ケゴーディ:Кегодь
ゲンナディー、И.
生年月日 1951.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 88年ブラガヴェシェンスク農業大学を通信教育で卒業。専門は農業専門家の資格を持つ。ハバロフスク地方ビキンスク地域のソフホーズで働き始める。最後の職は、ソフホーズの支部主任。88年から90年ハバロフスクのキーロフ(名称)工場で農作物栽培部主任として働く。90年から93年合同「友好」で農作物栽培部長として働く。93年ハバロフスク地方ビキンスク地区行政副長官。96年9月からビキンスク地区行政長官代理。


ケジナ:Кезина
Л
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 教育省次官をつとめる。


ケチキン:Кечкин
ワレリー、А.
生年月日 1939.01.17
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 61年から65年ソフホーズの技術主任技師。65年から70年ソフホーズ指導員。70年から72年インサルスク地区農業局長。74年から77年モルドヴィヤobkom職員。77年から83年モルドヴィヤ共和国生産合同「農業化学」議長。83年から89年インサルスクraikom第一書記。89年から92年モルドヴィヤ共和国閣僚会議副議長。モルドヴィヤ共和国食料国家委員会議長。92年モルドヴィヤ共和国農民同盟評議会議長。92年から95年モルドヴィヤ共和国「財産」基金議長。95年10月5日からモルドヴィア共和国国家会議議長。ロシア上院議員。第2期連邦会議農業政策委員会委員。


ケドロフスキー:Кедровский
オレグ、В
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年12月23日、政府付属科学技術発展のためのロシア情報資源公社総支配人に就任。


ケリネル:Кельнер
レオニード、И.
生年月日 1939.01.01
性別
国籍 ドイツ人
学歴 大学卒
考察 66年ハバロフスク工業大学卒業。57年工場の組立工として働き始める。58〜61年ソ連武装部隊に勤務。大学卒業と同時に「ダリアフタダロガ」局に派遣され、技師、技師長として、その後、ウッスリースク市地区担当として働く。85年から連合「プリモルアフトドル」技師長として働く。92年から沿海地方行政府道路局長として働く。94年から沿海地方行政府道路委員会議長。


ゲイト:Гейт
ブルンノ、В.
生年月日 1940.01.01
性別
国籍 その他
学歴 大学卒
考察 61年トゥーラ機械技術学校を卒業。ヴラジーミルで掘削機械技師助手として働く。64年軍からの復員後もハバロフスクに残る。「ダリオルグテフストロイ」トラストの設計局技術者として働く。ハバロフスク工業大学を通信教育で卒業。グラブストロエで、「ハバロフスクプロムプロエクト」研究所の主任設計技師として働く。91年からハバロフスク地区行政副長官、建設委員会議長。「任命は特にうれしいことではない。特別の野心は抱いていない。当面の、しかし責任のある仕事だと感じている。」


ゲオルギエフスキー:Георгиевский
ヴァレンチン、В.
生年月日 1957.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年3月のハバロフスク議会選挙に立候補し当選。会社社長。


ゲニアトゥリン:Гениатулин
ラヴィリ、Ф.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年よりチタ市行政長官をつとめ、96年2月、チタ州行政長官に就任。ロシア上院議員。第2期上院農業政策委員会メンバー。96年10月27日、チタ州知事選挙で再選される。


ゲネラロフ:Генералов
アンドレイ、И.
生年月日 1964.03.02
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月、国家会議代議員に当選。市の商工会議所会長として働く。「ロシアの選択」会派のメンバー。国家会議国防委員会委員。


ゲネラロフ:Генералов
セルゲイ、В.
生年月日 1963.09.07
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 シンフェロポリ市(クリミア)出身。妻と息子1人。モスクワ・エネルギー大学無線工学部及びオルジョニキッゼ記念高等管理学校卒業。91〜92年、科学・生産企業Firma TET営業部長、92〜93年、NIPE銀行副頭取、93年プロムラドテフ銀行に移り、組織課長、顧客局長をつとめる。93〜97年、石油会社「ユコス」勤務、94年から同社副社長。97年からメナテップ銀行副頭取。98年4月30日付で連邦政府燃料・エネルギー相に任命。同年5月、キリエンコ首相の後任としてロシア株式会社「ロシア統一電力体系」(EES)の国家代表参与会の議長に任命。同年6月、「ガスプロム」の年次株主総会で、同社理事会メンバーに選出。同年8月の内閣総辞職を受けて燃料・エネルギー相代行となるが、同年9月25日、燃料・エネルギー相に再任。


ゲネラロフ:Генералов
フセヴォロド、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦冶金工業委員会副議長を経て、96年1月、同委員会第1副議長に就任。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって、産業省に統合され、廃止。


ゲフト:Гехт
ユーリー、Г.
生年月日 1943.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 最高会議議会内会派「工業同盟」指導者。


ゲラシチェンコ:Геращенко
ヴィクトル、В.
生年月日 1937.12.21
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 レニングラード市(現サンクトペテルブルグ市)生まれ。60年モスクワ財務大学卒。60〜61年、ソ連国立銀行勤務。61〜65年、ソ連対外貿易銀行勤務。63年ソ連共産党入党(91年の党解散まで党員)。65〜67年、モスクワ人民銀行ロンドン支店、67〜72年、同行レバノン支店で支配人までつとめる。72〜74年、ソ連対外貿易銀行で要職歴任。74〜77年、西ドイツのソビエト銀行会長。77〜82年、モスクワ人民銀行シンガポール支店支配人。82〜89年、ソ連対外貿易銀行(85年以降対外経済銀行)で第1副会長までつとめる。89〜91年、ソ連国立銀行会長。90〜91年、ソ連共産党中央委員。91年国立銀行の職を辞し、スタニスラフ・シャターリン氏の国際経済・社会改革基金「レフォルマ」に参加。92年11月4日、中央銀行総裁に代行から昇格(93年9月再任)。93年2月より政府クレジット政策問題委員会メンバー。94〜96年、中央銀行科学研究所顧問、同行総裁代行顧問。96年3月、モスクワ国際銀行総裁に任命される。98年9月11日、中央銀行総裁就任。政府幹部会メンバー。


ゲラシムチュク:Герасимчук
ゲンナディー、Д.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 運輸省第1次官をつとめる。


ゲラシメンコ:Герасименко
ニコライ、Ф.
生年月日 1950.12.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 アルタイ地方行政府健康保護委員会議長。95年12月第2期国家会議代議員選挙にアルタイ地方ルブツォフスク選挙区から当選。議員グループ「ロシアの地域」(独立議員)所属。96年1月、国家会議健康保護委員会議長に就任。


ゲラシモフ:Герасимов
ワレリー、И.
生年月日 1953.10.13
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 77年医科大学を卒業後、母校の外科につとめる。後にアフガニスタンに派遣され、帰国後は地区の主任医師となる。89年入党。代議員選出後、最高会議の医療に関する委員会に所属。第6回人代大では、ロシアの経済改革の行方に関する大統領令草案の起草委員となる。92年国家委員会の議長に任命される。93年9月まで最高会議保健・社会保障・体育委員会副議長。最高会議議会内会派「左派中央」代表。


ゲラシモフ:Герасимов
ワレンチン、П.
生年月日 1940.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 クルガン州行政長官をつとめる。95年8月、同州選挙委員会議長への転出のため、本人の申し出により同職解任。


ゲラシモフ:Герасимов
ユーリー、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 鉄道省次官を努める。


ゲリヴェル:Гельвер
ヴィクトル、Ф.
生年月日 1940.01.01
性別
国籍 ドイツ人
学歴 大学卒
考察 67年ハバロフスク鉄道交通技術大学卒業。中等学校卒業後、電気設備工として働き、59〜62年ソ連軍勤務。67年大学卒業後、スーチャン駅作業班長として働く。73年まで技術者、組長として働く。73年極東鉄道コムソモール部に移り、そこで技師長として働き、車両部長代理をつとめた。84年パルチザンスク駅機関庫長に任命される。90年パルチザンスク市執行委員会議長に選出される。91年同市行政長官に任命される。95年選で沿海地方議会議員に選出される。得票率は、選挙参加者の41.4%。無所属。選挙人は沿海地方における中の上の階級に属し、連邦会議選では憲法・知事を支援した。選挙民には民主的傾向を持つ党よりも、自由民主党の方が人気がある。


ゲルベル:Гербер
アラ、Е.
生年月日 1932.01.03
性別
国籍 ユダヤ人
学歴 大学卒
考察 93年12月、国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。作家として働く。「ロシアの選択」会派のメンバー。国家会議教育・文化・科学委員会委員。


ゲン:Ген
ニコライ、Л.
生年月日 1958.04.29
性別
国籍 コミ人
学歴 大学卒
考察 最高会議立法委員会書記。民族会議民族・国家機構および民族間関係委員会副議長、後に93年4月2日より同議長。大学で法学を学び、弁護士資格を得る。81年より検察庁で働く。代議員選出時には、治安判事であった。専門は、贈収賄、レイプ、殺人など、官僚の経済犯罪。86年より党員。「イニシアチブ」、「民主選挙1990」、"Komi kotyr"といった非公式社会政治団体のメンバー。93年12月の選挙で国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。コミ共和国検事特別委任事項担当主任補佐官。国家会議民族問題委員会委員。