ストゥプニコフ:Ступников
ゲオルギー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年10月、ウリヤノフスク州大統領代理人に就任(94年12月23日解任)。


ストゥロフ:Стуров
ウラジーミル、К.
生年月日 1948.01.29
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 地区行政長官。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。連邦会議北方問題・少数民族問題委員会委員。レニングラード鉱山大学および党高等学校卒業。71〜74年探検隊地質学者として働く。74〜78年okruzhkom指導員をつとめる。78〜91年地区や自治管区の執行委員会副議長、地区執行委員会議長をつとめる。90〜93年ロシア連邦人民代議員。


ストマチュク:Стоматюк
エヴゲニー、С.
生年月日 1952.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 60年代末ウラジオストック海運学校ラジオ工学部で学ぶ。78年通信教育でトムスク自動制御システム・無線電子工学大学卒業。75年工場「ダリプリボル」で度量衡専門部調節係、技師・電気機械工として働く。80年党の仕事に移り、raikom組織部指導員をつとめる。83年から党gorkom産業・交通部指導員。86年からウラジオストック市レーニンスキー地区執行委員会副議長に任命される。その後地区執行委員会企画委員会議長になる。87年から沿海地方執行委員会複合経済・重要経済計画の社会的発展局部長をつとめる。89年から環境および資源の合理的利用部長。91年から沿海地方行政府自然利用局長。


ストラシコ:Страшко
ウラジーミル、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年4月18日、内務省次官に就任。98年5月9日、同省第1次官・大臣官房長官に任命。


ストラホフ:Страхов
アレクセイ、Л.
生年月日 1942.10.25
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年1月6日〜95年8月25日、スヴェルドロフスク州行政長官。94年2月4日からウラル地域経済協力協会代表。無職から95年12月第2期国家会議代議員選挙で我が家ロシアから比例区当選。我が家ロシア会派所属。第2期国家会議財産・民営化・経済活動委員会委員。代議員資格審査委員会委員。


ストリガ:Стрига
ベニアミン、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年5月、ハカシア共和国におけるロシア大統領代理人に就任。


ストリギン:Стригин
ウラジーミル、П.
生年月日 1955.03.18
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ゼレンチュク地区裁判所長官。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。94年3月26日、上院憲法・司法問題委員会副議長に就任。79年からゼレンチュク地区検察局予審判事として、80〜86年ゼレンチュク村落法律相談所弁護士として働く。86〜87年グラチェフスク地区自民裁判所長官。87〜88年再びゼレンチュク法律相談所弁護士として働く。88〜91年ゼレンチュク地区人民裁判所長官。91〜93年ゼレンチュク地区ソビエト議長。


ストリャロフ:Столяров
ニコライ、С.
生年月日 1947.01.03
性別
国籍 ベラルーシ人
学歴 博士候補
考察 白ロシア生まれ。妻と2人の子供。65年ソ連軍に入る。68年ソビエト共産党入党。教授の称号を持つ。69年白ロシアBO飛行連隊指揮所誘導員、編合部隊参謀補佐官、飛行連隊参謀代理。77年ガガーリン(名称)空軍大学副官。80年ガガーリン(名称)空軍大学教官、主任教官。90年7月から91年9月5日大佐、ガガーリン(名称)空軍大学講座主任教官。90年7月から91年8月までソビエト共産党中央委員会メンバー。90年9月から91年9月までロシア共和国共産党中央委員会統制委議長。91年9月5日から91年12月3日までソ連国家保安委副議長、空軍少将。91年8月28日から91年12月3日までソ連国家保安委人事局長。91年12月2日ソ連国防大臣補佐官。91年12月2日から91年12月3日対軍人業務委議長。軍人の経済的、精神的援助社会評議会「合意」議長。モスクワ市国際大学高等学校学部長。93年12月、モスクワ州ノギンスク選挙区より第1期国家会議代議員に当選、94年1月に下院地政学委員会副議長になる。小選挙区から選出される。「新地域政策」グループのメンバー。セルゲイ・ラドネシュスキー(名称)社会的パートナーシップ基金会長。95年3月10から24日まで無会派。95年3月24日から95年6月21日まで議員グループ「ロシア」所属。95年6月21日から95年7月まで無会派。95年7月から95年12月まで議員グループ「ロシアの地域」所属。セルギヤ・ラドネシスキー社会協調基金理事長。95年6月、「全ロシア人民会議」の結成を宣言。議長を務める。95年12月第2期国家会議代議員選挙でモスクワ州ノギンスク選挙区から当選。96年1月16日から議会内無会派。第2期国家会議国際問題委員会副議長。


ストリャロワ:Столярова
ナシマ、К.
生年月日 1951.02.17
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 新聞「ズヴェズダ」編集局副編集長。95年12月第2期国家会議代議員選挙でロシア連邦共産党より比例区当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議財産・民営化・経済活動委員会委員。代議員資格審査委員会委員。ロシア連邦共産党中央委員会メンバー候補。


ストルィギン:Стрыгин
セルゲイ、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年7月、連邦警備総局副局長に就任。モスクワ・クレムリン警備隊長兼務。少将。


ストルゴフ:Стругов
ユーリー、В.
生年月日 1939.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 65年ハバロフスク工業大学を卒業。建築技師の資格を持つ。65年から管理総局「ダリストロイ」の建設部局で働く。班長から建設トラスト主任技師までの道を歩む。86年からハバロフスク市都市計画研究所に勤める。部長、副所長。91年から同研究所所長。政治活動に積極的に参加。ハバロフスク地方における民主運動の先駆けであった。94年ロシア連邦連邦会議下院議員候補。選挙に勝利し、12人中3位になる。地域運動体「我が家ロシア」の創始者の一人。ハバロフスク地方行政長官付属の共同議会議長。自分について、こう語っている。「私の人生でもっとも偉大な出来事は、今皮肉を込めて<ゴルバチョフのペレストロイカ>と呼ばれるものだ。まさにペレストロイカが我々に人間の姿を取り戻してくれ、長い何十年の後初めて自分を人間である、と感じることを認めた。もしこの出来事の偉大さを完全に評価する能力が我々にあれば、我々の子孫がゴルバチョフのペレストロイカを神の人間創造と比べらることも過大評価ではない、と言うであろう。」


ストレルコフ:Стрелков
アレクサンドル、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年12月23日、保安省次官に就任。94年2月4日、連邦防諜機関(後の防諜局)副長官に就任。95年4月から保安局副長官。


ストレルコワ:Стрелкова
イリーナ、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ハバロフスク地方行政副長官をつとめる。


ストレルコワ:Стрелкова
イライダ、И.
生年月日 1943.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 67年ヴラジヴォストークの極東工業大学を、84年共産党中央委員会付属社会科学アカデミーを卒業。哲学修士。67年ハバロフスク市のゴーリキー(名称)工場で上級技術者として働き始める。67年から70年同工場の全ソ連レーニン共産主義青年同盟委員会書記。70年から71年全ソ連レーニン共産主義青年同盟ハバロフスク地方委員会書記長。71年から73年ハバロフスク市全ソ連レーニン共産主義青年同盟鉄道地区raikom第2書記。73年から団体「ズナーニエ」の鉄道地区組織の責任書記。75年から77年ソヴィエト共産党ハバロフスクgorkom指導員。77年からハバロフスク市共産党鉄道地区raikomプロパガンダ及びアジテーション部長。79年から82年共産党鉄道地区raikom書記。中央委員会付属社会科学アカデミーを卒業後、84年から87年ユダヤ人自治区obkom書記。87年から92年ハバロフスク地方執行委員会副議長。92年1月からハバロフスク地方行政副長官、社会問題委員会議長。


ストロエフ:Строев
エヴゲニー、А.
生年月日 1942.02.05
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 65年医科大学卒業、内科医となる。卒業後は母校で働く。68年入党。博士号を取得した後、72年に教授および学部長になる。87年より大学長。数多くの論文を発表した経歴がある。ソ連科学アカデミー科学会議、ソ連医学アカデミー、ソ連保険省のメンバー。市ソビエト代議員やgorkom委員にも選出される。93年12月の選挙で連邦会議に当選。94年1月より科学文化教育委員会の議長をつとめる。


ストロエフ:Строев
エゴール、С.
生年月日 1937.02.25
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 オリョール州ホトィネツ地区生まれ。ニーナ夫人と1人娘のマリーナさんは共に教師。ミチューリン(名称)果実野菜大学(通信制)卒業。69年ソ連共産党中央委員会付属高等学院卒業。ロシア農業科学アカデミー準会員。54〜63コルホーズ勤務。63〜65年共産党組織の地区農業局農業専門家として働く。65〜91年raikomやobkomの書記、地区執行委員会議長、党の最高指導機関である政治局のメンバー。27年間ソ連共産党の活動に従事し、オリョール州党委員会第1書記を経て、89年9月〜91年までソ連共産党中央委員会書記(農業担当)、90年7月〜91年中央委員会書記兼政治局員。ソ連最高会議代議員。ソ連共産党解散後、91〜93年全ロシア果実品種改良研究所長をつとめ、93年4月11日、オリョール州行政長官に就任。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。連邦会議予算委員会委員。「黒土」協会会長、モスクワ「レアリスト」クラブ理事。95年5月から全ロシア社会政治運動「我が家はロシア」評議会メンバー。96年1月23日、連邦会議(上院)議長に就任。97年2月25日、60歳の誕生日に祖国功労2等勲章を授与される。同年10月26日に実施されたオリョール州知事選挙で、投票有権者の95%の支持を得て、当選。98年6月、独立国家共同体(CIS)加盟諸国議会間総会評議会議長の任期を2000年まで延長。


ストロジェンコ:Стороженко
ニコライ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 体育・観光国家委員会副議長を務める。


スネシコフ:Снежков
ミハイル、Н.
生年月日 1945.07.19
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。学生科学技術創作会社議長として働く。ロシア自由民主党会派のメンバー。国家会議教育・文化・科学委員会委員。


ズバーキン:Зубакин
セメン、И.
生年月日 1952.05.04
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 財務省アルタイ共和国担当主任監督監査官。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシアの民主的選択=民主主義者連合」の推薦を受け、アルタイ共和国ゴルノアルタイ選挙区から当選。議会内では無会派。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会メンバー。97年12月14日に実施されたアルタイ共和国元首選挙に立候補し、23.5%の得票率で当選。


ズバコフ:Зубаков
ユーリー、А.
生年月日 1944.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 対外情報局副長官を経て、96年2月、外務次官に就任。98年9月14日、政府官房長官・国務相に任命。


スハノフ:Суханов
レフ、Е.
生年月日 1935.06.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 スハノフは、エリツィンが国家建設委員会第1副議長(大臣ポストと同等)として当時のゴルバチョフ党書記長によって左遷させられていた時、同国家委員会の副議長についていた。その後、エリツィンの補佐官に任命される。89年のソ連邦人民代議員選挙と90年のロシア共和国人民代議員選挙の際にエリツィン候補当選のための選挙キャンペーンの立役者はスハノフであった。91年7月エリツィンがロシア共和国大統領に就任した時、スハノフは大統領上級補佐官に任命された。97年9月16日、年金生活入りに伴い上級補佐官解任。


スハノフ:Суханов
ウラジーミル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 政府官房行政総局長をつとめる。98年6月解任。


スピリドノフ:Спиридонов
ユーリー、А.
生年月日 1938.11.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 家族構成は妻、娘が一人。61〜64年マガダン州貴金属採掘場「ゴルヌィ」採掘師として、64〜75年ウフタ市のヤレグスク炭坑局で採掘師、技師長、炭坑長として働く。75〜85年gorkomの課長、raikomの第1書記を、85〜90年コミobkom第2書記、第1書記などをつとめる。89年ソ連人民代議員に選出。90年6月、コミ共和国最高会議議長に就任。92年11月共和国コミ最高会議法秩序及び対犯罪闘争問題委員会議長。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。94年5月11日、コミ共和国国家元首・大統領に就任。連邦会議メンバー。同会議北方問題・少数民族問題委員会委員。97年11月30日、コミ共和国大統領選挙で現職で立候補し、60.61%の得票率(214,500票)で再選。


スピリドノフ:Спиридонов
ヴィタリー、Е.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年3月、クラスノダル地方における大統領全権代表に就任。


ズプケービチ:Зубкевич
イリーナ、Б.
生年月日 1944.12.11
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選、94年1月より下院社会問題・宗教組織問題委員会副議長をつとめる。ロシア自由民主党地域組織議長として働く。国家会議社会団体・宗教組織問題委員会委員。


ズプコフ:Зубков
ウラジーミル、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ロストフ州におけるロシア大統領代理人をつとめる(94年12月17日解任)。


ズプコフ:Зубков
ヴィクトル、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 国家税務機関副長官を務める。


ズプコフ:Зубков
ユーリー、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦核・放射能安全監督機関副長官を務める。


スホヴェイ:Суховей
ユーリー、И.
生年月日 1939.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 62年ヴラジヴォストークのクイビシェフ(名称)極東工業大学を卒業。コムソモリスク-ナ-アムーレのトラスト「ダリスタリコンストルクツィア」の組立建築局へ派遣される。班長、作業監督、部長として働く。68年コムソモリスク組立建築局長に任命される。同時にモスクワ経済技術大学を通信教育で卒業。76年からトラスト「ダリスタリコンストルクツィア」支配人。91年不動産賃貸借企業「ダリスタリコンストルクツィア」の総支配人に選出される。93年から非公開型工業建築合同株式会社「ダリスタリコンストルクツィア」支配人。モスクワの団体「モンタージュスペツストロイ」副会長。政治的意見は中道主義者。


スホーイ:Сухой
ニコライ、А.
生年月日 1941.03.05
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。共和国公社「ロシア農業水利建設」副総裁として働く。ロシア農業党会派のメンバー。国家会議農業問題委員会委員。現職議員の死亡により98年3月29日に実施された連邦下院補欠選挙(サラトフ州バラコボ選挙区)でアヤツコフ同州知事の支持を受けて立候補し、70%以上の得票率で当選(投票率約50%)。


スボーチン:Субботин
アレクサンドル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年7月、連邦鉱工業監視機関副長官に就任。


ズボフ:Зубов
ワレリー、М.
生年月日 1953.05.09
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 妻と1男1女。趣味はバスケットボール、テニス、歴史書籍。70年から機械製作省組み立て・建設局の組立工として働きながらモスクワ・プレハノフ国民経済大学および同大学大学院を卒業。27の学術発表がある。82〜85年クラスノヤルスク国立大学経済学部長、85〜86年アメリカ合衆国オクラホマ大学にて研究に従事、86〜88年再びクラスノヤルスク国立大学経済学部長、88〜91年モスクワ経済・統計大学博士課程に学ぶ。91〜92年クラスノヤルスク国立大学上級講師。地方行政副長官・経済総局長を経て、93年1月27日よりクラスノヤルスク地方行政長官、同年12月選挙で第1期連邦会議代議員に当選。(得票率50.78%)。無所属。連邦会議予算委員会委員。96年1月24日、連邦会議副議長に就任。96年10月11日付大統領令によって承認された大統領直属納税・予算規律強化臨時非常委員会議長メンバー。98年4月26日実施のクラスノヤルスク地方知事選挙に出馬。同選挙では35.5%の得票率で、当選に必要な過半数を得ることができず、同年5月17日の第2回投票に進むが、得票率で当選者に約20%の差をつけられて落選。