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●ソローキン, ウラジーミル  Sorokin, Vladimir

 

ウラジーミル・ソローキン『青脂』

望月 哲男
1.ソローキン(1955-)主要作品
Ochered'. Paris, Sintaksis, 1985
Sbornik rasskazov. Moscow, RUSSLIT, 1992
Norma. Moscow, Obscuri Viri i izd. Tri Kita, 1994
Roman. Moscow, Obscuri Viri i izd. Tri Kita, 1994
Serdtsa chetyrekh. Nezavisimyi al'manakh Konets vaka, No. 5, 1994
Mesiats v Dakhau. Igor Sacharow, Ross, 1992; Segodnia, 22, I, 1994
Tridtsataia liubov' Mariny. Moscow, izd. R. Elinina, 1995
Russkaia babushka. Mesto pechati, No. 7, 1995
Hochzeitstreise. Mesto pechati, No. 8, 1996
Dostoevsky - Trip. Obscuri Viri, 1997
V. Sorokin i A. Zel'dovich. Moskva (Kinostsenarii), Kinostsenarii, No. 1, 1997
V. Sorokin: Sobranie sochinenii v 2 tomakh. Ad Marginem, 1998.
Goluboe salo. Ad Marginem, 1999.(本作)
Cf. A. Genis, "Strashnyi son. O romane Vladimira Sorokina 'Goluboe salo'", Programmy Radio Svoboda: Poverkh Bar'erov. 27-06-99 http://www.svoboda.org/programs/1999
I. P. Smirnov, "Oskorbliaiushchaia nevinnost' (O proze Sorokina i samopoznanii)": http://www.geocities.com/SOHO/Exhibit/6196/mp7-10.htm

2.作品梗概
 2068年と1954年を舞台にしたファンタジー小説。
 物語は「青脂(голубое сало=水色の脂身)」と呼ばれる物質を中心に展開する。これは薄青い光を発する特殊原子構造を持った物質で、その属性のひとつはゼロ・エントロピー、すなわち外部環境に関わらず定温を保つという点にある。これは超絶縁体としての機能を意味し、超伝導体との組み合わせによって、永久エネルギー機械に利用できる(ここに「熱力学の第4法則」が働くらしい)。もちろん他にもこの物質の多様な用途がほのめかされている。
 青脂の産出法は限定されている。すなわちまずロシアの作家たちのクローンを作成し、彼らに執筆させた後、仮死状態になったその肉体に、ライトブルーの脂身が蓄積されるのを待つのである。
 物語は(a)21世紀の出来事と(b)20世紀の出来事に2分される。前半の近未来物語はさらに2つの部分に分かれる。すなわち1)2068年のシベリアで、国家プロジェクトによる青脂の開発が行われる過程(開発チームの一員による手紙の形での描写に、クローン作家たちが作る「作品」が混じる)、および2)シベリアに潜む大地崇拝の集団「ゼムレヨープ(大地交合教団?)」が青脂を奪い、かつてこの地にいたゾロアスター教徒の残したタイムマシン「時の漏斗」によって、20世紀中葉のロシアに送る過程、である。
 作品の後半には、作者が自由に改変した1954年のソ連の出来事が描かれる。そこでは53年に死んだはずのスターリンがいまだ健在で、ベリヤ、フルシチョフらソ連指導部とともに、時間転送された青脂をめぐって複雑な動きを展開する。さいごに舞台は同じく健在のヒットラーのドイツに移り、最終的にスターリンの体内に注入された青脂が、彼の脳を爆発的に膨張させることになる。
 人物関連以外でも、作品の現代史は大幅に改ざんされている。例えば、第二次世界大戦末の1946年1月、ソ連とドイツによるイギリスへの核攻撃(ロンドンの完全な破壊)が行われたことになっている。またソ連の西側国境はプラハを通っており(プラハに東西の壁がある)、ポツダム会談後親密化したスターリン・ソ連とヒットラー第三帝国がヨーロッパを制圧し、アメリカと対抗している等々。21世紀に想定された出来事(例えば2028年のオクラホマ原発事故)を含め、全体が悪夢的なアナザー・ワールドとなっている。以下ふたつの世界の出来事を概説する。(a)2068年の世界 
a-1 奇妙な仕事
 シベリアの秘密研究所GENLABI-18で<ГС-3>という国家プロジェクトが遂行されている。月面に建設予定の永久エネルギー用反射炉に用いる20キログラムの青脂を生産しようとするもので、遺伝子工学、医学、熱力学等の専門家と軍人・技師からなる44名のチームが、この年の1月から7月にかけてこれにあたる予定。青脂はもっぱら複製作家の執筆の副産物として得られるため、チームの仕事はそのプロセス管理に限定される。すなわちあらかじめ何世代にも渡って開発されてきたクローン作家たちが、自発的に執筆し、その後の仮死状態のなかで体内に青脂を蓄積するのを見守るのである。
 物語は、言語促進の専門家(логостимулято Р)としてプロジェクトに参加したボリス・グローゲルという人物が、同性愛の若き恋人にあてて書きためる手紙の形で展開されるが、そこに言及・引用される「作業」のプロセスも、またチームの生活に現れる近未来の風俗(言語、飲酒、性風俗など)も、きわめてファンタスチックである。
 プロジェクトが扱うクローン作家は7名。すなわちトルストイ4号、アフマートワ2号、ナボコフ7号、パステルナーク1号、ドストエフスキー2号、プラトーノフ3号、チェーホフ3号である(番号は各個体の世代を表す)。各個体の外見・資質はまちまちで、例えばトルストイ4号は身長112センチ、体重62キロ、60才見当の男性で、相関係数(соответствие)73%。最後の数値は実物に近い度合いらしく、最高は8年がかりの傑作ナボコフ7号の89%である。
 主人公=語り手は手紙の中にクローン作家たちの作品を引用しているので、その内容、すなわちソローキン版ロシア作家文体模写のアンソロジーを味わうのが、作品の醍醐味のひとつとなる。例えばドストエフスキー2号の作品『レシェートフスキー伯』の冒頭は『罪と罰』と『白痴』を舌足らずに混ぜ合わせた形をしている。 7月も末のある日の真昼の2時過ぎ、とほうもなく雨模様が続き、夏らしくなく冷え冷えした頃合、道中の泥でさんざんに汚れた幌馬車が、一対の見てくれの悪い馬に曳かれてA橋を駆け抜け、G通りの三階建ての灰色の家の車寄せの脇にとまったが、その様子は全体がとほうもなくどうもあんまりで、そのニワトリのコトバときたらニワトリのコトバときたらもうまったく良からざるものだった。
 馬車からは二人のがっしりとした体躯の紳士が出てきたが、その服装はしかしもはや夏服でもなく、しかもペテルブルグ風でもなかった。一人はステパン・イリッチ・コストマーロフ、特殊任務を課された政府のさる局の参議官で、短い羊革の外套を着込み、もう死んではいるがとほうもなく長い黄色と黒のまだらヘビで腰のところを締めていたが、もう一人の、若死にした将軍の裕福な遺産相続人でそれゆえ定職をもたないセルゲイ・セルゲーヴィチ・ヴォスクレセンスキーの体には、広場で演技しているヴェネツィアのアルルカン風の細いまだら絹が巻き付けられていて、あの頃彼は自分のを見せつける光栄を得たのだが、彼女ときたらもうまったく下劣な売女であった。
 その姿を一目見ただけでこちらがなにやら突然に圧倒され感動させられてしまい、胸が締めつけられて訳もなく涙が流れ出してくるようなタイプの人がいるものだが、それはもし人間にある性向がある場合にはひどく残念なことになるが、それがどんな性向なのかはご自分で考えてみて欲しいわけで、まったくこの役立たずが。
 ドストエフスキー2号によるこの物語では、『白痴』を思わせるような宴席における中年の伯爵と奔放な女性との対決シーンに、突然ドイツ人の科学者と小人が登場、人物たちを3人一組に縫い合わせることを提案する。そして実際伯爵は、他の端役の二人と合体して、スイスでの新生活に向かうのである。ちなみに執筆後ドストエフスキー2号の体は完全に変形、その後3?4カ月の仮死状態期間に、背中の下部と腿の内側に6キロの青脂が蓄積されると予測される。
 同様にしてアフマートワ2号は、英雄的共産党員と3人のコルホーズ女性との1対3の交わりから3人の模範党員の息子が生まれるという話を含んだ『三つの夜』を、チェーホフ3号は、零落した人嫌いの地主が久しぶりに訪れた女優を追い払い、医師を殺すという『カモメ』のパロディを書く。パステルナーク1号の作品は、星(ズヴェズダー)という語を女性性器の卑称(ピズダー)に置き換えただけの中学生風の猥褻詩、トルストイ4号の小説断片では、老公爵と息子の心理的な葛藤が熊刈りとみだらな風呂の描写に発展する。ナボコフ7号のものは『アンナ・カレーニナ』風に「すべての幸せな家庭は一様に不幸であり、不幸な家庭は各々それなりに幸福である」と始まる、行方も知らぬ段落無しの文章。クローン作家はこれをきわめて攻撃的に、つまり家具調度を破壊し、喰らいながら、手から流れる血を木片に浸して書いたという。
 次のように始まるプラトーノフ3号作『指令書』もなかなか傑作。 ステパン・ブブノフは釜をかき回していて、肉片機関車の運転室に男が入り込んできたのに気づかなかった。
 「ブブノフか?」余所者は甲高い非プロレタリア的な声でわめいた。ステパンが自らの階級的優位を見せつけてやろうと振り向くと、現今の生活の張りつめた不安定さによって鍛え上げられた顔をした、がっしりとした若者の顔が見えた。若者の頭は扁平で、年不相応に植生を失っていたが、それは革命期の大気の黒土の中を苛烈に通過してきたが故であった。
 「俺は機関庫の細断工だ。ザジョーギン、フョードルという」若者はそのブルジョア的な声によって釜の階級的咆哮を圧倒しようとして叫ぶ。
 「貴様、もしかしてヴランゲリの軍で、ツケでいっぱいひっかけてきたんじゃねえか」ブブノフは釜を閉じながらたずねた。
 「俺は同士チューブから貴様宛の令状を預かっている」ザジョーギンは真顔で詰襟服のポケットを探った。「一緒にボロホヴォに行くんだ。あそこじゃ白軍の畜生どもが幅をきかせていやがる」
 ブブノフは手についた重油をブリキ缶で拭うと、ザジョーギンから一枚のきれいな紙片を受け取った。
 「機関士ブブノフ、S.I.への指令。即刻、プロレタリア用肉片機関車No.316をボロホヴォ待避駅に運び、装甲列車ローザ・ルクセンブルグ号に連結すべし。機関庫長イワン・チューブ」 表層は一見真面目な文体模写であるが、ただしこの肉片機関車は、戦死した敵味方の身体を燃料にして動いているのである。
21世紀シベリア風俗
 この仕事の前後に断片的に紹介されるプロジェクトチームの生活風俗も興味深い。まず特徴的なのは人々の言葉。21世紀シベリアは人種・文化の雑居が進んでいるようで、人々の固有名もボチヴァル、ヴィッテ、カルペンコフ(女)、ファン・フェイ、ハリトン、ムスタファ、ボック(女)といった風にカラフルである。従って用いられる言葉もロシア語の中に大量の中国語、英語、ドイツ語、フランス語などを混ぜた混声語。20世紀的ロシア語は「旧露語(スタロルス)」と別名で呼ばれている。この雑色の下地に、さらに新世紀の各種ジャーゴン、略語、性的隠語の類が混じっている。
 作者は中国語の表現、および頻用されるジャーゴンの類に関して、巻末に興味深い用語解説を付している。例えば作中しきりに用いられるリプス(рипс)という間投詞は、2028年オクラホマ原発事故の直後、被爆ゾーンに残って自らの肉体の状況を報告し続けた米海軍軍曹の名に由来する国際的罵倒語。術語の中で、M-バランス(М-баланс)は「精神の安定度」、SOLIDныйは「変節しやすい」、Rapidは「マルチセックス志向者」、АЭРОСЕКС, STAROSEX, ESSENSEX, 3 плюс Каролинаはマルチセックスの種類を表す、といった具合。ただし意味不明の隠語や略語もあり、作者特有のとびきり下品な表現と相まって、感覚の表出が言語の意味伝達機能を混乱させている。
 特殊タームの大半が生理状態と性的志向に関係していることが示すように、21世紀ロシア地域人の関心は、肉体的・感覚的なものにきわめて偏っているようにみえる。たとえば物語の主人公=語り手の関心領域にあるのは、恋愛(同性愛)、酒及び麻薬、金儲け、精神の安定、健康(特に前立腺の調子)といったものである。倫理や宗教への志向は見られないし、感覚を越えた価値への曖昧な関心もない。シニカルでエゴイスティックで破壊的なユーモアに満ちた、幼時期的欲望のカーニヴァルといった世界である。a-2 ロシア大地交合教団
 主人公の13通目の手紙の最中、閉鎖合宿4カ月目にさしかかって大分うんざりした科学者たちが、朝から気晴らしのカクテルパーティーを開いている場面の途中で、物語は急変する。謎の7人組が宴会中の研究員たちを襲い、皆殺しにして総計12片、11キロ強の青脂を奪い去るのである。
 強奪者たちの本拠地は、同じシベリアの廃坑。青脂はグループのリーダー・イワンの手から、兄弟ヴァニュータ、神父ズィゴン、僧アンドレーエフ、マギストル、土喰いマスター・サヴェーリーといった者たちを経て、最後に大地の奥に住む巨根族の神官たちキル、ヴィル、ティトの手に渡る。彼らはロシア大地交合教団(Оруден Российских Землеебов)のリーダーであった。同教団は2009年、ロシアの大地と最初に交わりし者ピョートル・アヴデーエフが開いたもので、2026年の南方教団(構成員当時3115名)と北方教団(同560名)への分裂を経て、今シベリアの大地の奥に根を張る男性ばかりの集団である。
 神官の一人ヴィルはさらに地下へと降下、最下層に住む大マギストルと相談の末、地下のタイムマシン「時の漏斗」に乗って、アタッシェケースに入れた青脂を「至高の目的のために」20世紀ロシアに届けることになる。
 この一連の経緯の間に、同教団の歴史に関する愉快な地下の学校での授業風景、正体不明の「物語る金の手」が記す『水上人文字』という社会主義リアリズム風グロテスク小説、さらに20世紀のラジオが伝えるニコライ・ブリャク作『青い錠剤』(ボリショイ劇場が水中にあるという設定のスカトロジー風恋愛小説)などが挿入されている。(b)1954年の世界
 1954年3月1日、モスクワのボリショイ劇場で、全ロシア自由恋愛会館開館記念コンサートが盛大に行われている。折しも筋萎縮症の国民芸術家アレクサンドル・ピャトイがバスタブに寝て歌う中、舞台と客席の間に突然円錐状の氷塊が出現する。その場にいたモロトフ、ベリヤ、ヴォロシロフ、ミコヤンらソ連指導部が、早速対策を協議するが、中でベリヤだけが背景情報を握っている。
 彼によれば氷塊はロシア大地交合教団が未来から送ってきたタイムマシンで、本来は前6世紀にシベリヤに住み着いたゾロアスター教徒の一団が、地下の太陽による楽園回帰を追求する過程で発明し、残したものである。ゾロアスター教徒のタイムマシンは本来3台あったが、そのうち2台はすでにロシアに送られてきていた。すなわち最初は1908年、大地交合教団の沿革と規約を記した鹿革の書物が届けられたが、ニコライ2世の政府はこれを無視し、書物の一部を保管したのみであった。2回目は1937年2月29日で、角、蹄、尻尾をもった不思議な少年を乗せたタイムマシンはモスクワ=ウラジオ間の列車を破壊し、GPU長官エジョフは、これを鉄道員陰謀事件のフレームアップに利用したという。ベリヤたちはすでに14年間、第三のマシンを待っていたのである。
 ベリヤら4人はスターリンのもとに対応を相談に行く。ここに登場するスターリンは50才恰好(実際は1879年生まれで、存命としても75才)、頻繁に自らの手で麻薬の舌下注射をすることを除けば頑健で、部下をいたぶりつつ哄笑するしたたかなリーダーである。彼はこの時二人の息子ヤコフとワシーリーを叱責しているところだった。二人は女装してメトロポールホテルで酒と麻薬を味わった後、同性愛の相手を奪い合ってスキャンダルを引き起こしたのだ。ちなみに作中のスターリン家は性的にユニークな集団で、妻はボリス・パステルナークと恋愛しているほか、義息ヤコフとも肉体関係を持っている。娘ヴェスタは色情狂、スターリン自身も後出のようにフルシチョフの愛人である。
 やがてクレムリンの一室で、前記4人とスターリン、カガノヴィチ、マレンコフ、物理学者ランダウとサハロフ、さらにトルストイ、ショスタコーヴィチ、エイゼンシテインら計18人が、氷塊を脇に食卓を囲んで議論することになる。まずタイムトラベルの根拠となる「軟時間」のメカニズムについて、二人の物理学者が自説を展開する。ランダウによれば時間は川と同じ構造をしており、通常に簡と軟時間の関係は、川の表層の流れと底流の関係に相当する。一方サハロフの説によれば、時間はキャベツの球のような構造をしており、一般時間は一枚一枚の葉に、軟時間は葉を喰い破って進む芋虫に相当する。
 問題解明よりも悪趣味ないびりに似たこの検討会の後、スターリンとベリヤは人払いをし、氷塊の中から巨根族の遺体と青く光るアタッシェケースを入手する。スターリンはベリヤを制して手元にケースを残す。
 
 ここから物語は複雑化する。スターリンはベリヤを出し抜く形で、アルハンゲリスコエにある前政治局員・伯爵ニキータ・フルシチョフのもとへアタッシェケースを持って行くが、青脂の話が発展する前に二種類のエピソードが展開される。
 ひとつは女詩人AAA(アンナ・アフマートワ)の話。彼女は浮浪者の風体でスターリンとオシップ(マンデリシタム)の前に現れた後、詩のシンボルのような黒い卵を出産する。AAAは少年ヨシフ(ブロツキー)を洗礼親に選んで彼に卵を呑み込ませ、自らは死ぬ。この卵はやがてヨシフの腹中で割れ、何千本もの手となってヨシフの体を内側から広げて、ロシア全土に覆いかぶせていく。ロシア詩の運命のメタファーのようなこのサブ・ストーリーは、後のヨシフ・スターリンの脳の運命とパラレル関係をなす。
 もう一つのエピソードはフルシチョフとスターリンの関係。エカテリーナ2世時代の宮殿に600人の私兵に守られて暮らすフルシチョフは、灰色の長髪をした偉丈夫で、趣味は拷問。この日も美男の俳優を拷問で殺し、訪れたスターリンにその肉をフォンデュでふるまう。
 その後二人の間に、実にグロテスクなベッドシーンが展開される。
 「君のオーデコロンの匂いだ・・・・・・」スターリンはフルシチョフの浅黒い頬骨のところを撫でた。「ぼくは今でもこの匂いを嗅ぐと気が狂いそうになる」
 「ベイビー、たとえどんなことでも、おまえをどきどきさせられるんならうれしいよ」フルシチョフはスターリンのシャツのボタンをすっかり外すと、毛無垢じゃらの強い両手で柔らかなシルクシャツを脱がせ、指導者の毛の無い胸に唇を這わせた。
 「モナミ、ぼくの君への気持ちは、何物にも喩えがたい」スターリンは目を閉じた。「それは・・・・・・まるで恐怖みたいだ」
 「分かるさ、ベイビー」フルシチョフはスターリンの小さな乳首に語りかけ、それから大きな肉感的な唇でそっとそれをくわえた。
 スターリンが呻く。(中略)
 「坊やはなにが怖いの」
 「太いイモムシが・・・・・・」スターリンはすすり泣く。
 「太いイモムシはどこにいるの」
 「おじちゃんのズボンの中」
 「イモムシはなにがしたいの」
 「入りたいの」
 「どこに」
 「子供のお尻に」
 こうしたエピソードの後、スターリンはようやく青脂の話を持ち出す。そこで明らかになるのは、この両者がともに1908年にもたらされた大地交合教団の資料を秘かに入手し、人類の未来を変化させる力を持つ物質としての青脂の意味を正確に把握していたということである。ベリヤたちの反逆を恐れるフルシチョフは直ちに国外へ脱出することを提案、やがてスターリン一家と側近、フルシチョフとその忍者たちからなる一行が、イリューシン18号に乗って西へと向かうことになる。(機上のシーンには、現代の吸血鬼を扱ったスターリン賞作家コンスタンチン・シーモノフの『一杯のロシアの血』が挿入される)
 プラハでロシア国境を越えた一行は、アルプスの麓オーベル・ザルツブルグのヒトラーの城に身を寄せるが、そこにはヒトラー本人をはじめエヴァ・ブラウン、ゲーリングほかナチスの幹部たちが揃っている。小説中のヒトラーは長身で、危機に際して光を発し奇跡を行う魔法の手の持ち主である。
 一同の間で、ロシアに哲学がない理由、ドイツとソ連の保有すべき核爆弾の数、ユダヤ民族の定義などをめぐる曖昧な議論が交わされる。ヒトラーはエヴァ・ブラウンとの諍いの後、スターリンの娘ヴェスタを陵辱する。
 この後フルシチョフとスターリンはヒムラーと語らってヒトラーを出し抜き、青脂を挽き肉機にかけて青液(голубая жидкость)を作成する。そしてその液を(恐らく人体改造用の薬品として)自らの体に注入しようとする。この行為を妨害しようとするヒトラーとの戦いの後、スターリンはついに青脂の液を自分の脳に注入してしまう。
 その結果スターリンの脳はビッグ・バンのように肥大する。脳は部屋を、家屋を、町を越え、全地球に広がっていく。3598日後には太陽の直径の112倍になって、やがて太陽系を飲み込み、さらに恒星や惑星を取り込んで広がっていく。126407500年後には、脳はついにブラックホールとなり、さらに34564007330年後には、通常の脳のサイズに圧縮されて、ただ重量だけが太陽の345000倍になっている。
 
 やがてスターリンは家具もない小さな部屋で、1個の梨と紙巻きタバコと書物『青脂の機械処理』を前にしている、年老いた自分自身を見出す。どうやらスターリンは冒頭の、2068年の世界に来ており、かつての主人公=語り手ボリス・グローゲルが恋文を書き溜めた相手、ゴスポジンSTの従僕をしているらしい。老いさらばえた彼が、切片培養した青脂プラスターを傲慢な若者の背中にのせるシーンで物語は終わっている。3.コメント
 作品はきわめてラフに設定された骨組みに、局部的に肥大した肉付けがなされていて、総合的な読み方は難しい。複製作家の作品執筆を通じてしか生成されないという青い脂身の寓意や、2068年と1954年という時間の意味などを一義的に捉えること(あるいは意味の有無を判断すること)は、評者にはできない。ここではいくつかの要素について個別にコメントしたい。
 スターリニズムやナチズムを、暴力・エロス・グロテスクのレベルで捉えようとする姿勢は、同じ作者の『ダッハウの一月』『ノルマ』などに通じている。この作品ではスターリンのイメージがきわめてサイケデリックな加工を施され、冷酷な暴君の顔を見せたかと思うとホモセクシュアルの受身役になり、宇宙的膨張と収縮、さらに時間移動を行う。世界史のイメージも、大戦後の安定を否定する形で、同じく荒唐無稽な改変がなされている。切断・変貌の名手ソローキンが、結合・伸縮・転移・転倒といった手法を試みているわけだが、彼の宇宙ではどんな荒唐無稽な文学的アクロバットにもエロチックなものが付随しているところが面白い。ただし私的な感想としては、例えばスターリンとフルシチョフのセックスを細かく描くよりは、スターリンの脳の爆発自体を詳細濃厚に、官能的に描くのが、よりソローキン流のように思えるのだが。
 文章のレベルでの実験も面白い観察対象である。ロシア語に大量の中国語単語を交ぜた21世紀の会話体も、各クローン個体の作品における文体模写も、ソローキン版紙上トークショーの定番プログラムなのだが、前半のこの部分の切れ味が、作品の存在感を保証している感じがする。別の角度から見れば、どのようなアナーキーな文体実験をしても、小説の解体と見えるような荒唐無稽な飛躍を行っても、決して破綻しないような、ソローキンにおける目に見えない文学の枠組み(もしくは文学の呪縛)のようなものが、きわめて鮮明に感じられる作品である。
 この作品のエロスの質はまた個別的な問題だが、もし心理学の言葉で語ることが適当とするなら、イーゴリ・スミルノフがソローキン文学に適用したスキゾナルチシズム概念(『プシホディアフロノロギカ』)よりももっと素朴な、肛門期のエロスのようなもの、あるいは同じスミルノフがリアリズム文学との関連で用いた、ニヒリズムとエディプス・コンプレクスの関連の図式に近いものを感じる。フルシチョフを恐れ甘える稚児、冷徹な国家の父、ゴスポジンSTの下僕といったスターリンの役柄の変移も、すべて父と子の葛藤処理の諸段階を示しているように見える。
 その他ソローキンの作品が常にはらんでいる逆説・アイロニーが、この作品にも強く感じられる。例えば、文学の虚構性を強調し、テキストを紙の上のインクのシミにすぎないと見なすソローキンの作品が、どうして肉体性、暴力性、官能性を直接想起させてしまうのか。あるいはまた、文学の社会的意味や読者の受容の問題を徹底的に無視する彼が、なぜスターリンやヒトラーというきわめて社会・歴史的な題材に執着し続けるのか――これらはソローキンの個人的な問題であると同時に、現代文学一般のベースで考えてみることのできる問題でもあると思われる。