ジャシチェフスキー:Дящевский
アナトリー、Е.
生年月日 1937
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ニコラエフスク・ナ・アムーレ市長。94年3月ハバロフスク地方議会選挙に立候補し当選。


シャシューリン:Шашурин
セルゲイ、П.
生年月日 1957.01.21
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 カザン市社会経済発展協会「タン」会長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、タタールスタン共和国沿ヴォルガ選挙区から当選。「人民に権力を」会派所属。第2期国家会議工業・建設・運輸・エネルギー委員会委員。


ジャジュチェンコ:Дядюченко
ワレリー、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年10月7日、連邦気象観測・環境監視機関副長官任命。


シャシュビアシビリ:Шашвиашвили
イワン、А.
生年月日 1951.06.08
性別
国籍 グルジア人
学歴 大学卒
考察 高卒後、炭坑で働く。69〜71年従軍。71〜74年専門学校に学び、鉱山技師となり、炭坑に戻る。74年炭坑の部門長に昇格し、77年入党。90年冶金学を専門とする大学を卒業。炭坑のコムソモール委員会員に選出され、80〜91年党の炭坑局員をつとめる。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで共和国会議社会政策委員会小委員会議長。


シャターリン:Шаталин
ユーリー、В.
生年月日 1934.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 大将。93年2月12日、ロシア連邦の北オセチヤ・イングーシ臨時行政府副長官、同年3月27日、同長官に就任(同年7月14日解任)。


シャターリン:Шаталин
スタニスラフ
生年月日 1934.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 レニングラード州プーシキン村生まれ。モスクワ国立大学経済学部卒。63年ソ連共産党入党。ソ連大統領評議会員をつとめる。市場経済改革の支持者で市場経済移項00日計画を策定する。90〜91年ソ連共産党中央委員。91年から「ロシア民主改革運動」共同議長。92年から国際経済社会問題基金「改革」総裁。ロシア科学アカデミー会員。選挙ブロック「我が祖国」のリーダーの1人。97年3月3日急逝。


ジャダノワ:Жаданова
リュドミラ、А.
生年月日 1950.12.29
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。小児病院医長として働く。国家会議健康保護委員会委員。


シャタロフ:Шаталов
セルゲイ、Д.
生年月日 1950.01.02
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 共和国会議予算・計画・税金・価格委員会小委員会議長を経て、92年4月から同委員会書記。大学で数学を専攻し、理論数学科講師、応用数学科助教授となる。20以上の論文を発表し、最高会議予算委員会の常勤となる。91年7月、第5回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。92年4月の第6回人代大ではロシア経済改革の進展に関する大統領令草案準備委員会のメンバー。


シャタロフ:Шаталов
アナトリー、Т.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 燃料・エネルギー省次官を経て、同第1次官となる。97年10月18日、同第1次官解任。


シャタロフ:Шаталов
セルゲイ、Д.
生年月日 1950.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年4月、財務省次官に就任。新税法典策定作業に従事するが、98年1月8日、本人の申し出により同職解任。


ジャチェンコ:Дьяченко
タチヤーナ
生年月日 1960.01.17
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 夫と息子2人。1983年にモスクワ大学電算機・人工頭脳学部卒業後、94年までサリュートR&D Bureauに勤務。その後、ザーリャ・ウラーラR&D Bureauに勤務。1996年のエリツィン(父親)の大統領選にむけて選対策グループの一員として働く。97年7月1日大統領顧問(советник)に3年の任期で任命される。ロシア連邦国家公務員法21条3項の5の規定によれば、公務員の近親者は当該公務員の下で公務に就くことを禁じているが、公務員職でない大統領顧問はこの規定に抵触していないとの判断があった。


ジヤチェンコ:Дьяченко
ウラジーミル、Н.
生年月日 1948.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年12月、アムール州行政長官に就任。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議社会政策問題委員会委員。96年5月、連邦予算の目的外利用、並びに賃金支給の遅れ、住民の社会経済的状況の悪化について責任を問われ、同職解任。


シャドリコフ:Шадриков
ウラジーミル、Д.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 高等教育国家委員会副議長を経て、96年9月より普通・専門教育省第1次官をつとめる。


シャノフ:Шиянов
А
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 スタヴロポリ地方第1行政副長官をつとめる。


シャバド:Шабад
アナトリー、Е.
生年月日 1939.05.08
性別
国籍 アルメニア人
学歴 博士
考察 最高会議議会内会派「急進的民主主義者」共同コーディネーター。93年12月選挙で国家会議代議員に選出される。ロシア科学アカデミー物理学研究所研究員として働く。「ロシアの選択」会派のメンバー。国家会議「教育・文化・科学委員会委員。


シャバノフ:Шабанов
イワン、М.
生年月日 1939.10.18
性別
国籍 不明
学歴 博士候補
考察 55-64年コルホーズ勤務、64-65年軍役、66年入党、65-66年農業専門学校教官、66-70年農業大学初級党委書記、70-76年州党委インストラクター、76-82州党委執行部、82-90年ボロネジ州執行委員会議長、92年6月27日、ヴォロネジ州人民代議員ソビエト議長に就任。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。94年9月、同州議会(ドゥーマ)議長に選出される。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議安全保障・国防問題委員会委員。96年12月8日に実施されたヴォロネジ州行政長官選挙で、左派勢力の推薦を受け、当選。


シャバノフ:Шабанов
ドミトリー、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年5月、ロシア大統領監督局副局長職の員数削減に伴い、同副局長のポストから解任。


シャバノフ:Шабанов
アレクサンドル、А.
生年月日 1935.11.05
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 モスクワ国立大学助教授。ロシア連邦共産党中央委員会副議長。95年12月第2期国家会議代議員選挙でロシア連邦共産党より比例区当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議国際問題委員会委員。


シャバリン:Шабалин
ウラジーミル、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 保健・医療産業省次官を努める。


シャプキン:Шапкин
М、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 司法省次官をつとめる。


シャブドゥラスロフ:Шабдурасулов
イーゴリ、В
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 政府官房文化情報総局長兼首相報道官をつとめる。98年5月4日、同職辞任。同月25日、大統領府副長官に任命。マスメディアとの連絡、世論対策を担当し、大統領の演説草稿作成グループを指揮。同年8月28日、大統領府副長官から解任。同日、チェルノムィルジン首相代行によって、政府官房第1副長官、官房長官代行に任命。同年9月解任。


シャブニン:Шабунин
イワン、П.
生年月日 1935.10.09
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 ヴォルゴグラード農業大学卒業 経済学博士候補。58年からヴォルゴグラード州でソフホーズやソフホーズで畜産技手として働く。60〜62年ヴォルゴグラード農業大学大学院生。62年から州農業局地区計画経済部長、党obkom指導員、潅漑農芸大学副学長、州ソフホーズ連合長。75〜87年州ソビエト執行委員会第1副議長、副議長をつとめる。90〜91年州ソビエト執行委員会議長。後にヴォルゴグラード州行政長官。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。上院CIS問題委員会委員。無所属。 96年12月29日に実施されたヴォルゴグラード州行政長官選挙の決選投票で落選。


シャフライ:Шахрай
セルゲイ、М.
生年月日 1956.04.30
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 ウクライナ共和国クリミア州シンフェローポリ生まれ。妻と子供2人。78年ロストフ国立大学法学部卒業。81年モスクワ国立大学で博士候補となり、法学部で教鞭をとる。88〜90年ソ連共産党員。17年間ソ連科学アカデミー民族学研究所に勤務。86年からは政治・法学におけるコンピュ−タ−の効用という新しい学問分野を開発し、87年情報技術研究室を創設、代議員に選出されるまで初代室長となる。ソ連最高会議に法律問題のコンサルタントとして参加、選挙制度の法的側面を立案。ソ連代議員訪米団に専門家として参加。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。同年6月4日ロシア人代大および最高会議議員規則遵守委員会員となる。91年7月最高会議立法委員会議長、ロシア大統領法律顧問。91年12月のCIS創立協定の作成者の1人、国家顧問兼副首相(91年12月〜92年4月)。92年からロシア連邦大統領国家・法制局長。92年3月、コサック復権法案準備委員会議長。同年6月国家顧問解任。黒海艦隊に関するウクライナとの交渉のロシア代表などを経て同年5月ソ連共産党問題を審理するロシア連邦憲法裁判所で大統領代理人、同年11月から民族政策国家委員会議長兼副首相。北オセチア、イングーシ両共和国の危機に関連して92年11月〜12月この地域の暫定行政府長官も兼任。同年11月よりロシア安全保障評議会のメンバー(96年1月18日解任)。93年3月3日、連邦・民族問題国家委員会議長に就任。同委員会は、94年1月10日付大統領令(第66号)でロシア連邦北方民族地域経済発展問題国家委員会と統合され、ロシア連邦民族問題・地域政策省になる。93年12月第1期国家会議代議員に選出される。選挙連合「ロシア統一合意党」リーダー。92年4月副首相解任。94年1月20日 の大統領令により民族地域担当相に任命。但し、副首相ポストは解任。94年1月民族問題・地域政策相(同年5月解任)、同年4月より再び副首相(民族問題担当)。同年2月より連邦執行権力機関およびロシア連邦構成主体の執行権力機関の権限分化問題を担当する政府委員会議長、同年7月、大統領直属連邦機関間の管轄と権限事項の区分に関する合意準備委員会議長および連邦政府付属宗教連合問題委員会議長。95年7月、副首相の担当分野再配分により、従来の任務に加えて対外政策および対外情報活動問題も担当。国家会議民族問題委員会委員。外務省の活動


シャフラニク:Шафраник
ユーリー、К.
生年月日 1952.02.27
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 チュメニ州カルセリ村生まれ。74年チュメニ産業大学卒業。74〜76年石油採取連合会の組立工、技師、技師長、76〜83年企業連合「ニジニヴァルトフスク石油ガス」石油・ガス採取局「ウリエヴ石油」実験室長、中央技術サービス長、83〜85年同石油・ガス採取局の技師長、局長、85〜87年党 raikom 書記、87年から企業連合「タト石油」第1副総支配人、企業連合「ランゲパンス石油ガス」総支配人。90〜91年チュメニ州ソビエト議長。91〜93年チュメニ州行政長官。93年1月より連邦燃料・エネルギー大臣。同年12月の選挙で連邦会議代議員に当選。上院経済改革委員会委員。無所属。96年8月燃料・エネルギー相解任。同8月26日、「チュメニ石油会社」社長に選出。近く首相顧問に任命される予定。


ジャブリツェフ:Зяблицев
エヴゲニー、Г.
生年月日 1965.06.21
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「インテルウーゴリ」ウラル代理店総支配人。95年12月国家会議代議員選挙で、スヴェルドロフスク州ヴェルフ・イセチ選挙区から当選。「我が家ロシア」会派所属。96年1月後半「ロシアの道」メンバー。第2期国家会議工業・建設・運輸・エネルギー委員会メンバー。


ジヤブロフ:Зяблов
ワジム、В.
生年月日 1949
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 医学大学講師。95年12月ハバロフスク地方議会補欠選挙に立候補し当選。


シャポヴァロワ:Шаповалова
ガリーナ、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦漁業委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更される。


ジャボエフ:Жабоев
マフムド、Н.
生年月日 1938.12.26
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 61年キエフ工業大学卒業。61年モリブデン鉱山掘削作業員。鉱山長を務める。63年全ソ連レーニン共産主義青年同盟市委員会第1書記。65年から75年鉱山長、副技師長、高速掘削部長などを務める。75年から77年立坑掘削技術局長。77年から81年コンビナートの副生産局長、鉱山長。81年から93年コンビナート生産部長、その後技術部長。カバルダ・バルカル共和国代表者会議議員。その後議長。96年1月23日ロシア上院議員、ロシア連邦連邦会議資格審査委員会委員。第2期連邦会議予算、財政・外貨・金融規制、通貨発行、税政、関税規制委員会委員。


シャポシュニコフ:Шапошников
エヴゲニー、И.
生年月日 1942.02.03
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ロストフ州アクサイ地区ボリショイ・ログ村生まれ。父親は45年4月東プロイセンで戦死。63年ハリコフ高等軍航空飛行士学校、69年ガガーリン(名称)空軍大学、84年ソ連軍参謀本部大学を卒業。パイロット、飛行連隊長、飛行師団長、軍管区空軍司令官、88年ソ連空軍総司令官第1代理、90年7月同総司令官兼ソ連国防次官、91年8月ソ連国防相、92年2月〜93年6月CIS合同軍総司令官。91年8月航空元帥。63〜91年ソ連共産党員(90〜91年中央委員)。93年3月〜93年9月安全保障評議会書記。この時期、参謀本部大学で宇宙作戦に関する講師も努める。93年9月からニュージーランド駐在ロシア大使。94年1月から国営武器・装備輸出入会社「ロスヴォオルジェニエ」(同社はロシア政府が93年に兵器輸出の効率化を目的に設立)におけるロシア大統領代表。95年10月30日、ロシア政府の決定により、ロシア国際航空「アエロフロート」社長に就任。ロシア民主改革運動メンバー。96年8月26日、「ロスボオルジェニエ」におけるロシア大統領代理人の職務を解任。「アエロフロート」担当ロシア国防省予備役に編入。97年3月、ロシア大統領補佐官(航空宇宙開発担当)に任命される。妻と3人の子供。


シャホフ:Шахов
ウラジーミル、Н.
生年月日 1956.11.19
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 85年極東国立大学法学部を通信教育で卒業。沿海地方で中等学校を終えた後、短い間労働者や運転手として働く。海運学校に学び、79年まで民間船で働く。80年代始めから内務局の諸機関で業務に携わる。83年ソ連国家機関に勤務し始める。85〜89年同ソ連国家機関ウラジオストクソ代表機関長となる。89年から極東ロシア保険株式会社「ダリロソ」勤務。91年から同株式会社総支配人。94年から「ダリロソ」社長。教授で、ウラジオストクのある大学で講座主任を務める、とテレビインタビューに答えている。93年夏ウラジオストク市行政府長官になろうとしたが、第2段階でチェレプコフに敗れた。94年秋ダリニレチェンスクから3人の候補者とともに沿海地方議会に立候補した。この最初の試みで沿海地方の生まれたときからの住人であるリチェンコに24%の差で負ける。95年末選挙グループによってウラジオストク選管区から国家会議に推薦される。競争相手は12人おり、そのなかには、自由民主党所属で国家会議代議員のボリシャコフ、ヤブリンスキー連合所属で国家会議代議員のグルボコフスキー、チェレプコフ、将軍(警察)、検事、共産党員がいる。95年12月第2期国家会議代議員選挙で沿海地方ウラジオストク選挙区から当選。96年1月16日より「ロシアの地域」(独立議員)会派所属。それまでは農業党会派所属。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。98年9月27日に実施されたウラジオストク市長選挙に出馬し、最多得票をするが、選挙不成立。


シャホフ:Шахов
ウラジーミル、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 高等教育国家委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって、普通・高等教育省に統合され、廃止。


シャポワリヤンツ:Шаповальянц
アンドレイ、Г.
生年月日 1952.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 経済省第1次官をつとめる。93年3月29日、経済相代行に就任(同年4月解任、再び同省第1次官就任)。97年4月8日付首相命令でロシア連邦と諸外国間の貿易・経済及び科学・技術協力における政府間委員会ロシア側議長(ユーゴスラヴィア、スロベニア、クロアチア担当)に任命される。98年9月25日、経済相に任命。同年10月5日、政府幹部会メンバー。


シャポワレンコ:Шаповаленко
ウラジスラフ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 オレンブルグ州におけるロシア大統領代理人をつとめる。


シャポワロフ:Шаповалов
セルゲイ、А.
生年月日 1951.06.19
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月の選挙で国家会議代議員に選出される。94年1月、下院連邦問題・地域政策委員会議長就任。ロストフ州行政副長官として働く。ロシア統一・合意党会派のメンバー。


ジャマルディノフ:Джамалдинов
スルタン、Ш.
生年月日 1935.03.01
性別
国籍 チェチェン人
学歴 大学卒
考察 最高会議小委員会議長。91年8月まで党員。ソ連邦時代から内務省関連機関に勤務。92年12月、第7回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


シャミン:Шамин
グリゴリー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 トムスク州人民代議員ソビエト議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。


シャムザファロフ:Шамузафаров
アンヴァル、Ш.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年1月、建設省次官及び大臣官房長官に就任。同省は、97年3月17日付大統領令によって、住宅・建設政策国家委員会に再編される。同年8月、同委員会第1副議長に任命される。同年9月、同委員会第1副議長・議長官房長官に就任。同委員会は、98年4月30日付で廃止され、新設の土地政策・建設・住宅公共事業省に吸収される。同年6月、同省第1次官に就任。同省は、同年9月22日付大統領令第1142号により廃止。


シャムシュロフ:Шамшуров
ワレリー、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年3月24日、連邦・民族問題国家委員会副議長に就任、後に民族問題・地域政策省次官、96年3月の同省の改組により民族問題・連邦関係省次官になる。96年11月死去。


シャムシン:Шамшин
ゲンナディー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 カレリア共和国副首相をつとめる。


ジャムスエフ:Жамсуев
バイル、Б.
生年月日 1959.01.29
性別
国籍 ブリャト人
学歴 大学卒
考察 ザバイカル地域出身。自治管区のコムソモールやソ連共産党組織に勤務した経験を持つ。91年ロシア行政アカデミーを修了し、行政法を専修する。93年12月、第1期国家会議代議員に当選、94年1月には下院連邦民族問題委員会議長に就任する。ロシア連邦アガ・ブリャート自治管区常任代表者として働く。「新地域政策」グループのメンバー。95年12月第2期国家会議代議員選挙でアガ・ブリャート自治管区小選挙区から当選。議員グループ「ロシアの地域」(独立議員)所属。第2期国家会議民族問題委員会副議長。96年8月、国家会議はオセチア・イングーシ紛争事後処理促進委員会を設置し、議長に選出される。97年2月23日、アガ・ブリャート自治管区行政長官選挙で他候補に大差をつけて当選。