●ヴラジーモフ, ゲオルギー Vladimov, Georgii
「将軍とその軍隊」 General i ego armiia. Znamia, No. 4-5, 1994.
解説 望月哲男
1. 作家について
1931年ハリコフの教員の家に生まれる。(父親は第二次大戦で戦死、母親はラーゲリ経験を持つ)53年レニングラード大学法学部卒。以降文芸批評家及びノーヴィ・ミール誌の編集者として働く。60年から創作を発表。言論の自由化運動に深く関わり、67年5月26日づけのソ連作家同盟宛のアピールでは、A・ソルジェニーツィンの検閲局宛書簡に関する公開討論を主張。77年に作家同盟を脱退し、国際アムネスティ協会のモスクワ代表となる。83年西ドイツに亡命、84〜86年グラーニ誌の編集長を務める。95年本作によってブッカー賞を受賞。
主要作品
Bol'shaia ruka. Novyi mir, No. 7, 1961.
Tri minuty molchaniia. Novyi mir, No. 7-9, 1969 / Frankfurt am Main, 1982.
Vernyi Ruslan. Frankfurt am main, 1975/ Znamia, No. 2, 1989.
Shestoi soldat. Grani, No. 121, 1981.
Ne obrashchaite vnimaniia, Maestro. Grani, No. 125, 1982.
General i ego armiia. Znamia, No. 4-5, 1994.
本作に関する参考文献
Natal'ia Ivanova. Dym otechestva. Znamia, No. 7, 1994.
G. Vladimov. Novoe sledstvie, prigovor staryi. Znamia, No. 8, 1994.
L. Anninskii. Spasti Rossiiu tsenoi Rossii... Novyi mir, No. 10. 1994.
V. Bogomolov. Novoe videnie, novoe osmyslenie ili novaia mifologiia. Knizhnoe obozrenie, 8-V, 1995.
P. Basinskii. Igra v klassiki na chuzhoi krovi. Literaturnaia gazeta, 7-VI, 1995.
V. Kardin. Strasti i pristrastiia: K sporam o romane G. Vlademova... Znamia, No. 9, 1995.
Mikh. Nekhoroshev. Generala igraet svita. Op. cit.
G. Vladimov. Kogda ia massiroval kompetentsiiu...: Otbet V. Bogomorovu. Knizhnoe obozrenie, No. 12, 1996.
2. 作品について
2-1 物語の構成
ヴラジーモフの長編は、第2次大戦期の独ソの戦い、特に43年夏から秋にかけてのソ連軍によるキエフ奪還作戦を背景に、戦線における将軍たちとその周辺の状況を描いている。
物語の中心を占めるのは、ソ連第38軍の司令官コーブリソフ将軍。コサックの出身で、第1次大戦以来ロシアとソ連が参加した全ての戦争で闘ってきた戦車戦の強者である。
41年の開戦から戦線後退を余儀なくされて首都の防衛戦に追い詰められたソ連は、43年7月のクールスク戦車戦を境に反撃に転じるが、この大作戦の当面の目標となったのが、キエフ(作品中ではプレドスラヴリと呼ばれる)の奪還であった。このプロセスにおいてコーブリソフ将軍は、ドニエプルに橋頭堡を築くことで戦功をあげるが、その独断専行的姿勢と合理主義的な思考が前線指導部の反発を買って、軍司令官の職を解かれてモスクワへ帰休することになる。
この人物を中心に、彼と直接間接に関わる様々な人物群が小説に導入される。すなわち彼の直接の部下たち(運転手シローチン、副官である少佐ドンスコーイ、伝令兵シェステリコーフ)、「スメルシュ(スパイに死を)」と名づけられた防諜機関の少佐スヴェトロオーコフ、ソ連軍の指導者たち(最高総司令官代理ジューコフ、ウクライナ方面軍司令官ヴァトゥーチン、同戦線軍事評議会メンバーでウクライナ党第一書記のフルシチョフ中将、「進撃軍司令官」の異名をとるテレーシチェンコ(モスカレンコ)など)、独軍に投降し、後にロシア解放軍(ROA)を率いてソ連軍に対抗したヴラーソフ将軍(無名で登場)、ドイツ軍東部戦線戦車軍司令官グーデリアンなどである。
このような人間たちの関わりを通じて、戦争を巡る様々なテーマが展開される。すなわち戦果とその代償(人命)とのバランス、指揮官の権利と責任、作戦決定における民族的意識や個人の野心の影響、投降や利敵行為に関する態度、軍内部での相互信頼の欠如といった問題である。そしてこうした具体的な論点を通して、ロシア(ソ連)という国の抱えた問題が浮かび上がってくる。
作品は時間と場所の頻繁な交替を伴って構成されている。物語の現在時間は、帰休を命じられて戦線からモスクワへと向かうコーブリソフのジープと共に進んでゆく。そしてそこに乗り合わせた将軍と3人の部下の回想を追う形で、41年初冬と43年秋とを二つの山とした物語が、4章にわたって順不同で語られてゆく。
2-2 第1章「スヴェトロオーコフ少佐」
最初の章では将軍の運転手シローチン、副官ドンスコーイの観点を通じて、コーブリソフ将軍のプロフィールが描かれる。両者の将軍像を整理する動機づけとなるのが、将軍の軍事行動に疑念を覚えて調査し始めた防諜機関の少佐スヴェトロオーコフとの対話である。
運転手シローチンのコーヴリソフ像は、相手が不死身の将軍であるというものであった。彼は将軍の3人目の運転手で、前任の2者がともに地雷でジープごと命を失っていたにも関わらず、将軍だけは無傷だったからである。彼はこの将軍の下で働くことに、得体の知れない恐怖を覚えている。
43年10月、ドイツ軍戦死者の匂いが立ちこめる司令部近くの森にこの運転手を呼びだしたスヴェトロオーコフは、将軍自身が41年に瀕死の重傷を負ったことを伝えて、相手の不死身神話を解除しようとしながら、将軍の最近の行動に不審な点はないかを探り出そうとする。スヴェトロオーコフによれば、ドニエプル渡河作戦時の将軍は、あえて敵弾に身をさらすような無謀さや単独行動への志向を示しており、そこにはなんらかの自棄的動機、狂気かあるいは反逆への意志が疑われるのである。将軍の行動を逐次密告することを強要されたシローチンは、やがて連絡係に指定された電話交換嬢ゾーヤと、カモフラージュのためのデートをすることになる(この過程で前線軍司令部近辺の雰囲気が点描される)。
一方副官のドンスコーイは、久しく少佐の位置に置かれ続けていることへの不満も手伝って、将軍に批判的な眼を向けている人物である。彼の目で見た将軍は、部下の昇進ばかりか自らの保身にも配慮することを知らないおめでたい人物であり、その失墜も当然の報いである。
彼の旧知であり、防諜部に移って出世の階段を上ろうとしているスヴェトロオーコフは、将軍が30年代に謀反の嫌疑をかけられた経歴があることを伝え、その独断専行や奇行が、一種の腹いせの気持ちに支えられているのではないかという仮説をほのめかす。彼の質問の眼目は、キエフ奪還作戦でたまたま最前線の位置を占めたコーブリソフ軍が、そのままキエフに進もうとしているか、それともムィリャーティン(後出)を陥とそうとしているかということである。ドンスコーイも又防諜部への協力を承認させられるが、見返りとしてほのめかした報償の要求は拒絶される。
2-3 第2章「3人の軍司令官とシェステリコーフ」
スヴェトロオーコフ少佐による調査のモチーフは第2章にも流れ込んでいるが、この章の中心となるのは、もう一人の直属部下シェステリコフと将軍との縁を巡る物語、および彼らの運命と交差するヴラーソフ将軍、ドイツ軍司令官グーデリアンに関連したエピソードである。
物語の現在から2年前の41年初冬、モスクワ防衛軍の一指揮官であったコーブリソフ将軍は、配下の師団が駐留する村を、酷寒の夜中に6キロの道のりを越えて訪問することになった。部下の戦果を称え、同時に彼らが手に入れたフランスのコニャックを飲むためである。この危険な気まぐれに偶然同行することになったのが、一兵卒であったシェステリコーフであった。
目的地の情報が誤っていたため、両者は敵に遭遇し、将軍は腹部に銃弾を受けて倒れてしまう。シェステリコーフは必死の努力でこの窮地を脱するが、敗走する群集と化したソ連軍兵士たちの流れの中で、瀕死の将軍を首都に送り返すことに奔走する羽目になる。
この混乱を極めた一日のシーンに混じって、両者から遠からぬ場所に身を置いた二人の将軍、ヴラーソフとグーデリアンが描かれる。
後(42年)に自軍を従えてドイツ軍に投降し、さらにソ連軍と対抗することになる「裏切り者」ヴラーソフは、その名を挙げられぬまま、男性的で知的な風貌の背後に一種の狡猾さを秘め、磊落な身振りで部下の信頼を集める魅力的な将軍として描かれている。この時点での彼は、教会のある小高い丘に身を置き、ドイツ軍の驚異にたじろぎながら、敵の意図を図りかねて、進むべきか引くべきか迷っている一人の軍人である。そして迷ったあげくの進軍の決断が、結果としてモスクワを救ったことを語り手は強調している。
ヴラーソフとコーブリソフの運命は、偶然にも二重の関わりを持つことになる。ヴラーソフは、たまたまこの日自分のもとに迷い込んできたコーブリソフ軍への増援部隊(2連隊3000人)を無断で自軍に編入し、この補強が彼の進軍の決断に影響することになる。また彼の決断は、間接的にコーブリソフの命を救うことになる。すなわち進軍する彼の第20軍の戦車の一台が、シェステリコーフの乞いに応じて道をふさぎ、モスクワへ撤退する馬車を止めたため、重傷の将軍はかろうじて首都の病院へ運ばれたのである。(語り手はこの戦車を指揮する若者が、やがて戦闘で命を落としたことを記録している)。
一方のドイツ軍司令官グーデリアンは、ソ連の将軍たちの視野の外に身を置きながら、実質的に彼らの運命を操っている存在である。「早足ハインツ」の異名をとるこの優れた戦車軍の司令官も、ここでは迷える一個人として描かれている。41年12月の時点で、モスクワをうかがうヤースナヤ・ポリャーナ付近にまで歩を進めた彼の戦車軍は、マイナス35度の酷寒の中、燃料も雪用のキャタピラも食料・装備も枯渇したまま立ち往生してしまう。疲弊した兵士を励まし、あてにならぬ補給を待ったうえでさらに進軍するか、あるいはヒトラーの不興を覚悟で一気に撤退するか--これが彼の迷いの中心である。戦線拡大を続けたドイツ軍には既に初期の面影はなく、戦死した兵士を埋葬するものもなければ、兵と将校との間の信頼も失われている。今でも自らの大隊に「名誉兵卒」としての席を残している彼は、兵士の視点に立って戦況を判断する姿勢を保っている。
やがてヤースナヤ・ポリャーナのトルストイの住居に身を寄せたグーデリアンは、スウェーデンのカール12世やナポレオンと同じように、ロシアという国の奇怪さ、ロシアとの戦争の意味といった問題について考え込むことになる。ロシアは政治犯=徒刑囚の力でドイツのレベルを上回る戦車を開発することが出来る。それはまた無限の空間と人力を持ち、さして重要でない戦闘に惜しげもなく兵の命を注ぎ込むことの出来る国である。一方その兵は勇猛果敢に自らの命を捧げながら、ひとたびパニックに陥ると、闇雲に背走し、或いは投降してしまう。ドイツ的な市民と兵士の意識の区別もなく、住民はトルストイのナターシャ・ロストワの例のように、首都を明け渡すとなれば自らの婚資まで放棄してしまう。ロシアは、その貧しさ、道の悪さ、食料や燃料や職人や道具の不足までを含め、あらゆる不利な条件を戦争において味方に付けてしまう。結局この独ソ戦の初年においても、ロシアは何十万という人命を代償に時間を稼ぎ、秋雨と寒い冬を手に入れたのだ...トルストイの屋敷で『戦争と平和』を拾い読みしながら、彼の思考は作家との対話に入ってゆく。戦争がカオスであり、指揮官の力は意味を持たないというトルストイの思想を彼は受け入れない。指揮官は結局大きな所で戦争の帰すうに影響を与えている(指揮官の人的能力と技術に大きな意味と責任を見出すこの思想は、主人公コーブリソフにも共有されている)。しかしロシア軍は半数の兵士を失っても元のままの戦闘能力を保っており、そしてその勝利は土地の表面に旗を立てることにあるのではなく、精神的な勝利なのであるというトルストイの観察は、彼に神秘的な脅威を与える力を持っている。
彼の内にはドイツ軍の方針、さらには戦争目的への疑念も芽生えている。ヒトラーは何故急にモスクワ攻略を保留し、キエフとレニングラードに方針転換したのか。ヨーロッパを共産主義から守るという戦争の政治的理念は正しかったのか。そもそもドイツはロシアの解放者としての役割を果たすのか、それともそれを20年前の姿に戻す結果になるのか...
グーデリアンはここで、かつて占領したあるロシアの町に入った際、監獄の囚人が自国民の手で何百人も殺害されていたことを思い出す。運び出された死体の間を歩いていた司祭は、ロシア軍の所行を責める彼の言葉に答えて、ドイツ軍が来なければこのようなことは起こらなかっただろうと言う。そしてさらに問いつめるグーデリアンに答えて言う。あなたは他人の傷口を指で触って、「何故痛いのか、どうしてだ」と問いつめる。しかしあなたに傷を治す力はなく、さわられることで痛みは増すばかりだ...これは戦争の意志を萎えさせるような記憶である。
結局グーデリアンは、戦争開始後初めて撤退の命令を下すことになる。
こうした二つのエピソードを夾んだ41年のコーブリソフの負傷の物語は、モスクワの病院で療養中の彼が、兵卒シェステリコフを呼び寄せることで終わる。その後後者は、将軍の伝令かつ家族の友として、彼につき従うことになる。
第1章の話題に繋がる43年秋のスヴェトロオーコフによるシェステリコーフ尋問の場面には、前二者にない新しいモメントが付加される。シェステリコーフの一家は20年代末の富農撲滅運動の犠牲者であるが、それを知ったスヴェトロオーコフは、伝令兵が崇敬する将軍が、実は29年の富農撲滅の指揮官の一人であったと告げるのである。これは相手に一定の葛藤を与えるが、シェステリコーフは3人の側近のなかで唯一明確に防諜部への協力を拒否しようとする。しかしこの会見自体を将軍に告げなかったことが、その後の彼の負い目となる。
スヴェトロオーコフの登場するシーンは一貫してスパイものの娯楽小説のような軽さを持って描かれているが、作者はこの器用な出世主義者に風変わりなアクセントを付けている。3人の将軍側近との会見の度ごとに、彼は必ず相手に夢解きを依頼するのである。彼が悩まされている夢とは、女性とベッドに入ってことに及ぼうとすると、相手が男性であったことを発見するという他愛ないものである。この質問は将軍の運転手や副官を当惑させるだけだが、シェステリコーフだけは即座にその意味を解いてみせる。それはつまりお天気が変わるということだ、と。
2-4 第3章「プレドスラヴリをよこせ」
コーヴリソフの運命の転換点を描く中心的な章。解任されてモスクワへ向かう将軍の感慨を追いながら、語り手はそうした決定の元となった前線での作戦会議の模様を描いている。
会議の時は43年10月中旬、場所はコーヴリソフが身を置いていた前線近くの駅舎、参加者は最高司令官代理ジューコフをはじめ各軍の将軍たち、議題はドニエプル渡河作戦の現況確認と今後の方針である。
ドイツ軍占領下のプレドスラヴリ(キエフ)を奪還するためにはドニエプル渡河作戦がポイントとなる。戦線では既に将軍テレーシチェンコの発案で、キエフから17キロ下流の川の湾曲点シーベジ村に橋頭堡を築き、プレドスラヴリを攻撃する作戦が進行中であった。だがこの作戦は敵の予期するところとなり、渡河作戦は多大な犠牲を伴ったまま停滞してしまう。この間に38軍のコーブリソフは、上流のムィリャーティン(リューテシ)付近に二つの橋頭堡を築き、さらに危険な敵前突破の末に、プレドスラヴリから12キロの村に前進基地を作ることに成功する。この快挙はしかし、テレーシチェンコをはじめ当初の渡河作戦を支持していた作戦本部の顔をつぶしてしまうことになり、彼は僚友の苦労を理解しない冒険主義者として批判される。
もう一つの論点は今後の攻撃目標。戦争の経済を重視するコーヴリソフは、敵が全力で固めている男性人口1万の町ムィリャーティンを同数の兵士の犠牲を覚悟で攻撃するよりも、そこを迂回して直接プレドスラヴリを攻撃することを主張するが、テレーシチェンコとその同調者は、前線の後方に敵の陣を残さずという原則を楯に、このウクライナの町をまず解放することを主張する(コーブリソフの主張には、この町はロシア人が防衛にかり出されており、強攻すればロシア人同士の殺しあいになるという危惧が含まれている)。
コーヴリソフは自説への抵抗の背後に、軍人同志の嫉妬以外に、いくつかのモメントがあることを感じる。一つはジューコフを初めとする将軍たちの体質に染み込んだ、兵の生命の軽視の体質である。彼らは目標を達成するためにある限りの兵を送り込むことをためらわず、不足すれば補充するという姿勢で勝ち抜いてきた。これをコーヴリソフは「ロシア式4層作戦」と秘かに名づけている。最初の3層の兵たちの死骸で道をならし、4層目の兵が目標を落とせばよしとするのである。兵の生命を尊重し、最小の犠牲で戦果を挙げようというコーブリソフの主張は、その基本トーンにおいて彼らには受け入れがたいのである。彼への反感のもう一つの要因は、作戦本部に漲るウクライナ愛国主義の要素である。フルシチョフが会議の全員にウクライナのルバシカを配ることに象徴されるように、ウクライナの解放は民族的な事業という雰囲気があった。すなわちプレドスラヴリ解放軍の指導者も、コサック出身者ではなくウクライナ人の将軍にすべしという、秘かな主張がささやかれていたのである。
コーヴリソフは結局ムィリャーティン攻略の計画を起草することを拒否し、退任に追い込まれる。そして後日談として、主のいない38軍が何千人もの犠牲者を出して町を落とし、さらに彼の後がまに坐ったテレーシチェンコのもとで、当初の計画通り11月7日の革命記念日にプレドスラヴリが奪還されたことが伝えられる。
語り手はこの章の終わりに、作戦会議に集まった将軍たちのその後の運命を簡単に紹介している。
2-5 第4章「垂頭の山」
この章で物語の時間は小説の現在と一致する。モスクワを眼下に望むポクロンナヤ・ガラ(その昔ナポレオンがクレムリンの鍵を虚しく待ったという岡。ただし将軍は誤って別の山をそれと思いこんだのだが)に着いた将軍の一行は、モスクワ入りを前にして、道ばたに強いた兵士街頭の上で休憩する。各自の過去と未来に思いを馳せながら、コニャックとウオッカで乾杯をはじめた彼らの耳に、道路脇の拡声器が戦況情報を伝える。そこではムィリャーティン攻略の栄誉で、コーブリソフとその38軍が盛んに称賛され、報賞を受けている。
コーブリソフはこの皮肉な結果を、軍という機械の自動的な働きのせいだと考える。つまり彼の失脚はまだ中央に伝えられず、あるいは未だ正式な決定を見ず、もちろん新しい指揮官も指名されないまま、軍とその昨日までの司令官がセットで称賛されているのだと。しかしまたひょっとして中央の誰かが(あるいはスターリン自身が)ことの真相を知り、彼の功績を公正に評価したのかも知れないとの思いも否定しきれない。失われた多くの兵士への思いと、自らの皮肉な立場への感慨とで混乱した彼は、自棄になったように歌い踊り始め、ついにはだらしなく拡声器の柱を抱えてたたずんでしまう。彼にはこれがまだ始まりであり、今後まだ多くの犠牲が--敵ばかりでなく、捕虜となりあるいは敵の側で闘うはめになったロシア兵たちの処分が--控えていることが感じられるのである。
やがて身を起こしたコーブリソフは、モスクワへではなくモジャイクスへ(戦線の方角へ)ジープを戻すことを命令する。
3.コメント
3-1 史実とフィクション: 作品には史実とそれを元にしたフィクションとが組み合わされている。事件のクロノロジーは基本的に史実の枠組みを踏まえ、ジューコフ、フルシチョフといった人名やトゥーラ等の地名は実名を用いながら、テレーシチェンコ(モスカレンコ)、コーブリソフ(チービソフ)あるいはプレドスラヴリ(キエフ)といった架空の名称をも用いているのである。トルストイ的な歴史小説の手法を想起させるが、作者自身もこれが伝統的な手法であり、作家が退屈な史実を離れて自由に創造するために必要なものであると語っている。ネハローシェフによれば、コーブリソフのモデルであるチービソフ将軍(1892-1959)は、まさに本書と同じく、キエフ攻略直前に第38軍司令官の職を解かれているが、この作戦後に第3及び第1突撃軍を指揮し、44年から軍学アカデミー学長を務めた。
ちなみに作者は、資料や証言(直接の聞き書き)をもとに第二次大戦に関する該博な知識を持っているが、自身は戦争経験を持たない。歴史小説を歴史そのものとして読む傾向は常に存在するが、そのような読者の一部は、この「無戦派」世代の戦争小説への不満を表明している。作家・歴史家のボゴモーロフをはじめ戦争史の細部に詳しい批判者たちの論点の一つは、この小説の細部(軍の役職名、組織名、主人公が経験するある種の措置など)に不正確さやアナクロニズムがあるというものである。ボゴモーロフは例えば防諜機関「スメルシュ」にスターリンが課した役割には軍司令官の調査は入っていないとして、小説前半の設定を批判している。
これに対してカルディンは、細部の不正確さは認めながら、経験者の証言との非整合性がトルストイにさえ観察されることをあげて、ヴォイノーヴィチからヴラジーモフに至る無戦派が、戦争史を芸術的に解釈する権利を擁護している。史実の解釈ばかりか史実と資料の関係さえも、時とともに変わるというのが彼の論点である。スメルシュの役割に関しても、その公的な役割限定が忠実に守られなかった可能性が強いと彼は指摘している。
この種の議論は、単に歴史小説をめぐって起こりうる非文学的論争の典型として片付けられるべきものではなく、戦後50年の現状を強く意識したものと見るべきであろう。つまりボゴモーロフに代表される愛国派は、戦争の現実を経験しなかった亡命作家が、ロシアの今日の危機的状況を前にして、戦争を描こうとすること自体に不満なのである。このことは次の問題においてより強く現れる。
3-2 題材の選択と作者の視点: ソ連の歴史文献及び文芸や言論界で黙殺されてきた、もしくは客観的な記述がなされなかった人物や事件を中心的に取り上げたところに、この小説のもう一つの特徴がある。コーブリソフのような人物を主人公とすること、ヴラーソフ、グーデリアンといった人物に重要な役割を与えていること、さらにはソ連軍による捕虜や囚人の処刑、ドイツ軍の支配下に入って自国軍と闘う羽目になるロシア人といった歴史の暗黒面を取り上げるところなどに、作者の姿勢が現れている。
興味深い点の一つは、コーブリソフと敵将グーデリアンの思想の共通点である。コーブリソフはドイツ軍への協力者の公開処刑を見て、非常な忌まわしさを覚える。ソ連軍が兵士に捕虜になる権利を認めず、投降や自衛のための敵への服従を即祖国への裏切りとみなす体質こそが、進退窮まった兵士や将校を敵の側に追いやり、ロシア人同士の戦闘や制裁行為を生むことになる--これが彼の観察である。グーデリアンもまた、ロシア軍による自国民囚人の殺りくを目撃して同じおぞましさを覚える。両者はともに自らの身を敵前にさらす大胆さを持ちながら、兵士の生命を尊重し、その損失を最小限に押さえようとする。両者が同様に恐れるのは、コーブリソフがロシア式4層作戦と名づけたもの、すなわち惜しげもなく兵を戦闘につぎ込む体質である。
両者はまた現実の戦場とは無縁な国家のイデオロギーや政治が戦争を支配していることへの皮肉な感慨をも共有している。コーブリソフは最高総司令部が設定したプレドスラヴリ奪還予定日(革命記念日)に縛られ、グーデリアンはモスクワではなくレニングラードとキエフを先攻するというヒトラーの翻意に振り回される。こうした意味で、小説の最大の葛藤は、ドイツ軍とロシア軍の間にではなく、コーブリソフやグーデリアンとジューコフやヒトラーとの間にあるといえる。
一方ヴラーソフに対する作者の姿勢はあくまでも客観的に見える。(後の評論の中で作者は、この人物が歴史を作る人物ではなく瞬時の人であり、独ソに対抗する第三の勢力を組織しようというその理念は実現性がなかったと指摘している)。しかし客観的な視点からヴラジーモフは首都防衛戦におけるヴラーソフ軍の大きな役割を記述し、さらに彼の後の行動も、非常に多く存在したロシア軍同士の戦いという一般的な文脈で見ようとしているように感じられる。
こうした作者の視点は、当然ながら伝統的愛国派の批判を浴びた。ボゴモーロフらは、作者が敵や裏切り者の立場にのみシンパシーを置き、祖国のために闘った者たちを誹謗しているということを、非常に多くの(しばしば恣意的で不正確な)引用をしながら論証しようとしている。バシンスキーのように、ボゴモーロフのイデオロギー的な批判を額面どおりに受け取り、ヴラジーモフへの評価を一変する文章を発表した者もいる。これも作品の思想論よりも歴史的人物の評価という今日的でかつ非文学的な論争に発展してゆく性格のものであるが、史実論争のレベルでもヴラジーモフの作品は有意義であろう。少なくともソ連では60年代のA・ヴァシーリエフの小説『閣下、午後一時に』のような暴露小説レベルの認識しかなかったヴラーソフ的人物の行動史に、より客観的な性格づけが必要なのはいうまでもない。(ちなみに現在ではヴラーソフの行動がスターリンの意を担ったものだというような解釈もなされている)。
3-3 文学的評価: G・バクラーノフはテレビ番組の中で、本作を『スターリングラードの塹壕にて』(V・ネクラーソフ)『生と運命』(L・グロスマン)と並んで、戦争文学の3大傑作にあげている。作品の文学的評価は一様でなく、状況描写の迫真性や主人公たちの内面描写の冴え(特に圧縮された簡潔な筆致の中に死の匂いを伴った戦線の雰囲気を描写してみせる手腕)を高く評価するものがいる反面、構成のあり方等の点で作者の過去の作品(例えば『誠実なルスラン』)に劣るという評価もある。事実第1章のスパイ小説的な筆致と、他の部分との間には落差があるし、第2章の構成において、負傷した将軍の身を置き去りにしてヴラーソフやグーデリアンの描写が延々と続くといった点は、バランスの悪さを感じさせる。
本作への面白い批評の一つが、N・イワノーヴァの『祖国の煙』である。イワノーヴァは本作をヨシフ・ブロツキーの『ジューコフの死によせて』(74)と比較しながら、戦争のテーマが思想的な図式性を離れて、文学的な様式性を獲得した例と見ている。彼女は小説の中にいくつかの異なったレベルの混在を見ている。すなわち戦争を写実的に描くリアリズムのレベル、(作者なりの)戦争の真実を描こうとする(心理主義的な)レベル、トルストイやプーシキンを意識した文学的レミニッセンスあるいは論争のレベル、一種神秘的な運命の交わり(将軍とシェステリコフ)を描くレベルなどである。そしてこれらは、現実の戦争の時空間と世界史を包括するようなマクロの時空間との併存の中で展開される。イワノーヴァによれば、このような構成を可能にする枠組みをなしているのが、民話の構造である。
彼女は小説の中に数多くの民話的要素を指摘している。すなわちジープ、橋、道といった、連結や交通手段のイメージ、おとぎの城のような総司令部のイメージ、不死身の主人公のイメージ、頻出する3という数のイメージ(3人の将軍、3人の従者、3度の尋問等々)などが、単なる歴史小説を越えた民話的シンボリズムの世界を作っているという観察である。民話的イメージを構成する中心人物は、コーブリソフと伝令兵シェステリコーフである。前者は道の選択という問題に直面したおとぎ話の主人公で、ひとたび選択に失敗し、瀕死の状態で橋の下(異界)に横たわり、そこから復活する。彼がモスクワを望む丘の上で行う酒宴とその酔態は、民話的な「世界をあげての酒宴」のモチーフと重なる。一方シェステリコーフは3人の従者の中で最も位が低い農民上がりの兵士で、登場の時には民衆の象徴のように上官用の鍋を持っている。この「末っ子」「イワンの馬鹿」こそが、しかし最も誠実で賢い存在であり、将軍を救いさらに防諜部の詮索にも対抗する。難題にかこまれた将軍(公)と、彼を救済する賢い馬鹿(民衆)--というこの民話的な図式が(恐らく作者の意識しないところで)作品にリアリズム小説を越えた様式性を与えている--そうイワノーヴァは捕らえている。
総じて題材とその扱い方に関する興味が中心を占めている中で、イワノーヴァの批評は、本作の文学的な把握を試みたという点で先駆的なものである。
このほかネクラーソフ、グロスマン、V・ブイコフ、G・バクラーノフ、B・オクジャワなどの、兵士や尉官を中心に描いたソ連の戦争小説に比べて、将軍階層を主人公にしたヴラジーモフの作品が、戦線の現実と戦争の大局、歴史的事実とその思想的・文化論的な意味とをともに見渡す視点を獲得していることの長所も指摘できる。現代の戦争文学の中で、本作と比較してみるべきは、V・アスターフィエフが執筆中の『呪われた者たちと殺された者たち』(第一部『悪魔の穴』ノーヴィ・ミール92、10-12)であろう。