  5. ADB, Economic Review and Bank Operations: Kyrgyz Republic (EBO: KGZ 95013) (1995), p.2.
  6. 1991年12月20日の共和国最高会議における大統領演説(1991.12.24日付 瀧A・棋??瑙・紙(以下Sk.))や ?.アカエフ(金田辰夫訳)『キルギスタン共和国の社会・経済発展戦略と当面の対策』日・キルギスタン友好協会、1994年、5-8頁を参照。
  7. アカエフ『キルギスタン共和国の社会・経済発展戦略と当面の対策』7頁。なおアカエフ政権樹立前後の時期を通じた保守派、穏健派、並びに急進派三極による改革論争については、R. Abazov, "Policy of Economic Transition in Kyrgyzstan," Central Asian Survey 18:2 (1999), pp.202-203を参照のこと。
  8. Inside Central Asia (BBC Monitoring: London), No.4, p.1.
  9. アカエフ『キルギスタン共和国の社会・経済発展戦略と当面の対策』1、45頁。なお、連邦政府の交付金は共和国財政歳入の約30〜35%に達していた(田中哲二「中央アジアの親日国キルギス共和国:独立後の経済困難と課題」『ユーラシア研究』7月号(第12号)、1996年、34頁)。この他同国は、共和国間取引を通じて、例えば1988年にGDPの15.28%に相当する資本移転を得ており、また M. Dabrowski and others, "Economic reform in Kyrgyzstan," Communist Economies & Economic Transformation 7:3 (1995), p.271ではその約半分が価格補助金であったと推定されている。
  10. 大統領経済顧問を務めた金田教授は、その著書の中で「資源の乏しい小国に、援助の相手を選ぶ贅沢は許されない、あらゆるチャネルを利用して、危機脱出と再建を図らなければならない、そう大統領は達観していた。ロシアやカザフスタンがみせたような、IMF、世界銀行等の介入に対する反発は当初からなかった」と記している(金田『体制と人間』151頁)。
  11. Верховский А. Средняя Азия и Казахстан : Политический спектор. Москва: Панорама, 1992. C.42, 48-54.
  12. Sk.,1991.4.10. なお本稿で言及されている諸法令は、主に Слово Кыргызстана やブレーメン大学がインターネット上で提供するCIS諸国に関する法律データベース(http://www.gtz.de/lexinfosys/)を原典とするものである。
  13. 87年改革及び「連邦企業法」の概要については、西村可明『社会主義から資本主義へ:ソ連・東欧における市場化政策の展開』日本評論社、1995年、第3及び第4章を参照。
  14. 「連邦企業法」では、基本的経営問題は企業資産所有者の代表と労働集団の代表とが同数で構成する企業理事会に委任されると規定されている(西村可明「ロシアにおける私有化政策」『経済研究』第44巻第2号、1993年、152頁)。
  15. 金田『体制と人間』153-154頁; EBRD, Transition Report 1997: Enterprise Performance and Growth (London, 1997), pp.179-180; Sk.,1995.6.9.
  16. 即ち、農産品の国家発注は、国家間バーター協定の履行や、軍・病院等の特殊需要のために維持され、例えば1992年の農産物に対する国家発注率は、工芸作物について100%,畜産品について50%に達した(金田『体制と人間』154頁)。このため工業企業の原料調達も多大な制約を受けたと見られる。
  17. 金田『体制と人間』154頁; ADB, Economic Review and Bank Operations, p.19.
  18. Dabrowski and others, "Economic Reform in Kyrgyzstan," p.283; ADB, Country Economic Review, p.12; EBRD, Transition Report 1997, p.180; Sk.,1991.12.6, 1995.2.29-3.1.
  19. A. Alyshbaeva, Economic Reform in Central Asia: A Case of Kyrgyzstan (The Center for Interdisciplinary Research of Tohoku University, Central Asian Studies Series 3, Research Report on "A comprehensive study of social change in Central Asia," 1997), p.27.
  20. 税制及び会計制度に係わる問題点については S. Horton and T. Kenenbaev, "Kyrgyzstan Struggles to Modernize Its Tax Law," Central Asia Monitor 2 (1997), pp.27-29 が詳しい。
  21. Ермакович В., Панькув Ю. Приватизатия в Кыргызстане. CASE research foundation, Warsaw, 1994. C.3-4.
  22. 例えば、1992年7月に国会が承認した私有化プログラムは、IMFと世界銀行の専門家が作成し、キルギス政府に勧告したものである(金田『体制と人間』173頁)。
  23. 本稿の「公有企業」とは、地方行政府が所有する企業を指している。
  24. Ермакович, Панькув. Приватизатия в Кыргызстане. C.11-12.
  25. 例えば、1991年12月20日の共和国最高会議でのスピーチにおいてアカエフ大統領は、企業資産の労働集団への所有移転に関して、「この様な形態の非国家化は非効率であるとするエコノミストもいる。しかし26カ国で労働集団が所有する企業が成功裡に活躍している。社会的プランとしてインサイダー所有企業は極めて魅力的である。」と発言していたが(Sk.,1991.12.24.)、その後に出版された自書においては、私有化過程の過ちとして、労働集団への特権の与え過ぎを認めている(アカエフ『キルギスタン共和国の社会・経済発展戦略と当面の対策』25頁)。
  26. アカエフ『キルギスタン共和国の社会・経済発展戦略と当面の対策』25頁; Abazov, "Policy of Economic Transition in Kyrgyzstan," p.210. 例えば、1994年の私有化調査の結果、国家資産を安価で買占め、個人的目的のために資産フォンドを利用した事実を露見されたジャラルアバド州のマイリ・サイ地区長が、同年10月にジュマグロフ首相によって直接解任されている(Inside Central Asia, No.40, p.3)。
  27. 事実、オークションを介して私有化された企業は1992-93年において、全体の約6.4%(286社)に過ぎなかった( IMF, Kyrgyz Republic: Recent Economic Developments (1998), p.101 に基づく筆者の算定)。また企業従業員のみが部内情報を通じて自社株式オークションを組織し、一般市民を意図的に排除するという弊害も指摘されており(Dabrowski and others, "Economic Reform in Kyrgyzstan," p.288)、かかるインサイダー的行動も、「特別支払手段」の活用範囲を制限する原因になったと考えられる。
  28. 表1によれば,当該時期に GDPに占める民間部門の比重は、ロシアが70%、キルギスタンが60%であったのに対し、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンは各々55%、45%、25%である。
  29. 以下の整理に当たっては、国家資産フォンドや統計委員会等の各種資料の他、IMF, Kyrgyz Republic: Recent Economic Developments (staff country report No.96/98) (Washington, D. C., 1996); IMF, Kyrgyz Republic: Recent Economic Developments (1998); ADB, Economic Review and Bank Operations; ADB, Kyrgyz Republic: Country Operational Strategy (STS: KGZ 96029) (1996); ADB, Country Economic Review; EBRD, Transition Report 1997; Ермакович, Панькув. Приватизатия в Кыргызстане; Dabrowski and others, "Economic Reform in Kyrgyzstan"; 金田『体制と人間』等を参照した。
  30. なお同国では、株式会社ないしその他法人の場合、国家の株式ないし出資金持分比率が50%を下回った場合に、当該企業は私有化されたと見なされる。
  31. 「1998-2000年の非国家化・私有化プログラム」での公表値。
  32. 「追加責任会社」とは無限責任会社の一種で、出資者(社員)は出資額を越える会社の債務に関して、会社に拠出した出資額の比率に応じて連帯責任を負うことが義務づけられている。
  33. Национальный статистический комитет Кыргызской Республики. Кыргызстан в цифрах 1996: Краткий статистический справочник. Бишкек, 1997. C.158-159.労働雇用を伴わない個人企業や農家、農場経営体の比重は1996年1月1日現在で約68%を占めた(Alyshbaeva, Economic Reform in Central Asia, p.64)。なお、新たに設立された合弁企業の多くが、法律上の優遇措置を利用した税金逃れのために設立されていると指摘されるなど(Sk.,1995.12.01)、企業設立に関する問題が多数指摘されており、統計上の比重が必ずしも企業形態の実態的勢力図を反映していない可能性がある。
  34. CISSTAT. Содружество Независимых Государств в 1997 году. C.346.
  35. World Bank and OECD, Between State and Market: Mass Privatization in Transition Economies (Washington, D. C., 1997), p.211. この点に関連してEBRDは、特別投資フォンドのクーポン糾合率が20%を下回った事実を以って、投資フォンド制導入による株式市場形成の促進効果は小かったものとの否定的見解を示している(EBRD, Transition Report 1997, p.179)。
  36. IMF, Kyrgyz Republic: Recent Economic Developments (1998), p.33. なお、これら有力大企業の国家保有株式の一般売却が遅滞している理由の一つとして、議会側の激しい抵抗が指摘されている(EBRD, Transition Report 1997, p.179)。
  37. 1997年10月15日付「国有資産のクーポン私有化の諸結果に関する政府決定」。
  38. マイクロデータの出所は、Бизнес-Карта: Кыргызстан, Таджикистан, Туркменистан : Промышленность Т. 29. Москва: АДИ “Бизнес-Карта”, 1992; 1994; 1997. である。ここではマイクロデータの詳細に関する説明は紙幅の都合から割愛する。詳しくは、I. Iwasaki, "Industrial Structure and Regional Development in Central Asia: A Microdata Analysis on Spatial Allocation of Industry," Central Asian Survey 19:1 (2000) (forthcoming) を参照。なお標本集団による工業部門のカバレッジは、工業従事者数に関するマクロ経済統計(CISSTAT. Содружество Независимых Государств в 1997 году. C.330)との比較において、1992年については約58%、1994年については約62%、1996年については約52%と推定された。また原データは分析期間に該当しないデータを若干含んでいるが、それらはデータベースを作成する過程で適宜除外した。
  39. 以下の整理は、ADB, Kyrgyz Republic: Country Operational Strategy, p.11; World Bank and OECD, Between State and Market, p.210 等によるものである。
  40. 例えば、1996年上半期中に国家統計委員会が国内法人約3000社の財務状況を調査した結果、その49%が赤字経営に陥っていたことが明らかとなった(1996.11.29日付 Независимая газета )。
  41. なお政府の最も重要な企業再建策として注目されるのは、1994年5月に設置された企業改革・精算庁(ERRA : Enterprise Reform and Resolution Agency)を実施機関とし、翌94年に世銀が供与した6千万ドルの特別融資(PESAC : Privatization and Enterprise Sector Adjustment Credit)を原資とする大工業企業の再建・整理計画である。同計画には赤字企業ないし非効率な生産ラインの操業停止、従業員のレイオフ、資材や設備購入の新規購入禁止等の臨時措置を踏まえ、@企業債務構造の分析、A黒字部門の独立と赤字部門の整理・売却、B支店の統廃合、C社会インフラの地方行政府への移管等を行うスキームが盛り込まれている。94年当初再建対象となった大企業29社の内、97年半ばの時点で、14社が売却され、5社が解散、4社が自主的経営再建を行うなどして計画から途中離脱している(金田『体制と人間』181頁; IMF, Kyrgyz Republic: Recent Economic Developments (1998), p.34; Абдынасыров У. Экономические реформы вКыргызской Республике : Нынешний этап и очередные задачи. Международный институт стратегиче-ских исследований при президенте Кыргызской Республики, mimeo. Бишкек, 1995. C.40))。但し、同計画に基づく経営再建策が講じられたオシ綿花生産合同に関する現地調査によれば、政府の支援により借入金の金利免除やロシア製織機の新規導入等が行われた後も、衣料用綿糸として国際的に需要性のある細番手のコーマ糸ではなく、旧来の主力製品である太番手のカード糸が生産され続ける等、政府主導の再建策が、必ずしも対象企業の市場競争力の改善に結実していないとの指摘もある(東勇次郎「キルギス共和国経済の問題点と国際協力」『ロシア・東欧学会年報』24号、1995年、89-90頁)。
  42. Козаржевский П. Приватизатия промышленных предприятий в Кыргызской Республике. Центр социа-льно-экономических исследований (CASE). Бишкек - Варшава, 1997. C.6-13. 同調査は、ポーランドの研究機関CASEとキルギス政府との共同研究プロジェクトの一環として実施されたもので、国家資産フォンドが管理する企業の財務諸表や、国家統計委員会の一次資料を駆使しており、本稿で引用するデータの信頼性もかなり高いものと思われる。
  43. IMF, Kyrgyz Republic: Recent Economic Developments (1998), p.7 によれば、1997年末時点でも、大企業約100社、中小企業約3600社の株式が国家資産フォンドの管理下にあった。
  44. ソ連解体直後のキルギス工業の産業組織構造及び空間的配置状況については、Iwasaki, "Industrial Structure and Regional Development in Central Asia" を参照。
  45. 工業管理制度の概要については、岩崎一郎「ウズベキスタンにおける体制転換期の政府−企業間関係:工業を中心に」清水学編『中央アジア:市場化の現段階と課題』アジア経済研究所、1998年、35-36頁を参照。
  46. Sk.,1991.10.8. 同様の改革は隣国のウズベキスタンでも行われたが、同国ではこの延長線上に形成された「経済連合」(хозяйственная ассоциация)が、新しい経済体制の運営上、極めて重大な役割を果たした(岩崎「ウズベキスタンにおける体制転換期の政府−企業間関係」)。移行戦略を異にする両国の市場経済化政策を比較する観点から、これら企業グループの役割に注目することは有益であると思われる。
  47. なおキルギス政府は、ロシア政府と共にキルギス国内の軍産複合体とロシア資本とを結合した金融・産業グループ(FIG)を1994年前半に設立するなどFIGの形成に力を注いだが、経済危機の長期化などのためにCIS資本の進出ははかばかしくなく、FIGは国内企業グループの趨勢を一変するほどには発展しなかったと見られる(I. Iwasaki, The Initial Phase of Transition of Russo-Central Asian Economic Relations: An Institutional Approach (Tokyo: Islamic Area Studies Working Paper Series No.11, 1999), p.21; Sk.,1996.5.16-17)。
  48. 1992年2月10付「省及び国家委員会リストに関する大統領令」及び「庁及び監査局のリストに関する大統領令」、96年12月2日付「執行権力中央機関の構造再編に関する大統領令」。
  49. Ермакович, Панькув. Приватизатия в Кыргызстане. C.16..
  50. Dabrowski and others, "Economic Reform in Kyrgyzstan," p.290; 1996年3月4日付「政府の構造と構成員に関する大統領令」。
  51. 例えば、イシク・クリ州資産フォンドは、企業長や会計責任者の報告を聴取した上で、生産効率の改善方法や国家保有株式への配当率に関する決定を行っている(Sk.,1996.11.14)。
  52. 1995年12月20付「国有資産の管理と処分問題に関する政府決定」。
  53. サルグロフ国家外国投資・経済支援委員会議長の発言(Sk.,1995.12.01)。
  54. ADB, Country Economic Review, p.17; 1995年7月12日付「軽・食品工業企業の安定的操業の確保に関する大統領令」; IMF, Kyrgyz Republic: Recent Economic Developments (1998), p.36; Козаржевский. Приватизатияпромышленных предприятий в Кыргызской Республике. C.43.
  55. 即ち、1997年の総工業生産の著しい拡大は、国内生産の約92.5%に相当する16.1トンの金を採掘した「クムトルゴールド」社と、同開発事業の国内出資者である「クルグズアルトゥン」両社の経常利益が大幅な増収増益へ転じたことに依るものである。なお、1995年にGDPの約10%に相当する15500万ドルの資金がクムトル金鉱開発事業に投下されたが、その内2500万ドルが、関連施設や関連インフラの建設に投下され、国内の建設資材業者が大いに潤ったとされている(Sagers, "Gold Production in Central Asia," p.144; ADB, Country Economic Review, p.3)。
  56. なお当該期間における工業生産動向の詳しい分析は、 Iwasaki, The Initial Phase of Transition of Russo-Central Asian Economic Relationsで行っている。
  57. CISSTAT. Содружество Независимых Государств в 1997 году. C.330.
  58. A. Akayev, On State Economic Policy in 1998 (Bishkek: Uchkun, 1997), p.11. 但し、標本集団の固定資本額は帳簿価格をベースとするものであり、税金逃れのために固定資産を低く評価する等の人為的操作による下方バイアスの可能性は否定できない。
  59. なお、個別分析の対象となった工業企業の部門及び規模別構成は次の通りである。部門構成:機械・金属加工部門17.8%、建設資材部門14,1%、軽工業部門15.2%、食品工業部門35.4%、その他(燃料・エネルギー、冶金、化学・石油化学、木材・製紙部門)17.5%。規模別構成:従業員数100名以下の企業35.8%、101-300名の企業32.3%、301名以上の企業31.9%(Козаржевский. Приватизатия промышленных предприятийв Кыргызской Республике. C.14.)。
  60. 以上は、主にКозаржевский. Приватизатия промышленных предприятий в Кыргызской Республикеの第3節及び結論部分に依拠した筆者自身の整理である。
  61. なお,これら以外の諸規定や政策方針等については、Ермакович, Панькув. Приватизатия в Кыргызстане; Dabrowski and others,"Economic Reform in Kyrgyzstan"; 金田『体制と人間』に依拠した。また制度内容の記述法については西村「ロシアにおける私有化政策」153-155頁を参考とした。
  62. なお「私有化基本法」制定時は、キルギスタン共和国国家資産管理・企業家活動支援委員会及び地方行政機関に設置された同名の委員会が監督機関となり、国家資産フォンドは国家資産の販売者としての機能を与えられたが、その後、1992年2月10日付「キルギスタン共和国国有資産フォンドに関する大統領令」により、国家資産管理・企業家活動委員会は国家資産フォンドに合併され、地方下部機関もこれに倣って名称変更を行った経緯がある。
  63. 例えば、1992-93年私有化プログラムでは国有資産の35%が私有化目標とされたが、93-94年プログラムでは目標値が20-25%に引き下げられた。
  64. しかし、かかる改善措置は十分に機能しなかったと見られる。例えば、1997年半ばに大統領が設置した特別委員会が企業私有化手続に関する会計検査を6ヶ月に渡って実施した結果、工業企業の約10%が本来の資産価値より安価に売却され、国家は2500万ソムの損失を被ったことが明らかとなっている(Inside Central Asia, No.201, p.3)。

 


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