●ザロトゥーハ, ヴァレリー Zalotukha, Valerii
「インド解放大遠征」革命年代記 VELIKII POKHOD ZA OSVOBOZHDENIE INDII. Noviy mir, No.1, 1995.
解説 亀山郁夫
1.作家について
目下不明。俳優ヴァレリー・ゾロトゥーヒンのペンネームか。
2.作品について
【掲載誌】『ノーヴイ・ミール』1995年1月号
【登場人物】
アルチョム・スヴェードフ──参謀本部司令官、元「オーロラ」号水兵
グリゴリー・ブルースキン──人民委員
ナターリア・ポポーワ──副人民委員
イワン・ノヴィコフ──主人公
イワン・スン──中国人騎兵
ラピニシ──ラトビア人司令官
ヴェドメンコ──司令官
コロプコフ──司令官
──
シュールカ(アレクサンドル・ヴィクトロヴィチ)・ムーロムツェフ──若い考古学者
──
レーニン、トロツキー、スターリン他。
【内容】
第1部
「いかなる秘密もいずれは露見する。偉大なるロシア革命の最大にして、最も聖なる秘密を知るべきときが来た。それはあまりに信じがたいものであるので、一部の人には疑いの念を呼び起こすかもしれない。疑いを抱いている人々は、革命の指導者ウラジーミル・イリイチ・レーニンが、いまだ知られざるこの事件が起こる前夜に語った言葉を思い起こされるのがよろしい。『パリとロンドンにいたる道は、アフガニスタンとペンジャブとベンガリアの町々を通る』。インド解放大遠征を知らぬ顔で通すことは、わが国の歴史の真実を知らずにすますことを意味する」
・第1章
*1961年10月23日/インド(マハラシトラ州、死の町)
シュールカ・ムロムツェフ(若い考古学者)が赤軍勲章のついたサーベルのつかを発見。
*1920年1月19日/タシケント郊外
革命裁判で、騎兵隊長イワン・ノヴィコフに対し、乱暴行為があったとして裁判が行われている。イワンに銃殺刑が下る。ただし、「世界革命」の勝利まで執行猶予。
*1961年/インド(マハラシトラ州)
探検隊長ヤーシンは、サーベルの件についてかん口令をしき、発見品をインド洋に投棄するようにシュールカに命じる。
*1920年2月4日/モスクワ(クレムリン)
シヴェードフ、ラーピン、ブルースキンは、トロツキー、レーニン、スターリンとの話し合いで、「革命の火をインドに点火するように」との命令を受ける。
*1961年(続き)/インド(マハラシトラ州)
考古学者シュールカはインド人の子供たちに紙で船を作ってやっているとき、ロシア語の書かれた一枚の紙を発見する。そこには「1923年2月23日、ノヴィコフ。『スターリンはインドのレーニンなり』」とのメモがあった。シュールカは、インド人の子供たちと洞窟にいき、そこにレーニン廟を撮した一枚の写真を発見する。しかしその写真にはレーニンの名前にかわって「シーシキン」と鉛筆書きがあった。そこへ大使館員が登場し、シュールカに手錠をかけたままモスクワに送る。
・第2章
*1920年/インド
25万の騎兵隊が山脈を越え、インドへと向かう。「ハイ・メ・バラタ・プリ」という一語しか発しないある未成年が兵士を殺害する。イワンは、「土地の神」だと主張し、反対するが、死刑を強行。
*1920年6月13日〜/モスクワ(クレムリン)
レーニン最初の発作。ヒマラヤで地震の知らせ──死刑執行と関係ありか?
・第3章
*1920年10月22日〜11月7日/インド(ラジャストハン)
騎兵の数が減少していく。レーニン、トロツキー、その他中央委メンバーの肖像画の入った箱が紛失し、スターリンのものだけが残る。ラジャフスタン州で村ソビエト設立。選挙があり、議長に村でもっとも貧しい男が選ばれる。騎兵隊はここでイギリス人たちに遭遇。アファナーシー・シーシキンの登場。彼は、長年にわたりイギリス軍の捕虜で、マリインスキー劇場に務めるドルゴルーキー公爵の息子。レーニンに酷似する。
・第4章
*期日不明
内紛が発生する。司令官ラピニシが殺され、部隊は3つに分裂、ばらばらな方角に進む。ラピニシ葬送。シヴェードフの隊はアフマダバド(西)、コロプコフはアグラ(中央)、ノヴィコフの隊は、ベナレスへ(東)。ナターリアも彼の軍に従う。イワン、ベナレスの公爵アフメド・サイド・ハンと出会い、彼を殺す。
・第5章
1922年11月29日/インド(ウタル・プラデシ州)
イワンとシーシキンが出会う。シーシキンはイワンを「ケンタウロス」と呼ぶ。
「彼は人間ではない」。イワン、イギリス人将校の妻フランシス・ローズ(愛称ファニー)と関係をもつ。
第2部
・第1章
*1923年/インド
ブルースキンはイワン・ノヴィコフを「外人女性と関係をもった」としてモスクワに送り返す。ノヴィコフは一緒にシーシキンをモスクワに連れていく。
*1923年/モスクワ(クレムリン)
スターリンと接見。スターリンはレーニンの病状について説明する。ノヴィコフはシーシキンをレーニンの身代わりにすることを提案。「ウラジーミル・イリイチは再び隊列に‥‥」
*ゴルキ/1923年
「レーニンがシーシキンとなったとき、党の悲劇ははじまった」。シーシキンによる指令:「ヤーチの追放」その他。シーシキンの出した法令はいくつか廃止できず。こうして、ネップが生まれる。シーシキン─レーニンはクルプスカヤを辱め、ユダヤ人トロツキーとグルジア人ジュガシヴィリと口論。
*ゴルキ/1923年4月22日
「イリイチの誕生日」。シーシキンはスターリンその他に霊廟建設をめぐって提案する。レーニンをインドに派遣することが決定。ノヴィコフが本物のレーニンをカンガリムに連れていく。レーニンはガンジスの水で沐浴する。しかし、そのレーニンも「呪われたケンタウロス(つまりイワン)」の身代わりとなって英国人ファニー・フランシスに殺される(ファニー・カプランによるレーニン暗殺未遂の連想)。──レーニンの死の正確なデータは1923年5月1日(!)。
*ゴルキ/1924年1月24日
シーシキン暗殺される(「あんたにその霊廟とやらを作ってやるよ」とグルジアなまりの男が言った)
・第2章
*1924年(?)期日不明/インド(コロマンデル岸)
ノヴィコフは自分の部隊を探し当てる。彼ら(赤軍兵士たち)はみなインド人の服装をしている。ブルースキンと結婚したナターリアは出産まじか。
誕生──ナターリア出産。しかし生まれでた子供は数本の手をもち、青い唇をしている。
イワンは赤子を殺そうとすると、赤子はイワンの指を噛む。ナターリア発狂、自殺。英国軍との戦争が始まり、イワンは赤子に噛まれたあと、大きく黒ずみはじめた指を切り取る。
*1925年1月25日/インド(ハマガル・プラデシ州)
部隊はヒマラヤの高峰ナンダデビ山の頂上に赤旗(150×100メートル)を立てようとする。人喰い人種ヘッチ族と遭遇。標高6001メートルに赤旗を立てるが、彼らの眼にそれが白く映る。
*1929年4月1日/インド(ラジャスタン)
ブルースキン、ヘッチ族の洞窟で死す。最後にマルクス、エンゲルス、レーニンを引用するが、最後の引用は、イディッシュ語の歌だった。別れ別れになったノヴィコフとコロプコフの2部隊が出会う。しかし、コロプコフはすでに赤旗を失っており、逃走。
・第3章
*1931年5月6日/インド(アラハバド)
市場で再びノヴィコフとコロプコフが出会う。コロプコフは、インドに帰還しようと望んだ赤軍兵士たちは銃殺された、と語る。コロプコフはイスラム教に入信。
*1933年5月1日/インド(ベナレス)
イワンはコウモリを咬む。イワン、ベナレスの大寺院参拝。女魔術師のもとに行くと、彼女はレーニンがまずコウモリ、それから山羊、犬、象、亀へと転生した、と語る。そして今やレーニンの霊魂はイワンを選び、したがってイワンは彼を守らねばならない、と。イワンはコウモリにミルクを与え、「おい、ウラジーミル・イリイチ、ウラジーミル・イリイチ‥‥」と呼びかける。
*1935年4月29日/インド(カルナタカ州)
一人の女がイワンのもとに山羊を連れてくる。イワンは山羊に話しかける。
*1941年8月3日/インド(バドダル)
イワンとコロプコフの出会い。ロシアでの大戦の現状を語る。自分が殺した公爵の息子に招かれ、殺されかけるが、一人の少女に助けられる。
*1961年10月23日/インド
イワン、死の町に出かけ、そこでかの考古学者と出会う。
*1979年3月20日/インド(バドダル)
大きな広場で、白髪の老インド人が象にえさをやりながら、「さあ、食べるんだ、レーニン同志」と語りかける。
*1980年/パキスタン・アフガニスタン国境
イワン、アフガン国境に行く。「仲間はやってこない」と悟る。
*1995年1月24日/ベナレス
イワンが死のうとしているところへ、例の女魔術師がやってくる。女は、4人の旅人、四方壁にはりめぐらされ、窓も、ドアもない部屋についてのマハトマの話をする。
「その内側に神がいるのです」。インド解放大遠征隊最後の兵士イワン、101歳にて大往生。インド人として葬られる。彼の遺体はガンジスに流され、カメたちがその後をつき従っていく。
「インド解放大遠征およびそれに加わった英雄たちをめぐるわれわれの物語はいまや終わりに近づきつつある。この物語にピリオドをうつ前にぜひとも次のことを語っておかねばならない。真の国家とは、みずからの秘密を守りおおせる国家のことである。大遠征の秘密は、むしろ背後にシーシキン=レーニンの秘密を引きずっていなかったなら、そんな秘密ではありえなかったろうし、もしもこの秘密が秘密でなくなったら、われわれの国家の存在は自動的に不可能となったことは自明の理である。この大いなる秘密に関する情報は、核のボタンとともに、指導者から指導者へと秘かに受け継がれていった。事実、ヨシフ・ヴィサリオーノヴィチ・スターリンの死に際して、ラヴレンチー・ベリヤがそれを知ったため、ニキータ・セルゲーヴィチ・フルシチョフは彼をあっさり始末せねばならなかった。レオニード・イリイチ・ブレジネフは大事にそれを隠しとおし、短期間ながらもユーリー・ウラジーミロヴィチ・アンドロポフもそれを守りとおした。コンスタンチン・ウスチーノヴィチ・チェルネンコはそれを知ることができなかった。というか、知るには知ったのだが、さっぱり意味がわからなかったのである。
この大いなる秘密の最後の守り手がミハイル・セルゲーヴィチ・ゴルバチョフである。かの有名な記者会見の席で、「諸君たちはすべての真実を知ることは決してないだろう」と語ったとき、彼はこの大遠征の秘密を念頭に置いていたのだ。
大遠征の秘密がになう政治外の側面に関していうなら、この秘密は二つの国で知られている。インドとイギリスである。フルシチョフの最初の外国訪問地が他ならぬインドであったというのも偶然ではない。この秘密を知ったことは、インド人がソビエトの指導者たちの心を開いた鍵である。インド人はこの遠征にかかわる資料の一部をわれわれに返還することで、金属コンビナート、最新兵器などの多額の借款を手に入れた。実は、インドが知っていたのは秘密の一部であったのだが、いったんその一部を知ってしまえば、いずれすべてを知ることになるだろうという恐怖がわれわれにあり、否応なくインドと「特別の関係」を強いられたのである。
すべての真実を知っていたのがイギリスであった。ヤルタ会談の席上、スターリンはチャーチルに、この秘密に関わるすべての資料を引き渡すように要求した。チャーチルはそれをはねつけた。そこでスターリンは、もしこの大遠征の資料が一つでも外に漏れるようなことがあれば、即座に第三次世界大戦を開始すると断言した。ついでながら、いわゆるキューバ危機の真の原因は、事の真偽を確かめようと思い立ったイギリス人が、この資料をアメリカ人が入手したらしいという偽の情報をわれわれに流したことにある。当時、イギリス人は、われわれが冗談を言っているのではないということがわかっていたのだ。ミハイル・セルゲーヴィチ・ゴルバチョフはこの秘密を死守しようと決心したが、核戦争というダモクリスの剣を引き抜く決心だけはつかなかった。彼は、ペレストロイカという代償を払って、サッチャーからこの大遠征の資料を買いとったのだ」
エピローグ
*1995年(1月24日)/ベールイ・ストルブィ
精神病院に収容されている老ムロムツェフがテレビを見ている。レーニンの命日とあって、ニュース番組の終わりで、ニュースキャスターが党アルヒーフに残されていたレーニンの最期の写真を見せる。ムロムツェフは、それを見て、「あれはシーシキンだ」と叫ぶ。精神病院内の患者たちも同調して、「シーシキンだ」と口々にいう。大騒ぎ。壁や柱に頭を打ちつけるもの。看護婦の前でズボンを脱ぐもの。深夜、当直医師が退屈しのぎにテレビを見ている。アメリカ人の民族学者たちのグループがインドの南ヒマラヤでヘッチ族を発見した、というニュースをやっている。調査隊の隊長ジム・スミス(若い頃のムロムツェフによく似ている)は、「ハバ・ナチェル」という踊りにあわせて踊るヘッチ族の映像を紹介する。
シュールカは安らかな笑みを浮かべながら静かに眠りについている。
3.コメント
【作品理解のために】
1 歴史の秘められた事実。さまざまな文学的連想。
アファナーシー・ニキーチン≠アファナーシー・シーシキン
2 手法として、テレビ番組『17の春の瞬間』に酷似。シュティルリッツ。
3 多神話性。
4 オリエンタリズムないしアジア回帰。
5 革命というものがその時代にはらんだ熱気を、ポストモダン的手法で再現する。
6 「未来小説」としての意味。