●ソコロフ, サーシャ Sokolov, Sasha
「パリサンドリア」 Palisandriia. Ardis, Ann Arbor, 1984.
解説 貝澤 哉
1. 作家について
Sasha Sokolov 1943 年カナダ駐在ソ連武官の息子としてオタワで生まれる。モスクワ大学でジャーナリズムを学ぶ。1975年に出国、翌年アメリカで『馬鹿たちの学校』を出版し高い評価を受けた。第二作『犬と狼のはざま』(1980)でサミズダート誌「時計」よりアンドレイ・ベールイ賞を受ける。『パリサンドリア』は三作目の長編である。彼は60年代モスクワの非公式文学グループとも交流があった。1980年代の終わりにロシアに帰国し、「ユーノスチ」などに作品を発表。ただしロシアでの作品集の刊行については話には聞いているが未確認。現在の動向についても未確認。
彼の作品の文体は意識的に複雑化され、その語りは饒舌で主観的であり、様々な動機付けのもとに多様な視点、時間、空間、そして他のテクストからの引用が交錯し、読者はそのなかから徐々にファーブラの全体像を体感する。
2. 作品について
小説は、プロローグと四つの章から成る。それは20世紀から21世紀にかけて生きたパリサンドル・ダリベルクという人物が残した回想録を、ある伝記作者が2757年に刊行したという体裁によって枠付けされている。この「伝記作者」の刊行の辞によると、パリサンドルは、ベリヤの甥の息子で怪僧ラスプーチンの孫であり、クレムリンの単なる孤児から、国家的大人物へとのし上がったのである。
プロローグで、架空の国家エムスクにおいて、ベリヤがクレムリンの時計台で首を吊って自殺し、時が止まって「沈滞期=無時間」Bezvremen'e が訪れるさまが描かれたあと、次章追放の書では時間は突然物語の結末部分──主人公パリサンドルが追放の地から祖国に帰還して「沈滞期=無時間」が破られた時──へと飛び移る。パリサンドル自身を語り手とする主観的なイントネーションに満ちた文体は、そこから過去へと時間をさかのぼるようにして、自身の生い立ちと、「沈滞期」の物語を紡ぎ出してゆく。そこにはアンドロポフやスターリン、ヌレエフやマヤコフスキイなどクレムリンやロシア文化史を代表する様々な人物が、時代の区別もなく登場し、ソヴィエトの歴史は、クレムリンの孤児であったパリサンドルの伝記的回想と重ね合わされることによって組み換えられてしまう。たとえばベリヤの死が銃殺ではなく首吊り自殺であったのと同じように、スターリンの死は、クレムリンの孤児たちがタンスに隠しておいた犬がいきなり飛び出してびっくりしたためだった。このため子どもたちは逮捕され、流刑と収容所送りを言い渡される。そしてパリサンドルは、ノヴォジェーヴィチ修道院を改造して作られた、国立マッサージ館へと流され、そこで鍵番として暮らすことになる。
冒険の書では、マッサージ館でのパリサンドルの行状が描かれる。そこで彼は、ホメイニの妻で老婆であるシャガネらと関係を持ち、また話がスウェーデンのレストランにおけるベケットとの食事などに脱線したりしながらも、アンドロポフによるブレジネフ暗殺計画に巻き込まれて行く。この暗殺に使われた拳銃はカプランによるレーニン狙撃事件で使われたものだったが、パリサンドルによると、このレーニン狙撃事件もカプランとレーニンの三角関係による痴情事件だとされている。しかもこのカプランはパリサンドルの射撃の教師でもあり、二人の間には肉体関係もあった。
復讐の書は、ブレジネフ暗殺で捕らえられたパリサンドルの獄中日記から始まる。それによるとブレジネフはユスポフ公の庶子の女性と結婚していたのだが、それをすでに述べたように怪僧ラスプーチンの孫であるパリサンドルが暗殺したことになるのである。しかも実際にはブレジネフは死んでいなかった。暗殺事件の後、クレムリンはハト派のチーホノフとタカ派のブレジネフにわかれ、パリサンドルの処分について争う。ノストラダムスがイワン雷帝に述べた予言(「ダリベルクの末裔を傷つけるとクレムリンは崩壊する」)を恐れたブレジネフの妻とも関係したパリサンドルは、ベリヤの影武者の処刑劇がおこなわれるなか釈放となる。
書簡の書。パリサンドルはアンドロポフから書類と切符を渡され、飛行船で国外へと飛び立つ。その後、鏡やデジャヴュ、人称、書くことについての長い逸脱などのあと、叙述は一人称と三人称のあいだで揺れ、またユングによって彼が両性具有であることが暴露されたり、パリサンドルの放蕩の原因が、前母の姉マジョレットに犯されたことにあるのだとわかってくる。こうして世界各地を放浪するうち、パリサンドルは妊娠したり、ペンギンブックスから自伝的旅行記を出版したり、小説『うさぎたちの目とともに』やニューヨークのごみ収集人の生活を描いた『ブロンクス』で大評判をとり、批評家ベール・ソロウに絶賛される。また彼は各地で亡命ロシア人の墓を収集、ストルーヴェ、シェストフ、ブーニンなどを集める。パリサンドルはついに文学賞と平和賞のダブル・ノーベル賞を授与され、様々な団体、アカデミー、委員会の一員となり、大立者となる。こうした状況のなか、クレムリンからの帰還要請に応じて、彼はエムスクへと帰国する。両性具有者である彼はエムスクに到着すると、中性の述語をとってこのようにいう──《Bezbremen'e konchilos',》govorilo ia ──停滞の時代=無時間の時代は終わったのだと。
3.コメント
この作品の第一の特徴は、それが文学諸ジャンルのパロディとなっていることである。ここには聖者伝、遍歴冒険譚、貴種流離譚、ドンジュアン、騎士小説、歴史小説などのジャンル形式が散りばめられており、様々な作家、詩人の名(ソルジェニーツィン、ベケット、マヤコフスキイ、ローペ・デ・ベーガ、アクショーノフ)も顔を出す。もともとこの主人公パリサンドル自身がグラフォマニアでノーベル賞作家ということになっている。書くことについて過度に意識化された語りもそのことを裏付ける。
第二の特徴は、この小説の時空間の複雑さである。パリサンドルは様々な歴史上の人物と血縁関係にあるだけでなく、多様な時代の多様な人物と性交渉がある。つまり彼は歴史横断的人物なのであり、時間はそこでは一方向に流れるのではなく、多種多様な時間が混在しているのである。そもそもこの小説の発端は、ベリヤが時計塔の時計の針に縄をかけて首を吊ったために Bezvremen'e の時代が始まることから書きおこされている。そしてこの「無時間=停滞の時代」に幕を下ろすことで小説は終わるのである。だからクレムリンの指導部は「時計師僧団」だし、ブレジネフとレーニンは同じピストルで狙われ、現代の話であるにもかかわらず、飛行船の旅が描かれる。この小説の枠の設定にもその動機は現れている。伝記作者の刊行の日付が2757年となっているので、私たちは未来から見られた過去としての現在の出来事を読んでいるという妙なことになる。
この動機はさらに、主人公パリサンドルの放蕩とも結びつく。彼は老女(過去)とセックスする。彼のエロスは、過去において無理矢理失われた胎内的な無垢を取り戻そうとする、過去への回帰だからだ。そしてこうした時間混交的でジャンル混交的な複雑なテクストをまとめているのは、この主人公パリサンドルの非常に典型的な定型的性格である。ロシアの昔話などに見られるタイプ、つまり不幸であり馬鹿であるが、同時に非常に賢く、あらゆる困難にやすやすと打ち勝って行くような主人公。彼はポリグロットでもある。
そしてこの小説がロシア・ソヴィエトの歴史の現実を収集し、無時間のなかに交錯させることで、歴史の単線的なイデオロギー性を暴露し相対化しようとしていることも、指摘しなければならない。クレムリンの歴史はここで物語、神話となり、私たちはソコロフの饒舌でほら話のように痛快でさえある奔放な文体の演技のなかに迷い込んでしまうのである。