ナイチュコワ:Найчукова
スヴェトラーナ、И.
生年月日 1942.04.30
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「ザイグラエフスカヤ養鶏場」社長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、ブリャーチア共和国ブリャーチア選挙区から当選。農業党議員グループ所属。第2期国家会議農業問題委員会委員。


ナウシェフ:Наушев
ザウルビ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 カバルダ・バルカル共和国上院議長。


ナウモフ:Наумов
ウラジーミル、И.
生年月日 1929.11.13
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。ロシア共和国(ソ連)農業功労者。ロシア連邦農業省地域総局長として働く。ロシア農業党会派のメンバー。国家会議農業問題委員会委員。


ナウモフ:Наумов
ウラジーミル、П.
生年月日 1925.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年12月3日、大統領直属政治弾圧犠牲者名誉回復委員会責任書記に就任。歴史学教授。


ナザルチューク:Назарчук
アレクサンドル、Г.
生年月日 1939.08.06
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 アルタイ農業専門学校卒業。64〜75年、アルタイ地方で国営農場長などを歴任。75〜87年、共産党地区委員会書記。農業党中央評議会員、同党議員団長。93年12月国家会議に当選。94年10月27日より連邦農業・食糧相。下院農業問題委員会議長。ロシア農業党会派のメンバー。96年1月12日農業・食糧相解任。96年11月のアルタイ地方行政長官選挙に当初立候補するが、立候補に必要な支持者を獲得できず、選挙戦から脱落。97年1月、アルタイ地方立法会議議長に選出される。


ナザレンコ:Назаренко
ワシリー、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年2月、チュクチ自治管区議会(ドゥーマ)議長に選出される。


ナザロフ:Назаров
アレクサンドル、В.
生年月日 1951.02.24
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 パヴロダール地方生まれ。妻と娘1人。マケエフカ工業大学、ハバロフスク共産党高等教育機関卒業。電気工として働き始め、81年からソ連共産党地方支部の産業輸送部門で働く。83年、地方ソヴィエト執行委員会副議長に選出される。87年、チュクチ自治管区執行委員会副議長。90年、チュクチ自治管区人民代議員に選出される。同年4月25日、同執行委員会議長に昇格。91年11月11日、チュクチ自治管区行政長官に任命。ロシア上院議員。96年2月、連邦会議北部・少数民族問題委員会議長に就任。同年12月22日に実施されたチュクチ自治管区行政長官選挙で再選される。


ナジェイン:Нажейн
イワン、И.
生年月日 1941.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 73〜78年、東京でソ日合弁企業「ユニオリエント」社を率いる。その後13年間にわたり極東海運で働く。ロシア船による輸送業務を行うロ韓合弁企業「トランスオリエント」社社長としてソウルで勤務。98年7月20日、沿海地方行政府船舶航行・港湾・通信・輸送委員会議長として職務に就く。


ナシノフスキー:Насиновский
ウラジスラフ、Е.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年12月26日、大統領府情報分析センター所長、安全保障評議会事務局次長に就任。


ナステヴィチ:Настевич
ヴィクトル、Т.
生年月日 1951.01.01
性別
国籍 ベラルーシ人
学歴 大学卒
考察 75年極東漁業技術大学卒業。科学研究船団探査船の漁獲者として働き始め、その後ザルビノ町魚加工工場で漁獲技師として働く。77年からコムソモール、党、ソビエトの仕事に携わる。コムソモールraikom第2書記、第1書記、党raikom指導員、部長をつとめる。90年地区執行委員会議長に選出される。91年からこの地区の行政長官に任命される。


ナズドラチェンコ:Наздратенко
エヴゲニー、И.
生年月日 1949.02.16
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 サハリン州生まれ。妻と息子2人。68年沿海地方の生産合同「ダリポリメタル」電気設備の組立工として働き始めたが、同年太平洋艦隊の水兵に徴集される。70年下士官として勤務を終えて、75年まで連合「ボル」で組立工として、80年まで「ボル」の現場主任、機械技師、部門長として働く。70年代半ば中等技術学校夜間部卒業。83年極東工業大学を通信教育で卒業。80〜93年生産合同「ダリポリメタル」勤務。83年から同合同の採金共同組合勤務。88年には同共同組合の先頭に立ち、3年後これを採鉱会社「ヴァストーク」にする。90年人民代議員に当選。93年5月19日、沿海地方行政長官に就任、同年12月選挙で連邦会議代議員に投票参加者の65%の票を集めて当選。中等専門教育を受けた40〜60歳の中所得者、カヴァレロフスク、ポジャルスキー、キーロフスク(以上地区)、ダリニゴルスク、レソザボツク、スパスカ・ダリニボ(以上都市)などの地方住人に支持された。無所属。連邦会議安全保障・国防問題委員会委員。現在、「ヴォストク」採鉱会社社長。自分の課題を次のように考える。「まず第1に沿海地方の利益を守ること。これはロシアの根本的な利益に矛盾しない。むしろその利益に、遠い極東の地から応えることなのだ。」沿海地方の困窮は、前任者たちおよび中央の働き不足のせいであると説明し、クリル諸島を沿海地方に合併しようと行動した。ロシア・中国国境線境界決定の断固とした反対者である。「我らが家ロシア」運動が現れると同時に、その沿海地方支部のリーダーとなった。94年秋知事選に出馬したが、選挙はロシア共和国大統領によって中止された。95年12月、下院議員選挙と同時に実施された知事選挙で再選される。97年6月、中央政府と地域での影響力をめぐる闘争が同地方で始まり、同氏に対する退陣要求、繰り上げ知事選挙の提案などが中央から噴出。また、知事の重要な権限を大統領代理人に与える内容の大統領代理人の特別権限に関する大統領令が出される。同年12月、名誉と仕事上の評判を傷つけられたとしてコンドラトフ沿海地方ロシア大統領代理人から提訴される。


ナズメトディノワ:Назметдинова
ミンラウザ、М.
生年月日 1940.12.29
性別
国籍 タルタル人
学歴 大学卒
考察 医療専門学校を卒業し、産院センター長となる。後に、医科大学を卒業し、麻酔の専門家資格を得る。共和国小児病院の医師として働き、部長、副主任医師をつとめる。91年7月、第5回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。代議員選出時には、自治共和国の保健副大臣をつとめていた。92年3月11日から93年9月まで最高会議婦人・家族・母子保護問題委員会議長。


ナタポフ:Натапов
セメン、А.
生年月日 1937.05.22
性別
国籍 ユダヤ人
学歴 大学卒
考察 民族会議各小委員会議長。62年コムソモールに市民兵として招聘される。国家交通監査官、地区民兵将校、犯罪調査課長。65年入党。71年ソ連内務省の高等教育機関を卒業、弁護士資格を得る。78年より市の機関で働き、部長職までつとめる。90年ロシア最高会議立法委員会の職に移る。地方代議員も経験している。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議適法性・法秩序・犯罪対策問題委員会小委員会議長。


ナタリチュク:Натальчук
セルゲイ、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦水利委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって、天然資源省及び環境保護国家委員会に統合され、廃止。


ナタレンコ:Наталенко
アレクサンドル、Е.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年12月、天然資源省次官に就任。


ナビウッリナ:Набиуллина
エリヴィラ、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年5月、経済省次官に就任。


ナポロフ:Наполов
グリゴリー、Е.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 工業政策国家委員会副議長を経て、95年5月、同委員会議長代行に就任。後に第1副議長。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって、産業省に統合され、廃止。


ナルソワ:Нарусова
リュドミラ、Б.
生年月日 1951.05.02
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 サンクトペテルブルグ文化アカデミー助教授。ソプチャーク前サンクトペテルブルグ市長夫人。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「我が家ロシア」から比例区繰り上げ当選。我が家ロシア会派所属。第2期国家会議女性・家族・青年問題委員会委員。


ナロリン:Наролин
ミハイル、Т.
生年月日 1933.10.19
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ヴォロネジ農業大学卒業。57〜65年機械トラクターステーション技師、連合会「セリホズテフニカ」支配人、同連合会副議長として働く。65〜80年リペック州農業局第1副局長、州土地改良局長、リペック州農業局長をへて、80〜93年リッペク州ソビエト執行委員会第1副議長、リペック州行政第1副長官をつとめる。93年4月、リペツク州行政長官に就任。同年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。連邦会議農業政策委員会委員。98年4月12日、リペツク州行政長官選挙に立候補し再選を目指したが落選。