スクルィンニク:Скрынник
ヴィクトル、Т.
生年月日 1946.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 高卒後、水力発電所の運輸機関で働く。69年生産研究専門学校を卒業し、機械工資格を得る。86年入党、91年離党。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


スココフ:Скоков
ユーリー、В.
生年月日 1938.06.20
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 ウラジオストク生まれ。レニングラード電気技術大学卒。専門は無線設計技師。軍の技術研究所に勤務した後、88年にソ連最大の軍需企業「クワンテンプ」社長に就任。89年ソ連共産党モスクワ市委員会委員の時にソ連人民代議員に選出される。90〜91年シラーエフ・ロシア首相の下で第1副首相。91年ロシア大統領経済顧問、国家安全保障問題担当国家顧問。91年、大統領選に選挙参謀としてエリツィン大統領から招かれる。軍や軍産複合体などに広い人脈をもつ。両親がKGB幹部であったことから、諜報部門にも知人が多い。同年8月クーデター未遂事件で、旧最高会議ビルへの攻撃を、陸軍空挺部隊に掛け合い回避させるなど、軍やKGBに働きかけ、クーデター派の政権奪取阻止に貢献した。92年から犯罪・マフィア・汚職対策を指揮。92年4月からロシア連邦安全保障評議会書記を努め軍需産業界を代表し統制経済保持を主張。93年3月「特別統治体制」導入に関する大統領令への確認の署名を拒否し、その後(93年5月)このポストを去る。93年5月から国際・地域間研究センター所長。しかし、エリツィン大統領の同氏に対する評価は離別後も高い。「ロシア人共同体会議」議長。94年秋の「ブラック・チューズデー」(ルーブル大暴落)の後、大統領周辺では同氏がチェルノムイルジン首相の後任として候補にのぼっていたと伝えられている。ロシア商品生産者連盟総裁。95年12月の下院選挙に落選。91年までソ連共産党員。


スコベーエフ:Скобеев
К、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 政府付属国家公務員養成総局副局長。


スコポフスキー:Скоповский
スタニスラフ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ロシア社会・政治センター所長をつとめる。


スコロチキン:Скорочкин
セルゲイ、Г.
生年月日 1961.07.10
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。有限会社総支配人として働く。ロシア自由民主党会派のメンバー。国家会議労働・社会的支援委員会委員。ウォッカ事業に従事する大企業家でもあったが、96年射殺される。


スコロホドフ:Скороходов
ユーリー、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年5月、民族問題・連邦関係省次官に就任(同省は、後に地域・民族政策省に改称)。同省は、98年9月22日付大統領令第1142号により廃止。


スダコフ:Судаков
グリー、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ヴォログダ州におけるロシア大統領代理人をつとめる。95年11月、同職解任、同州立法議会議長に就任(96年2月解任)。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議国際問題委員会委員。第2期連邦会議規則・議会手続委員会委員。


スタリコフ:Стариков
イワン、В.
生年月日 1960.08.16
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月の選挙で国家会議代議員に選出され、94年1月より下院農業問題委員会副議長になる。小選挙区から選出される。農業専門家、農業株式企業支配人として働く。「ロシアの選択」会派のメンバー。95年8月、経済次官に就任。


スタリコフ:Стариков
アナトリー、И.
生年月日 1941.09.18
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 93年12月選挙で連邦会議代議員に当選したと思われたが、実際に認証されたのは94年5月15日。連邦会議憲法・司法問題委員会委員。60年からマグニトゴルスク治金コンビナート勤務。圧延工として働きはじめ、現在は総支配人をつとめる。


スタルチュコフ:Старчуков
アナトリー、Г.
生年月日 1947.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 78年極東国立大学法学部卒業。66年からナホトカ市の船舶修理工場で電気設備の組立工として働く。70〜73年ソ連軍武装部隊勤務。78年からハバロフスク地方ワニノ市地区人民裁判所裁判官として働く。82年から沿海地方ラゾフスク地区で人民裁判官として働く。87年ハサンスキー地区人民裁判所議長に推薦され、承認される。


スダレンコフ:Сударенков
ワレリー、В.
生年月日 1940.06.13
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 カルーガ州生まれ。妻と娘2人。69年バウマン・モスクワ高等技術学校、79年共産党高等学院卒業。60〜63年、太平洋艦隊勤務。64年からカルーガ州のタービン工場、モーター製造工場に技術者、技師、職長として勤務。72〜86年obkom指導員、防衛産業課長、gorkom第1書記をつとめる。86〜90年ウズベク共和国閣僚会議副議長。90〜91年カルーガ州obkom第1書記。90年4月〜93年5月、カルーガ州人民代議員ソビエト議長、94年4月からカルーガ州立法会議議長をつとめる。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。連邦会議科学・文化・教育問題委員会委員。96年2月、連邦会議科学・文化・教育・保健・環境委員会議長に就任。同年11月9日に実施されたカルーガ州知事選挙の決選投票で、共産党と女性運動を基盤とする国民愛国同盟の支持を受けて当選(得票率63.51%)。


スタロヴォイトフ:Старовойтов
アレクサンドル、В.
生年月日 1940.10.18
性別
国籍 不明
学歴 博士
考察 62年ペンザ工科大学卒業。妻と息子1人。電気技師、教授の資格を持つ。工学アカデミー及び連邦暗号学アカデミー会員。62〜86年、ラジオ工業省で研究技師をつとめる。86〜91年、工業機器担当政府通信部門の副責任者。91年12月24日、大統領直属連邦政府通信・情報機関長官。中将。ロシア機密通信の国家統合システムの主任設計技師。98年2月23日、上級大将に昇進。


スタロヴォイトワ:Старовойтова
ガリーナ、В.
生年月日 1946.05.17
性別
国籍 不明
学歴 博士候補
考察 チェリャビンスク生まれ、レニングラード育ち。父親は工場長。レニングラード国立大学心理学部卒。民族間関係の分野の専門家。工場で心理学専門家として働いた後、建築設計組織に移り、同時に大学で社会心理学を教える。91年まで17年間ソ連科学アカデミー民族学研究所に勤務。89年モスクワのソ連科学アカデミー幹部会付属民族間関係研究センターの上級研究員。90〜91年ロシア共和国国家顧問(民族問題担当)。91〜92年民族間関係担当ロシア連邦大統領顧問。89〜92年1月ソ連人民代議員(アルメニアから得票率80%で当選)。90年6月14日〜93年9月24日ロシア人民代議員。93年「民主ロシア」運動に加わり、その共同議長の1人になる。93年11月5日、大統領顧問(民族問題担当)を解任される。95年12月移行期経済研究所研究室長の時に、サンクトペテルブルグ市セヴェルヌイ(北部)選挙区から第2期下院議員に当選。議会内では無会派。第2期国家会議社会団体・宗教組織問題委員会委員。離婚歴があり、成人した息子が1人いる。別れた夫はロンドンに住み、91年8月のクーデター事件の際、彼女がエリツィンの立場を説明する目的でロンドンを訪れたとき彼女のインタビューのマネージャー役をつとめる。息子もロンドン在住。


スタロスチン:Старостин
ウラジーミル、Г.
生年月日 1937.01.01
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 72年から助教授。91年から極東教育大学教授。75〜87年党kraikom経済・社会発展ソビエトのメンバー。94年ロシア連邦工学アカデミー準会員に選出される。90〜93年沿海地方議会代議員。92〜93年沿海地方ソビエト副議長。93年から沿海地方行政府科学技術委員会議長に任命される。


スタロドゥプツェフ:Стародубцев
ワシリー、А.
生年月日 1931.12.25
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 43〜49年コルホーズ員。49年から企業合同「オソブストロイ」勤務。51〜55年ソ連軍勤務。55年から炭坑の採鉱用機械技師として働く。63〜64年トゥーラ州コルホーズ・ソフホーズ幹部養成学校に学ぶ。コルホーズ種畜場長。CIS農民同盟議長。ロシア連邦農業同盟議長。91年8月、ソ連人民代議員の時にクーデター未遂事件に加わり、逮捕、共産党除名処分を受ける92年6月、刑務所から出所し、ノボモスコフスキー地区「レーニン・コルホーズ」議長に就任。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選(得票率43.19%)。農地の私有化に反対の立場をとる。連邦会議農業政策委員会委員。ロシア連邦農学アカデミー準会員。社会主義労働の英雄。ロシア農業党のリーダーの1人。95年12月の下院選挙でロシア農業党の比例名簿第3位であったが、同党が5%の得票率を得られなかったため、下院に議席を得ることができなかった。97年3月23日に実施されたトゥーラ州知事選挙に立候補し、投票の62.5%を獲得して当選。トゥーラ州のようなロシアの有力地域で現政権の反対派である「ロシア農業同盟」の議長が知事に当選したことで、大きな注目を集める。


スタロドゥボフ:Стародубов
ウラジーミル
生年月日 1950.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦保健省次官(94年1月辞任)。96年10月、再び保健省次官になる。98年9月30日、保健相に任命。


スタンケーヴィチ:Станкевич
セルゲイ、Б.
生年月日 1954.02.25
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 博士候補
考察 90年4月21日よりモスクワ市人民代議員ソビエト副議長。91年8月まで党員。84年博士候補取得<論文:社会・経済問題についての米国上院での政治闘争>。世界史研究所上級研究員。89年ソ連邦人民代議員に選出。90年ロシア人民代議員に選出。91年7月〜11月、社会団体との接触を担当するロシア国家顧問、政治担当の国家顧問を務める。92年9月2日の大統領令により大統領顧問(政治問題担当)に任命(93年12月15日解任)。92年9月5日からロシア社会政治センター評議会議長。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同市ソビエト解体。93年12月選挙で国家会議代議員に当選。ロシア統一・合意党会派のメンバー。国家会議国際問題委員会委員。95年12月選挙で落選。96年2月、収賄容疑でモスクワ市検察庁から逮捕状が出される。ロシア刑法第173条の規定によれば、財産没収を伴う8年以上15年以下の自由剥奪が定められている。検察庁は以前に収賄罪で刑事責任を問おうとしたが、下院議員在任中は議員の不逮捕特権で実現しなかった。


ステパシン:Степашин
セルゲイ、В.
生年月日 1952.03.02
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 ポルト・アルトゥール(旅順)で海軍将校の家庭に生まれる。妻と息子1人。73年レニングラードのソ連内務省高等政治学校、81年レーニン軍事・政治アカデミーを卒業、専門は教育学。法学博士、助教授の資格を持つ。73〜90年内務省治安軍勤務、81〜90年レニングラードの内務省高等政治学校教官。90年最高会議共和国会議代議員選出時には、ソ連内務省付属コムソモール高等政治学院政治史学部副学部長をつとめていた。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。91年2月より最高会議国防・安全保障問題委員会議長。最高会議身障者、戦争・勤労ベテラン問題および軍人とその家族の社会的保護委員会小委員会議長。同年8月のクーデター未遂事件後に設けられた特設の旧ソ連KGB活動調査国家委員会議長。同事件後、同年8月19日、ソ連共産党離党。91年11月〜92年1月ロシア連邦保安庁副長官(同庁サンクトペテルブルグ局長官兼任)。92年1〜10月保安省次官。93年9月より保安省第1次官。93年12月〜94年3月、連邦防諜機関第1副長官、94年3月から連邦防諜局長官をつとめる。95年4月3日の大統領令により、防諜局が連邦保安局に再編され、長官に就任する。95年6月30日、ブジョンノフスク事件の責任をとって同職を解任される。94年3月〜95年7月安全保障評議会メンバー。95年11月10日、政府官房行政総局長に任命される。この部局は連邦保安局、内務省、国防相、司法省の活動、並びに司法機関の活動の問題を担当しているが、業務配分の権限はなく、その権限は専門的評価を下すことに限定されている。96年7月25日設立されたロシア連邦国防評議会メンバーになる。97年7月2日政府官房行政総局長を辞任し、同年同月2日司法大臣に任命。同月22日、安全保障評議会メンバーに任命される。98年3月23日、大統領令第281号により、ロシア連邦憲法第83及び117条に従って、連邦政府の総辞職及び新政府組閣まで政府閣僚は職務を引き続き遂行することを決定。同30日、大統領令により内相代行に就任。同年4月28日、内相に任命。同年5月26日、安全保障評議会非常任メンバーに再任。同年8月23日付大統領令により、内閣総辞職、内相代行になるが、同年9月11日、同職再任。同年10月5日、政府幹部会メンバー。大将。


ステパノフ:Степанов
ヴィクトル、Н.
生年月日 1947.01.27
性別
国籍 カレリア人
学歴 博士候補
考察 62〜66年工場に指物師として勤務。村の文化会館長。66〜78年コムソモールraikom、obkomの課長、書記をつとめる。78年から80年レニングラード党高等学校で学ぶ。80〜88年raikomの書記をつとめる。チェコに渡りraikom書記をつとめながら、党政治高等学校に学ぶ。カレリアに戻りobkom指導員、課長をつとめる。88〜89年党中央委員会指導員。89年からカレリア共和国最高会議幹部会議長。90年人民代議員。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。カレリア共和国首相。連邦会議CIS問題委員会委員。98年5月17日実施の同共和国首相選挙第2回投票で、当選のあかつきには「国民信頼政府」編成を明言して善戦したが、僅差で敗北。


ステパノフ:Степанов
アナトリー、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 司法省次官をつとめる。


ステパノフ:Степанов
ウラジーミル、А.
生年月日 1949.01.16
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「セヴェロホード」副社長。95年12月第2期国家会議代議員選挙にロシア共産党から比例区当選。ロシア連邦共産党会派所属。96年2月から農業党会派。第2期国家会議工業・建設・運輸・エネルギー委員会委員。


ステパノワ:Степанова
ワレンチナ、Г.
生年月日 1939.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 67年極東国立大学法学部卒業。中等学校卒業後、シトコフ地区執行委員会で指導員として働き始める。その後同地区の戸籍登録課および民警で働く。60年ウラジオストックに移り、デパート店員として働く。大学卒業後沿海地方保養機関法律相談員、副支配人として働く。無償で人民裁判委員として、また国家仲裁裁判所で働く。73年ウラジオストック市地区人民裁判所人民裁判官として働く。92年ウラジオストック市地区裁判所議長に任命される。


ステパンコフ:Степанков
ワレンチン、Г.
生年月日 1951.09.17
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ウラルで労働者の家庭に生まれる。妻と息子1人。趣味は読書、卓球、森林散策。「クレムリンの陰謀」の著者(E.リソフとの共著)。ペルミ国立大学法学部卒。68〜70年、研究所で電気技師として働く。後にペルミ検察機関に勤務。73〜91ソ連共産党員。内務軍勤務。ペルミ市地方新聞編集部勤務。75〜77年検察庁raiomレベル事務官。77〜81年州レベル検察官。81〜83年obkom総務担当インストラクター、83〜87年ペルミ市検察官、87〜88年ソ連邦検察庁副検察官、88〜90年ハバロフスク地域検察官、91年2月からロシア連邦検察長官(検事総長)をつとめるが、93年10月の「最高会議攻防戦」の後で解任される。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。94年法律会社「法律情報社」(ハバロフスク市)社長。95年7月、ペルミ州行政副長官に就任。95年12月のロシア下院選挙に無所属で出馬、ペルミ州ベレズキニ選挙区から当選。96年1月「ロシアの地域」(独立議員)会派所属。第2期国家会議天然資源・自然利用委員会委員。


ステルリゴフ:Стерлигов
ウラジスラフ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ケメロヴォ州人民代議員ソビエト副議長、ペンザ州人民代議員ソビエト副議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、ペンザ州ソビエト解体。


スデンコフ:Суденков
ニコライ、Р.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年7月チェリャビンスク州における大統領代理人に任命。


ストゥーリン:Сутурин
ピョートル、Г.
生年月日 1946.10.29
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 高卒後、冶金工場で働く。64〜66年従軍。66〜90年再び冶金工場につとめる。76年入党。90年ロシア最高会議常勤となる。市ソビエト代議員に3回当選する。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。