オイキナ:Ойкина
ゾヤ、Н.
生年月日 1951.09.24
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 18歳から働き始め、後に酪農場の責任者になる。82年大学を卒業し、家畜の専門家となる。86年父親の後を継いで集団農場長に選出される。72年以降党員。obkom、raikomなどの委員経験もあり、党大会代表にも選ばれる。地方代議員経験あり。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。93年9月まで民族会議弾圧され追放された人々に関する委員会書記。有限会社「ラススヴェート」社長。95年12月第2期国家会議代議員選挙でロシア連邦共産党の推薦を受け、サラトフ州バラショフ選挙区から当選。96年1月16日より農業党議員グループ所属。それ以前は「人民に権力を」会派所属。第2期国家会議活動組織委員会委員。


オインヴィト:Ойнвид
グリゴリー、М.
生年月日 1960.01.03
性別
国籍 その他
学歴 大学卒
考察 83年からカムチャッカ州オリュトルカ区ソフホーズ「チリチンスキー」の機械技師として働く。84〜86年コムソモールraikom書記。86〜91年カムチャッカ州農業協同産業体労働組合raikom議長。90年3月18日から人民代議員大会代議員。91年からコリャーク自治管区におけるロシア大統領代理人。93年12月選挙で第1期連邦会議代議員に当選。94年4月5日より連邦会議北方問題・少数民族問題委員会副議長。94年4月27日まで憲法・司法問題委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙でコリャーク自治管区小選挙区から当選。96年1月16日より「我が家ロシア」会派所属。以前は「ロシアの地域」会派所属。第2期国家会議北部問題委員会副議長。96年3月、国家会議代議員への選出に伴い、同自治管区大統領代理人の職務を解任。


オヴシャンニコフ:Овсянников
ワレリー、И.
生年月日 1938.12.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 61年から農業学校の経済学講師として、ソフホーズ併設農業学校の農業専門家として働く。67〜81年農業試験場副研究部門長、経済学課長、コルホーズ農場長をつとめる。81〜85年農作物育成研究所シベリア支部長。試験生産農場「バトリンスコエ」所長。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。連邦会議農業政策委員会書記。


オーチン:Очин
オレグ、Ф.
生年月日 1950.12.22
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 93年12月国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。独立採算制商社「インテルセルヴィス」プログラム制御センター総支配人として働く。「新地域政策」グループのメンバー。国家会議国際問題委員会委員。


オールジャク:Ооржак
シェリグ=オール、Д.
生年月日 1942.07.24
性別
国籍 その他
学歴 大学卒
考察 家族構成は妻、5子。62〜66年建設組立局勤務。軍隊に勤務の後建設局勤務。71〜83年ソフホーズ勤務。農場長などをつとめる。地区執行委員会議長。83〜86年ウルク・へムスク区党委員会書記。86〜90年obkomの課長、書記。90年ロシア共和国人民代議員に選出される。同年トィワ共和国最高会議議員。90〜92年トィワ共和国閣僚会議議長。92年3月15日、トィワ共和国大統領・元首に就任。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。連邦会議経済改革委員会委員。第2期連邦会議予算、財政・外貨・金融規制、通貨発行、税政、関税規制委員会委員。97年3月16日に行われた選挙で50%以上の得票率でトィワ共和国大統領選挙・国家元首に再選される。


オカトフ:Окатов
アレクサンドル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 コミ共和国最高会議第1副議長をつとめる。


オグルツォフ:Огурцов
アナトリー、П.
生年月日 1943.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年10月26日より連邦機械製作委員会議長をつとめる。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって、産業省に統合され、廃止。対外経済関係省次官を経て、97年8月13日、対外経済関係・貿易省第1次官に就任。98年4月30日付で同省を廃省、経済省の一部機能を加えて新たに産業・貿易省を新設。


オゴリ:Оголь
イワン、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年4月、対CIS加盟諸国協力省次官に就任。同省は、98年4月30日付で廃省。権限を外務省に移管。


オゴロドニコフ:Огородиков
ニコライ、Д.
生年月日 1950.05.11
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 高卒後、新聞社でカメラマンとして働き、後にジャーナリストとなる。75年大学のジャーナリズム学部を卒業。76年から党員。大卒後、コムソモール系の新聞社に招聘され、81年党の高等教育機関を卒業。82年kraikomによって地方紙の副編集長に選ばれる。gorkom委員にも選出される。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


オサトチフ:Осадчих
アナトリー、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 住民社会保護省次官を経て、96年9月より労働・社会発展省次官をつとめる。


オシペンコ:Осипенко
アレクサンドル、А.
生年月日 1948.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 85年極東国立大学法学部卒業。68年補助艦隊の船で働き始め、同年軍に召集される。70年予備役にまわされた後、マンゾフカ駅でボイラーマンとして働く。74〜81年ウラジオストックのディーゼル機関車機関士として働く。85年ナホトカ市およびチェルニゴフスク地区で人民裁判官として働き始める。87年アヌチンスク地区人民裁判所議長に任命される。


オシポフ:Осипов
ユーリー、С.
生年月日 1936.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 91年12月よりロシア科学アカデミー総裁。92年6月5日、大統領直属国家褒賞(科学・技術分野)委員会議長に就任。97年3月11日、安全保障評議会非常任メンバーに任命される。98年、政府幹部会メンバー。


オジンツォフ:Одинцов
ドミトリー、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年1月18日、連邦林業機関副長官就任。


オスタニナ:Останина
ニーナ、А.
生年月日 1955.12.26
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ケメロヴォ州立法議会議員秘書。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、ケメロヴォ州プロコピエフスク選挙区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議連邦問題・地域政策委員会委員。96年2月9日までは国家会議女性・家族・青年問題委員会委員。ロシア共産党員。97年10月19日実施のケメロヴォ州知事選に立候補したが、落選。


オスタペツ:Остапец
アレクサンドル、Н.
生年月日 1950.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 中/高卒
考察 69年ハバロフスク森林技術技術学校を卒業。木材調達企業で作業長、班長、技術専門家として働く。76年モスクワ森林技術大学を卒業、学部は「工業製品の自動化及び総合的機械化」学部。オボルスキー木材調達企業のシジマ林業所長、ハバロフスク地方のビャーゼム木材調達企業の技術主任として働く。84年からソビエト連邦共産党ビャーゼムraikomの書記、ビャーゼム地域執行委員会議長。90年から、株式会社「ダリレス」で働く。95年に株式会社「ダリレス」に付属して株式会社「ダリレス-インダストリー」が創立される。オスタペツは、当社の総裁になる。この企業は、国内、海外市場への販売のための木材調達及び加工に携わっている。販売高は、およそ、一年に材木100万立方メートルである。政治的意見は、中道主義。


オストロウモフ:Остроумов
ボリス、Д.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ロシア宇宙機関副長官をつとめる。


オストロフスキー:Островский
エドゥアルド、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年2月〜97年3月、通信省次官をつとめる。


オスマエフ:Осмаев
アミン、А.
生年月日 1948.10.08
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 グロズヌイ石油大学卒、機械技師の資格を得る。共産党付属学校卒。チェチェン共和国首相(96年10月まで)。第2期上院代議員。96年1月23日第2期上院科学・文化・教育・保健・環境委員会メンバー。96年10月の共和国首相解任により、連邦会議の議席も失効。


オスミニン:Осминин
スタニスラフ、А.
生年月日 1934.05.13
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 51年から鉄道の修理工場で働く。大卒後、53〜58年出身大学で教鞭をとる。55年入党。63年党の職務に移り、obkomおよび地方執行委員会で要職を歴任する。地方代議員に度々選ばれ、85年ロシア共和国最高会議代議員となる。党大会代表としての経験も豊富。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議農村の社会発展・農業問題・食糧委員会小委員会議長。


オスルンド:Ослунд
アンデルス
生年月日
性別
国籍 その他
学歴 不明
考察 ロシア政府経済顧問(94年1月辞任)。91年11月20日、大統領顧問(経済問題担当)に就任。スウェーデン人。


オゼロフ:Озеров
ヴィクトル、А.
生年月日 1958.01.05
性別
国籍 不明
学歴 中/高卒
考察 75年ノヴォシビルスク高等軍政治学校に入学。79年からソヴィエト軍で政治部員として勤める。ハンガリーのソヴィエト南部部隊副中隊長、ついでカルパチア山脈沿いの軍管区の副師団長。86年から89年モスクワ市陸軍大学の聴講生。89年から極東軍管区の副連隊長。91年11月からハバロフスク地方人民代議員ビャーゼム地域会議議長。94年3月ハバロフスク地方議会に選出、4月からハバロフスク地方議会議長。その地位により、96年1月からロシア連邦議会上院のメンバー。第2期連邦会議安全保障・国防問題委員会委員。97年12月7日実施のハバロフスク地方議会議員選挙で再選(得票率59.08%)。政府部門間の歩み寄りの支持者。生涯信念に従っている。「過去へ戻ることはできない。だが、未来へは分別を持って進まねばならない。」議会同盟「極東・ザバイカル」議長をつとめる。


オゼロワ:Озерова
ワレンティナ、Н.
生年月日 1952.11.02
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 教育大学卒業、党員。代議員に選出されるまで、中・高校で数学の教師をつとめる。傑出した教育者。地方代議員経験あり。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで民族会議文化・言語・民族的伝統の発展および歴史的遺産の保護委員会書記。


オソフツォフ:Осовцов
アレクサンドル、А.
生年月日 1957.07.19
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選し、94年1月より下院労働・社会的支援委員会副議長。小選挙区から選出される。モスクワ市ソビエト社会政策常任委員会議長として働く。「ロシアの選択」会派のメンバー。


オツタヴノイ:Отставной
ボリス、Д.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年1月18日、連邦林業機関副長官就任。


オットー:Отто
ヴィクトル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年12月、燃料・エネルギー省第1次官に就任。98年3月23日付大統領令による全閣僚総辞職を受けて、同日燃料・エネルギー相代行に任命される。


オディネツ:Одинец
ミハイル、А.
生年月日 1948.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年4月、アルコール製品独占保障国家委員会副議長に就任するが、同月30日付で廃止され、権限を国家税務局に移管。


オニシチェンコ:Онищенко
ゲンナディー、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年1月から公衆衛生・伝染病管理国家委員会副議長をつとめる。首席国家医師代理。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって廃止。96年10月、保健省第1次官・国家首席保健医就任。


オノプリエンコ:Оноприенко
ユーリー、И.
生年月日 1956.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 83年ハバロフスク経済大学を卒業、経済問題専門家の資格を持つ。83年から84年ハバロフスク市第257建設部販売及び人員部副部長。84年からハバロフスク市ソヴィエト海軍地区執行委員会計画委員会副議長、議長、地区執行委員会第一副議長。92年ハバロフスク市行政住宅-公益事業部長。92年12月から、ハバロフスク市インダストリアーリヌイ(工業)地区行政長官。


オフチェンコフ:Овченков
ヴャチェスラフ、И.
生年月日 1941.08.21
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「ヴォログダエネルゴ」社長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「我が家ロシア」から比例区繰り上げ当選。我が家ロシア会派所属。第2期国家会議工業・建設・運輸・エネルギー委員会委員。


オペヌイシェフ:Опенышев
セルゲイ、П.
生年月日 1949.01.03
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で50%以上の得票率で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。地区ソビエト議長として働く。ロシア農業党会派のメンバー。国家会議連邦問題・地域政策委員会委員。


オリホヴィコフ:Ольховиков
ユーリー、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 経済省次官をつとめる。


オルジョニキッゼ:Орджоникидзе
ヨシフ、Н.
生年月日 1948.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 モスクワ市行政副長官をつとめる。


オルロフ:Орлов
アレクセイ、И.
生年月日 1937.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 労働者として働き、入党。大学で財政学を修め、卒業後党の職務に移る。gorkomイン指導員、地方執行委員会、obkom書記などを歴任する。87年obkom地方執行委員会議長に選出される。88〜90年ロシア共和国最高会議委員会議長をつとめる。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。最高会議建設・建築・公共住宅事業委員会副議長を経て、93年1月より93年9月まで同委員会議長。


オルロフ:Орлов
ヴィクトル、П.
生年月日 1940.03.23
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 ハカシア共和国チェルノゴルスク市生まれ。妻と娘3人。68年トムスク国立大学卒業(地質学専攻)。68〜81年、西シベリア、シェレゲシェフスク、イランなどで地質技師として働いた後、81〜90年、地質学関連の生産合同で要職に就く。86年ソ連政府付属国民経済アカデミー卒業。90年8〜11月、ソ連地質省次官をつとめる。92年3月7日、連邦地質学・地下資源利用委員会議長に就任。96年8月22日、環境保護・天然資源省を改組してできた連邦天然資源相に任命される。97年4月8日付首相命令でロシア連邦と諸外国間の貿易・経済及び科学・技術協力における政府間委員会ロシア側議長(アンゴラ、ギニア担当)に任命される。98年3月23日、大統領令第281号により、ロシア連邦憲法第83及び117条に従って、連邦政府の総辞職及び新政府組閣まで政府閣僚は職務を引き続き遂行することを決定。98年4月30日付で天然資源相代行解任。同年10月6日、再び天然資源相に任命。


オルロフ:Орлов
ワレリー、Ф.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年1月18日、大統領府長官秘書長からロシア政府官房副長官に就任。


オルロフ:Орлов
アンドレイ、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年9月、小規模企業活動支援・発展国家委員会副議長に就任。同国家委員会は、98年9月22日付大統領令第1142号により廃止。


オルロフ:Орлов
アレクサンドル、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦政府通信・情報機関副長官を務める。97年2月、労働・社会発展省次官に就任。97年8月、カリニングラード州における大統領全権代表に任命。


オルロワ:Орлова
スヴェトラーナ、Ю.
生年月日 1954.10.23
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 70年代半ばウスリースク教育大学卒業。89年ハバロフスク党高等学校卒業。91年国民経済アカデミー付属女性企業家コース(在モスクワ)修了。現在ロシア連邦政府付属財政アカデミーで学ぶ。教育大学卒業後、全寮制学校で教育者として、ウラジオストク市のソビエトや党の機関で働く。80年代半ば党kraikomで建設およびスポーツ施設準備の責任者として働く。91年極東地域における初の女性慈善商業組織「アンナ」設立者の一人となった。有限会社「生産・商業企業アンナ」総支配人。93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。「ロシアの女性」会派のメンバー。第1期及び第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。95年秋新たに国家会議に立候補。沿海地方アルセニエフスク一人選挙区。概して中道主義を志向すると宣言し、沿海地方行政府の政策を無条件に支持する。95年12月第2期国家会議代議員に、選挙団体「ロシアの女性」の推薦を受けて、プリモーリエ選挙区より当選。議員グループ「ロシアの地域」(独立議員)所属。96年3月よりグループ副議長。98年6月1日、99年実施の沿海地方知事選挙への立候補の意向を表明。同月、知事ならびに地方行政府に関して未確認や虚偽の情報を広め、地方当局の権威失墜のために法律によって与えられた公開の場での活動の機会を利用したとして、同地方知事により裁判所に提訴される。


オレイニク:Олейник
リュボーフィ、В.
生年月日 1949.05.07
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。クルガン州ツェリンノエ区ソビエト副議長として働く。ロシア連邦共産党会派のメンバー。党中央委員会メンバー。第1期国家会議地方自治委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。第2期国家会議地方自治問題委員会副議長。


オレホフ:Орехов
ルスラン、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年2月13日、大統領国法総局局長代行(副局長・同局ロシア連邦大統領立法特権保障部部長)就任。93年12月18日、同総局長(大統領府副長官兼任)就任。93年3月9日、大統領直属有価証券・金融市場委員会議長。94年1月28日、大統領直属連邦法律情報委員会議長に就任。96年10月11日付大統領令によって承認された大統領直属納税・予算規律強化臨時非常委員会議長メンバー。


オンダール:Ондар
チミット・ドルジュ、Б.
生年月日 1932.08.28
性別
国籍 トヴィニア人
学歴 大学卒
考察 56年大卒後、専門技師となる。62年以降党員。エンジニアとして企業につとめ、幹部職を歴任する。77〜84年自治共和国閣僚会議議長をつとめる。84年12月自治共和国最高会議幹部会議長に選出され、代議員選出時にもこの職にあった。地方代議員もつとめ、79年、84年にはロシア共和国最高会議代議員に選出されている。obkomの要職も経験し、党大会代表にもなっている。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年1月25日、イングーシ共和国におけるロシア最高会議全権代表に就任。同年9月まで民族会議弾圧され追放された人々に関する委員会小委員会議長。