●ジダーノフ、イヴァン Zhdanov, Ivan
列 車 Poezd.
訳 たなかあきみつ
1
またふたたび疾走中に風景はわたしと遭遇し、
漏斗状に旋転しつつ列車と並走して飛びすさり、
窓へ倒れこむかと思えば、天井をゆり動かし
そして扇状に火薬のぬかるみへ滑りこむ。
すると夜の洲浜草は雪のようにまくれあがる。
ワルツならびにうず高い乾草ゆえに頭はくらくら。
妖気のダンスと風の鳴動とを
草原に描く無言の草。
透明なドカ雪がこの疾走全域に冠雪する。
ところが雪は飛びすさらず、むしろその掌を開き、
ところが老ハローンはカネを返済し、
ところがレテの酷寒の房は雪のように宙吊り。
車輪の轟音にも、干上がったレテにも、
そして海原の潮騒にも──サイレーンたちの戦慄的な合唱。
予言者オディッセイはといえば、全世界でただひとり
捕囚として想定された疾走を体験する。
そしてドカ雪を衝いて彼の両腕は突き上げられる、
果しない疾走を貫いて、疾走中であればこそ際限はない
居住する者とてないレテのぞくぞくする両岸には。
やがて列車は雪片のように光を散布する。
2
小駅。灯火。列車が就眠したということ。
つまりは、羽ばたきを拒んだ夜の鐘が
その傾斜面で星座の群れを感受する。
これははるかな山中での幼年時代も同然のこと。
小さなけものはこうして暗闇へまなこを見開き、
やがておのれの姿は見えないまま、叫びへと変身し、
すると闇は馴致され足許にうずくまる──
こうして雪は夏であれ瞬時に氷りつく。
ところがどこからか不意に体が飛びだす──
これは出迎えの人だ、彼は疾走中にわたしを縒り合せる、
小駅と、灯火とだ、走行音から退いて
まどろむ草原で乾草の山をずらしながら。
これはまたしてもハローンが拳を開くということ。
つまりは、まぢかの掌から生命線が
ドカ雪として舞いおり、闇にしがみつきつつ
自ら山々の輪郭を象る。
そして山頂は滑走する、さながらやまかがしのとぐろと化し、
そしてむら雲の白い血液中に切れおちる。
そして草は霧のなかで立竦む、ふるえながら
わが身を分身たちから匿いながら。
これは山々がわたしのなかで生長しつづけているということ。
これは雪が四方八方から転位するということ。
生命線を掌で匿えないなら、
誰の許へもハローンは硬貨を携えて帰りつかないのだろうか。
いったい誰が硬貨を受取りよもや忘れることができようか、
ハローンの掌は三分の一に縮小したということを、
あるいは誰が死に触れまなこを閉じずにおれようか、
あるいは脇にたちおのれを見つめることができようか。
3
またふたたび飛びすさる幾列車。
すでに東は明るくなり、
すでに鉄橋の下では水が
列車の轟音ゆえに重くなる。
秋のように、寒気たけなわのように
水の流れはとわに声量が乏しい。
空に映すかのようにこの水面におのれの姿を映してみる、
またしても空には車輪が響きわたる。
その倒立した館には
そこには居場所が見出せるだろうか、
不眠のレテの吹抜けにいて
忘却し得なかった人には。
さらに水面下の夥しい車輌は
びっしり雲におおわれた、
それゆえあたかも闇が濃くなるばかり
そのさかしまの寺院にあっては。
その方角へ窓を向ける
時ならぬ旅人なにがし、
かたや河底をたいらに整えようとする
鐘状のとけた氷。
すでに水は重くなり
しかも大気は吹抜けとなってちぎれる。
いまだかつていちども
そこからは誰ひとり帰還しない。
4
そして列車は夜の果まで車輌の秋を導き
大海原の母語で潮騒のリズムを正確に刻む。
灯火の輪舞は雪の予感を抱いて彷徨する、
霧のメカニズムに内在するピニオンのうわ言のように。
そして耳を隠し、身をかがめてオディッセイは腰をおろし、
悲しい調べをひとりうす暗い車内で暗唱する。
そしてサイレーンたちの歌声は重苦しく転位し
艶を失い、流れるともなく流れ、ついには聴覚が掌をじりじり焦す。
そして悲しい同じ調べをもう一方の端から暗唱しながら
窓の外では風が風景の断片を運び去り、
くねくね蛇行し、あるいは張裂け、顔の破線をなぞり
やがて寒気が舞いつのり、空はといえば煤のように黒ずむ。
そして時計のさえざえとした分別は風圧でたわみ、
ギザギザにちぎれながらその風に切子面もどきの竦みよう。
声々の未知の合唱はますますまぢかになり、
オディッセイの顔はますますはるかに遠去る。
おおオディッセイの館よ、途上ですべてを獲得するものよ、
おまえはもはや何ひとつ失うものがないほど孤独。
おまえの車輪は戻り道を覚えてはいまい、
しかもおまえはドカ雪を時計の分別に委ねる。
5
光の群れは夢うつつ、息づかいであたりを編成し、
風景を自軍の反乱の生起とみなし
その風景を迂回して、互いに声をかけあいながら
闇をかがる蜃気楼の群れへと変容する。
こうして流氷の走行は逆行の激発へ拉致される、
張力でおのれの岸辺になりきりながら。
自己を発見し、自由は凪を呼吸する──
すると岸辺が飛びすさり、流氷は素っ裸にされる。
どの呼気も完結した安らぎの草稿を秘匿する。
わたしの脳裡では書き尽くせない暁が朽ちる。
わたしは群れに紛れこむ。夥しいキャストのシェークスピア劇が
わたしをのみほし、やがてわたしの顔は空無に似る。
わたしは群れに紛れこむ。光の群れは波のようにわたしを洗い
そしてわたしを押し流す、沿岸の砂地に書き記された詩篇のように。
詩行が熟するあそこで、サイレーンたちのささやきがかすれるあそこで、
列車はあそこで長くしかも湿潤な詩行を通過する。
ドカ雪の不可視の軸上の車輪と風景は
孤独な情念をたぎらせて道すがら互いにためし合う。
息を吸うや、いざ地獄篇の開幕。
オディッセイは眠りこけ、雪片はひとかたまりになってゆれている。
Ivan Zhdanov. Poezd. 詩集 Mesto zemli. Moscow, 1991. pp. 62-66所収