●トーカレワ、ヴィクトリヤ Tokareva, Viktoriia
解説 沼野恭子
1.作家について
ヴィクトリヤ・トーカレワ(Viktoriia Samoilovna Tokareva):1937年レニングラード生まれ。レニングラード音楽学校ピアノ科を卒業したが、女優になりたいという夢を捨てきれず、1963年にモスクワ映画大学に入学。翌年、在学中に処女短編『嘘のない一日』を発表して一躍有名になる。同大学シナリオ学部を卒業、第一作品集は早くも1969年に世に出ている(女優にこそなれなかったが、作家としてはきわめて幸運なスタートを切ったわけである)。以来、順調に小説を書きつづけ、テレビや映画のシナリオも手がけている。イ・グレーコワの小説『未亡人の船』の映画化に際して脚本を担当したこともあり、またゲブリアゼとの共同シナリオによる映画『ミミノ』は、1977年に第十回モスクワ国際映画祭で金賞を受賞した。ここ数年間に出版された作品集の多さからして、トーカレワは人気作家として不動の地位を保っているようだ。彼女の作品は、英語をはじめとして各国語に翻訳されている。
■主要作品集
O tom, chego ne bylo. Rasskazy. Moscow, 1969.
2.作品について
トーカレワの作品はほとんどが中編か短編であり、代表作をどれか一編にしぼるというのはなかなかむずかしい。概して現代ロシアの女性作家たちは中編・短編を得意とする人が多いようで、Romanを手がけることはめったにない。トルスタヤしかり(ただし現在「大作」にとりくんでいるという。<MN> No. 61, 10-17. IX. 1995)、ペトルシェフスカヤしかり(ただし『時は夜』は例外)。
ここでは、中編「年老いた犬」ほか何編かを紹介する。この「年老いた犬」はトーカレワ自身が気に入っている作品だという。(cf. The Image of Women in Contemporary Soviet Fiction, ed. and tr. by Sigrid McLaughlin, p. 160)
「年老いた犬」 Staraia sobaka. Povest'. 1979.
主人公のインナは32歳、産婆をしている。彼女が結婚相手を探しにサナトリウムにやってきたところから物語ははじまる。インナは内面的に無邪気なところ(naivnost')と粗野なところ(khamstvo)がある。そこで知り合ったワジム(なぜかインナは彼のことをアダムと呼ぶことにする)は、第一印象よりもずっと若々しく好ましい男だった。一緒に映画を見たり隣村に遊びに行ったりするうちにふたりは親しくなり、彼は妻と別れてインナと暮らす決心をする(彼に子供はいない)。思いどおり結婚相手をつかまえたというのにどこかしっくりこないのは、これが「恋愛もどき」であって「恋愛」ではないからだった。それにワジムは飼っている老犬ラッダを手放せないのに対し、インナのほうはその犬を毛嫌いしている。モスクワに戻ったワジムが妻に離婚話を切り出せずにいると、ラッダが行方不明になる。一方、妻子持ちの元恋人に呼び出されると会いにいってしまうインナ。彼女はその元恋人を置き去りにしてワジムに電話をするが、ラッダがいなくなったことを悲しむ妻を目にして彼は、インナの電話を拒否するのだった。
保養地での不倫の愛という設定は、チェーホフの「子犬を連れた奥さん」を思い出させる。チェーホフの作品では女のほうが真面目で子犬を連れているのに対し、こちらでは男のほうが真面目(poriadochnyi)で老犬を連れていて対照的(一種のパロディと考えられる)。ちなみにトーカレワはあるインタビューで、自分はチェーホフの後継者だと語っているという(前掲書 McLaughlin, p.159)。
「幸福な結末」 Schastlivyi konets. Rasskaz.
「私は夜明けに死んだ。朝の四時と五時のあいだに」という書き出しで、作者はのっけから読者をぎょっとさせる。これは「重心Tsentrovka」という短編が「ちょっとした理由があって私は自殺しようとしていた」という文章ではじめられているのに似ている(こちらは『新潮』1996年8月号に邦訳あり)。
死んだ「私」は病院に運ばれたのちに家に戻され、隣人や友人たちの会話を聞く。「小さい子を残してねえ」とため息をつく人もいる。戸籍登録課の女性が「私」のパスポートを破り捨ててはじめて夫は「私」が死んだことを実感したらしい。電話が頻繁に鳴っているけれど、彼からかしら。「彼」とは、互いの子供たちを不幸にしたくはないが、かといって別れることもできずに関係をつづけていた恋人のことである。彼はついこのあいだ「ぼくが飛行機事故で死んだらいちばん幸福な結末なんだが」と言っていた。二日後に葬られた「私」はハンサムな神様に会う。神様は「私」の願いを聞き入れて、「私」の魂を恋人の家に落としてくれる。二日後にいつもどおり「彼」が電話をしてきた。「死にかけてるの」と言う「私」。じっと押し黙って互いの息づかいを聞いているふたり……。
トーカレワの作風は総じてリアリスティックなものが多いが、この作品のようにファンタスティックな要素の見られるものもある。次の短編もそうした要素が色濃い。
「日本製の傘」 Iaponskii zontik. Rasskaz.
ある店に長蛇の列ができている。何が売られているのかも知らずに列にならぶ中年男性の「私」。日本製の傘が売りに出されているという。かたわらを、モスクワ製の傘を持った日本女性が通りすぎる。文明に毒されていてお辞儀もしない彼女は「日本製の傘はここの気候に合わない」と言う。傘を買って歩きだすと「私」はふわりと飛びあがった。子供のころ見た夢のようになつかしい感覚。九階建ての建物のアンテナにつかまって屋根におり立ち、町を見おろすと、ヒトとモノが入れ代わっている。ヒトが段ボール箱に入れられ、モノがそれを買うために列を作っているのだ。「私」が十七年間着古したコートもそこにならんでいる。「私」はアンテナにとまった渡り鳥に話しかけられるが、重そうなレンガを持って傘をひらき地上に舞いおりる。そしてあいている箱にはいるのだった。
メアリー・ポピンズよろしく主人公が空を飛ぶこの物語は、「風俗作家」(B. Setin. <LG> 20. V. 1996)と言われるトーカレワのイメージとかけ離れているような印象を与えるかもしれないが、じつは「空」の高みや広がりは、精神の浄化のシンボル、何か肯定的なもののシンボルとしてトーカレワが好んでよく描くものである。(cf. Richard Chapple “Happy Never After; The Work of Viktoriia Tokareva and Glasnost’” in Fruits of Her Plume, ed. by Helena Goscilo, New York 1993, pp. 188-195)
「平凡物語」 Nichego osobennogo. Povest'. Novyi Mir, No. 4, 1981.
マルゴは幸せな人だ。六階からアイロンが落ちてきても彼女に命中しなかったし、アラブ人に恋をしたら可愛い息子を授かった。次にはグルジア人の恋人ができたが、自動車事故で恋人も友人も死んでしまい、生き残ったのはマルゴだけだった。彼女は病院で優秀な外科医コロリコフに手厚い介護を受けるうちに、彼に恋をする。彼の妻は十五歳も年上で夫に愛されていない。かつて、ひとり娘のオクサーナをキャンプにたずねての帰り道、コロリコフは車で犬をひき殺し、警官にしつこく問われてつかみかかったため未決拘置所に入れられたことがある。その後、車は売り払った。マルゴの手術を担当したのは、それから数年後のことである。死んだ犬とマルゴに彼は運命の螺旋を感じ、とつぜん「空」や公園のリスに魅力を感じるようになる。彼は退院したマルゴをおとずれる。愛の告白。
翌日オクサーナの十六歳の誕生パーティのさなかに、コロリコフはマルゴと暮らすつもりで家を飛び出すが、結局は戻ってコニャックを飲み、みずから心臓を撃ち抜く夢を見る。三年後、彼は心筋梗塞から立ち直り、マルゴはあいかわらず彼を待ちつづけている。
「最初の試み」 Pervaia popytka. Rasskaz. Novyi Mir, No. 1, 1989.
「私」の知人マーラの一代記。十八歳でジャーナリストと知り合い結婚したが、すぐにいがみあうようになり、妊娠ののち死産を体験する。次に医者のジーマと結婚。彼女はどこか人を引きつける力があり、相手にむりやり言うことを聞かせてしまうタイプだ。マーラが本当に愛しているのはジーマではなく、隣人のサーシャ(彼の前に出ると、いつもは自分勝手なマーラがしおらしくなる)。彼女は、サーシャがインポでないことを立証してやり、しばらく愛人関係をつづける。やがて十歳年下のカメラマンと出会い、彼が出世するのを助けるが捨てられる。やがて老大物権力者の愛人になって彼の仕事にも口をはさみ、大学にはいって博士論文を書きはじめる。彼女の権力は絶大になるが、乳癌を患い、あいかわらずサーシャを愛しつづけている。死にかけている彼女のもとにジーマが戻ってこようとするが、彼女はことわり、自分の墓さえも残さずに死んでいく。
主人公は波瀾に富んだ人生を送ったわけだが、相手が変わるたびに異なった才能を発揮して相手を助けるところは、チェーホフの「可愛い女」に酷似していると言えるだろう。トーカレワの現代版「可愛い女」はころんでもただでは起きず、みずから権力の蜜の味に酔うエゴイストだ。「マーラは、子供を生んだことがないというコンプレックスをもっている」と「私」はコメントしている。ちなみに「愛の結果が子供を生み出さないのなら、そんな愛に意味はないと思う」とインタビューで言うトーカレワは、かなり古風な倫理観の持ち主である(<Sobesednik> No. 9, 1993)。
この作品では、マーラの人生行路の描写のあいまに政治的な出来事が記されている(スターリンの死、雪どけ、停滞、ペレストロイカ等々)が、物語はそれらと直接的な関係はほとんどない。
3.コメント
トーカレワの作品を特徴づけるものは、なによりもそのやわらかいアイロニーとユーモアである。彼女自身「自分の才能は、ゾシチェンコやテフィの諷刺に似たアイロニックな作品にあらわれている」と考えている(cf. Balansing Acts, ed. by Helena Goscilo, Bloomington, 1989, p.332)。
ユーモアはさまざまな形態であらわれている。たとえば誇張や滑稽な断言──インナが結婚相手に望む唯一の条件は八十二歳以上でないことだったが、サナトリウムに来ている人たちの平均年齢は百一歳だった(「年老いた犬」)。言葉遊び──(Ia)NeOnisimovと言った医者のことを、以後Ne Onisimovと呼ぶ語り手(「重心」)。言い直しやずらしによる意外な展開──「若いころは年齢の差がめだったものだ。今でもめだっているけれど」(「最初の試み」)。「彼はサトウダイコンなどではなかった。別の野菜だ。でも果物ではない」(「年老いた犬」)。滑稽な比喩──「その毛皮コートは私には大きすぎて、着るとまるで四角い木の箱みたいだった」(「一番幸せな日」)。登場人物の挙動や考え、状況のおかしさ──男というものは肋骨が飛び出ていて、お尻がしまっていなくちゃいけないと信じこんでいる主人公(「年老いた犬」)。何でも文字通りに受け取って、遊びに来てと言われると遊びに行き、 Kak dela?と聞かれると、delaについて詳しく話しだす男(「うんざりするほど退屈な男」)。自殺しようとしていた主人公がウエディングドレスを着て病院に行くところ(「重心」)。
こうしたトーカレワのユーモアは、クンデラの、一歩まちがえると下品にもなりかねないグロテスクな笑いとも、ゴーゴリのドタバタ喜劇ともちがって、節度ある静かな笑いだと言えよう。
文体は平明で軽妙。ところどころにわかりやすい比喩や人生論的アフォリズムがはさまれ、ときに単純な図式化の見られることもある(大衆小説的)が、さほど説教くさくはない。物語の状況には具体的な解決策が与えられず、物語は読者にひらかれたまま終わることが多い。大部分の作品はリアリスティックで、登場人物は身近にいそうな普通の人たち。彼らが捜し求め、あるいは探しあぐねているのは、さまざまなヴァリエーションはあるものの、結局<幸福>である(そういえば、schast'e, schastlivyi といった言葉の頻度はかなり高いのではないだろうか。"Kheppi end"という題の中編もある)。しかし完全な幸福を手に入れるケースはほとんどなく、手に入れたとしてもほんの一瞬だったり(たとえば「回転ブランコ」という短編では、二時間も行列にならんで回転ブランコに乗るという幸福を手にするが、それは四分しか続かない)、幸福だと思っていたものがじつはまがいものだったりする。幸福への希求と現実との<ずれ>、人間関係の<ずれ>。そうした<ずれ>を認識するプロセスこそ、トーカレワの最も描きたいものなのではないかと思われる。ここには彼女自身の経験した夢と現実の<ずれ>(ピアニストの卵→女優になれず→シナリオライター→作家という経歴)が影を落としているかもしれない。
Richard Chapple(前出)は、トーカレワの作品を三つの時期に分けて詳細に検討しているが、彼によるとそれぞれの時期の特徴は次のとおりだという。・ 〜七〇年代初頭、失意の主人公が夢を実現しようと決心するか、あるいはそうした努力をする気概さえないかのどちらか。・ 七〇年代、愛のテーマが前面に出てきて、さまざまな男女の不幸な関係が描かれる。・ 八〇年代〜、愛のテーマはつづいているが、貞節が重視されるとともに、社会・政治問題が扱われるようになる。
ペレストロイカ後に書かれた「最初の試み」には、たしかに実際の政治的な出来事が記されている。しかし、政治のトップが交代しても主人公の生き方にはたいした影響を及ばしておらず、物語との有機的な連関はない(なぜこんな記述が必要なのか)。<政治>をあからさまに持ちこんだためかあらずか、ここではトーカレワの得意とするユーモアがなりをひそめてしまっているように思われる。社会問題への関心が作品にあらわれるのはもちろんかまわないが、トーカレワの貴重な特質である軽みやユーモアが犠牲になってしまうとしたら、なんとも残念だ。