●ヴェレル,ミハイル Veller, Mikhail
「パリに行きたい」 Khochu v Parizh
「セリョージャ・ドヴラートフのナイフ」 Nozhik Serezhi Dovlatova. Znamia, No. 6, 1994.
解説 沼野充義
1.作家について
1)経歴
ミハイル・ヴェレル:1948年生まれ、レニングラードに学ぶ。作品の出版が困難なため、エストニアに渡り、そこでジャーナリストとして仕事をしながら、作品の出版にこぎつける(その辺の事情は「セリョージャ・ドヴラートフのナイフ」に詳しい)。
現在も依然として「半亡命者」のようにエストニア(タリン)に在住しており、主な単行本はすべてエストニアで出版されている。時折モスクワに現れるが、すでに文学ファンの間では「伝説的」な人物になっているという。
経歴についても伝説的な噂があり、よくわからない。屋根葺き職人、牧夫など、ありとあらゆる職を経験したという。無頼派的私生活のようで、喧嘩沙汰もしばしば、何度も結婚している(などという「イメージ」が強い)。
プロフィールについては、『文学新聞』1996年10月16日のインタビューを参照。
2)主な単行本
Khochu byt' dvornikom. Sb. rasskazov. Tallinn, Eesti raamat, 1983.
Razbivatel' serdets. Sb. rasskazov. Tallinn, Eesti raamat, 1988.
Sochineniia v dvukh tomakh. Tver', Al'ba / Khar'kov, Folio, 1995.
現在、大作 Samovarを執筆中(全3巻になる予定)
Prikliucheniia maiora Zviagina(初出不明)という作品は、『文学新聞』上でも議論を呼んだとのこと。
2.作品について
「パリに行きたい」Khochu v Parizh. Sochneniia v dvukh tomakh. tom 1
旧ソ連の地方都市(スヴェルドロフスクらしい)に住む、なんの取り柄もない平凡な男コレニコフの生涯。特に偏執狂的な人間ではないのだが、子供のころ「三銃士」の映画を見たことがきっかけで、寝ても覚めてもパリのことばかり考えるようになり、一生パリに
行くことを夢見て生きていく。そして、諦めと絶望、町にたまたまやってきたフランス人との会話に元気づけられ、といったことを繰り返しながら、工場勤めを続け、平凡な家庭生活を送り、定年間際になってようやくパリ旅行を許される。そして、一生夢に見ていたパリに晴れて旅行できることになったのだが、パリで彼が見たものは……。
この短編はボリス・ストルガツキーが選者になっている「ブロンズの蝸牛」賞(1992年度)を受賞した。
「セリョージャ・ドヴラートフのナイフ」
Nozhik Serezhi Dovlatova. Znamia, No. 6, 1994. (Zhurnal'nyi variant)
ドヴラートフとの宿命的な確執を中心に語った自伝的文壇小説。レニングラードで本を出版する見込みのない著者が、エストニアに渡り、苦労して仕事を新聞社に得て、自分の著作集を地元で出版する。しかし、レニングラードからエストニアに来た、ロシアでは出版できないちょっとあやしいユダヤ系の物書き、ということで、何かにつけドヴラートフの前例が引き合いに出され、いささかうんざりする(ヴェレルはじつは学生時代、『ネヴァ』でアルバイトをしていたとき、ドヴラートフが持ち込んだ『収容所』という作品をボツにした経験がある)。そしてタリンで出ているロシア語文芸雑誌『ラドゥガ』に、旧ソ連としては初めて、ドヴラートフの作品を掲載することになり、ドヴラートフとも電話でやりとりをするが、意外な確執が生じてしまう。
こういった自伝的な経緯に、海外旅行してコペンハーゲン、オーストラリア、イスラエルなどを動き回る著者の様々な考察が自由にからんでいく。最後はイスラエル。著者がラジオ放送でドヴラートフの死についてのニュースを聞いたところで終わる。
この作品には夢中になった読者だけでなく、憤慨した読者もかなりいたのではないかと思われる。
3.コメント
1980年代から伝説的な作家として一部の文学ファンの間では熱狂的に読まれていた。「モスクワやレニングラードやノヴォシビルスクの大学の文学部ではヴェレルは卒論のテーマになり、熱狂的に読まれ、コルタサルと同列に議論されていた」という。
基本的には日常生活(byt)から出発しながら、執拗にその不条理を追求していくうちに、日常の壁を突き破ってしまい、幻想的なモーメントを獲得するといった手法と思われる。その意味ではストルガツキー的なSFに近いし、ペレーヴィンなど「ターボリアリズム」系作家として括られることも多いようである。
現代的口語にやや傾いたロシア語。ストーリーテリングの才能は抜群。
インタビューでヴェレルは、自分にとって興味ある現代ロシア作家として、マカーニン、ペレーヴィン、ストルガツキー、ミハイル・ウスペンスキー、スラヴァ・ルイバコフ、ヴァレリー・ポポフなどの名前を挙げている。