コロチン:Корочин
ヴィクトル、А.
生年月日 1956.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 84年にハバロフスク工業大学卒業。専門は建設技術。中等学校卒業後修理・建設局で工作機操作工として働きはじめる。75〜78年海軍太平洋艦隊に勤務。84年大学卒業後レソザヴォツク市で道路建設局の現場監督として、その後チェルニゴフカ村で道路建設局技師長、局長として働く。92年チェルニゴフスカ地区行政府長官に任命される。地区及び地方議員に選出され、交通・通信委員会議長をつとめた。94年秋に沿海地方会議代議員に投票参加者の33.1%を集めて当選(無所属)。投票者は自分を愛国者とみなす程々に保守的な村の住人であり、コミュニストたちに好感を持ち、93年国家会議の選挙ではジリノフスキーとロシアの女性を民主主義者よりもよしとした。


コロデズニコフ:Колодезников
ワレリー、Н.
生年月日 1947.11.17
性別
国籍 ヤクート人
学歴 大学卒
考察 72年大卒後、建築技師となる。74〜89年党員。代議員選出時には、大学学長であった。大学機関に技師としてつとめ、後に責任者となる。85年、市ソビエト代議員に選出され、90年4月同議長となる。gorkomにも選ばれた経験をもつ。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


コロトコフ:
アンドレイ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 91年モスクワ国立大学マスコミ学部修士課程修了。タス通信に勤務。プロのジャーナリスト。96年12月より政府官房テレビ・ラジオ情報部長として勤務。その後、大統領府クレムリン・テレビ・ラジオ・コンプレクス保障部長として勤務。98年9月1日、政府官房情報局長に任命。


コロトコフ:Коротков
レオニード、В.
生年月日 1965.01.19
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 極東国立大学を卒業。87〜94年「アムールスカヤ・プラブダ」新聞社勤務。通信員、課長をへて編集部内各部統括長をつとめる。93年12月選挙で第1期連邦会議代議員に当選。ロシア連邦共産党のメンバー。連邦会議社会政策委員会書記。95年12月第2期国家会議代議員選挙でアムール州ブラゴヴェシチェンスク選挙区から当選。96年1月16日からロシア連邦共産党会派所属。それ以前は「人民に権力を」会派所属。第2期国家会議労働・社会政策委員会委員。


コロトコフ:Коротков
アレクサンドル、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年2月17日、大統領公文書保管所長に就任。


コロトノシコ:Коротоношко
アナトリー、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 運輸省次官を努める。


ゴロフ:Голов
アナトリー、Г.
生年月日 1946.08.16
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。技師、ロシア社会民主党議長として働く。「ヤブロコ」会派評議会のメンバー。第1期国家会議労働・社会的支援委員会委員。労働立法小委員会議長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「ヤブリンスキー連合」の推薦を受けサンクトペテルブルグ市セヴェロザパドヌイ(北西部)選挙区から当選。第2期国家会議労働・社会政策委員会副議長。


コロブカ:Коробка
イワン、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦国境警備局副長官を務める。


コロフキン:Коровкин
イワン、Д.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年12月12日、連邦特殊建設局副局長に就任。


ゴロフコフ:Головков
アレクセイ、Л.
生年月日 1956.05.31
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 軍人の家に生まれる。90年まで中央経済数理研究所の研究員として務める。90-91はロシア最高会議議長付補佐官、91年にはブルブリス長官付補佐官、91年12月から政府官房長官を務める。93年1月10日、政府官房長官を解任され、同年1月12日、政府(首相)嘱託顧問に就任。93年12月選挙で第1期国家会議に当選。全ロシア民営企業協会総支配人として働く。「ロシアの選択」会派のメンバー。94年から95年まで会派執行委員議長代理。「ロシアの民主的選択」党メンバー。第1期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙でモスクワ市クンツェヴォ選挙区から当選。「我が家ロシア」会派所属。95年5月から「我が家ロシア」運動評議会メンバー。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会副議長。


コロプチェンコ:Коробченко
ヴィクトル、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年1月25日、モスクワ市第1行政副長官(社会的保護担当)に就任。96年7月、モスクワ市の新政府副首相に任命される。


ゴロベツ:Горобец
アレクサンドラ、И.
生年月日
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 72年ウクライナから極東へ移る。ハバロフスクで貸付金計算技術学校を卒業。その後国民経済大学を卒業。74年から銀行勤務。貸付金監督官の仕事から始まり、経理担当者、経理担当主任、経理部長。88年ハバロフスク工業建設銀行鉄道部長。ハバロフスク商業銀行理事会議長。ハバロフスク商業銀行は現在では極東で最大で最も安定した銀行の一つである。ロシアや、ニューヨーク銀行、東京銀行、スイスユニオンバンク、ミチノキ銀行株式会社などの外国の銀行からなる代理店網が組織された。政治的意見は中道主義。


ゴロボイ:
ワレリー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 国営テレビラジオ会社「コムソモリスク」副議長。97年12月7日に実施されたハバロフスク地方議会代議員選挙に立候補し、得票率26.78%で当選。


コロボフ:Коробов
ボリス、К.
生年月日 1946.05.23
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 コストロマ技術大学卒業。70年から木工機械工場現場主任、「ゴルヴォドカナル」技術管理局の技師、コストロマ市公共事業局の技師、局長として働く。86〜91年コストロマ市ソビエト執行委員会第1副議長、議長をつとめる。現在、コストロマ市行政長官。93年12月選挙で連邦会議代議委員に当選。無所属。連邦会議予算委員会委員。


コロボフ:Коробов
セルゲイ、А.
生年月日 1958.10.31
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に選出される。有限会社マーケティング部門副支配人、ロシア自由民主党ペンザ州組織コーディネーターとして働く。国家会議地政学問題委員会委員。


ゴロホリンスキー:Горохолинский
アレクサンドル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ロシア国際協力開発機関副長官をつとめる。


コロメイツェフ:Коломейцев
ニコライ、B.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年6月1日ロストフ州第145下院1人区選挙区で行われた下院補欠選挙に当選。


コロリコ:Королько
ピョートル、П.
生年月日 1945.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年7月28日、大統領府長官秘書室長に就任するが、95年9月、本人の依願により解任。


コロリョフ:Королев
ウラジーミル、Ф.
生年月日 1947.10.16
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 71年医科大学を卒業し、医師になる。80年入党。82年病院の外科部長。市ソビエト代議員に3回連続して選出される。大学のコムソモール委員会書記、後にraikomコムソモール委員会書記となる。88年連邦医師会議に代表として出席。


コロリョフ:Королев
オレグ、П.
生年月日 1952.02.23
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 サラトフ州生まれ。妻と子供2人。サラトフ農業大学卒業。リペツク州で73〜78年レスホーズの営林署員として、78〜84年コルホーズ長として働く。84〜90年地区ソビエト議長、ソ連共産党raikom第1書記をつとめる。90〜92年「リペツクヴォドストロイ」合同企業長。92年6月からリペツク州人民代議員ソビエト議長。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。後に同州議会議長。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。上院代議員資格審査委員会員。連邦会議予算委員会委員。96年1月24日、連邦会議(上院)副議長に就任。98年4月12日に実施されたリペツク州行政長官選挙で80%の得票率で当選。


コロリョフ:Королев
スタニスラフ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年2月まで財務省次官をつとめる。


コロリョフ:Королев
ユーリー、А.
生年月日 1963.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 84年ハバロフスク国民経済大学を卒業。卒業後、ハバロフスク財政局で、監査官、予算部長、有価証券部長として働く。93年から株式銀行「インコムバンク」の「東方」支店長。同銀行は、ロシアで最大手の一つであり、世界の多くの国に代表機関を持ち、ロシアの地方、地域の中心に支店を持つ。「様々な銀行が必要である。全ての国でサービスを行うナショナル・バンク、各地区のための地域銀行、である。我が「インコムバンク」は、最も安定した銀行の一つであり、私達の銀行で利用されている技術は、トップの国際技術水準にある。」


コワリスキー:Ковальский
レオン、И.
生年月日 1940.04.28
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年7月、サマラ州議会議長に選出される。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議予算、財政・外貨・金融規制、通貨発行、税政、関税規制委員会委員。98年7月9日、上院憲法・司法問題委員会副議長に就任。


コワリューク:Ковалюк
ボグダン、С.
生年月日 1955.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 ハバロフスク林業技術大学木材工学部卒業。87年ホルスク木材加工コンビナート支配人に選出。90年から合同「ダリレスプロム(極東森林工業)」副支配人。ソヴィエト連邦国民経済アカデミーを通信教育で卒業。91年株式会社「ダリレス」総支配人。彼の考えによれば、株式会社「ダリレス」創設の目標は、「中央の押しつけから抜け出し、海外市場において、何より森林生産者と木材加工品の利益を生みだし、守ることのできる対外経済組織を創設することにある。」株式会社「ダリレス」は、アジア太平洋地域の国々へのロシアの木材の主要な納入者である。ここで、ロシアからこの地域へ納入される材木製品の3分の1が作られる。政治的意見は中道主義。


コワリョフ:Ковалев
セルゲイ、А.
生年月日 1930.03.02
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 ウクライナ共和国スームィ州セレジナ・ブダ市生まれ。最高会議幹部会員。無党派。生物学博士候補。代議員選出時には、ソ連科学アカデミー付属研究所研究員。法律擁護運動家としても著名。67年から人権擁護活動に取り組み、サハロフ博士の最も近しい戦友となる。69年、ソ連最初の人権擁護団体「人権イニシアチブ・グループ」の創設者の1人になり、またソ連における人権侵害の事例を記録したサミズダート(地下出版)の小冊子「事件クロニクル」編集の中心人物の1人になる。70年、当局の圧力で勤務先のモスクワ大学付属研究所をやむなく退職。74年「反ソ扇動・宣伝」罪で逮捕され、10年以上にわたって投獄、追放生活を送る。87年モスクワに戻り、「人類生存・発達国際財団」人権プロジェクト・グループに参加。90年までソ連科学アカデミー情報伝達問題研究所に技師として勤務。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。91年2月エリツィン擁護のための声明に他の最高会議幹部会員とともに署名する。最高会議人権委員会議長。大統領府人権委員会議長。90〜94年ジュネーブ国連人権委員会のロシア代表団長。93年12月第1期国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。96年1月までロシア連邦大統領直属人権委員会議長、94年1月17日から95年3月10日まで国家会議代議員人権担当全権。95年3月10日、ロシア下院決議により国家会議代議員人権担当全権を解任される。彼の解任は、保守派のバブーリン議員らがコワリョフがチェチェン介入を理由に国際社会にロシア制裁を呼びかけるなどしたとして解任案を下院に提出し、共産党などの同調を得て賛成240、反対75で可決された。「ロシアの選択」会派のメンバー。93年10月から94年10月の間、「ロシアの選択」運動評議会議長。95年9月26日、欧州会議人権擁護功労賞をストラスブールで授与される。95年12月、選挙ブロック「ロシアの民主的選択=民主主義連合」の推薦を受け、モスクワ市チェルタノフスキー選挙区から第2期下院議員に当選。議会内では無会派。第2期国家会議国際問題委員会委員。96年1月23日、大統領直属人権委員会議長及び大統領評議会メンバーなど全ての大統領府の職務から辞任。同年7月8日、広範囲の梗塞症状のため重体となり、モスクワ中央病院の蘇生病棟に収容される。同年12月、モスクワに人権研究所を設立し、所長に就任。


コワリョフ:Ковалев
ウラジーミル、А.
生年月日 1934.11.23
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 大卒後、造船技師となる。造船工場で58〜71年主任技師をつとめる。71〜79年工場長。80年、市ソビエト執行委員会議長に選出される。85年gorkom第1書記。89年から地方ソビエト執行委員会第1副議長をつとめる。90年以降は地方ソビエト執行委員会議長に昇格。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


コワリョフ:Ковалев
アレクサンドル、Я.
生年月日 1942.09.13
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ウォロネジ工業大学卒業。60〜61年鉄道駅機関車庫職長助手として働く。61〜92年ウォロネジ市の様々な組織で働く。最後の職は圧縮機生産連合会総支配人。92年4月10日、ヴォロネジ州行政長官に就任。93年12月、連邦会議代議員に選出される。無所属。上院代議員資格審査委員会員。連邦会議連邦問題・連邦条約・地域政策委員会委員。96年9月18日、ヴォロネジ州行政長官解任、同日、北オセチア共和国及びイングーシ共和国における大統領全権代表に就任。


コワリョフ:Ковалев
ワレンチン、А.
生年月日 1944.01.10
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 ドニエプロペトロフスク生まれ。ロシア共産党員。14歳の時から冶金コンビナートで働き始め、宇宙ロケット設計局にも勤務。ソ連軍と内務省に勤務。内務大佐。モスクワ国立大学法学部及びハーバード大学ケネディ記念国家管理カレッジを卒業。75年モスクワ国立大学法学部大学院を修了、76年1月法学博士候補の学位取得(学位論文のテーマは「英国の裁判証拠制度」)。87年法学博士号取得(論文のテーマは「現代ブルジョア刑事裁判における適法性の危機」)。警察、検察庁、裁判所の活動の組織や刑事裁判といった専門分野に関する数多く論文があり、そのうちのいくつかは外国語に翻訳されている。76〜86年内務省大学で教職と研究活動に従事。86〜93年ロシア連邦内務省高等法律学校と法律研究所の教授。92〜93年国家・国際安全保障財団法律センター所長。91年8月ソ連共産党解散まで党員。93年12月ロシア連邦共産党から比例代表区で第1期下院に当選。94年1月より国家会議副議長。国際スラヴアカデミー会員。法律大学の教授として働く。ロシア連邦共産党会派のメンバー。黒海経済協力議会総会副会長。94年12月下旬、大統領機関と上下両院の代表で構成されるチェチェン共和国人権3者委員会の議長に任命される(副議長は人権担当全権代表セルゲイ・コワリョフ下院議員)。95年1月5日、法相に就任。共産党会派に無断で反人民政府の1員になったとして下院共産党会派を除名。同年4月24日、安全保障評議会非常任メンバー、同年7月、ロシア大統領直属人事政策評議会メンバーになる。96年8月14日司法相に再任。97年4月8日付首相命令でロシア連邦と諸外国間の貿易・経済及び科学・技術協力における政府間委員会ロシア側議長(シリア、ヨルダン担当)に任命される。同年6月21日、スキャンダルの暴露記事が雑誌に掲載された問題で、調査終了までの一時的離職を求める嘆願書を自ら大統領宛に提出。同年7月2日司法相職を、そして同月22日に安保評議会非常任メンバーを辞任。98年3月、モスクワ市裁判所は同氏のスキャンダル事件について伝えた記事を名誉毀損とした同氏の訴えを却下。


コワリョフ:Ковалев
ワシリー、Н.
生年月日 1960.02.14
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。ヴォログダ州行政副長官として働く。「12月12日」連合グループのメンバー。第1期国家会議経済政策委員会委員。後に財務省次官を経て、98年7月14日、国家税務局第1副長官に就任。


コワリョフ:Ковалев
ニコライ、Д.
生年月日 1949.08.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 モスクワの労働者の家庭に生まれる。妻との間に1女。72年モスクワ電気・機械大学を卒業し、「モスエネルゴ」で電気技師として働く。74年より国家機関で働き始め、KGBに入り、ペルヴォマイスク支部からモスクワのKGB本部及びモスクワ支部で勤務する。2年間のアフガニスタン勤務を経て、モスクワの連邦防諜機関で働く。95年9月、連邦保安局副長官(経済防諜担当)に就任。96年6月20日、バルスコフ解任を受けて、長官代行となり、同年7月9日に長官就任。同7月25日設立されたロシア連邦国防評議会メンバーになる。同年8月、安全保障評議会常任メンバーとして承認される。大将。96年10月11日付大統領令によって承認された大統領直属納税・予算規律強化臨時非常委員会議長メンバー。98年2月23日、上級大将に昇進。98年3月23日、大統領令第281号により、ロシア連邦憲法第83及び117条に従って、連邦政府の総辞職及び新政府組閣まで政府閣僚は職務を引き続き遂行することを決定。同年3月から租税・関税面の特典供与の監督に当たる委員会のメンバー。同年5月、連邦保安局長官に再任。同年7月25日、他の職務への転出に伴い同局長官から解任。同年10月、安全保障評議会常任メンバーを解任。


コワリョフ:Ковалев
ワレリー、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ヴォルガ鉄道局長を経て、96年12月、鉄道省次官に就任。


コワレンコ:Коваленко
ウラジーミル、В.
生年月日 1947.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 60年代半ば極東国立大学法学史学部夜間部卒業。61年炭坑で鉱山労働者として働き始める。62年ソ連軍武装部隊に召集され、極東国境軍管区に勤務する。64〜70年ウラジオストックの工場「ラジオプリボル」で電気組立工として、その後、技師・技術者として働く。同工場の党委員会で副書記、書記として働く。短期間、連合「プリモルルィプフロート」第1船長補佐として働く。71〜73年軍事産業委員会の一工場の党委員会書記を務める。74年12月までウラジオストック包装材コンビナート副支配人として働く。その後、ウッスリースク市人民裁判所裁判官に選出される。79年同裁判所議長に任命される。89年ウラジオストックに戻り、沿海地方ソビエト代議員に選出され、ペルヴォレチェンスク地区人民裁判所議長になる。沿海地方裁判官技能資格認定委員会のメンバー。


ゴンジャロフ:Гонжаров
オレグ、П.
生年月日 1954.03.13
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ノヴォシビルスク州行政府広報局長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。「我が家ロシア」会派所属。96年3月6日より第2期国家会議民族問題委員会委員。それ以前は連邦問題・地域政策委員会委員。


コンスタンチノフ:Константинов
イリヤ、В.
生年月日 1956.12.28
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 代議員選出時には、企業で働いていた。レニングラード人民戦線の指導者の1人。選挙期間中は既成の社会関係の急進的改革を支持。非常手段のみが国家の危機を救うと考える。共産党解体および全ての政府・社会機構からの追放、ソ連邦の解体、市場経済の導入などを訴える。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出され、第5回人代大でロシア最高会議議長候補に指名される。ロシアの愛国主義が社会統合の重要な力となるという見解をもつ。最高会議議会内ブロック「ロシアの統一」代表。


コンスタンチノフ:Константинов
グリゴリー、Е.
生年月日 1938.09.05
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 91年8月まで党員。国営農場に勤務し、後に国営農場長となる。地方ソビエト代議員および行政歴あり。92年12月、第7回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


コンスタンチノフ:Константинов
ヴィクトル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年8月7日、連邦破産・財政健全化問題局副長官に就任(同年10月解任)。


コンダコフ:Кондаков
ニコライ、Я.
生年月日 1949.12.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。ブリャート共和国土地改良技術功労者。設計建設操業連合総支配人として働く。ロシア農業党会派のメンバー。天然資源・自然利用委員会委員。


コンダコフ:Кондаков
アレクサンドル、М.
生年月日 1958.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年7月、普通・専門教育省次官に就任。


ゴンチャル:Гончар
ニコライ、Н.
生年月日 1946.10.18
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 ムルマンスクで軍人の家庭に生まれる。子供は娘1人。モスクワエネルギー大学卒。オルジョニキゼ(名称)モスクワ管理大学大学院を修了(経済学専攻)。大都市の管理機関の組織の問題が専門。73年からモスクワラジオ工場技師として働く。つぎにコムソモールのモスクワ市ソビエト学生研究部長、76〜82年モスクワ経済総合発展問題研究所部長をつとめる。82〜90年地区ソビエト執行委員会、ソ連共産党raikom議長、地区ソビエト執行委員会議長、地区ソビエト議長。91年6月20日、モスクワ市人民代議員ソビエト議長に就任。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同市ソビエト解体。93年12月、第1期連邦会議代議員に当選。無所属。94年2月、上院予算・財政・通貨・融資調整・通貨発行・税政策・関税調整委員会(予算委員会)議長に就任。95年12月モスクワ市ツェントラリヌイ(中央)選挙区から第2期下院議員に当選。議会内会派は無会派。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会メンバー。97年11月、それまで親密な関係を保ってきたルシコフ・モスクワ市長がテレビ番組の中でゴンチャル氏と公然と訣別すると発言。


ゴンチャルク:Гончарук
アレクサンドル、С.
生年月日 1951.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 70年代初頭ウラジオストックの航海士職業技術学校卒業。77年チェリャビンスキー中等法科学校卒業。84年極東国立大学で法学士のディプロムを受け取る。極東・沿海地方海洋汽船会社働き始め、その後沿海汽船会社人事部で働く(手首の外傷の結果、右手を失ったので)。73年から沿海地方キーロフ地区地区体育とスポーツ委員会議長、労働組合専従職員、キーロフ地区裁判所人民裁判委員として働く。84年スパッスク地区裁判所人民裁判官に選出される。87年同裁判所議長になる。地区ソビエト議員に選ばれる。


ゴンチャレンコ:Гончаренко
ユーリー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 スタヴロポリ地方人民代議員ソビエト議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同地方ソビエト解体。


ゴンチャロフ:Гончаров
ニコライ、Н.
生年月日 1952.05.18
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 94年1月、国家会議代議員に補欠当選。教師、株式会社社員として働く。ロシア連邦共産党会派のメンバー。国家会議財産・民営化・経済活動委員会委員。


ゴンチャロフ:Гончаров
ウラジーミル、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦雇用機関副長官をつとめる。


ゴントマヘル:Гонтмахер
エヴゲニー、Ш.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年6月、政府官房社会発展総局長に再任。


コンドラショフ:Кондрашов
ボリス、П.
生年月日 1957.03.24
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 最高会議適法性・法秩序・犯罪対策問題委員会副議長。大学で法学を専攻し、弁護士資格を得て検察機関で働く。元党員。代議員選出時には、モスクワ市ソビエト執行委員会検察部長。90年ロシア最高会議常勤になる。同年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。


コンドラチエフ:Кондратьев
ロアルド、Б.
生年月日 1929.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 51年クイブィシェフ農業大学を卒業。54年同大学付属大学院を修了。54年からクラスノヤルスク農業大学で講師として働く。72年から78年同大学学長。78年からノヴォシビルスクのロシア農業科学アカデミーシベリア支部常任委員会学術書記。88年からハバロフスクに住む。ロシア農業科学アカデミー極東支部常任委員会議長。112の学術論文を発表。主要な研究はシベリア及び極東の様々な地域における穀物収穫の組織化の法則性の発見に捧げられている。ロシア農業科学アカデミー会員。「人々の中に、私は秩序と明確な目的と、善良さと、ユーモアの感覚を認めている。」


コンドラチェンコ:Кондратенко
ニコライ、И.
生年月日 1940.02.16
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 クバニ農業大学卒業。65年からコルホーズ「クラスナヤ・ズヴェズダ」勤務。66〜70年同コルホーズの農業専門家、副コルホーズ長として働く。70〜75年ソ連共産党raikomの第2書記、75〜77年kraikomの指導員、77年からraikom第1書記をつとめる。82〜84年北コーカサス砂糖産業生産連合会総支配人。84〜87年kraikom書記、87〜91年クラスノダルスク地方ソビエト議長。91〜93年ガラス容器工場長。「レゼルヴ・タバコ」社副総支配人の経験もある。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。連邦会議農業政策委員会委員。クバニ農業大学学長在職中の96年12月22日に行われたクラスノダル地方行政長官の再選挙で、左派統一候補として立候補し、得票率82%で圧勝。


コンドラチェンコ:Кондратенко
アレクサンドル、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 鉄道省次官を努める。


コンドラトフ:Кондратов
ヴィクトル、Е.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 中将。沿海地方連邦保安局長を経て、97年5月23日、同地方における大統領代理人に任命される。同年6月、同地方知事であるナズドラチェンコと中央政府との対立から、連邦予算から同地方に提供される資金の管理、漁獲割り当て量の調整、連邦地方機関の監督を行う権限などの追加権限を与えるという大統領代理人の特別権限に関する大統領令が出される。このため、同地方では、知事にかわって同代理人が「知事将軍」と呼ばれる。同年12月、ナズドラチェンコ沿海州知事を自分の名誉と仕事上の評判を傷つけたとして裁判所に提訴。98年2月、同氏は、97年6月4日付の「沿海地方におけるロシア連邦大統領全権代表の追加的権限と義務について」の大統領命令によって付与された中央からの予算資金の地元での配分や漁獲割当の配分等を監督する権限の返上を大統領に要請すると表明。この大統領命令は、国内地域における国家元首の代理人の全権を全般的に明確化した97年7月9日付大統領令発布に関連して下されたもの。これに対し、エリツィン大統領は、98年3月、同大統領命令の失効を認め、コンドラトフ氏の要請が聞き入れられたことになる。同年5月25日付大統領令「連邦執行権力機関の地域会議(コレギヤ)について」の遂行のため、連邦執行権力機関沿海地方地域会議が同年6月9日設置され、議長に就任。


コンパンツェフ:Компанцев
ヴィクトル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年12月までブリャンスク州における大統領全権代表をつとめる。