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拡張する身体感覚
-ロシア・アヴァンギャルドと身体-
楯岡 求美
ロシア・モダニズムが生まれた時代、つまり前世紀末のロシアは、西欧に遅れてようやくはじまった産業革命が急速にすすみ、社会の資本主義化、交通網の発達、都市化の波が一気に押し寄せた。急激な都市化や消費社会の到来は、西欧以上に人間に疎外感をもたらし、「失われた自分探し」がこの時代の芸術に隠されたテーマであった。本論では、20世紀初頭のロシアでアヴァンギャルド芸術が模索した新しい表現方法のなかに浮かび上がる「失われた自分探し」のプロセスを、「疎外された身体の再獲得」という側面から再検討し、当時の世界観と身体感覚をつなぐ試みの一端としたい。
前世紀末から今世紀初頭にかけてヨーロッパではテクノロジーが加速的に発達した。社会の変化が速まるのに応じて強くなっていく抑圧感、喪失感を克服するために、また疎外された自己を探求するのに、西欧では人間の内面へと意識を深化させていく方法がとられていった。シュタイナーが精神性にすべての可能性を見出そうとしたり、フロイトが無意識に人間の本質を見出そうとしたことも、分断された身体と意識の内面に人間性の本質を探る試みだったと考えることができるだろう。
これに対してロシアでは、西欧以上に一気加勢に社会の変化が起きた。しかもその変化は西欧のように社会内で生まれ、変化の過程を試行錯誤しながら経験したものではなく、ある程度発展した結果を外部から与えられたものだった。突然にあふれ出た商品の流通や大量消費社会は、商品価値という目に見えず、所有することの不可能な価値で社会を満たした。人々は、それまで育まれ慣れ親しんだ環境を一気に剥奪され、異質な社会に放りこまれ、疎外されたのである。
メイエルホリドが演出したブロークの戯曲『見世物小屋』や『見知らぬ女』では、コロンビーナや見知らぬ女性を待ちうけている人々が、彼女を、つまり対象を正確に認識することが出来ないという状況がテーマとなっている。そして、人間をとりまく外界から具体的なイメージが捨象され、次第にあいまいになり、認識をすり抜けていってしまう。
また、未来派の作品に突出して現れる、「事物の反乱」や「身体能力の剥奪」はこの疎外感を鮮明に描き出している。フレーブニコフの戯曲『公爵夫人デゼス』では、美術館で絵を見ている人間が石化し、描かれた事物が生きかえって反対に石像に変わってしまった人間を鑑賞する。別の戯曲『レニーン夫人』では、夫人の五感が分断され、ばらばらにされてしまう。マヤコフスキイが戯曲『悲劇 ウラジーミル・マヤコフスキイ』で描き出した世界では、証言する人物の手足、視覚聴覚といった身体的機能の剥奪が次第に増えていき、接吻や涙といった「もの」とも「概念」ともつかぬものが奇怪な姿で人間を圧迫する。
このように徹底して疎外された人間は、意識が身体内に閉じ込められた存在として描かれ、身体を動かすことさえ出来ない。これでは、内面に自己の存在を探そうにも、極端に萎縮した意識はすべてを失ってしまっている。
つまり、ロシアでは、疎外を逃れ自己を認識しなおす過程が、萎縮して小さくなってしまった意識が体の各部位の感覚を回復させることで身体と同じ大きさまで拡張し、身体を再び獲得する(もしくは、後に見るようにさらに拡張する)過程としてあらわれてくるのである。この過程を以下、概観することにしたい。
喪失された身体機能は、意識からすりぬけてしまう事物をあらためて認識しなおすプロセスを経ることによって再獲得さていく。それは、特徴を失ってとらえどころのない外界(萎縮した意識にとっては身体)を部分ごとに分節化し、知覚し、再認識するという手順を繰り返すことによって行われるのだが、身体性の回復は、とりわけ感覚の再生という側面が重視されている。すなわち、視覚、触覚、痛覚などに喜怒哀楽をふくめた感覚を再生させる作業が未来派の手法を代表する「異化」の試みである。
このプロセスがもっとも先鋭に表われているのがフレーブニコフの有名な『ボベオビと唇は歌われ』という詩であろう。ザーウミで書かれた詩は理智を超え、一見、ひとに理解されることを拒否して読む人の疎外感に拍車をかけるかのようにみえる。しかし、この詩を読むとき、日常、話をする際には決して意識されることのない「唇の動き」ひとつひとつが意識化され、音が破裂する様子が意識化される。ここでは、「発声」という身体動作とそれに対する認識とがきれいに一致している。さらには音や文字と色彩感覚との間に新たな関係性を構築することさえ目論まれている。また見えないはずの視線さえも音として表現されるばかりではなく、文字として視覚化されている。
ネオロギズムやザーウミ言語は、認識が自動化され、すり抜けていく実体に新たな名称や音を与えることで、もはや実体とずれて疎外された言語への違和感を解消する。この手法が剥奪された外界との関係回復をはかる試みとなっていることは、当時の主張によっても、これまでの研究によっても明かにされているとおりである。また、誇張法、矛盾語法の現実化は、その違和感からおきる不快感として言葉本来の意味を蘇えらせる。
未来派の詩では、感覚が重視される。しかし、感覚だけが問題とされているのではなく、感覚の再生にともなって身体を意識化しようとしているのである。未来派の宣言に「社会の趣味への平手打ち」という痛みを伴う行為が表題に選ばれたのも象徴的である。(のちに、エイゼンシュテインがモンタージュ理論では怒りや悲しみなどが衝撃という形に収斂されるが、衝撃とはまさに激しい感情を身体に対して感覚的に認識させるものであった。)
ここで、「アンプリトゥーダ(amplituda)」という一種の単位ともいうべき新しい概念をあえて使うことで身体性の回復を空間と関連付けて論じてみたい。アンプリトゥーダとは、本来は物理用語で「振幅」を意味する言葉であるが、ここでは身体訓練の際に使われる言葉として「(手足を出来る限り伸ばして)届く最大限の範囲の空間」を意味する。「振幅」という原語に即して言いなおすならば、「ものが揺れ動くときに通り得る範囲」である。つまり、その人間の支配下にあるテリトリーと考えることが出来るだろう。このテリトリーはものを持つことによって、広がっていく。例えば、杖を一本持つことによって、その人物が届くテリトリーは杖一本分広がり、アンプリトゥーダは大きくなる。
疎外された意識が身体を回復するということは、すなわち萎縮して身体から乖離していた意識が身体と同等の(等身大の)アンプリトゥーダを再び獲得すると考えられるだろう。実際、この時期にエクステルやタトリンらが舞台衣装の下絵などに描いた人物像に共通するのは、筋肉が意識化されていること、身体に力がみなぎった様子で描かれていることである。全体にメリハリのある「充実した」姿勢で描かれている。アンプリトゥーダを最大限に生かした表現がすなわち美しい姿勢となっている。
また、美術・文学だけではなく、実際の身体表現としてもこの時期とくに俳優訓練が注目されていたことにも意識が身体を獲得するという考え方を読み取ることが出来る。コメディア・デラルテなど、様式化された非日常的な身体表現が高く評価されたのは、演出家が意図するとおりに動ける俳優が求められたという現実的な要求以上に、身体を自在に操ることに対して強い関心が生まれたからである。身体機能の極限を追求するサーカスやバレエの身体性が注目されたことも挙げられるだろう。論を先取りしていえば、身体の内にある意識が拡大していこうとする欲求は、メイエルホリドのビオメハニカやタトリンの飛行用具レタトリンなどの試みに見られるように、動きにおいても大きさにおいても、ついには身体を超越する規模(アンプリトゥーダ)の追求にまで発展していく。
このような発想には、ロシア独特の思想背景があったことが大きく影響していることももちろん考慮すべきであろう。ロシアでは、フョードロフが特異な哲学を展開し、生前には著書が出版されなかったとはいえ、今世紀初頭の知識人に大きな影響を与えていたことは、セミョーノヴァをはじめとする最近の研究によって広く知られるようになってきている。フョードロフの全自然や宇宙、さらには死をも克服しようとする共同事業への呼びかけにも、「すべての人が認識者となり、すべてが知の対象とならなければならない」(西中村浩訳を引用)という、認識することへの強い主張がある。
身体それぞれの部位へ意識をむけ、身体を再認識される。意識が身体と一致し、回復された次には、身体とそれを取り囲むものとの関係、すなわち身体と時空間との関係を認識しなおさねばならない。幾何学模様を塗り重ねたシュプレマティズムは、存在それ自体の究極のアピールであると同時に究極の時空間認識である。直線は点の移動した軌跡として点の移動した時間および空間を表わし、円や四角形は立体の断面、つまり切断された時間面を表わす。異なる色彩に塗り分けられた幾何学模様は、それぞれに空間が異なることを端的に表現している。芸術家によって分節化された時間の流れや空間の広がりが二次元の画布の上に明確に再構成されている。それは、タトリンの試みた立体で構成した絵画(カウンター・レリーフ)が空間を創造する作業であったことにもうかがえる。
時空間が身体と同様に分節化され、認識されなおしたとき、身体は空間と対等の新しい関係を結びなおすことが出来る。意識が身体という空間に充足できたように、身体もまた空間内に充足して存在できるわけである。ゆったりとした衣服が次々とデザインされ、締めつけられていた身体が窮屈な衣服から開放され、身体もまた体のラインどおりの(もしくはそれ以上の)空間を与えられたデザインの革命にもアンプリトゥーダの拡張を見て取ることができる。
以上のような身体的な解放が革命期の自由を希求する動きと密接に結びつき、疎外された身体の再獲得のプロセスが社会制度上の疎外を解消する革命とパラレルに展開されたことは、容易に想像できる。身体的な疎外の解消、さらには身体的に「新たな可能性」を獲得することへの欲求など、革命期に身体性への意識が強かったことがロシアに特異なユートピア・イメージを生む背景となっている。たとえば、マヤコフスキイの戯曲『ミステリヤ・ブッフ』にプロレタリアートを暗示する不潔な人々が「鋼鉄の体」を獲得する場面が出てくる。人間の構造を一種の機械として捉える考え方は、20世紀前半の欧米に広くあったが、そのアナロジーを実際に適応し、負の意識なしに機械の部品と人間の身体の部位との互換性を考えたのはロシアに特異な現象ではないだろうか。
また、人間の感情を機械によって拡大表現したのが、メイエルホリドの演出作品に導入された機械のような舞台装置である。『堂々たるコキュ』の水車小屋をモチーフにした工作機械のような舞台装置は、登場人物の怒りなど、感情の爆発に合わせて、円盤が回転する。登場人物の感情を視覚化し、彼の身体を拡大したものになっている。『大地は逆立つ』の舞台に次々と持ち込まれる都会の事物、自転車、自動車、オートバイなどは、もはや人々を疎外するもではなく、人間の拡張された能力をあらわすものである。逆に人間(俳優)の動きもビオメハニカやフォードのベルトコンベアーを使ったオートメーション・システムを模した動きが機械の動きと連動した。ここでは身体と機械とが同列化されることで協働関係を築き、人間の獲得する空間、すなわちアンプリトゥーダを拡張している。
大型の機械への憧憬がある一方で、革命後の芸術作品において、大掛かりな機械だけではなく、鉄に関連しているとはいえ、鍛冶や鎌、ハンマー、といった道具を手にした職人風の作業への関心が高まったことは、技術的な進歩の過程に逆行するかのような矛盾を感じさせるのだが、このような道具へのまなざしも、アンプリトゥーダという考え方から説明が出来るように思われる。手の延長として道具を持ち、その分の世界を獲得する。疎外された身体の部位を再度獲得し、力が身体内に満ちていったように、意識を満たすことが出来るだけの空間(アンプリトゥーダ)を獲得することが求められたと考えるのである。タトリンが夢見た動力を使わない人類の飛行形態も、飛行機の発明されていた時代において荒唐無稽のようにうつるが、このような身体感覚を考えれば、ごく自然な発想だといえるだろう。先にも触れたレタトリンという飛行器具は、木や紙、ゴム、鉄などを使って翼を作り、人間の身体を拡張しようとしたのである。それは、飛行機と違って、機械の力ではなく、人間の身体能力を拡張することで飛行を実現しようとしたものである。
また、マヤコフスキイがロスタの窓に描いた絵や、革命当時の風刺画などに革命軍やプロレタリアートを巨人化させて描く手法についても、空間と身体の関係について問いなおすことが出来るのではないだろうか。もちろん、主要な人物を前景化させ、他の背景より、極端に巨大化して強調するこの手法は、従来から指摘されているようにロシアの民衆絵画、ルボークの影響である。しかし、このような巨大化して描く手法が力強さや圧倒的勝利を描くためという自明の理由のほかに、そもそもこの手法が当時の画家たちを魅了した理由として、巨人の赤軍兵士が巨大な鎌で白軍を刈り取るイメージなどに、より大きな身体およびそれに即した空間(アンプリトゥーダ)を獲得することへの憧憬を見てとることが可能なのではないだろうか。つまり、絵画的なウスローヴノスチに終わるのではなく、実際に巨人へと身体が拡張し、進化することを素朴に求めていたと考えられるのである。同様のまなざしは、クローズアップを多用した一連の肖像写真にも読みとることができる。クローズアップを使って撮影し、顔や体でいっぱいになるように空間を切り取る写真では、人間が実際よりも大きく(巨人のように)感じられる。
革命後には「われわれ」というモチーフが多く現われた。そして革命直後の1918年にマヤコフスキイが書いた戯曲『ミステリヤ・ブッフ』の終幕に顕著に表われているように、反乱していた事物―鉄・鉱物・機械が、革命期をへて、一転、人間と連帯する存在へと変化する。天国も地獄も踏み越えて到達したユートピアで、プロレタリアートは道具たち(事物)に迎えられる。かつては反乱した事物が奉仕を約束する。次第に人間同士の連帯から人々と事物(道具)の連帯へと広がるにつれ、アンプリトゥーダも拡大されていく。組織化された「われわれ」は、その集団内での個としては認識されない。「ひとりがみんなのために」というような助け合うための共同体ではなく、全体がひとりの巨人であるかのようにひとつの巨大なアンプリトゥーダを獲得し、道具を手にして自然に対抗するのである。
革命前後のロシアは、哲学・科学を含め、あらゆる分野を極端な進歩主義が支配していた。本論冒頭でも触れたような、西欧に比べて急激な発展を遂げたテクノロジーの進歩が、この進歩主義を絶対的な真理として受けいれる有力な証拠となっていた。ヘーゲル的な進歩的歴史観は欧米社会にも支配的なイデオロギーとして、もちろん存在していたが、それでもロシア・アヴァンギャルドにおいて非常に極端かつ特徴的なのは、そのような進化が身体的、物質的に現われると考えられていたことである。人間が新しい形質(身体的な可能性)を獲得すると考えていたらしいことである。
ロシアでは、機械が人間を疎外するという不信感よりも、ユートピアを作り出すうえでの共同作業者としての期待感が強く表われていく。機械信仰とでもいうべきもので、現在では少々プリミティヴに思われるユートピアが未来予想として信じられる社会状況があった。またダーウィンの進化論に加え、フョードロフのとりいれたデーナの理論が形質遺伝を重視した能動進化論だったことで、変化、進化が脚光を浴び、世界は変質するもの、進化するものとして認識された。とくに、アインシュタインの相対性理論やパブロフの犬による条件反射などの相次ぐ科学理論の発見が強く影響し、人間自体を機械として取り扱おうとする科学的な視点もあった。人間もまた機械的構造をもつ、つまり、機械と連携し、能力を進化させることが出来ると信じられたとしてもおかしくはない。人間さえも無機的な分子の構造物に分解し、世界の構成物すべてを均質化する考え方を展開したツィオルコフスキーにみられる極端な理論は例外としても、人間は機械などの事物と互いに対等な共存関係が望まれている。人間は事物とも意思疎通をはかることで身体的に拡張され、人間の支配するアンプリトゥーダは宇宙的な規模で拡大し、世界化(宇宙化)していく。
西欧ではダダや未来派が近代を乗り越える手段として登場したのに対して、ロシアでは近代に追いつき(適応し)、建設するために未来派をはじめとする芸術活動があった。この違いが、両者の身体および機械に対するアプローチの違いを生んだといえないだろうか。
西欧から与えられた発達したテクノロジーは圧倒的な能力で人間を凌駕し、その力に魅了されてロシアのユートピアイメージは機械への羨望が大きな柱となった。反乱を起こした事物に対し、その圧倒的な強さを認めた人間の側が、事物と和解し、共同事業へ事物=機械を参加させていく。疎外を克服し、人間の手に入った事物は身体の一部へと再編され、身体自体の能力が拡張されるのである。
以上概観してきたように、ロシアのアヴァンギャルド芸術運動は、急激な産業化による社会変動に疎外された自我意識に身体を取り戻し、その身体を拡張していくことによって外界の空間を、それは宇宙までも含む無限の空間でもあるのだが、その空間を自らのアンプリトゥーダとして所有しようという欲求に支えられていた。この空間への強い欲求に、つねに外界という異質なものの存在との関係に苛まれながら存在してきたロシアの姿が浮かび上がる。それは社会変動のきっかけが西欧からの知識や商品の流入によって引き起こされがちなことからも、グロイスが指摘するように西欧の外側としてのロシアの位置付けに大きく由来することは否めない。しかしロシアにとっての外界は決して西欧だけではない。それは領土内の多民族性でもあり、コスミズムにみられるような宇宙までをも視野に入れた多彩な外界に囲まれてロシアがあることを無視してはならないのではないだろうか。
補足:
テイラーシステムの普及に尽力したガスチェフのように、人間を機械化してしまうことに理想を見出すユートピアについても近年研究が進んでいるが、同じような機械への信頼であっても、人間にそなわる能力を拡張していくために機械をとり入れる考え方と、機械の方に理想形を見出す機械化のユートピアとの差異については今後詳しい比較分析が必要であると思われる。たとえば、メイエルホリドはビオメハニカにテーラーシステムを応用していることを当初標榜してはいたが、実際に重視されたのはアクロバットなど、自由自在に表現できる超越した身体性であり、俳優の機械化・ロボット化が目的ではない。
また、ロシアにおいて西欧的な、人間性を内面に求める動きがなかったわけではない。スタニスラフスキーやミハイル・チェーホフの心理主義、タイーロフの感情重視はある意味、内面に自我を求めるという西欧における精神性に則した世界観としてアヴァンギャルドと対置することが出来るかもしれない。ただし、ここではこれらの点を指摘するに止どめ、詳しい論考はまた別の機会にゆずることにしたい。
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