●スラポフスキー, アレクセイ Slapovskii, Aleksei
「最初の再臨」 Pervoe vtoroe prishestvie. Volga, No. 8-9, 1993.
解説 浦雅春
1.作家について
Aleksei Slapovskiiはユーリー・ブイダと並んで近年とみに注目される作家。94年のブッカー賞の選考では彼の作品が一挙に3本もノミネートされるというこわもてぶりであった。
生年など詳しい経歴は不明。85年に初めてその戯曲が上演された。文芸誌へのデビューは88年、サラトフで出ている「ヴォルガ」にその戯曲が掲載されたのが最初。その後も彼は同誌を中心に旺盛な創作活動を誇っているが、同時に同誌の創作欄の編集にも携わっている。
批評家アンドレイ・ネムゼルは彼のことを現在もっとも輝いている作家の一人と高く評価し、新しいロシア文学の鍵を握る人物だと褒めちぎっている。もっとも、スラポフスキーによれば、自作にこれほどマジな反応があるとは意外だったらしい。彼にとって創作とは何よりもまず自分が楽しむものなのだそうだ。しかも一番楽しいのは書き出しにあるというのが持論で、たとえば『コード化された物語、またの名を八本まとめて第一章』はそれぞれ異なる中編の第一章を集めたものだ。
作品は宗教的なテーマを前面に出すかと思えば、推理小説仕立てのものがあるなど幅広い。抜群のストーリーテリングの才。「ぼくはどんな文体も駆使できる。ゴーゴリ流にもドストエフスキー流にも書ける」と豪語する才人である。
■作品■
Chelovek, kotoryi ne boialsia... Volga, No. 8, 1990.
Glokaia Kuzdra. Volga, No. 8, 1991.
Ia - ne ia. Volga, No. 2,3,4,5-6, 1992.
Zakodirovannyi, ili vosem' pervykh glav. Volga, No. 1, 1993.
Pervoe vtoroe prishestvie. Volga, No. 8,9, 1993.
Zhenshchina s toi storony. P'esa v dvukh deistviiakh. Teatr, No. 8, 1993.
Pyl'naia zima. Znamia, No. 10, 1993.
Zdravstvui, zdravstvui, novyi god. Volga, No. 1, 1994.
Iz 《Knigi dlia tekh, kto ne liubit chitat'》. Druzhba narodov, No. 2, 1994.
Veshchii son. Detektivnaia pastoral'. Znamia, No. 3, 1994.
Iz 《Knigi dlia tekh, kto ne liubit chitat'》. Volga, No. 8, 1994.
Vesel'nik. Volga, No. 11-12, 1994.
2.作品について
●狂人イヴァン●
物語の舞台はポルインスクという田舎町。イヴァン・ザハーロヴィチ・ニヒーロフは小さい頃に無理やり洗礼を受けさせようとした祖父と無神論者の父親の板挟みに遭って、徹底した神父嫌いになったという変わり者だ。彼は人付合いを避け、独り町外れで「汽笛」という新聞に目を通し、ラジオを友にという暮らしをしている。だが、彼はラジオの「最後のニュース」が恐ろしくて仕方がない。これがこの世の最後のニュースになるかもしれないという恐怖を拭えないのだ。翌朝、世界の無事を発見して喜びに浸るのだが、それにしては世の中の人々が喜ぶ風もなく陰気な顔で職場に出かけてゆくのが気に入らない。世の中の無事を喜び感謝せよ、と彼は人に説いて回る。だが、もちろん誰も相手にしない。また人がやけに陽気だといっては、彼はそれに腹を立て、考えを説いて回る狂人だ。
1989年の夏、偶然通り掛かったボロ市でイヴァンは『聖書』に出会った。これこそ自分がずっと待っていた「知らせ」ではないか、と彼は思った。大枚10ルーブルをはたいて買い求めた『聖書』を彼は貪り読んだ。読んでは考え、考えては読んだ。そしてあるひらめきに打たれたのか、彼はノートを買い、その表紙にこう書きつけた。「生の不完全さ」。ところがとても1冊で足りるとは思えない。「全10巻」、と彼は書き加え、さらに9冊のノートを買い足した。
●イエスの再来●
イヴァンと同じ町外れの同じ通りに、ピョートル・サラボノフが生まれたのは1960年12月のことだ。
ピョートルの父マクシムは鉄道の釜たき。6歳でタバコに手を出し、10歳のときから親の目を盗んで酒を飲み、13歳のときにはもう大人にまじって飲んだくれていたという札付きの不良だった。両親はこんなときの常套の手段として、結婚させて生活を改めさせようとした。
相手はマリヤ・ザヴァルエヴァ、連結手ピョートル・ザヴァルエフの一人娘。父親のピョートルは自分も娘と同じ年ごろの食堂のウェイトレスのゾーヤと再婚を目論んでいたので、渡りに舟とこの結婚を承諾した。
二人は結婚したが、マクシムの酒浸りは止むことはなかった。やがて二人に思い当たる節はないまま、マリヤは子どもを産んだ。祖父の名を取って子どもはピョートルと名づけられた。ところがその祖父とゾーヤの再婚組にも丁度同じ日に男の子が生まれ、この子もまたピョートルと命名された。5年後この祖父は轢死、ゾーヤは女手一つで二人の子どもを立派に育てた。物語の始まる1990年には息子のピョートルは町の有力者となり、娘のカーチャは27歳で双子の娘を抱え、音楽学校の校長を務めるようになっている。
マクシムの息子のピョートルはおとぎ話に出てくるような怪力の持ち主で美男子で、めっぽう酒に強かった。大いに女性にもてたが、彼は30近くになっても結婚する風もなかった。実は姪にあたるカーチャを愛していて、肉体関係まで結んでいたのだ。この関係はカーチャの結婚後も続いた。鉄道の修理工場勤めという仕事には不熱心だったが、総じて彼は人生を謳歌していた。そんな彼の前に、狂人イヴァンが現れたのは1990年夏のことだ。
近くに住んでいながらイヴァンがピョートルのことを知ったのはつい最近のことだ。二人の老婆が、ピョートルの母親は処女だったと話しているのを小耳に挟んだのである。イヴァンは慌てて家にとってかえし、ノートを開き(それはすでに3巻目だった)、書き付けた、「きょう、解明され、明らかとなった。偉大な事実。とうとう。すべては明らかだ。明々白々だ。ようやく分かった。いまや自分のことも、あの人のことも分かった」。そう書いたところでイヴァンは驚いた。1冊目のノートにも2冊目のノートにも同じ言葉が延々書き連ねられているのだ。
イヴァンは一瞬にして悟った、自分は気違いだったのだ。なぜ、自分は己が狂人であることを理解しないまま、短くはない人生を知恵の暗闇のなかで過ごしてきたのか?
イヴァンはピョートルのもとに出かけた。
「われ入りて言う。汝、イエス・キリストなり、と。
その男答えて曰く、否、われはピョートル・マクシーモヴィチ・サラボノフなり。
われは言う、聖書、新約に説けるがごとく、われは授洗者ヨハン、ザハーリヤの息子、イヴァン・ザハーロヴィチ、かりそめの姓ニヒーロフなり。おのがじし洗礼を受くる者にはあらぬが、汝に洗礼を施さん。汝の名もまたかりそめならん。まことに汝、約束されしごとく、最後の裁きのためにふたたび甦りぬ。汝、イエス・キリストなり。
その男答えて曰く、信じ難きことなり。
われは言う、汝が母なる処女マリヤは汚れを知らず、汝を生めり。
<……>
その男尋ねて曰く、われキリストたる自覚あらざりしが、いかにしてわれキリストたらん、と。
われ曰く、いまに汝自覚するなり、汝の時は来たれり。
その男曰く、否、われはピョートル・ザラボノフなり。
われ答えて曰く、かりそめの名を人々は与えるにすぎず、真の名を与えるは神なり。汝の名はイエスなり。神われに予言者ヨハンの名を与えしは、汝に知らせんがためなり。神が汝の母にかの名を与えしこと、その証拠なり。よし汝の父ヨシフにあらず、大工にあらずとしても、汝の父にあらざる者の名はいかなるものであれ、千差なからん。
われはさらに言いへらく、神いかなる印と示唆を与えしか思いいたしてみよ、と。イエス同様、汝には伯父方、すなわち父が兄弟の兄弟あり。汝30の齢まで婚姻を結ばず。
その男、反論を試みんとするが、沈黙するのみ。
われ曰く、予言されしごとく、汝とともに反キリストもまた、人の顔と名をもって現れぬ。それ、汝が祖父方の伯父、権力を有するピョートル・ザヴァルエフなり。その男、治世者の顔を持つ反キリスト、ヘロデなり。再び、赤子の殺戮が起こらんかと不安なり」
●修行と遍歴●
イヴァンはピョートルがイエスと符合する事実を次々と突きつける。生まれた月日が12月25日であること、ヘロデ王の幼児殺戮と同種の事件が1962年に起こっていること、30歳まで独身であること……
20年ものあいだある皮膚病に悩まされていたゾーヤの腕にピョートルが手をかざすと、その病が癒えた。
イヴァンとピョートルはキリストをまねぶように、飲まず食わずの荒野の修行に出かけた。41日の修行を終えたピョートルが現れると、その異様な様子を目にした森番の娘は「ママ、神様だわ」と声をあげるのだった。
ピョートルが町の祈祷師の腰痛を取り除いてやったという噂が広まると、人々が助けを求めて彼の家に押し寄せた。
子どもまでやってくる。パパが死んだ、生き返らせてくれというのだ。はたして名前はラザロかと尋ねると、ラザレフだという。イヴァンは乗り気になるが、ピョートルは死人を甦らせることなどできないと荒れ狂い、彼らを追い払う。ピョートルはイエスであることにまだためらいがあるのだった。
しかし、死んだラザレフのことが気にかかるピョートルは、数日後、酒飲み仲間で彼の使徒となった二人を伴って、死んだラザレフのもとを訪れた。
だが、死者はすでに墓地に埋葬されたあとだった。「喜べ、妹よ。われが甦らせてみせよう」というピョートルに、寡婦は「やめとくれ。あんな男、あたしにゃ用はないんだから」とつれない。
ピョートルはそれを無視して墓を掘り返す。墓を暴くと、
「夜の光に青白く浮かび上がった顔が彼らを眺めていた。その顔はすでに死斑に被われていた。
「誰も口を開くんじゃない!」そうピョートルは命じ、柩に向かった。「なんじ!」と死者に命じた。「立ち上がれ!」
あたりを静寂が領していた。
「立ち上がれ!、と言っているのだ!」
と、突然、死者の身体のなかで何かがゴボッと音を立て、死体が微笑みでもしたかのように唇を動かした。死者の口からおくびが出た。
グリボグーズとイリヤは奇声を発して飛び退いた。
老婆はわめき、
子どもは泣き出し、
女は黙っていた。
「立ち上がる気があるのかないのか、おい、この野郎!」ピョートルは死者の肩を揺すった。「立ち上がってくれよ、お願いだから!生き返れよ、おい?」
死者はじっと動かない」
●アンチキリスト●
カーチャの兄のピョートルがアンチキリストであることをイヴァンが知ったのは最近のことだ。彼はピョートルの名前をさまざま数字に置き換え、666という数字を引きだしたのだ。生まれた日と月の2512から生まれ年の1960を引くと、552がえられる。それにピョートル・ザヴァルエフの名の数字(16、7、19、17と9、1、3、1、12、20、6、3)を加えると666となる。イヴァンはピョートル・ザヴァルエフに面と向かってアンチキリストと呼びかけ、たじろぐ相手に666という数字の根拠をしめしたメモを手渡す。
数字のメモを渡されたピョートル・ザヴァルエフは激しく動揺する。
●パロディとしてのイエス●
「わたしはイエス・キリストだ」
「わたしはアーラプガチョーワよ」とニーナはお手のものの機知でやりかえした。(47
じゃ、痔を治してみせろとヴァジム・ニコジーモフに挑発されて、
「これは非インテリ的な不愉快な病気だ。ところが、これまたインテリの病気でもあるんだな。原因は机に向かう仕事さ。ところで、ぼくはもう半年座って仕事はしない。歩きながら考え、飛びながら考える。だが、一向におとなしくしてはくれない。もう三日も出血に悩まされている。アルコールもまるで役に立たない。地獄の苦しみだよ。治せるかい?
ズボンは脱いだほうがいいかい、どの格好がいいかな?
<これは試練だな>とピョートルは覚悟して、鼻先に突きつけられたニコジーモフのケツを眺めていたが、ニコジーモフはズボンを下ろすかどうか尋ねていながら、返事も待たず自分でさっさとズボンを下ろしていた。うん、実に手際がいい。
いやいやピョートルは手をかざしはじめた。
「全然だめだな、それじゃ!」とヴァジム・ニコジーモフはせっついた。「君はぼくに男の愛情というものを感じていないね。ぼくの身体やぼくのケツへの愛情が足りない。まだまだだめキリストだな。ぼくのケツを愛してくれなくっちゃ。うまくいかないよ!」
このばかの言うとおりだ、とピョートルは思った。たしかに一理はあるな。そこで彼はニコジーモフのことではなく、苦しみ煩悶している彼の何の罪もない身体のことに思いをはせ、彼の身体を哀れに思い、手をかざすだけでなく、そっとやさしくその患部に触れはじめた。ここだって他の身体の部位に劣るわけじゃあるまい、肺や手や心臓や頭や肝臓なんかと同じように生命に不可欠なんだと考えるのだった……」
ヴァジムはピョートルの超能力を商売にしようと、磔刑に至るまでの3年間の公演計画を立て、二人は普及(布教)行脚にでかけるのだった。それはピョートルの自己探求の旅であるようだ。