●アリーナ・ヴィトゥフノフスカヤ
アリーナ・ヴィトゥフノフスカヤ
鈴木 正美
★ 詩人について Alina Vitukhnovskaya
1973年3月27日モスクワ生まれ。父は写真家、祖母は画家だったので、幼いころから芸術的雰囲気の中で過ごす。すでに7歳のころから詩を書き始め、絵も描く。11歳の時に自殺未遂。精神病院で精神分裂病と診断される。このころから麻薬を使い始める。10代半ばからディスコに通う。分裂病的な感覚や幻視体験。12歳の時に書いたノートが後に『アノマリズム』の原型となる。1980年代末、Literatunye
novosti やSmena に詩が掲載される。1993年『アノマリズム(異常主義)』が出版される。一部の人々に注目される。このころモスクワ建築大学の通信教育部の学生となる。
1994年、第1詩集『死の児童書』が出版される。同じころ「ノーヴォエ・ヴレーミャ」誌に麻薬(LSD)に関する小論を発表。これがきっかけで国家保安委員会に目をつけられ、電話を盗聴されるようになる。10月、ある人物に麻薬数グラムを20ドルで売ったかどで逮捕される。部屋にはLSDがあった。21歳の時である。獄中からもヴィトゥフノフスカヤは無罪を主張し続ける。ブトゥィルカ刑務所から祖母に宛てた手紙がきっかけで、祖母がジャーナリストのオリガ・クーチキナに孫の日記を渡すことになる。これによって才能ある詩人への冤罪が新聞紙上をにぎわすことになる。アレクサンドル・トカチェンコをはじめ、ビートフ、モーリッツなどロシア・ペン・センター会員の多数の作家がヴィトゥフノフスカヤ再審要求キャンペーンをはり、エリツィンに請願書を数度にわたり送る。再審議が行われ、その結果、証拠不十分でヴィトゥフノフスカヤは無罪。1995年10月釈放される。獄中での体験を作品にするようになる。
1997年10月同じ嫌疑で再逮捕。今度はセルブスキイ研究所に送られる。ここはかつて反体制派が虚偽の精神病診断を理由に送られた悪名高い場所である。再びロシア・ペン・センターがヴィトゥフノフスカヤを擁護。このころには作家の「書く自由」をめぐって世界中の注目するところとなる。しかし審議の結果またも無罪。1998年4月釈放される。その後一時行方不明となり、アフリカの某所で死んだという噂も流れた。相変わらずスキャンダラスな逸話の中にいる。1999年に『フェナミン(精神刺激剤)のロマン』がようやく出版される。1996年に出版される予定だったが、再逮捕で延期されていたこの本は80年代の詩から獄中で書いた詩までを収め、これに獄中から友人に宛てた手紙や手記を組み合わせて構成されている。世紀末を飾るにふさわしいヴィトゥフノフスカヤ文学の記念碑となった。
★作品集、詩集
『アノマリズム』(1993)
『死の児童書』(1994)
『ロシア文学最後の高利貸の老婆』(1996)
『パヴロフの犬』(1996、コンスタンチン・ケドロフとの二人詩集)
『ゼロの大地』(1997、コンスタンチン・ケドロフとの二人詩集)
『フェナミン(精神刺激剤)のロマン』(1999)
★ 作品について
ヴィトゥフノフスカヤは幼い頃から、自分が自分でない、自分はこの世のものではない、世界は自分に敵対しているという感覚を持ち続けていた。父方の祖母は精神分裂病で自殺しており、叔母も精神病を患っている。「私はいつも奴隷の状態をさまよっていた。いつも生贄のようだった。いつも完全な自由は得られない。私は「私」自身の「真理」さえ信じることができない。」精神安定剤や麻薬(ヘロイン)を常用していた10代のころの日々は詩「チャイナ・レストラン」(1990)に描かれている。しかし、精神の病んだ人の目から見たものでなくても、このころのソ連の日常生活はすでに歪み始めた世界になっていた。ヴィトゥフノフスカヤは歪んだ世界を歪んだままに描こうとした。「私の崇高な生はどこに?」(1990)でもこの世界こそが病んでいることが語られる。
パンは私たちの財産。
チーズは私たちの財産。
針葉樹林は私たちの財産。
臆病は私たちの瘤。
なんだって、死んだ森よ、モミの木を切り倒す?
なんだって、ハリネズミよ、なぜきつねはおまえの生き甲斐なのか?
黒い黒い家の
黒い黒い天井に
黒い黒い染みがあった、
そこでは黒い魚が
黒いキャビアを産んでいた、
私が死のうが死ぬまいが、それにどんな差があるというのか?
この詩にも登場する死んだような魚、殺される小動物たちは彼女の作品の主要なモチーフである。それは彼女を含めた子供たちの比喩であり、彼・彼女たちはこの世界に受け入れられていない。世界が子供たちを奴隷にしているのだ。彼女はまた他者も受け入れない。それは「道化師」(1991)という詩にも明らかである。
赤い肩掛けに死の空気を貫いて
声はどうどうと広がっていく。
半ば閉じた世紀から取り払ってください
むなしい祈りの重みを。
祈りに情熱を注ぐ人は、
永遠に他人だった。
あなたを理解したのは(「愛していた」と言ってごらん)
祈りを聞かなかった人。
これらの詩をおさめた詩集『死の児童書』が出版された1994年にヴィトゥフノフスカヤは逮捕、投獄される。そして獄中で書かれた詩や絵を書いたノートがヴォスネセンスキイの手に渡る。か細い筆跡でノートにびっしり書き込まれた詩とシュールなペン画を見たときの衝撃を彼は「文学新聞」(1995年10月4日)で次のように語っている。「人が鉄格子の向こう側にいて、出版することが出来ない時、その詩はアプリオリに美しい。もしもおまえが善良な市民だったとしたら、それはつまり良い詩人なのだ。その逆もある。ところが神の賜物は、同時代人とそのモラルの視点からすると認めることの出来ない精神に宿るのだ。オスカー・ワイルド、ヴィヨン、チャイコフスキー、ジャン・ジュネ、パラジャーノフのように。…。人々は慌てて彼らに有罪を宣告するが、それから後のあらゆる時代が裁判をして、神の炎の破滅の体現者を讃えるのだ」。
「私は獄中で初めて微笑むことができるようになった」。サルトルのような実存体験、獄中体験がなければヴィヨンもジュネの作品もなかっただろうし、ラーゲリがなければソルジェニーツィンもありえなかっただろう。そうした流れで考えるとヴィトゥフノフスカヤの作品も監獄があって初めて成り立ち得たといえるだろう。短編「ロシア文学最後の高利貸しの老婆」は出獄後すぐ3日間で書かれた。物語は陰謀と妄想に満ちたモスクワが舞台。殺されていく魚たちが見えない力となって、登場人物(技師、その母=高利貸、女装のドストエフスキイ、毛沢東、ヒットラー)が「魚」を連呼し、やがて妄想と麻薬の幻想の中で次々と不条理な死を遂げる。コンスタンチン・ケドロフが本の序文で指摘したようにこの作品の「アンチ・ユートピアはドストエフスキイからソローキンに至るロシア文学の流れ」にあり、ロシアにおけるウィリアム・バロウズでもある。「彼女はトルストイやドストエフスキイに倣って、宇宙規模にまでロシアの悪夢をあくなきまでに絶対化しようとしている。ロシアの散文は絶対空間において生きることが出来る。彼女は妥協には耐えられない。19世紀は善を絶対化し、20世紀は同じく悪を熱烈に是認する」。
2度目の釈放の後に出版された『フェナミン(精神刺激剤)のロマン』はそれまでの彼女の作品からの自己引用、獄中からの手紙や日記によって、すでに解体され、分裂した自己を再構成することで、自己という中心のない世界を描き、獄中での生と死をめぐる思索が語られる。「世界は不完全で、悪に満ちており、なんの可能性もない。ひとつだけ出口があるとすれば、この世界を破滅させることだけだ」。分裂病的世界はきわめてポストモダン的な世界ということか。「私を自分が作ったマンガの主人公にしよう」というヴィトゥフノフスカヤの最近の態度は同題の「フェナミンのロマン」にも見ることができる。
取調官が汚い跡をつけた。口ひげがかすかに動いた。赤毛の男。おまえは砂場か?
鉄のバケツが私の手に。
あなたは私を処刑するのですか? 絞首刑? ギロチン?
壁に生き埋め?! それは私の好みだわ!!!
時は過ぎ、男の子がママに言うのだ。「ママ、壁から血が流れ落ちているよ。」
こうして恐怖の物語が生まれる。
こうして子供たちは死んでいく。
彼らをながめているマヤコフスキイ。
ながめるのが好きなのだ。
「彼女を南京虫のところへ!」赤毛の男から残った手。それは檻を指さしていた。
★ ヴィトゥフノフスカヤ詩抄
『ロシア文学最後の高利貸の老婆』(1996)より
気をつけろ、私たちはなんて麻痺したことか Как все мы, посмотри, зацепенели
気をつけろ、私たちはなんて麻痺したことか。
走る速度をゆるめて、立っている。
そして裂かれたヌートリアの毛皮は出来上がった。
頭のないむしり取られた耳の中で音がする。
骨格と蜻蛉はなんと理にかなっていることか。
しかしそれらはコンポートの中に落ちてしまった。
結び目に目はくくられた。
記憶が口にのぼるようにさるぐつわをはめられた。
いかに私たちは偉大な淫売婦として歩んでいることか。
私は売る 社会があるかぎり…
子供を殺し 草を踏みにじる。
そしてどこかの人々のように残忍になる。
母はそそのかす。片親のない子を殴る。
私たちは激昂して決別しなければならない。
そしてチーズの小穴は月をつくった。
顎は口の中に溶けていった。
私のところへ来て、私をセメントづけにして。
生きたままでいることに私は慣れていない。
血の赤ずきんは道の途中
人形のかつらに取り替えられた。
顔の銀色のセメントはぼんやり輝く。
ドイツ人のように私の灰色のモニュメントは荘厳。
そして永遠の生の代りに愚かな民衆が
要求するのはぎこちないお世辞。
液体の音のもと私はいかにセメントづけになっていくことか。
にぎやかな見世物をブイヨンのようにがぶがぶ飲む。
そして私はゼロと百万に遅れ、
一目散に逃げるに価する。
私は石になり、他の人々は驚愕。
生は─痙攣、しゃっくり、悪寒。
生は─手からこぼれ落ちただけのもの。
みんな落ちても死は引き離さない。
私たちはロウ人形からジュースを飲む
言葉は遠ざかっていった。誰も偉くない。
もはや言葉はない。残ったのはただざわめきだけ。
そして顔のない耳。そこには音が響く。
ハムレットは「生きるべきか」の代りに「いかなるところへ」と問うた。
しかし右も左も誰も分からなかった。
道化師が腹をかかえて笑った。
そして口にしたのは「はずれ」。
罪について思索するのが罪なのだ。
時計は報復の額に価する。
私たちに残されているのは麻痺することだけ。
死人には生きた時計が値打ちもの。
気をつけろ、私たちはなんて麻痺したことか。
小さな獣たちのようにまだ生きているとはいえ。
ミントたちはベッドで身じろぎしていた。
そしてぼろきれをしっかりと縫い付けるのだ。
気をつけろ、私たちはなんて麻痺したことか。
あなたがたの中から私が最初にセメントづけになった。
そしてあなたがたは自分で私を認めようとはしない。
そして私はあなたがたをあえて不安にさせようとはしない。
死ね、きつね、死ね 2 Умри, лиса, умри /2/
口のきけない獣のように何も答えない。
私の内側のことを知るために、
ぼろきれのように私を草むらに置け、
そして言え「死ね、きつね、死ね」
自分が見られないように、
森を見回した目。
おまえは言った「死ね、きつね、死ね、きつね」。
それは死ななければならないということ。
おまえが静かに語れるように、
魚や死人みたいに私は答えない、
ぼろきれのように私を草むらに置け
「ねきつね死ねきつね死ね」
錆ついた未来で私をなでつける大鎌。
鋭い刃が半月を切り抜く。
みんなが私に言った「死ね、きつね、死ね、きつね」。
みんなが私を殺す おまえは私を殺す。
私にはもう声が聞こえない。
望むなら、みんな繰り返せ
「ねきつね死ねきつね死ねきつね
ね死ねきつね死ねきつね死ね」。
またみんなが同じリズムで倒れるとき、
おまえは自分の顔を知らない。
死ねきつね死ねきつねばかりでなく
死ね 自分で死ね 自分で 自分で死ね。
私の美しい目をごらん、
その目を私はおまえにあげたい。
祈ってよ「死ねきつね死ねきつね死ねきつね」
それとも 自分で死ね 自分で死ね 自分で死ね
だから いつか尾を動かしたみたいに、
おまえは手を動かせるように、
毛皮に身をくるみマロースの中、
私は自分を殺させる。
銃の前で赤毛のおまえは、
中身はまるで怪物といっしょの獣。
おまえはいつか私を反映する。
私はおまえに言う「死ね、きつね、死ね」。
*** Нацеливая бомбардировщик...
爆撃機を見ながら
航空機操縦を実行しながら
永遠を舐めながら
毒ガスを吸い込む。
レンガ
1000立方メートルからなる都市では
実現しないマレーヴィチ
至る所に正方形の染み
健康は感情に訴えない
恐怖と
愛の透き間で軟骨を傷めながら
戦争の
世界地図の上で
身動きするディノザウルスの骨がポーズをとりながら
くちばしに毒草をくわえたピカソの鳩
侵略の優しさ
小熊のぼろ毛皮にくるまれた恐怖
急激な変動
遊離の進行する多幸症。
*** Миндалевидное утолщение кожи морского ежа…
ウニの表面の扁桃状の太い部分。
奥さん、ご自分の耳と指でなにをしたいのですか?
あなたはウインクもしない、死人よ、ご覧なさい、刃の先に
焼かれた蛸がどんなふうに微笑んでいることか。
サロメ Саломея
マッチの小箱に首を入れて持ってきてちょうだい、
驚いたような小さな耳のついた首を、
死の直前にいて、すぐに思い出になってしまう、
生のひとかけらとともに。
手や服、かかとについた血。
他の人におまえを見る権利はない、
マッチの小箱に首を入れて持ってきてちょうだい、
サロメ、私はおまえを愛すことでしょう。
『死の児童書』(1994) より
*** Оторвали мишке лапу…
クマさんの足をもぎ取った、
ウサギさんの耳をもぎ取った、
獣料理でもてなした、
ガラガラを鳴らした。
ガラガラを鳴らした、
高く鋭い音をたてた、
道の上に座った、
魚を食べた、ウィスキーを飲んだ。
魚を食べた、ウィスキーを飲んだ。
魚の目玉を切り取った。
魚の目玉はコワレネズミや、
カナシミバエの餌。
前菜の中にツノバエ。
六弁のカモミール。
毛むくじゃらのしそこない。
模様のついている巨人女。
巨人女を磔にする
マニキュア・ペリカン。
パーマをかけにやってきて、
ネコとカッコウを召し上がる。
闇につつまれたネコやカッコウに。
獣料理が夜中にやってきた。
その手には新聞、
そのポケットにはナイフ。
それはサワークリームの中に目があり、
それは血まみれの服をきている。
それは缶切りを押しつける。
もう誰もこわくない。
もう誰もこわくない。
おもちゃのようなロープを
細くやつれた湿っぽい首にかけ
ネコやカッコウを吊るすのだ。
遠くでふざけているように
二匹の小獣は桜の木にぶら下がっている。
いらないもういらないウサギさんなんて、
いらないもういらないクマさんなんて。
(1993)
死体愛好広告のマヤコフスキイ Некрофилический рекламный Маяковский
雌鳥は
外へ出て
天国へ ウーリツァとイーリツァへ
近づいていった。
スープの中へ入った。
あなたとあなたの子供たちへ
百万あるうちのどれかの病気のために、
死んだ雌鳥は忠告する
ブイヨンを飲めと。
(1993)
全体ロリータ主義 Тоталолитаризм
ドアの隙間からMが見える。
白い手袋をはめてほろ酔い気分で立っている
フォルテピアノの指のような白と黒の祝宴。
クリームがしたたるようにチョ-クで書かれるフラット。
クリームがしたたるように家具が透けて白い。
偽ピアニストの手足が汗をかいた。
観客の感情はこみあげた。
デパートはハーレムに替わった。
デパートはハーレムに替わった。
紙を返せ、非のうちどころのない詩人よ、
驚くべき思念の鼻息、トイレに行く人々。
ソファーは壊疽になったかのようにちりぢりになった。
家のおばのために苦しむものたちの、
一昨日の祝宴のように伝染病にかかるものたちの、
立ち上がろうにも立ち上がれずに祈るものたちの、
ソファーは壊疽になったかのようにちりぢりになった。
膝をついたまま立ち上がれないロリータたち。
女道化師の人形には巻毛と両手、尻の穴。
彼らのマーシャ、ナースチャ、イーラの苦悩
彼女たちを奴隷に差し出す全体主義者たち。
でもロリータたちは奴隷になる。
彼女たちはみんな功利主義的だ、
ぼろ紙、少々おつむが悪く、原始的。
奴らを殺せ、残すのは一人だけだ。
奴らを殺せ。残すのは一人だけだ
あばずれ、ブス、売春婦。
彼女の華奢な鼻にタバコをくゆらせろ。
ラッパ手がラッパを吹く。船は底に沈んでいく。
ラッパ手が暴言を吐く。船は底に沈んでいく。
エドガーが階段を逃げていく。
とっくに期限の切れたひもの学者は
黄金の鎖を月に巻きつける。
黄金の鎖を月に巻きつける。
月は大きく息をし、気が狂い、苦悶する。
棺の中で曲芸師の死体はひっくり返り
棺桶屋は罪を引き受ける。
棺桶屋の中には募集係の奏でる音楽。
棺の中には麻痺の詰まった茸。
天使そっくりの幼虫たちは
ポスト昆虫を夢から追い出す
死の中の静かなドン。しかしフォルテピアノの
指のように痩せこけた音楽が聞こえた。
足手まといの歯がコップから浮かび上がる。
学者は窓から這い出る。
学者たち─光─苦しみ──闇─ハーレム。
動詞する。ロリータする。チョ-クのような汗。
生き残れなかった誰かには目的がある。
しらふの女が白い手袋をはめて立っている。
生気のない目でクリームが泣いている。
半ピアニストがみんなに
聾唖の著者の体一式に会釈する
そして間に合うより早く消えてしまった
…ドアの隙間からMが見える…
アリーナ・ヴィトゥフノスカヤ関連リスト Алина
Витухновская
単行本
Аномализм. М.: Мышъ, 1993.
Детская книга мертвых. М.: Эмко, 1994.
Последняя старуха-процентщина русской
литературы. М.: М-К Пориграф, 1996.(1995?)
Собака Павлова. М.: Борис Гусев, 1996.
(コンスタンチン・ケドロフとの二人詩集)
Земля нуля. М.: Фишер, 1997.
(コンスタンチン・ケドロフとの二人詩集)
Роман с фенамином. М.: Издание Елены
Пахомовой, 1999
雑誌、文集掲載作品(確認できたもののみ)
Кислота спасет мир ? // Новое время. 1994. №8.
Для прессы. // Деловой мир. 26 авг. 1995.
Тоталолиторизм // Лит. газ. 4.10.1995. .
Китайский ресторан // Арион. 1995. №4.
Мы жили-были в тире // Новый мир. 1996. №5.
Не вовремя и назло // Октябрь. 1996. №6.
事件の記録・ドキュメント集
Дело Алины Витухновской: сборник
материалов. Редактор-составитель Александр
Ткаченко. М.: Издание Русского ПЕН-центра,
1996.
対談・インタビュー
" Плюшевый мишка на нарах, или Заключение
в Бутырке как концептуальная акция " (В.Галантер)
// Вечерний клуб. 17.10.1995.
" Лучше девять месяцев тюрьмы, чем девять
месяцев беременности " (А.Плешанов) //
Джентельмен. окт.1997.
" Тюрьма заполнена модными девочками" (И.Рябов)
// Новое время. 1998. №18-19.
" Дети столько не живут " (Д.Мишенин) //
На дне. 13(66) июль 1999.
参考文献(ヴィトフノフスカヤの作品に論及しているもののみ)
Кедров К. " Звереед приходит ночтью ": О
стихов Алины Витухновской. // Известия.
07.10.1995.
Вознесенский А. Тюремная тетрадь // Лит. газ.
04.10.1995..
Кучкина О. Другая // Арион. 1995. №4.
Гессен М. Детская книга мертвых Алины
Витухновской. // Матадор. 1996. №6.
Кедров К. Новая поэзия Алины Витухновской. //
Новое известия. 02.09.1998.
Рютин С. Мифы конца второго тысячелетия //
Руский журнал. 26.01.1998.
Рютин С. Мемуальная проза. Поколение X. //
Руский журнал. 26.10.1999.
鈴木正美 「戦争とは私のことだ──アリーナ・ヴィトゥフノフスカヤ」
ユリイカ 2000年3月号
ホームページ
http://www.gothic.ru/alina/
(作品から二次資料まで、とても充実している)