コヴァリ:Коваль
ワレリー、Н.
生年月日 1951.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 タンボフ市長を経て、96年11月、タンボフ州におけるロシア大統領代理人に就任。98年同職解任。


ゴヴォルーヒン:Говорухин
スタニスラフ、С.
生年月日 1936.03.29
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 スヴェルドロフスク州生まれ。妻と息子1人。国立映画大学卒。大卒後、オデッサの撮影所で働く。ゴルバチョフ時代まではあまり有名ではなく、90年に「こんな生き方はもうできない」で一躍、国内と世界で認められる。10月革命後の大量殺戮やロシア正教の徹底的な破壊ぶりを描き、そうした破局的悲劇の責任がレーニンにあることを初めて映画で示す。俳優もこなす。92年ソルジェニーツィンに関する映画を作る。同年の「我々が失ったロシア」は国内で大反響を呼ぶ。93年からロシア民主党員。93年12月選挙で国家会議代議員に当選。95年4月18日からロシア民主党会派のリーダー。国家会議安全保障委員会委員(刑法立法小委員会委員)。95年12月の第2期下院選挙には「スタニスラフ・ゴヴォルーヒンのブロック」の推薦を受けてスタヴロポリ地方カヴミノヴォツキー選挙区から出馬、当選。96年1月19日、国家会議文化委員会議長に就任。議員グループ「人民に権力を」所属。


コヴリジヌィフ:Коврижных
ユーリー、И.
生年月日 1940.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 60年通信技術学校を卒業。70年極東国立大学法学部夜学部を卒業。60年代前半にソ連軍に徴集される前にウラジオストック建設局で組立工・はんだ工として働く。軍隊勤務地はサハリン。復員後再びウラジオストックで無線オペレーターとして、無線機器調節係、船隊組立労働者として働く。71年法務関係の職に就く。アルチョム市人民裁判所人民裁判官に選出される。89年シコトヴォ17(現在のフォーキノ)市人民裁判所議長に任命される。


コヴリャギン:Коврягин
アナトリー、Ф.
生年月日 1938.01.11
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 ペンザ農業大学卒業後60〜67年コルホーズや地区農業局の農業専門家、ソフホーズ長として働く。67〜79年ソ連共産党raikom第1書記、obkom課長、82〜86年共産党中央委員会指導員(共産党中央委員会社会科学アカデミー卒業。)、86〜91年obkom第2書記、ペンザ州ソビエト執行委員会議長をつとめる。91〜93年ロシア連邦最高会議憲法委員会で働く。93年4月11日、ペンザ州行政長官に就任。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。連邦会議連邦問題・連邦条約・地域政策委員会委員。98年4月12日に実施されたペンザ州行政長官選挙で13%の得票率にとどまり、落選。


ゴーマン:Гоман
ウラジーミル、В.
生年月日 1952.01.29
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 アゼルバイジャン共和国バクー生まれ。妻と2人の息子。趣味は音楽、観劇、スポーツ。72年、トロイツク技術航空学校卒業。72〜74年、チュメニ航空機工場で働く。74〜89年、作業工から責任者までつとめる。89〜91年、ナドゥィマ市(ヤマル・ネネツ自治管区)ソヴィエト人民代議員大会議長。91〜93年ナドゥィマ市長。93年12月、第1期国家国家会議代議員に選出される。94年1月、第1期国家会議連邦問題・地域政策委員会副議長に就任。小選挙区から選出される。「新地域政策」グループ副議長。95年12月第2期国家会議代議員選挙でヤマロ・ネネツ自治管区小選挙区から当選。議員グループ「ロシアの地域」(独立議員)所属。96年1月、第2期国家会議北部問題委員会議長に就任。96年10月13日実施のヤマロ・ネネツ自治管区行政長官選挙に立候補したが、落選。98年5月5日、北方開発国家委員会議長に任命。同国家委員会は、同年9月22日付大統領令第1142号により廃止。同月、民族政策省第1次官就任。


コガチコ:Когатько
グリゴリー、И.
生年月日 1944.01.01
性別
国籍 不明
学歴 中/高卒
考察 ウクライナ共和国ニコラエフ州ノーヴィ・ブーグ州ボリシャヤ・アレクサンドロフカ村出身。妻と子供2人。中等鉄道運輸専門学校卒業後、兵役に就き、鉄道部隊に配属される。63年下級将校に任官され、以後小隊、中隊、大隊、旅団、兵団を指揮。レニングラード高等鉄道部隊・軍事交通学校校長、CIS合同軍鉄道部隊長官、CIS合同軍中央自動車道路局長など歴任。97年1月現在、連邦鉄道部隊局長官・司令官をつとめる。


ココーシン:Кокошин
アンドレイ、А.
生年月日 1945.10.26
性別
国籍 不明
学歴 博士
考察 モスクワで軍人の家庭に生まれる。妻と子供2人。69年モスクワ・バウマン工業大学卒業。歴史学博士、教授。ロシア科学アカデミー準会員。軍事政治問題と国家安全保障問題の専門家。74年からソ連科学アカデミー米国・カナダ研究所学術書記、78〜84年同研究所課長、84〜91年同研究所副所長、91〜92年同研究所の後身ロシア科学アカデミー米国・カナダ研究所副所長。92年4月からロシア連邦第1国防次官。防衛産業民需転換・民営化センター所長。96年1月、国防相官房長官に就任。同省第1次官兼務。軍総監。同年7月25日設立されたロシア連邦国防評議会メンバーになる。ロシア政府政令No.1051(96.9.9)により政府業務委員会メンバーに任命される。97年8月28日、ユーリ・バトゥーリンの後任として国防評議会書記に就任、同時に大統領直属国家軍事監督局局長に任命。98年3月、大統領令により国防評議会が廃止されたことにより、同評議会書記及び国家軍事監督局局長から解任され、安全保障評議会書記に任命される。同年9月10日、他の職務への転出のため同職解任。


ココフ:Коков
ワレリー、М.
生年月日 1941.10.18
性別
国籍 カバルヂニア人
学歴 博士候補
考察 カバルダ・バルカル共和国生まれ。家族構成は妻、子供2人。64年カバルダ・バルカル共和国国立大学卒業後、64〜66年コルホーズに農業専門家として勤務。モスクワに移り、66年から91年まで共産党員。66〜70年農業経済研究所に大学院生として学ぶ。共和国に戻り、70〜73年ソフホーズ長をつとめる。73〜83年ソ連共産党raikom第1書記、83〜85年共和国国家農業生産・技術サービス委員会議長。85〜90年ソ連共産党obkom書記、第1書記。90〜91年共和国最高会議議長、91年9月29日辞任。91〜92年共和国閣僚会議第1副議長をつとめる。90〜93年、ロシア共和国人民代議員。91年10月大統領に推薦され、4人の候補のなかから88.86%の支持を受けて92年1月5日、カバルダ・バルカル共和国大統領に選出される。投票率は53.8%。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。94年4月24日、大統領直属大統領評議会員に就任。連邦会議国際問題委員会委員。96年1月24日、連邦会議副議長に就任。96年8月8日、ロシア上院はチェチェン紛争解決委員会を設置し、議長に任命される。97年1月12日、カバルダ・バルカル共和国大統領選挙で、98.3%の得票をして再選される。


ココレフ:Кокорев
エヴゲニー、М.
生年月日 1940.12.02
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 93年12月国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。ロシア教育アカデミーの準会員。国際教育大学総裁として働く。「新地域政策」グループのメンバー。国家会議教育・文化・科学委員会委員。


ココレフ:Кокорев
ユーリー、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年11月、連邦漁業委員会副議長に就任。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、連邦委員会から国家委員会に名称変更される。


コサリコフ:Косариков
アレクサンドル、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ニージニーノヴゴロド州副知事を経て、98年4月24日、同州における大統領代理人に任命される。


コジェヴニコフ:Кожевников
イーゴリ、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年4月18日、内務省次官に就任(犯罪捜査委員会議長兼任)。98年5月9日、再び内務次官兼内務相直属犯罪捜査委員会議長に任命。


コジェヴニコフ:Кожевников
アレクサンドル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年8月、国境警備隊司令官代理に就任(国際条約局長兼務)。少将。


コジェミャキン:Кожемякин
ウラジーミル、Н.
生年月日 1956.07.25
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に選出され、94年1月より下院民族問題委員会副議長をつとめる。ロシア連邦政府副首相副官房長として働く。ロシア統一・合意党会派秘書長。国家会議民族問題委員会副議長。


コシェワ:Кошева
ヴィオレッタ、К.
生年月日 1940.05.17
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 アストラハン技術学校校長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議女性・家族・青年問題委員会委員。


コシキン:Кошкин
ミハイル、П.
生年月日 1954.10.10
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ウドムルト共和国農業食糧相。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、ウドムルト共和国ウドムルト選挙区から当選。農業党議員グループ所属。第2期国家会議農業問題委員会委員。


コシコフ:Косиков
ミハイル、Ф.
生年月日 1947.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年9月、リャザン州議会(ドゥーマ)議長に就任。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議社会政策問題委員会委員。


コシマン:Кошман
ニコライ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ザブガエフチェチェン共和国首長の下で共和国首相をつとめる。97年4月8日、鉄道省次官に任命される。


コジューホワ:Кожухова
ワレンチナ、В.
生年月日 1950.01.09
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月国家会議代議員に当選、94年1月より下院健康保護委員会副議長職に就く。スタヴロポリ地方常任保健委員会議長として働く。「ロシアの女性」会派のメンバー。


コジョーキン:Кожокин
エヴゲニー、М.
生年月日 1954.04.09
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 大学在学中よりコムソモール委員会委員をつとめる。ソ連科学アカデミーに所属し、後に最高会議国際問題委員会常勤となる。代議員選出時には、大学の上級研究員であった。ロシア代議員に選出された後、90年7月離党。91年10月アゼルバイジャン・アルメニア間の交渉監視団の代表に任命される。同日、経済同盟条約批准準備グループに選出される。91年11月にはロシア連邦とラトビア、リトアニア、エストニア間条約準備グループにも選ばれる。92年2月ロシア最高会議の代表団としてCIS首脳会談に出席する。その他、米ソ戦略攻撃兵器削減条約批准準備グループや経済改革令草案準備委員会員などもつとめる。92年4月、第6回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議国防・安全保障問題委員会小委員会議長および同国際問題・対外経済関係委員会小委員会議長。


コスィフ:Косых
ウラジーミル、И.
生年月日 1950.05.23
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。ヴォルゴグラード市内務局犯罪取締本部長として働く。「新地域政策」グループのメンバー。国家会議安全保障委員会委員。


コスィフ:Косых
ミハイル、Ф.
生年月日 1949.09.21
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 第1期国家会議代議員秘書。95年12月第2期国家会議代議員選挙に比例区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議観光・スポーツ委員会委員。


コズィレフ:Козырев
アンドレイ、В.
生年月日 1951.03.27
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 ブリュッセル生まれ。妻と娘1人。68〜69年、モスクワの機械製造工場「コムナール」に就職。74年モスクワ国際関係大学卒業後ソ連外務省に入省、国際機関部に勤務。外国勤務の経験なし。89〜90年同省国際機関局長。90年10月からロシア外相(96年1月解任)。軍縮問題に関する論文や著書がある。英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語に通じている。趣味は哲学と絵画。好きな作家はナボコフとグミリョフ。特命全権大使の資格を持つ。93年12月の選挙で「ロシアの選択」選挙ブロックの推薦を受けて国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。「ロシアの選択」会派のメンバー。94年12月11日会派脱退。以後無会派。国家会議国際問題委員会委員。92年9月、安全保障評議会非常任メンバー(96年2月解任)。95年12月の第2期下院議員選挙にムルマンスク州第116ムルマンスク選挙区から当選し、議員就任に伴って96年1月5日外相解任。議会内では無会派。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会メンバー。


コズィレフ:Козырев
アレクサンドル、И.
生年月日 1949.12.30
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 93年12月に第1期国家会議代議員に選出される。94年1月、下院連邦問題・地域政策委員会副議長に就任。経済および企業経営科学アカデミー常任委員会の主任秘書兼メンバー。経済・歴史国際協会副総裁。ロシア自由民主党会派のメンバー。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。第2期国家会議国際問題委員会副議長。


コズィレフ:Козырев
ニコライ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 住民社会保護省次官をつとめる。


コズィレフ:Козырев
アナトリー、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 燃料・エネルギー省次官を努める。


コスチコフ:Костиков
ヴャチェスラフ、В.
生年月日 1940.08.24
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 モスクワで労働者の家庭に生まれる。モスクワ国立大学ジャーナリズム学部卒。英国シェフィールド大学に留学してジャーナリズムを学び、また全ソ外国貿易大学(国際経済専門家養成学部)でも学ぶ。フランス語と英語を自由に操る。67年からノーヴォスチ通信政治評論員。72〜78年及び82〜88年パリのユネスコ本部に勤務。92年5月大統領報道官。コスチコフは風刺的な政府批判家として知られている。エリツィンはコスチコフに報道書記官の職を与えただけでなく、その職務を大統領補佐官の地位と同等のものとし、彼を優遇した。コスチコフは大統領の報道サービス機関を監督するが、後者の機関長には現在彼の永年の友人であり、また大統領とも直結しているアナトーリ・クラシコフが就いている。94年11月17日、大統領報道官職を辞任、バチカンのロシア代表に転出。同年12月22日、バチカン公式代表に就任。96年2月10日、バチカン大使辞任。しかし、大使召還に関する大統領令は、同年6月の大統領選挙後に採択され、同年8月に召還。大使召還の理由は、エリツィン大統領、特に軍事関係の元側近たち(グラチョフ前国防相らを指す)に対するコスチコフの一連の批判的発言にあるとされている。著書に「大統領との訣別」がある。妻マリーナさんは社会学者。娘1人。


コスチュク:Костюк
ワレリー、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年11月、科学技術国家委員会第1副議長に就任。同委員会は、97年3月17日付大統領令によって、科学技術省に再編される。


コスチュトキン:Костюткин
ウラジーミル、М.
生年月日 1948.11.13
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。ロシア自由民主党議長補佐として働く。第1期国家会議地政学問題委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。ロシア自由民主党会派所属。第2期国家会議環境委員会副議長。


コスチュニン:Костюнин
ウラジーミル、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 燃料・エネルギー省第1次官を努める(96年12月解任)。


コスチン:Костин
アレクサンドル、М.
生年月日 1946.07.24
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 高卒後、労働者として働き、4年間兵役につく。その後、工場につとめ、グループリーダーとなる。88年大学を卒業し、専門技師の資格を得る。74〜90年党員。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。同年9月ロシア最高会議常勤となる。


コスチン:Костин
ヴィクトル、Ф.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 環境保護・天然資源省大臣顧問をつとめる。


コスチン:Костин
アレクサンドル、Я.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年キーロフ州人民代議員ソビエト議長に就任。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。