シュプィロ:Шупыро
ワシリー、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年11月、国有財産管理国家委員会副議長に就任。96年11月、同委員会第1副議長。同国家委員会は、97年10月、国有財産省に改組される。


ジュマエフ:Дюмаев
キリル、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 科学・技術政策省次官を努める。


シュメイコ:Шумейко
ウラジーミル、Ф.
生年月日 1945.02.10
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 ロストフ・ナ・ドヌー市生まれ。趣味は釣り。妻と娘2人。クラスノダルスク工業大学卒業。63年から電気計器工場で組立工として働く。67年入党。70〜85年電気機器全ソ科学研究所クラスノダルスク技術部技師、部長、85〜90年企業連合「クラスノダルスクZIP」設計者長、技師長、総支配人。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。90〜92年最高会議経済改革・私有財産問題委員会副議長。91年11月最高会議副議長。92年11月25日、政府付属産業政策評議会活動調整担当に就任。92年6月からロシア第1副首相(92年6月から鉱工業担当、92年12月から内閣実務全般・中小企業国家支援問題担当、93年4月から人事担当、93年10月から出版情報相兼務)、93年9月1日、同職を暫定解任されるが、9月22日、エリツィン大統領は同氏の復帰を決定。94年1月20日同職解任。同年9月から政府付属監督・監視評議会議長。公式的には最高会議で、いかなる代議員会派にも属していなかった。ロシア企業家同盟連合総裁。93年12月の選挙で連邦会議に当選。94年1月13日、連邦会議議長に3回目の投票で選出。1回目の投票で可決に後1票に迫りながら、2度目には1票に後退した。逆に対立候補のロマノフ氏は9票を獲得し僅差に詰め寄った。ロマノフ氏は地方の利益代表として支持を得た。93年2月に採択された新憲法は地方の権限を削減したため、共和国や州などの間で憲法の見直しを求める機運は根強い。3回目の投票で、98票を集め過半数の86票(総代議員数171人)を上回った。議長を側近から出したことはエリツィン大統領にとって重要。上院は大統領の議会解散権が及ばないうえ、大統領の解任を最終的に決定する権限を持つ。95年1月10日の大統領令により安全保障評議会常任メンバー(96年2月解任)。CIS諸国議会間総会委員長。無所属。96年1月23日、自ら率いる運動「改革ー新しい政策」をロシア司法省に登録。同組織は56の地域組織をもつ。今後は公務につかず、同組織の指導活動に専念する、と発表。


ジュラヴリョフ:Журавлев
ヴィタリー、Е.
生年月日 1964.02.16
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に選出される。「民主主義と人道主義」基金理事長として働く。ロシア自由民主党会派のメンバー。国家会議地政学問題委員会委員。


ジュラヴリョフ:Журавлев
ウラジーミル、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年6月5日、大統領直属国家褒賞(科学・技術分野)委員会副議長に就任。


ジュラコフスキー:Жураковский
ワシリー、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 高等教育国家委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって、普通・高等教育省に統合され、廃止。


ジュラフコフ:Журавков
ウラジーミル、Т.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年10月、対CIS諸国協力省次官に就任。同省は、98年4月30日付で廃省。権限を外務省に移管。


ジュラフスキー:Журавский
ミハイル、А.
生年月日 1952.01.01
性別
国籍 ベラルーシ人
学歴 大学卒
考察 74年コクチェタフスキー教育大学文学部(在カザフスタン)を卒業し75年まで学校で働く。沿海地方に引っ越し、75〜84年ハンカイスキー地区で校長を務める。84年チュグエフスキー地区執行委員会人民教育部長に任命される。90年沿海地方執行委員会人民教育委員会副議長に就任。91年チュグエフスキー地区に行政副長官として戻り、チュグエフスキー地区ソビエト議長に選出される。94年秋3人の候補者の中から沿海地方議会議員に選出される。選挙参加者の34.9%の票を集めた。議会では社会問題常任委員会メンバーを務めた。投票者は適度の保守的傾向をもち、通常知事を支持し、(この地方全体からして)穏やかに憲法を支持する。93年12月チュグエフスキー地区の自由民主党はロシアの選択およびロシア連邦共産党よりも支持されていた。97年12月7日に実施された沿海地方議会代議員選挙に立候補し、再選。98年1月同地方議会の会議において社会政策・市民権擁護委員会議長に任命される。


シュリギン:Шульгин
セルゲイ、Н.
生年月日 1956.01.14
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。アルハンゲリスク経済開発銀行会長として働く。ロシア統一・合意党会派のメンバー。国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。96年11月、林業・製紙・木材加工産業国家委員会副議長に就任。同委員会は、97年3月17日付大統領令によって、経済省へ機能を移管し、廃止される。98年3月27日、国家税務局副長官に就任。


シュリギン:Шульгин
ボリス、Н.
生年月日 1937.11.07
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 50年代および60年代に海外の中等技術専門学校を卒業。17歳のとき工場でスパースクのセメント工場で働き始め、技術専門学校卒業後、鉄筋コンクリート建造物工場で働く。熟練工から始めて労働組合委員会議長、副支配人をつとめる。84年からスパースク穀物製品貯蔵所従業員長。現在スパースク穀物製品貯蔵所出張所支配人。94年秋沿海地方議会代議員に当選。得票率61%。選挙グループに推薦される。立候補者は3人。ナズドラチェンコは彼の投票者に人気がある。諸党および選挙ブロックのなかでは、自由民主党、ロシアの女性が支持されている。


シュリャピン:Шляпин
ミハイル、А.
生年月日 1944.10.25
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。上院北方問題・少数民族問題委員会委員。無所属 全ソ通信制工業大学卒業。61〜67年鉱山コンビナートや重化学機械建設工場で指物師、旋盤工として働く。72〜80年北東地質局調査隊の現場監督。80〜89年企業連合「マガダンネルード」建設局長、90〜93年企業連合長。


ジュルコ:Журко
ワシリー、В.
生年月日 1963.07.15
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。輸送機関建設会社自動車運転手として働く。ロシア自由民主党会派のメンバー。国家会議工業・建設・運輸・エネルギー委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。96年2月9日から第2期国家会議地政学委員会委員。


シュルチコフ:Шурчков
イーゴリ、О.
生年月日 1950.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 第1副首相顧問を経て、93年1月、工業政策国家委員会議長に就任。94年12月同職解任。


シュルチャノフ:Шурчанов
ワレンチン、С.
生年月日 1947.01.19
性別
国籍 チュヴァシュ人
学歴 大学卒
考察 チュワシ国立大学卒業。電気技師の資格を持つ。ゴーリキー共産党付属高等学校を卒業。63年チュワシ自治共和国チェボクサルィ綿紡績コンビナート電気整備工、支部「ゴルスヴェト」電気設備工、ヴラジオストック市建設局エネルギー機械技師。66年から68年ソ連軍で兵役につく。68年から共産党員。69年チュワシ自治共和国カナシ自動車部品工場技師、チュワシ国立大学コムソモール委書記。75年からチュワシ国立大学党委副書記、カリーニン区党区部長、チュワシ国立大学党委副書記。82年チュワシ州党委指導員、第1書記補佐。シュメルリャ市党委第1書記。87年ソ連共産党中央委組織・党活動部指導員。88年チュワシ州党委書記。90年3月から90年6月2日チュワシ党委第2書記。90年6月2日チュワシ共和国党委第1書記。90年7月14日ソ連共産党中央統制委員。大「ボルガ」連合理事長、ロシア共産党共和国委員会第1書記。94年6月22日、チュワシ共和国最高会議議長に就任。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選するが、辞退。96年1月23日第2期連邦会議代議員。第2期連邦会議予算、財政・外貨・金融規制、通貨発行、税政、関税規制委員会委員。97年12月28日に実施されたチュワシ共和国大統領選挙に立候補するが、34%の得票率に終わり、落選。


シュレポフ:Шулепов
エヴゲニー、Н.
生年月日 1954.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 アルザマーズソフホーズ技術学校を卒業。機械技師の資格を持つ。70年から73年ソヴィエト軍勤務。アムール州地区農業施設で機械班長として働く。81年ブラゴヴェシェンスク農業大学を卒業。経済専門家の資格を持つ。81年から工場「ハバロフスキー」の経済専門家主任。91年商業、財政取引所「ビゾン」を創立し、所長になる。「取引所「ビゾン」は非商業組織である。地方の森林、漁業加工と農業生産における投資を誘引し、守るために多くのことをするつもりである。極東の中心的卸売市場になることができる。」と考えている。市場改革の支持者。経済自由党地域部議長。


ショイグ:Шойгу
セルゲイ、К.
生年月日 1955.05.21
性別
国籍 トヴィニア人
学歴 大学卒
考察 トィワ自治共和国チャダン市生まれ。妻と娘2人。77年クラスノヤルスク工科大学卒。88年までクラスノヤルスクの建設関連企業で勤務、支配人をつとめる。アバカンgorkom第2書記(88〜89年)。クラスノヤルスクkraikom監督官(89〜90年)。ロシア共和国国家建築・建設委員会副議長(90〜91年)。ロシア共和国国家非常事態委員会議長(91年)。ロシア連邦国家民間防衛・緊急事態・自然災害処理国家委員会議長(91年11月〜94年1月)。最高会議緊急事態委員会議長。92年12月26日、北オセチア・イングーシ共和国臨時行政府副長官解任。94年1月20日の大統領令により民間防衛・緊急事態・自然災害処理相に任命。中将。94年2月より安全保障評議会非常任メンバー。97年4月8日付首相命令でロシア連邦と諸外国間の貿易・経済及び科学・技術協力における政府間委員会ロシア側議長(キューバ、リビア、ナイジェリア担当)に任命される。98年3月23日、大統領令第281号により、ロシア連邦憲法第83及び117条に従って、連邦政府の総辞職及び新政府組閣まで政府閣僚は職務を引き続き遂行することを決定。同年4月28日民間防衛・緊急事態・自然災害処理相に任命。同年8月23日付大統領令により、内閣総辞職、緊急事態・自然災害処理相代行となるが、同年9月11日、同職再任。中将。


ショイヘット:Шойхет
ヤコフ、Н.
生年月日 1940.12.18
性別
国籍 ユダヤ人
学歴 博士
考察 93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。上院社会政策委員会委員。無所属 アルタイ国立医療大学卒業。教授の称号を持つ。64〜65年バルナウル駅鉄道病院で外科医・医局員として働く。65年からアルタイ国立医療大学勤務。外科講座主任、研究部門副学長をつとめる。現在、アルタイ地方行政府セミパラチンスク核実験場放射能影響除去対策委員会副議長。


ショーヒン:Шохин
アレクサンドル、Н.
生年月日 1951.12.25
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 アルハンゲリスク州プレセツク地区サヴィンスコエ村生まれ。タチヤーナ夫人との間に1男1女。夫人は経済学博士候補で研究所勤務。ロシア自然科学アカデミー会員。趣味はサッカー。69〜70年モスクワ国立大学経済学部実験室助手。70年から中央数理経済研究所調査員。74年モスクワ国立大学経済学部を卒業後、ソ連国家計画委員会付属経済研究所など研究機関研究員。教授の称号を持つ。79年から82年ソ連労働・社会問題国家委労働研究所上級研究員、課長。82から86年ソ連科学アカデミー中央数理経済研究所上級研究員、実験室長。86から87年ソ連科学アカデミー国民経済予測研究所勤務。87〜91年ソ連外相経済顧問、ソ連外務省対外経済関係局長。91年3月から91年8月26日までソ連外務省国際経済関係局長。91年5〜8月、労働・賃金問題国家委員会雇用問題研究所所長、8〜11月ロシア共和国労働相。91年11月からロシア副首相(社会政策担当、対外経済関係担当)。91年12月25日から92年6月14日までロシア連邦労働・住民雇用大臣。92年2月から95年1月16日までロシア連邦政府附属人文・科学援助委員長。92年4月、政府付属信仰問題調整委員会議長、6月国家管理機構改革に関する準備・提案のための委員会議長。92年6月14日からロシア連邦政府対外経済関係担当副議長。政府外貨・経済委員会議長。92年7月18日、旧ソ連の対外債務債権者との交渉準備のための省庁間作業グループのリーダー、同年8月14日、ロシア連邦国際協力開発機関長官に就任。92年10月国際通貨基金ロシア連邦政府代表(95年4月21日解任)。92年10月政府クレジット政策問題委員会メンバー。93年5月14日、CIS調整協議委員会ロシア代表に就任。93年6月30日世界銀行ロシア連邦政府代表。94年1月20日の大統領令により経済相に任命、但し副首相ポストは解任。93年12月の選挙で第1期国家会議代議員に選出される。94年3月副首相兼任(対外経済関係担当)。94年11月副首相および経済相辞任。ロシア統一・合意党会派所属。国際金融機関との協力及び技術援助のための政府委員会議長。95年1月13日から第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。94年4月15日から炭田地域社会・経済問題省庁間委員会議長。95年4月22日まで国際復興開発銀行ロシア連邦代表。多数国間投資保証機関ロシア連邦政府代表。95年12月の第


ショカロ:Шокало
ニコライ、И.
生年月日 1952.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 工場支配人。フォキノ市選管区。94年10月沿海地方議会代議員に選出される。


ジョキン:Жокин
アレクサンドル、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦核・放射能安全監督機関副長官を務める。


ショスタコフスキー:Шостаковский
ヴャチェスラフ、Н.
生年月日 1937.10.23
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 博士候補
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。教授の称号を持つ。社会経済・政治学研究国際財団社会知識センター(ゴルバチョフ基金)所長として働く。「ヤブリンスキー連合」会派評議会のメンバー。国家会議教育・文化・科学委員会委員。


ジョチキン:Жочкин
ニコライ、М.
生年月日 1934.01.11
性別
国籍 モルダヴィア人
学歴 大学卒
考察 55年以来党員。58年鉄道大学を卒業し、鉄道で働き始める。61年党および国家の職務に移り、gorkom書記、市ソビエト議長などをつとめる。71〜72年党中央委員会高等教育機関に学び、卒業後、地方の党諸機関の幹部として配属される。88年自治共和国最高会議幹部会議長に選出される。90年obkom第1書記から自治共和国最高会議議長になるに伴って、モルダビア最高会議第1副首相に選ばれる。党大会の代表経験もある。92年4月、第6回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


ショ−リン:Шорин
ウラジーミル、П.
生年月日 1939.07.27
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 空軍大学を卒業後、大学の助手となり、教授まで昇進する。88年学長に選出される。学術論文の多くは航空機エンジンの児童操作に関する者である。最近ではレーザーについての研究に従事している。党員で、gorkom委員にも選出されている。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議科学・国民教育委員会議長。


シラーエフ:Сираев
И
生年月日
性別
国籍 ロシア人
学歴 不明
考察 90年6月18日〜91年9月26日、ロシア首相をつとめる。


ジラーノフ:Зиланов
ヴャチェスラフ、К.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦漁業委員会議長をつとめる。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更される。


ジリツォフ:Жильцов
ユーリー、И.
生年月日 1940.04.13
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 62年大学を卒業し、電気技師となる。工場につとめ、管理職を経験する。66年入党。68〜71年モンゴルに派遣され、技術指導にあたる。電気協会や、kraikom、gorkomなどで要職をつとめる。79年党中央委員会高等教育機関を卒業。81年までエネルギー局長。81〜86年地方ソビエト執行委員会副議長をつとめた後、88年までgorkom第1書記。その後もkraikomで要職につき、90年地方執行委員会議長となる。85年ロシア最高会議に選出される。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議人民代議員ソビエト活動問題・自治拡大委員会副議長。


ジリノフスキー:Жириновский
ウラジーミル、В.
生年月日 1946.04.25
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 カザフスタンの首都アルマアタ(現アルマトイ)で法律家の家庭に生まれる。妻リュドミラさんは法律家。子供は息子が1人。モスクワ国立大学付属アジア・アフリカ学院及びモスクワ国立大学法学部夜間部を卒業。中央アジアとザカフカス地域に関する専門家。英語、ドイツ語、フランス語、トルコ語に堪能。「トルコの政党」などの著書がある。69〜70年、国営テレビ・ラジオ会社で研修を受ける。70〜72年ソ連軍ザカフカス軍管区参謀部将校。トルコで通訳の研修を受け、ソ連平和擁護委員会や「ミール」出版所に勤務(83〜90年)。「民主同盟」で政治活動を開始し、その後90年4月にソ連自由民主党を設立、その議長になる(92年4月からロシア自由民主党)。91年6月のロシア大統領選挙に同党から出馬、ウオッカ値下げなどの公約を掲げたが落選(当選エリツィン、2位ルイシコフ元ソ連首相、3位ジリノフキー)。得票率は7.81%。91年8月のクーデター事件では「国家非常委員会」への支持を公然と声明し、非常事態導入を歓迎。93年9〜10月には最高会議にも大統領にも反対。93年12月選挙で第1期国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。比例区では自民党がトップ。ロシア自由民主党議長。94年4月の党大会で党議長に再選(任期は21世紀初めまで)。95年3月、グラチョフ国防相から「予備役中佐」の名誉称号を授与される。同年12月第2期下院議員に選出。95年1月13日から第2期国家会議国防委員会メンバー。第2期下院評議会員。96年6月16日に実施された連邦大統領選挙に再出馬するが、5.70%の得票率で落選。


シリャエフ:Ширяев
В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 アルハンゲリスク州人民代議員ソビエト副議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。


シリャフチン:Шляхтин
ウラジーミル、И.
生年月日 1940.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年6月15日、保安省次官に就任(ロシア国境警備軍司令官兼任)。中将。93年7月28日、保安次官・ロシア国境警備軍司令官解任。


ジルキン:Жилкин
アレクサンドル、А.
生年月日 1959.08.26
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 教育大学で物理学、数学を専攻し、81年卒業、84年入党。86年コムソモールraikom第2書記、87年同第1書記、88年コムソモールobkom第1書記を歴任する。最高会議青年問題委員会小委員会議長もつとめる。アストラハン州第1行政副長官。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


ジルコフ:Жирков
エゴール、П.
生年月日 1954.06.10
性別
国籍 その他
学歴 博士
考察 93年12月国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。サハ(ヤークーチヤ)共和国文部大臣として働く。「新地域政策」グループのメンバー。国家会議教育・文化・科学委員会委員。


シルショフ:Ширшов
ピョートル、П.
生年月日 1945.03.22
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 レーニン記念軍事・政治アカデミー卒業。63〜90年ソビエト軍勤務。予備役少将。90〜93年ブリャンスク市ソビエト議長をつとめる。93年12月連邦会議代議員に選出され、94年2月1日、安全保障・国防問題委員会議長に就任。無所属。


シレンコ:Сиренко
ヴィクトル、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 サハリン州行政副長官をつとめる。


シロテンコ:Сиротенко
ワレリー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年9月、連邦新聞委員会副議長に就任。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更される。


シロテンコ:Сиротенко
タチヤーナ、М.
生年月日 1948.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ナホトカ市役所普通・専門教育総局副局長。97年12月7日に実施された沿海地方議会代議員選挙に立候補し、当選。


シロトキン:Сироткин
セルゲイ、В.
生年月日 1960.12.21
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 88年大卒後、大学院に進む。ソ連邦内の民族間関係に関わる問題、特にカフカス地方、バルト共和国その他の地域での民族対立の可能性について研究する。86年講師、後に政治経済・科学的共産主義学部の講師になる。raikom委員会員。Znanie society講師も同時につとめる。96年12月1日実施のイワノヴォ州行政長官選挙に立候補したが、落選。


シロトキン:Сироткин
ウラジーミル、Д.
生年月日 1947.07.19
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 モルドヴィア共和国政府副首相。95年12月第2期国家会議代議員選挙で選挙団体「我が家ロシア」より比例区当選。我が家ロシア会派所属。第2期国家会議労働・社会政策委員会委員。


シロボコフ:Широбоков
イーゴリ、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 イルクーツク州におけるロシア大統領代理人をつとめる。97年8月解任。


シンカレンツキー:Шинкарецкий
ヴィクトル、И.
生年月日 1943.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年3月20日より最高会議議会内会派「市民社会」メンバー。