●ヴァルラーモフ, アレクセイ Varlamov, Aleksei
「誕生」 Rozhdenie. Novyi mir, No. 7, 1995.
解説 望月哲男
1. 作家について
1963年モスクワ生まれ。1985年モスクワ大学文学部卒業。87年から創作を発表。95年、本作によりアンチ・ブッカー賞を受賞。
主要作品:
Taiga. Rasskaz. Literaturnaia gazeta, No. 13, 23-III, 1992.
Zdravstvui, kniaz'. Sbornik prozy. Moscow, Slovo, 1993.
Staroe. Tugaev. Chistaia Marusia. Rasskazy. Grani, No. 174, 1994.
Palomniki. Rasskaz. Znamia, No. 9, 1994.
Lokh. Roman. Oktiabr', No. 2, 1995.
Rozhdenie. Povest'. Novyi mir, No. 7, 1995.
2. 作品について
1)物語の枠組み
1993年夏から94年2月にかけて、モスクワ市西北部に住む結婚歴12年の夫婦が、初めての妊娠、早産、新生児の発病といった一連の出来事を経験したあげく、それぞれ新しい人生観を獲得してゆく。作者は93年10月のホワイトハウス事件をはさんだこの時期の社会状況を組み込みながら、このプロセスを中編小説として描いている。
描写の中心になるのは、36歳と35歳の夫婦それぞれの体験と心理であるが、作者は主人公たちに固有名詞を与えず、一貫して「男性」「女性」「夫」「妻」「彼」「彼女」といった普通名詞や代名詞で呼んでいる。新生児にも名前が与えられない。これは他の登場人物(医者など)や場所などがしばしば固有名詞で呼ばれることと奇妙な対象をなしている。
2)物語
前史: 妻の妊娠が明らかになる夏の時点まで、夫妻はそれぞれに孤立した生活を送っていた。
国家経済の破綻の中で「半数の所員がすでに散っていった静かなアカデミーの研究所」に勤める学者の夫は、すでに若い頃のプライドや野心を失い、人生への幻滅に浸る精神的「早老」の境地にある。出世競争や外国行きの機会にも興味を覚えなくなった彼に唯一秘かな満足を与えるのは、北部のアルハンゲリスクとヴォログダの境にある農家を年に2度ずつ訪れて、そこで思うままに森を散歩することである。彼はいつかその地に移り住み、世間を忘れて生きることを考えている。
彼の目から見た妻は、彼を全く理解せぬ冷淡な女性であり、唯一の取り柄は夫の気ままな生き方を邪魔しないことでしかない。いまだプライドに充ちていた若い頃、お高くとまった娘を強引に攻略したような自分の結婚は、完全な失敗であったと彼は考えている。あらゆる点から見て、彼の自然への愛は、社会と家庭への幻滅と表裏の関係にある。
家庭の空虚さの感覚は、妻にも共有されている。結婚自体が彼女にとって、愛情よりもむしろ一種の幻想に導かれたものであり、12年を経た今、愛情どころか互いへの関心も、日常的な対話も失われている。彼女はそうした生活の限界を感じ、まさにこの年、まだ自分が一人立ちできるうちに、離婚することを考えていた。
子供のいないことが夫婦のコンプレックスとなっているが、夫はそれを妻の愛情のなさに帰し、妻はそれが、双方の親たちの過度な期待が重荷となって、自然な夫婦生活が営めないせいだと考えている。すなわち子のないことは、夫婦の不和の結果であり、またその一因でもあった。
妊娠から出産まで: 妊娠を宣告されてから出産まで、夫婦は次のような経験のプロセスをたどる。
1)当惑と受洗: 妻は突然の妊娠を奇跡のように見なし、当惑、恐れを感じる。猜疑心に満ち、迷信深くなっていた彼女は、当初夫にも母親にも同僚にもそのことを秘密にして、周囲の好奇心や不用意な言動のもたらす災厄から身を守ろうとする。森への旅行から帰って妻の妊娠を知った夫は、同じく当惑し、「それでどうすることに決めたんだ」という問いで反応するが、このことが妻を深く傷つける。
妊娠後夫に隠れて朝晩祈祷書を読むようになっていた妻は、奇跡によって受胎した子供を不信仰のままに出産することは不可能だと感じ、洗礼を受ける。
2)ホワイトハウス事件: 10月の議会の反乱を知った夫は、使命感に駆られて、夜間都心へ出てゆく。妻はその「戦争」の行方に関心を示さないが、聖書(マタイ福音書)への連想から、胎内の子供が都市を捕らえた狂気の捕囚=犠牲とされることへの危惧を覚える。
後に語られるところでは、群集の中にいた夫もこの時、国家やデモクラシーの運命に関心を失い、自分の命も愛する自然も、産まれてくる子供のためにのみ意味を持つといった感想を覚える。
3)入院: 超音波検査で母体の異常が確認され、妻は入院する。
すでに父親になるという意識に慣れ、失われた人生の回復の感覚を味わっていた夫は、妻と子供に異常があり得るという予感に非常な恐れを覚える。
不安と心細さの中で、母体と胎児の異常(胎盤の異常成熟と酸素欠乏)傾向が診断され、2週間後の再入院を前提に妻は帰宅する。
4)別の医者に: 医者への不信と精神的な不安感に駆られた妻は、別の医者のコンサルタンスを受ける。若い女医は、彼女の状態が異常ではないこと、出産は全て人間の業ではなく自然の神秘であることを説く。女医の薦めで早期休暇を取り、散歩や子供用品の見物を日課とする中で、妻の精神は安定し、夫との間の相互不信も癒されてゆく。
5)早産: 12月に妻は妊娠30週で早期出産するが、そこにはいくつかのモメントが介在している。すなわち、(1)彼女が本来の産院の治療計画を無視し、予防入院をしなかった、(2)新しい女医が彼女の症状を楽観し、入院措置を半日間保留したため、早産抑制措置が間に合わなかった、(3)胎の開きかけた彼女が救急車も呼ばず、満員の地下鉄を乗り継いで病院まで行った、(4)病院が自分のところでの措置を拒否し、別の専門病院を斡旋したため、手当もないまま救急車を長く待つことになった。こうした一方で、胎児の発育不全、胎盤の異常成熟、臍帯屈折などの危機的症状が診断されていたのである。
夫は病院と医者の全てに憎悪を抱き、妻は胎児とともに死ぬことを望む。
結局彼女は、体重1400グラム、身長39センチの男子を生む。
救命: 出産時のショックで仮死状態で生まれ、呼吸の不規則や片肺不全等の症状を持った新生児は、救急治療室で体重の5分の1を失うような病気との闘いを経た後、一命を取り留める。
この間妻は、息子の運命に神の怒りを感じ、聖母マリアに助けを祈り続ける。夫もまた非常な動揺を経験する。彼は一方で災いの全てが、他人をうらやみ、他人の不幸を願ってきた自らの生き方の報いだと受け止める。(彼は一人教会へ出かけてゆき、洗礼前の子供への祈祷を依頼して拒否される)他方で彼は、息子が不具の身になるという予感に暗澹とし、息子の死を望んだり、妻への恨みを感じたりする。いずれにせよ彼はすでに、二人を自分に最も近い人間だと感じ、その命に責任を感じている。
子供はやがて未熟児専門病院へ転院し、妻が通院、授乳することとなる。夫は生後3週間を経た保育器の中の息子に初めて面会し、老齢時の自分のコピーのような姿にショックを受ける。初めて直接授乳する母親の感慨、幼児の名前を決めて出生登録を行う夫婦の感想などが描かれる。
幼児は順調に回復し、一月中旬に退院する。新生児の世話を唯一の気がかりとした(会話も口論さえも伴う)家庭生活の中で、夫は自らの内に「本能的で動物的な愛情」を発見し、従来の価値観や信念が一変するのを覚える。
再度の試練: しかしやがて、地区担当医を介した検査の結果、子供の体に心音異常、肝肥大、ヘモグロビン不足、黄斑等の異常が発見され、急性肝炎ないし溶血の疑いで、再度入院ということになる。彼はそこで、病気が特定されるまでの間、何の治療も受けぬままに検査漬けの日々を過ごすことになる。
夫婦はそこで終始曖昧な病院側の所見に翻弄される。当初の見解では、乳児に生命の危機が迫っているというが、その体調は検査による疲弊の他は安定を見せている。やがてかなりの遅れを伴って血液検査の結果がもたらされるが、それはすでに死んだ人間の血液のような数値を示している。しかし直接の担当女医は、それが採血時から検査時までの間に血液が腐敗したためであり、症状は単に未熟児特有の脊髄未発達と、新生児黄疸のもたらすものであるという見解を述べる(彼女は研修期間を終えて別の病院へ出てゆく)。続いて産院で感染した肝炎であるという診断が下され、肝硬変の恐れが伝えられる。しかし再検査のあげく、全ては間違いであり、幼児に生命の危機は亡いという結論になる。
この3週間の間に、夫婦はいくつもの感情の波を経験する。当初、子供の死が予測されたとき、夫は自らの子供の命の掛け替えのなさ(単なる子供ではなく、まさにこの子の命が必要という感覚)を実感し、たとえどのような状態であっても生き残って欲しいという願いを覚える。この感覚は普遍化され、彼には一般に人々が反目し合うのは、子供の健康や生命といった本当の価値を知らないからだという考えが訪れる。妻は、夫の心の内に深く隠されていたもの(感情)が一連の試練のせいで表面化したという感想を覚える。
だが病院の曖昧な対応を経験する内に、彼らの受動的な感慨は周囲と社会への批判に化してゆく。ロシアで有数の病院が呈する患者への高圧的な態度、不清潔さ、泥棒行為、コネや賄賂、混乱---こうしたものが夫を辟易させる。彼によれば、ロシア全体が貧血かくる病にかかっており、国民はただ耐えることになれている。そして言論は現実生活の悲惨さに気づかず、大いなるロシア、自由、デモクラシーといった観念をもてあそんでいる。このつけは子供の世代が支払わされることになるのだ。息子の死も原発事故や飛行機事故のように、ロシア的ないい加減さ(ハラートノスチ)の指標であり警鐘となるだけなのだろうか?これまで彼はロシア批判者に対していつもロシアを擁護してきた。なんといってもそれは祖国であり、自分たちの非は自分たちで償うのだと。しかし子供につけが回ろうとしている現在、そうした寛容さは許されない。彼は妻と子を連れてロシアを捨て亡命しようと考える。
妻の請いで司祭を呼び、子供を洗礼させるというような経験を通して、夫の心はさらに別の方向に開かれてゆく。生命は結局は自然による選択であり、自分が憧れた自然が、また子供の命を奪う自然でもあるという皮肉の中に人間はいる。これは司祭が述べる「生死は人間の業ではない」という認識と呼応する。彼は最終的に苦悩に関する一種宗教的な「啓示」を経験する。それは苦悩とは人が孤独でないということの証であり、神が我々を見捨てていないしるしだというものである。彼には妻の賢さと勇気があらためて認識される。「完全な愛は恐れることを知らない。その境地に至る道は長いが、これほどの苦しみに耐えた後に、ひとはただ一つの感情を、すなわち感謝の気持ちを経験するのだ。」
子供は「キリスト迎接祭」と呼ばれる冬と春の出会いの日(シメオンとイエスの出会いの日:2月15日)に退院する。家族で帰途に就く夫は、春の町に音と風と光が溢れていることに驚く。
3.コメント
1)文章: 作品の文章はきわめて平明であり、医学用語を別にして、外来語も俗語や卑語も用いられていない。純粋な教科書的ロシア語であることが感じられるが、このような点もアンチ・ブッカー賞受賞の一因かも知れない。
2)思想性: 作品の一部(ホワイトハウス事件の場)で、主人公がもとゴルバチョフ支持者であったことがほのめかされるが、それ以外に政治的な思想性は希薄である。むしろデモクラシー、ロシア主義といったイデオロギー化された理念、機構としての国家、医療機関、教会といった制度に対しては、現実の視点からの批判が提示されている。
ここにあるのは家族という身近な他者の発見のプロセスであり、他者に心を開くことによって、自然、社会、人類といったものとの関係を新たに見出してゆく人間の物語である。生命の誕生と戦争、怒れる神、聖母マリア、受難といったキリスト教的なコンセプトやシンボルがいくつか散りばめられていて、それがこの夫婦の経験を意味づける文化的な枠組みの役割を果たしているように見える。主人公たちの心的体験と宗教的な枠組みとの組み合わせ(例えば聖母が息子を救ったという妻の認識や、苦悩を神の関与の証と見る夫の最後の啓示的認識)を率直に受け入れるか、あるいは不自然な図式性を感じるかが、この作品の評価の一つの分かれ目であろう。
ロシア論という観点から見れば、家庭にも社会にも絶望した夫婦が、子供の命という「本当の価値」を発見して、生きることへの感謝の気持ちに目覚めてゆくというストーリーは、ロシア人の精神的な再生のイメージを描いたものと受け取ることが出来る。主人公が固有名詞を持たないことも、そのような一般化への志向の反映であろう。その意味では、この作品は農村派文学のパトスに連なるものと言えるかも知れない。ただそうしたメッセージ性が意味を持つのも、新生児の生命の危機といういわばあざといテーマが、実直な筆致で正面から細やかに描かれていることによるのだと思われる。