*以下は北海道技術士センター・北方海域技術研究会講演会の
内容を加筆したものである。(2000年6月1日現在)
5)サハリンプロジェクトの開発の問題点
天然ガス需要家不在
サハリンプロジェクトを進める上で最大の障害になっていることは、需要家がまだ見つかっていないことである。天然ガスの将来の需要予測をみれば、新規参入が大変厳しい環境にあるといえる。ここに紹介するのは、最近日本エネルギー経済研究所が発表したアジアの天然ガス需要予測である
xii
。それによると、1998年のアジアにおけるLNG需要量は6,843万tであった。2010年のLNG需要量は最低で1億500万t、最大でも1億1,200万tと見込まれている。この12年間に53.4〜63.7%の伸びを想定していることになる。これに対して、供給力をみ
アジア向けLNG供給見通し
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・(既に調達済み;万t)
・稼働中
・契約分
・契約進展中
計
|
7,830
2,340
700
10,870
|
・(計画中:万t)
・イエメン
・ゴーゴン(西豪州)
・タングー(インドネシア)
・Bayu/Undan(豪州)
・サハリン〜U
・ダーウィン(豪州)
・イラン
・ノースロープ(アラスカ)
・スカボロー(豪州)
・パック・リム(カナダ)
・ナツナ(インドネシア)
・パプアニューギニア
計
|
530
600
600
300
800
750
430
1,400
500
350
1,500
400
7,810
|
れば、すでに稼動中のものが7,830万t、契約を済ませているものが2,340万t、現在契約が進展中で極めて有望なものが700万t、合計1億870万tの供給力を確保していることになる。この数字は2010年の控え目な需要予測値をすでに確保できていることを意味している。2010年の高目の需要量設定でも、不足分は330万tであり、日本エネルギー経済研究所の予測通りに進むとすれば、新規参入は極めて厳しい環境にあるといわざるを得ない。一方、現在計画されているプロジェクトは表にみるようにオーストラリア、インドネシア、アラスカなど代表的なプロジェクトだけでも12件あり、その合計供給能力は7,810万tにものぼっている。仮に2010年の需要予測量が拡大したとして、サハリンの供給量が市場に入り込む余地があるのだろうか。表ではサハリン〜Uの供給量を800万tとしているが、サハリン〜U側の公表数字は900万tである。確かに、サハリンは日本をはじめとするアジアの消費地への至近距離にあり、パイプラインであればかなり輸送コスト面では有利に作用しようが、わざわざLNGにする利点はみられない。
サハリンプロジェクトによるガスが他の供給ソースに比べて価格面で決して有利ではない。開発地点のオホーツクの海象条件は極めて厳しい。そのために厳しい海象条件に応える海洋構造物を建造しなくてはならず、そのことはコスト上昇要因となる。海洋のみならず陸上においてもパイプライン建設予定地のインフラストラクチャーは劣悪であり、道路、橋、住宅などの整備のために巨額の投資を必要とする。また、自然環境が繊細な地域であることから、海洋生物資源や北方少数民族の生活補償、植生の保護のためにコスト増をもたらす。とくに、ロシア領海内での掘削作業にあたって、掘削屑の海洋投棄が禁止されており、そのために再び元の層に戻すか、陸上に運び出さなくてはならない。そのための費用は莫大なものとなる。これらはコスト上昇要因になっている。
双方の強い警戒感
生産分与法が開発側にとって万能ではない。もともと開発側はロシアの不安定な経済・政治状況や投資環境から企業を守り、安心して投資を行えるために、生産分与契約の形態をロシア側に奨め、難産の末成立させた。しかし、下院での審議の過程でロシアの資源擁護派の主張が尊重され、開発側にとってはうま味がなくなった。税制面でも利潤税以外は免除されることになっているにもかかわらず、払い戻しを条件に付加価値税が課せられており、問題は解決されていない。ロシア連邦燃料・エネルギー省V.Garipov次官は、「付加価値税の額は約2,000万ドルに達しており、ロシア政府は付加価値税を課せるのは違法であり、お金を返さなくてはならないということで合意している。ロシア政府のロイヤリティ配当分から返却する」と述べている(『ソヴェツキー・サハリン』1999入機資材の関税問題でも発生しており、外国投資家のロシアの法律適用に.8.25)。このようなトラブルは開発用輸対する疑念は拭い去れないものがある。
信頼関係の欠如
ロシアが市場経済化の道を歩み始めてから日が浅いことや中央集権的な官僚機構が根強く残っていて、ビジネスを展開する上で大きな障害になっていることに加えて、日露間に商業的・倫理的信頼関係が成り立っていなことが経済交流のパイプを詰まらせている。両国間には領土問題を含めて過去の歴史上の不幸な出来事の結果生じた相互不信感を未だに払拭できない。ヨーロンパにおけるような現実的な路線はとりにくく、信頼関係の欠如がとくにエネルギー開発のような長期的に安定した関係を必要とする分野での経済交流には深い影を落とすのである。
ヨーロッパのように、日本はこれまでロシアからガスを長期的に輸入した経験はない。新生ロシアになって旧ソ連時代にみられたようなロシア人の行政的なビジネスの進め方は後退し、より市場競争的発想が若手ロシア人ビジネスマンに強くみられるようになった。とくに、石油、天然ガス分野は外国ビジネスマンと接触する機会が多く、ロシア人のなかでも変化が大きい。一方、日本側のエネルギー潜在需要家のロシアに対する見方にも変化が生じてきている。かつては、ロシア人に会って、話しを聞こうともしなかった電力業界の潜在需要家がロシア産天然ガスの経済的な条件を議論するようになった。つまり、やっと対等の立場で天然ガス市場競争の舞台にロシアが登場することができるようになったのである。
とはいえ、信頼醸成の壁は厚く、ロシア側が経済的に魅力ある条件を呈示しない限り、不信感を簡単には除去できない。
環境問題
オホーツク海の自然・海象条件は厳しい。アムール川から流れ込む大量の河川水の影響を受けて、海面は凍結しやすく、年間180日は氷に覆われる。ただ単なる氷ではなく、不連続なスタムーハ(氷丘)が開発現場を取り巻いている。サハリン北東海岸に沿って南の方向に流れる潮流が複雑であることもこの海域の特徴である。北方領土からカムチャッカ半島にかけて帯状の島々が点在し、海流の自由な流れを妨げているために、オホーツク海は大きな湖のようになっているために、自己浄化能力が極めて低い。北方領土周辺は世界三大漁場として名高いことでも明らかなようにオホーツク海の漁業資源は豊富である。また、チェルニー島がききゃく類のハーレムになっていることでも知られているように、開発現場近くはアザラシ、アシカ、セイウチ、コクジラなど哺乳類の生息地でもある。海岸線は繊細で、これといった道路もなく、沿岸には北方少数民族が生活し、希少植物も多い。
このような環境にあるオホーツクの海の自然・海象条件は実際のところまだ良くわかっていない。旧ソ連時代には外国人の立ち入りは許されず、ロシア自身も主として観測機器類の技術の遅れと資金不足のために十分な調査が行われなかった。この海の解明が始まったのは最近のことである。
1970年代のサハリン大陸棚石油,天然ガス探鉱時代に海象条件の解明が行われたことがあるものの、開発予定現場のそれを解明するには不十分であり、良く解らないままに開発が先行している。もちろん、開発側は万一原油が流出した時にどう対応するかに全く無防備であるわけではない。サハリン〜は環境アセスメントを行わなくUの場合、何よりも、国際金融機関から融資を受けるにてはならず、そのためには油流出の危険を最低限に抑えることを目的とした緊急対応計画Contingency Planを作成することが必須条件であった。開発側から提出されたば国際基準にほぼ合致したものContingency Planは総合的にみれである。
それによると、原油が流出した場合、その規模によって以下のような3段階の対応戦略が立てられている。この戦略は国際的な基準であり、北海やアラスカでも適用されているものである。
■Tier-1 小規模流出の場合。サハリン・エナジー社組織内の機器、資材で回収が可能である。サハリン〜Tのエクソン社が保有するノグリキ倉庫の機資材とサフバスSakhBASU(ロシア連邦運輸省海洋汚染管理局サハリン支部;コルサコフ市)が保有する回収専用船「アガットAgat」を使用する相互援助協定によって対応することになる。
■Tier-2 中規模の流出。サハリン・エナジー社組織外とロシア連邦内からの機器、資材を必要とする。サハリン州内にあるサフバス、ペトロサフ東船舶会Petrosakh(合弁企業による年産20万t程度の小規模石油開発会社)、フェムコFEMCO(極社)、SMNGおよび極東の諸港湾の船舶、機器、資材ならびに要員が動員されることになる。
■Tier-3 大規模流出。ロシア連邦外からの機器、資材を必要とする。サハリン・エナジー社は、世界的にみても強力なシンガポールの資材と要EARL、英国サザンプトンのOSRLと石油流出時対応契約を結んでおり、拡散材、オイルフェンスなどの員を供給できる態勢になっている。
現在、開発側が保有している機資材の主要なものは以下の通りである。
■Exxon Neftegas 展張ボート、スキマー、オイルフェンス300m
■SEIC オイルフェンス1330m、スキマー2基、ポンプ2基、回収船2隻、モーターボート4隻、大型ボート1隻
■ノグリキ倉庫 入り江入り口防除機資材3キット、湾防除機資材5キット、開発現場機資材2キット、保安用具1キット、スペアパーツ1キット、液体燃料1キット
サハリン州内の石油関連企業が保有している主要な機資材は以下の通りである。
■SakhBASU 回収専用船"Radon"、回収専用船"Agat"、輸送船"Neftegas-24"、オイルフェンスKL-8D 800m、オイルフェンスXF-11 400m、Oil
trawl 2sets、スキマー、ポンプ
■Petrosakh オイルフェンス420m、スキマー、吸着材15t、焼却炉
■FEMCO セパレーター、焼却炉、汚染監視船"Vaidagubsky"、砕氷型船"Deimos"
■SMNG 汚染監視船、スキマー、焼却炉、流出油回収汎用装置
開発現場における石油流出の緊急連絡体制としては、まず監視者が流出油を発見するとモリクパックの大陸棚施設マネージャーに連絡する。これを受けてマネージャーは以下に通告する
@ Ekoshelf石油回収船"Agat"
A
サハリン・エナジー社(ユジノ・サハリンスク)の施設責任者
B SKT/SKP 救助調整センター(ホルムスク)
C 非常事態省支部(ノグリキ)
Aのサハリン・エナジー社はさらに以下の組織にすみやかに連絡しなくてはならない。
・ Ecoshelf(ユジノ・サハリンスク・オフィス)
・ Ship Charterer(必要な場合)
・ P & I Club(必要な場合)
・
サハリン非常事態省(ユジノ・サハリンスク)
・
サハリン国家環境委員会(ユジノ・サハリンスク)
・
サハリン州行政府大陸棚開発局(ユジノ・サハリンスク)
・
サハリン保健衛生委員会(ユジノ・サハリンスク)
・ Sakhalinrybvod(漁業組織)
以上のように石油流出時の対応はContingency Planに詳細に定められている。
1999年9月28日、貯蔵船を繋ぐロープが切断したために、係留装置と貯蔵船「オハ」号とを繋ぐSubmarine Riserがはずれ、原油流出事故が発生した。サハリン・エナジー社は流出油を合計2バレルと報告したが、実際にサハリン州国家環境委員会の専門家は3.2〜3.5t流出したとみている(『ソヴェツキー・サハリン』1999.10.7)。この事故は、原油流出の可能性を常にもっており、日頃から緊急時の対応が必要であることを物語っている。
開発側が作成したContingency Planに対して、環境NGOはまだ十分でないとして特に以下の点を批判している。
@
|
流出油防除機資材や要員が不足しており、動員方法にも問題がある。
開発側が準備しているオイルフェンスは流出油が湾内に入るのを食い止めるために準備されたものであり、海岸線を守るには不足している。
|
A
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油除去手段の検討が不十分である。
化学処理剤をどのような状況の時に使用するかのシナリオがない。
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B
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拡散剤として化学薬品を使ったり、油を燃焼させるのは国内法に違反している。
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C
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油流出規模の想定が過小評価されている。
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D
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油輸送タンカーによる事故の可能性の検討が全くされていない。
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E
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流出油がどのような軌跡を辿るのか、検討が不十分である。
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F
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氷塊に閉じ込められた流出油をどのように回収するのかほとんど検討されていない。
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G
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野生生物保護の検討が不十分である。
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この他、補償問題として、法的な組織上の責任を負っているサハリン・エナジー社の資本金は1億ドルであり、この金額の枠内しか補償責任がないとすれば、大規模流出事故が発生した場合、支払い責任をもてないことになる。さらに、貯蔵タンカーの破損責任は7億ドル、輸送タンカーは8,100万ドルに設定されているが、この額では大規模事故の場合対応できない。
また、1999年11月、ユジノ・サハリンスクの「サハリン環境奉仕Ekologicheskaia
vakhta Sakhalina」と米国の「環境保護・天然資源太平洋センター」は、「サハリンの石油〜どのように安全を保証するか」というレポートを作成し、市民参加、環境モニタリング、流出油除去、補償基準の採用の諸問題について国際基準に合うように78項目にわたる勧告を行っている。
おわりに
サハリン大陸棚の石油・天然ガス開発は、1999年7月にサハリン〜Uが稼働開始したことによって大規模開発に向けて新たな局面を迎えることとなった。しかしながら、その前途は多難である。何よりもまずサハリン大陸棚では天然ガスを大規模に開発しないと採算に乗りにくいが、肝心の天然ガス需要家がまだ決まっていないことである。これまで述べてきたように将来のアジアにおける天然ガス需要を満たすために、サハリンプロジェクトが優先される可能性は小さい。今のところ開発コストが高く、世界の他の地域の開発プロジェクトに太刀打ちできない感があるが、サハリン大陸棚は、北東アジアで最も重要な供給源のひとつであり、アジアの天然ガスの主要消費国が中東への過度な依存体質を改めて、エネルギー安全保障上総合的に判断できるかどうかにかかっている。サハリンプロジェクトの開発初期段階に優遇措置を講ずれば、ひとつの実験的なプロジェクトの成功をもたらし、さらなるプロジェクトの推進という波及効果が期待できよう。
採算性が低ければ、当然のことながら投資がぎりぎりまで削減され、その結果油流出の危険性は高まる。開発側もロシア側もContingency Planを作成して、安全面を強調しているが、この計画がどの程度実行力があるのか疑わしい。サハリン州の通信手段をはじめ、インフラが余りにも劣悪であるし、実地訓練や日頃からの防災に対する啓蒙活動も少ないからである。1999年7月の原油流出事故が繰り返される可能性が常にあることを肝に銘じておく必要があろう。
参考文献