SRC Winter Symposium Socio-Cultural Dimensions of the Changes in the Slavic-Eurasian World ( English / Japanese )
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1 はじめに
最初に、本報告の射程範囲を限定しておこう。基本的に、本稿は、1995年1月1日から施行されたロシア連邦民法典第1部および1996年3月1 日から施行されたロシア連邦民法典第2部の契約法部分の内容紹介と若干の分析を目的とする。現在のロシアの民事取引関係を規制する法令は他にもたくさんあ るが、それらの個別的な法令には原則として踏み込まない。契約法の実態を知るためには、法の生きた適用例である判例の分析も不可欠だが、それにも触れな い。契約法の実態については、経済分野からの報告に譲る。また、対象をロシア国内法に限り、日本にとってはより重要な意味を持つであろう渉外取引も除く。 さらに、膨大な民法典を紹介するには、時間も能力も不足しているので、今回は、報告の焦点を契約総則および契約法上もっとも重要なものの1つである売買に しぼる。
社会主義時代のロシアに適用されていた民法の基本的法源は、1962年から施行されたソ連邦民事基本法および1964年から施行されたロシア共和 国民法典の二つであった。ペレストロイカ期にはいってから1991年にソ連邦の民事基本法が改正された*1が、施行日以前に連邦自体が消滅してしまったため、連邦の現行法としてはついに日の目を見ることはな かった。しかし、採択後1年以上を経た1992年7月14日、この法律はロシア連邦法として生き返ることとなった。つまり、同日のロシア連邦最高会議が採 択した「経済改革遂行期間中の民事法関係の規制に関する」決定により、ロシア連邦の新民法典が制定されるまでの間、ロシア連邦憲法および1990年6月 12日以降のロシア連邦の法令に反しない限度で、本法がロシア連邦民法として適用されることになったのである。そして、そのロシア連邦の新民法典として制 定されたのが、本日紹介する民法典の第1部と第2部である(第3部も制定されるはずであるが、まだ公布はされていない)。一国の民法典が一部分ずつ制定・ 公布されるというのは、余り聞かない話であるが、契約法については、第1部と第2部でほとんどがカバーされている。
2 民法および契約法全体へのコメント
(1)民法典の編別構成
民法の基本的編別構成は社会主義時代のものとほとんど変わらない。ロシアは、社会主義から資本主義へ歴史的転換を遂げ、経済活動の構造が革命的に 変動したのだから、経済活動を支える基本法である民法も革命的に変わったはずだという期待があっても不思議はない。しかし、実際には、社会主義時代のソ連 も伝統的なヨーロッパ大陸法と極めて類似した民法体系を有していた。それは、ドイツ歴史法学の泰斗サヴィニーの流れをくむパンデクテン・システムと呼ばれ る民法体系であった。もちろん、計画経済という資本主義とは大きく異なる経済体制を反映したソ連独特の法概念もあった。社会主義経済は基本的には計画的・ 行政的関係を媒介に規制されており、商品・貨幣関係は本質的な要素ではなかった*2が、 民法の編別構成はあくまでも大陸法型であった。
周知のごとく、社会主義の下では本来は法は国家とともに消滅するはずであった。法の消滅を当面の目標としなくなった後も、社会主義法制度は、当初 は、世界史のどこにも先例のない独自のものを追求した。1917年から1936年までのソビエト・ロシアは慣習法、帝国法、西欧法、マルクス主義法と、様 々なタイプの法を経験したといわれているが、1930年代半ばになってやっと、かつての神学校生徒で今やプロの革命家になった男の命令に基づき、ソ連政府 は西欧法体系の諸要素を受け容れることを最終的に決めた。カトリック教会で神学を学び、若い頃に神学生だったことが、ロシアのために西欧法を選ぶというス ターリンの選択にとって決定的に重要だった。西欧法の中に安定と画一的管理の要素を見出したことが西欧法を受容した理由だった。スターリンの見方によれ ば、当時のソビエト国家は過去のどのときにも増して安定と中央集権的規律が必要であった。しかし、革新的な新しい法制度を生み出す代わりに、社会主義法 は、結局、伝統的・歴史的に過去を引きずったものに終わった。ソビエト法への道には、意識的、無意識的に他の法制度から借用してきた石が敷き詰められてい たのである。*3
例えば、社会主義時代から、ロシアの民法典や民法教科書には、法律行為、意思表示、錯誤、詐欺、強迫、虚偽表示、暴利行為といったわれわれになじ みの用語が頻繁に用いられ、契約についても、片務・双務(多数当事者間)、諾成・要物、有償・無償といったパンデクテンの分類が行われていた。*4民法典財産法の編別構成も、総則、物権(所有権)、債権、相続というように、 ドイツや日本の民法典の編別ときわめて類似したやり方を採用していた(もっとも、民法典に知的所有権や国際私法を含むところは日本等とは違っていた)。
このような大陸法的な編別は、社会主義から資本主義への転換期に採択された新たなロシア民法典にも引き継がれている。その意味では、社会主義時代 の民法典と新たな民法典の間に編別構成上の革命的変動は生じていない。
もっとも、民法の機能は大陸法伝統のものとは大きく異なっていた。ソ連の民法は、単一の民法でありながら、その内部構成は二元的であった。異質の 二つの部分、すなわち伝統的な民法の規制対象である市民相互間や市民・国家組織間の関係を規制する部分と、国営企業の相互関係等を規制する部分が、水と油 のように調和しないまま一つの法典の中に併存していたのである。しかし、前者は社会主義社会においてそれほど大きな比重を占めていなかったし、後者は民法 関係より行政関係によって本質的に規制されていたから、いずれにしろ民法は重要な役割を果たしていなかったことになる。民法は商品交換を媒介する規範形式 であるから、市場経済が否定される社会ではその存在根拠を失う。*5法 の役割についても、ソ連と資本主義国では全く異なっていた。前者は全体的法社会、後者は部分的法社会であった。*6
いずれにしても、市場経済になったのだから、何から何まで社会主義時代と同じ内容の民法で済むはずはない。ロシア連邦民法典にも、編別構成上の新 しさはある。例えば、旧法にはなかった契約総則の規定が民法典にも置かれるようになった。また、編別構成そのものではないが、社会主義経済体制を反映して いた条文でなくなったり、縮減されたりしたものも多い。ソ連社会の発展段階規定や所有権に関する一般規定、コルホーズに関する規定などがその一例である。 逆に、新たな典型契約として、リース、ファクタリング、フランチャイズといった現代的な契約類型に関する条項も置かれている。
(2)契約自由と国家介入
(ア)契約の自由
そのような変化の中でも、契約法に関してもっとも重要な変動は、何といっても計画と契約との関連性が消滅したことであろう。かつては、国営企業ど うしの取引の多くは、計画当局の定める計画に基づいて行われ、そのような場合に取引当事者間で締結される契約(計画契約)*7は、計画に合致していなければ無効であり、民法上の効力を持たなかった。ソ連で行われていた取引の全て が計画によって規制されていたわけではなく、計画外契約の守備範囲も広いものだったが、計画契約の持つ経済的・法的意義は極めて大きなものであった。
ところが、新法の契約法の基底には、過去にあったような計画化行為その他の行政行為によって当事者に課せられる他人の意思ではなく、当事者自身が 自由に表明する意思が据えられている。*8資本主義民法のもっとも重要 な基本原則の一つである「契約自由の原則」の立場をとっているのである。これに関する新法の強い意思は、契約自由の原則が民法典の第1条に宣言されている ことからも窺える。誰とどのような内容の契約を締結するかは原則として契約当事者の裁量に委ねられている。
(イ)価格の自由
契約内容のうち、社会主義時代に強力な国家統制が敷かれていたものの一つは価格である。新法では取引される物の価格は当事者が自由に設定できると している(第424条1項)。
この自由には例外がある。例外の範囲が広すぎるなら、そもそも自由を認めた意味が実際にはなくなってしまうのだが、ロシア民法ではこの辺りはどう なっているのか。
民法典によれば、法律の定めるいくつかの場合には、権限ある国家機関が公定価格または調整価格を定める(第424条1項後段)。そのような規制が 行われるのは、エネルギー、公共輸送機関の運賃などである。国家規制の対象となる商品については当事者間で価格を合意することはできない。反独占監視機関 〔公正取引委員会〕も、価格に関する契約条項の改訂を関係経済主体に命ずることができる。買主はこの命令を根拠に契約の改訂の訴えを仲裁裁判所に提起する ことができる。独占的に高い価格で契約したときが問題となる。*9
ここで挙げられているような価格規制なら、日本でもごく身近なものであり、このような規制だけなら、価格自由の例外範囲はさほど広くないと言え る。*10
(ウ)締約強制
契約の自由に国家が介入するのは、日本でも価格についてだけではない。本来、契約を結ぶかどうかは、この原則の下では、当事者の勝手であるが、ロ シア民法にはこれを制限する締約強制の条項も存在する。これも、民法第1条に対する重大な例外となる。締約強制が許されるのは、法律の承認または当事者の 事前の承諾がある場合だけである。
契約の締結が強制されるのは、予約(第429条)、公共契約(第447条)、競争締結〔入札〕(第447条)、銀行口座開設契(846条)、私有 化法に基づく国有・公有財産の売買契約(私有化法第27条)、独占的な地位にある営利団体にとっての〔一定の場合の〕国家納入契約(第527条)などであ る。ただし、これらの規定には、契約の締結手続、締結期限に関する定めを欠くものが多く、強行規定なのにそれを強制することができないでいた。その欠缺を 埋めたのが、民法典第445条である。*11
ここで、公共契約とは何か。公共契約とは、小売商業、公共輸送機関による運送、通信サービス、エネルギー供給、医療サービス、ホテル営業といった 活動に携わる営利団体が当事者の一方となり、商品・労働・サービスの消費者がもう一方の契約当事者となる契約である(第426条)。公共契約については、 契約自由の原則は排除される。営利団体が当該商品等を供給できる場合に、契約締結を拒絶することは認められない(第426条3項)。公共契約では、特定の 者を優遇することも認められない(第426条1項後段)。公共契約の条項は、法令の定める特別の場合を除き、全消費者に対して同じでなければならない(第 426条2項)。公共契約の締結をめぐる紛争およびその各条項についての当事者の不一致をめぐる紛争は、両当事者の合意の有無にかかわらず、裁判によって 解決されなければならない。公共契約の締結を理由なく営利団体が拒否する場合には、判決による強制手続で契約を締結することができる。賠償請求も可能であ る(第445条4項)。
第426条4項によると、法律の定める場合には、公共契約の締結および履行に際して当事者に拘束力のある規則の制定権がロシア連邦政府に与えられ る(模範契約、模範規程など)。かくして、公共契約の契約条項を決定する強行規定を、大部分の場合のように連邦法によってだけでなく、政府決定によっても 定めることができるという考えを立法者はアプリオリに持っているのである。これは、公共契約が消費者大衆を相手にするものであり、消費者の権利・法益を守 るためには、機動的で柔軟な契約条件の規制が必要だという特殊な事情を考慮したためであるとされている。*12
ここで挙げられている契約内容は、確かに公共性が高いとは言えよう。公共輸送機関や電話の利用、ガスや電気の供給について、お前とは契約しない よ、などと言われては困る。しかし、日本では、通常の小売売買やホテルへの宿泊契約で、売主やサービス提供者に契約相手方の選択の自由がないということは 考えられない。日本以上に消費者保護を重視した考え方ということになるだろうか。
締約強制とは逆の方向から消費者等の経済的弱者を救済するというやり方として、附合契約の概念も新法は採用している。附合契約とされると、自己に 不利な契約条項を一方的に押し付けられた当事者に契約解除権、契約条項の変更権が発生する(第428条2項)。
(エ)任意規定
契約に対する国家介入を民法上直接に担保するものは強行規定であるが、ロシア民法では任意規定によって契約当事者に一定の影響を与え、取引をめぐ る紛争を円滑に解決しようという意図も持っている。日本でも契約法は基本的には任意規定であるが、ロシアの新法ではその任意規定の数が極めて多い。日本民 法で契約に関する条文は180条余りであるが、ロシア民法では650条近くある。この契約法の条文の中に多くの任意規定が含まれている。
このように、任意規定として契約に関する詳細な条文を果たして置く必要があるのかという問題はある。当事者は相互の同意により全ての契約条項を詳 細に定め、任意規定を排除することができるからである。ちなみに、オランダ民法では、契約各則では基本的に強行規定を少ない条文数だけ定め、実質的には任 意規定を置いていないという。オランダの立法者は、契約当事者に任意規定という形で立法者が助言する必要はないという考えを出発点にしている。しかしなが ら、ロシアでは、契約当事者に対してはまだまだ大いに国家の助言が必要であると考えられているようである。市場原理の下では、行政的押しつけから自由であ ることは、発達した詳細な法的規制の存在が前提となっており、まさに、そのような規制によって初めて行政からの自由が実現されるのである、という主張もあ る。また、統一的な全ロシア市場を形成するためにも、任意規定という形であれ、取引法分野での統一的な中央集権的規定が必要である、とも言われる。この目 的を達成するために、民法はもっとも有効な手段だというのである。*13
ここにも、パターナリスティックな社会主義時代の法観念、あるいはそれ以前からのロシア法の伝統が影響しているのかもしれない。
(オ)模範契約
第427条では、契約内容を印刷・公刊されている模範契約、モデル契約に従って定めることができる旨を定めている。これは国家による直接の介入で はないが、個人の自律性を重視する立場からは必要ないとする考えもあろう。諸外国では、各種の業界団体や消費者団体の作る模範契約条項があり、生産者や消 費者の利益・権利の保護に役立っている。しかし、ロシアではそのような専門家による模範契約作りは余り普及していない。しかし、過去(80年代末まで)に は、各種の請負、基本建設請負、貨物運送に関して数多くの模範契約、モデル契約が存在していた。これは国家による契約への介入の一種であった。現在までの 所、営利団体どうしで締結する契約には、この種の模範契約、モデル契約(失効したものも含め)に言及するものが珍しくない。これらの模範契約、モデル契約 は、今日では、民法典第427条1項にいう模範契約とは言えないが、同条第2項によりいわば第二の生命を与えられたということはできる。つまり、それが現 行法に反する内容のものでなく、当該分野の企業活動において広く用いられているものであれば、取引慣習としてそれを契約条項に適用できるからである。*14
3 売買法
(1)売買法の構造
日本民法には、売買に関する典型契約は一種類しかない。実際の世の中には、多種多様の特殊の売買があって、民法の売買規定だけで紛争を解決できる わけではなく、その契約内容の多くは当事者の合意または附合契約により定められている。混合契約や無名契約である。混合契約・無名契約の存在はロシア民法 も認めている(第421条2項、3項)が、ロシア民法の売買規定を見てすぐに気付く特徴の一つは、一般の売買契約の他に、いくつもの特殊の売買を典型契約 として条文化している点である。
売買法の最初には、売買総則の規定が置かれている。そこには、売買契約の一般的定義、売買の目的物、履行期、危険負担、瑕疵担保、追奪担保、品質 保証、信用販売等に関する日本法でも見慣れた規定がならんでいる。一部は、社会主義時代の民法典にもあったものである。ただし、目的物が物の場合、売買に よって移転される権利が所有権一本になった点は新しい。各種の特殊売買に規定のない事項については、売買の一般法としてこの総則の規定が適用される。
(2)小売売買契約
総則に続いて、小売売買契約につき条文が並んでいる。小売売買とは、個人・家族・家計その他で使う商品で企業活動に関わりのない商品を企業が売却 する契約をいう。商行為でない純然たる民法上の契約で、一般大衆が消費者として登場する場合の売買の特則である。小売売買契約に関する民法の規定に定めの ない事柄については、消費者保護法を適用することになっていることからも、それは分かる。この契約の最大の特徴は、それが公共契約とされ(第492条)、 企業の側には相手方を選択する自由がなく、消費者は必ず商品やサービスにアクセスできるという点である。
小売売買の買主は強力な権利を有する。商品の十分な情報を売買地で直ちに得られなかった買主は、契約の締結を不当に妨げられたという理由により売 主に損害賠償を請求することができ(第495条)、非食料品で未使用なら引渡を受けてから最短でも2週間以内なら買主は交換を請求できる(第502条)。 日本の消費者も享受していない、あるいは特別の場合にしか享受していない権利をロシアの消費者は享受していることになる。消費者保護法によれば、ロシアの 消費者は、国家機関や消費者団体が消費者のために訴えを提起する、一旦確定した判決の既判力を当該行為に関わる別訴に対しても拡張するなど、強力な保護手 段が認められている。*15生産者中心と言われ、売り手市場と言われ ていた社会主義時代から見ると180度大転換の消費者保護主義である。ただし、この消費者保護主義には、資本主義法下での発展経緯とは異なり、労働者・農 民等の大衆の利益を(少なくとも建て前上は)政権の存立基盤としていた社会主義時代の正義観念の流れを引く要素があるかもしれない。
(3)納入契約
社会主義時代には売買と納入の区別の意味は重要だった。納入は、契約主体が社会主義組織であり、計画化行為に基づいて締結されるものであるという 点で売買とは規範構造上も区別された。また、納入について紛争が生じた場合には、両当事者が国営企業の場合には、裁判ではなく仲裁で解決されたという手続 法の面でも売買との違いがあった。
しかし、現在では計画契約は廃止され、両者を区別する根拠は消滅している。現行法では、納入は小売売買と対をなす特殊売買という位置づけを与えら れている。小売売買では、企業と消費者との間で、企業活動に関わりのない商品、個人・家族用品を売買するのに対し、納入では、企業が、企業活動に関わる商 品、または個人・家族用品でない商品を売買する(第506条)とされている。納入では買主もほとんどの場合は企業家である。つまり、現在の納入は、国家に よる指令・介入という要素は持たず、もっぱら商事売買たる性質を持っている。ロシアの民法典は、社会主義時代から民商統一法であり、ここでの納入契約の規 定はその流れを承けたものである。ここでは、商事売買に関する詳細な条項がロシアの企業家を助けるべく待機している。
一般の納入は単なる商事売買となったが、同じ納入でも国家的必需品納入となると事情は異なってくる。一般の納入と異なり、ここでは国家の介入は顕 著である。なぜ、このような典型契約がなお必要なのだろうか
一般の納入契約との違いは、商品売買の目的と国家機関(国家注文者およびその授権者)の参加にあるとされている。しかし、契約における当事者の地 位は平等であるというのが近代民法の大原則であり、それはロシア民法典自身がその第1条ではっきりと確認している。国家が参加するから特別扱いするという のは、この一般的な民法の原理に反するのではないだろうか。
この点に関し、1994年時点で、ある論者は、「国家と企業との協力形態としての国家(行政)注文は、市場経済体制のアメリカ、イギリス、フラン ス、ドイツその他の国でも広く採用されている」ことを理由に挙げ、「市場経済下で、経済および社会の発達に対し国家が影響を与える重要な道具の一つは、国 家的必要のための生産物(商品、労働、サービス)の買付および納入の注文である。国家注文をなくすという提案は全く根拠のないものであることが時とともに 明らかとなった。納入法は、単に生産に対する国家注文の関係を規制する源としてではなく、より広い視野で、新たな市場経済手続に関わる政策の原則的解決を 強化する法令として評価すべきである」と主張している。*16
国家的必需品納入をめぐる法律関係は、民法のほか、1994年の3つの法律、つまり、12月13日の「国家的必需品納入法」、12月29日の「国 家的原料備蓄法」、12月2日の「国家的必需農産物・原料・食料品買付納入法」およびそれに基づく複数の政府決定で規制されている。これらの法令は、本条 第2項により、民法に定めのない事項について適用される。
国家的必需品納入の目的は、国家備蓄の実施・維持、必要な国防力水準の維持、対外債務履行のための輸出納入の確保、連邦および地方の特別プログラム の実施などである(94年国家納入法第1条2項)。これらの目的のために企業が取引を行う場合にこの特別の納入規定が適用される。国家注文者になるのは、 連邦の行政機関、連邦国庫企業または国家施設である(同法第3条1項第2文)。この典型契約は、国家契約とそれに基づく納入契約との二重構造を有する場合 があり、その場合、前者は社会主義時代の結合計画と同じ役割を果たす。結合指示という言葉も社会主義時代と同じく使われている。社会主義時代の痕跡をかな り色濃く残した規定といえよう。ただし、社会主義時代と違って、国家注文が納入者や買主に対し無条件に契約締結義務を課すわけではない。
契約の締結を強制されるのは、法律により明確に定められた場合で、しかも、契約履行に関して生じ得るあらゆる損害を注文者たる国家が賠償する場合 に限られている(第527条2項)。例えば、1994年のロシア納入法およびロシア連邦国家的原料備蓄法により、市場で独占的な地位を占めている企業に国 家的必需品納入契約の締結義務が課されている。国家防衛発注が当該企業の生産高の70パーセントを超えている場合にも同様である。競争法第18条に従い、 反独占委員会(公正取引委員会)が作成するリストには35パーセントを超える市場占有率を持つ企業が挙げられており、この企業にも国家契約締結義務が課さ れる。*17
国家契約に基づく納入契約については、国家契約に国家発注者の結合指示権が定められていない限り、納入者に結合指示に基づく納入契約締結義務は生 じない。従って、かかる義務は、国家契約に基づき債務を納入者が任意に引き受けることにより生じる(第421条参照)。結合指示は買主にも契約締結義務を 発生させない。買主は理由を問わず、契約の締結を拒絶できる。従って、結合指示は社会主義時代のような計画行為たる性質を有しないとされている。*18
国家が直接関与するこの納入契約に、民法典はかなりの条文数を割き、これを詳細に規定している。それが、社会主義時代からの慣性の働きでなお残る 企業活動で近い将来消えていくだろうものに対処するための一時的な契約類型なのか、それとも、これからもロシアにおいて特別の意味を持ち続けるものなの か。現時点では判然としないが、基本法たる民法典にこの規定を置いたということは、立法者はこれを一時的な現象とは考えていないと一般的には見るべきだろ う。
(5)予約買付
これも社会主義時代には、コルホーズをめぐる契約類型として特別の意味を持っていた契約だが、現在のロシアではその存在理由はもはや失われてい る。予約買付も納入契約、商事売買の一種に過ぎない。国家的必需品納入契約たる性質を持つこともあり得るが、常にそうだというわけでもない。
なにゆえ、この契約類型がロシア法に存続しているのだろうか。一般の企業活動と違って、農業は人知の及ばない部分があるから特にこの契約類型を定 めるという説明も聞かれる。*19
予約買付契約では、農産物の特性ゆえに経済的に弱い立場にある生産者を保護するという理由で、買付人の義務は通常の売買より重いものとなってい る。特約なき限り、買付人が搬出義務をも負うのはそのためである(第536条)。また、農産物の生産者は過失があるときに限り債務不履行について責任を負 うという条項(第538条)も同じく生産者を保護することにつながる。企業活動に関わる債務不履行については通常は不可抗力を証明しない限り責任を負う (第401条3項)という重い責任を課せられているからである。ただし、無過失の立証責任は生産者が負う(第401条2項)。
ここでは、消費者ならぬ農民を保護するために、民法が活躍するという構造になっているようである。
(6)不動産売買
納入契約や予約買付などと異なり、不動産売買契約は、社会主義時代からの引き継ぎ契約ではない。かつても、不動産のうちの住宅についてはわずかな 条文が民法に置かれてはいたが、新法の不動産売買契約は、市場経済になって新たに登場した不動産取引に対応する新しい典型契約である。
一般の売買との違いは、まず、書面による契約が必要とされる点にある。元来、社会主義時代の民法では、契約一般につき、現実売買および比較的少額の 市民間契約の場合を除き、契約は文書によることが要求されていた(1964年ロシア共和国民法典43条、44条等)が、新法では、口頭による契約成立を認 める範囲が拡大した(434条)。ところが、一般の契約とは異なり、不動産売買に際しては書面が要求され、この要件を満たさないと契約は無効となる(第 550条)。日本では、ロシアの一般の売買と同様、不動産売買は諾成契約で書面を必要としないから、日本よりは方式の要請が厳格である。だが、かつては不 動産(といっても土地は売買の対象にならなかったから住宅)の売買には公正証書の作成を要求された(1964年ロシア共和国民法典第239条)が、本法で はそれは不要となり、それだけ不動産の売買が容易になったということがいえよう。ただし、モスクワでは1994年3月15日の条例で不動産をめぐる法律行 為にはなお公証を要求している。*20
所有権移転時期でも違いがある。動産売買のように引渡時に所有権が移転するのではなく不動産売買では、所有権は登記時に移転する(第223条2 項)。契約の成立は第433条1項により、契約書面に両当事者が署名したときとなるが、移転登記以前に買主が目的物を占有したり利用したりしていても、そ れを第三者に処分(売る、貸す、担保に入れるなど)することはできない。同時に、売主もいかなる方法であれ目的物の処分権は失う。当事者のいずれかがこれ らの行為を行ったときは、他方当事者はその法律行為の無効を裁判所に請求することができる。301条から304条に従って物権的請求権を行使することもで きる。
また、不動産では、特約なき限り、目的物を買主に引き渡す(買主が占有を取得する―第224条)だけでは足りず、引渡証書に売主、買主が署名する ことが必要である(第556条1項)。従って、不動産の売買については、契約成立、所有権移転(登記)、引渡、引渡証書への署名という4つの段階が存在す ることになる。売主が引渡をしてくれないときは、第463条2条、第398条により引渡を強制できる。契約条件に合致しない不動産の引渡を買主が受けた場 合、たとえその旨を引渡証書で予め留保していたとしても、それは売主の不完全履行となり、売主は責任を免れず(第556条2項)、損害賠償責任を負う(第 393条)。
価格に関する条項がないときは契約は締結されなかったものとみなす(第555条1項)。通常の売買では、同様の事情の下で類似の物の価格を契約価 格とできる(第424条3項)が、不動産売買にはこれを適用しない。
以上のような規定から、不動産取引については立法者は慎重を期し、買主を保護する姿勢をとっていることをかいま見ることができる。日本では、不動 産売買につきそのような特段の配慮はなされていない。登記についても、売買との関連でではなく、不動産物権変動一般の問題として、物権法で規定している点 も、日本とロシアでは異なっている。
なお、登記手続は、連邦の不動産登記法で規制されるべきだが、それが制定されるまでは民法施行法第6条に従い、財産の種類に応じて種々の法令で定 められている現在の手続で処理される。さらに、1996年2月28日の「抵当信用の発展をめぐる補足的措置に関する」大統領令によれば、連邦法制定まで は、これまで登記に携わってきた機関が不動産登記事務を行う。その第16条によれば、不動産およびその評価に関する連邦委員会が組織され、不動産および不 動産関係の法律行為の統一的国家登記の導入を管轄する。*21
4 まとめ
ロシアの新契約法は、基本的にはヨーロッパ大陸法の一員たる内容を持つものである。社会主義時代からそのような要素がかなり取り入れられていた所 へ、市場経済化が進められる中で新法が制定されたのだから、それは不思議ではない。
そのような基本ラインに立った上で、社会主義時代の名残を色濃く残していると思われる規定も少なからず維持する一方、きわめて先進的な「民法の社 会法化」を実現している面もある。その先進的な規定が、西欧資本主義諸国の一方的影響を受けたためのものなのか、社会主義時代またはそれ以前のロシアの法 文化の流れを引くものなのか。新民法典に対するあからさまな敵意も示される*22中、 法適用の実態の分析を併せ行いながら、さらに分析を進めないと答えは出ない。
−注−
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