●シュワルツ、エレーナ Shvarts, Elena
エレーナ・シュワルツの世界(1)──《キュンティア》について──
解説 宇佐見森吉
1.作家について
1948年レニングラード生まれ。《カザック事典》によれば、父方の祖先はタタール、ウクライナその他の血をひく。キエフ大学の党機関書記の役職にあった父は48年頃に死去。母はレニングラードのボリショイ・ドラマ劇場の文芸主任。シュワルツ自身はレニングラード国立演劇・音楽・映画大学の演劇学科通信教育部門を卒業したとされる。彼女の詩は60年代後半よりサムイズダートを通じて広まった。80年代にはアメリカやドイツで詩集が出たほか、89年以降、ロシアでも数冊の詩集が刊行されている。
文集《グノーシス》の著者紹介によれば、ザボロツキイとクズミンの影響を受けたシュワルツの詩の特徴は、「錯綜した隠喩思考、超越主義、容赦なき自己試練、〈飛翔する魂の変身〉がもたらす視覚の鋭利さ」にあるとされている。《カザック事典》の著者は、彼女の詩をキリスト教的伝統を基盤とする宗教詩としてとらえ、「シュワルツの詩の多くは現実と夢や秘跡との融合からなる」ことに注目している。ロシアでの最初の詩集《光の方位》の刊行を「ロシアの現代詩の歴史における転換期ともなりうる」と評したクリヴーリンは、シュワルツの詩の世界を貫いている光と闇の二元的世界の鋭利なコントラストに焦点を当てている。クリヴーリンによれば、たとえば《キュンティア》を含む初期のシュワルツは、生から死へ、自己犠牲から無意味で過酷な苦痛へ、同情から動機づけを欠いた犯罪へと容易に反転する人間心理の緊張の描き手として、古代世界に題材を求めたのだとされる。
主要作品
Tantsuiushchii David. Stikhi raznykh let. New York, Russica, 1985.
Stikhi. Leningrad-Parizh-Miunkhen. Veseda, 1987.
Trudy i dni Lavinii, monakhini iz ordena obrezaniia serdtsa. Ann Arbor, Ardis, 1987.
Storony sveta. Stikhi. Leningrad, Sovetskii pisatel', 1989.
Stikhi. Leningrad., Assotsiatsiia Novaia Literatura, 1990.
Lotsiia nochi. Kniga poem. SPb., Sovetskii pisatel', 1993.
Pesnia ptitsy na dne morskom. SPb., Russkii fond, 1995.
Mundus Imaginalis. (Kniga otvetlenii). SPb., Izdatel'stvo EZRO / Literaturunoe obshchestvo Unkonos, 1996.
Zapadno-vostochnyi veter. Novye stikhotvoreniia. SPb., Pushkinskii fond, 1997.
参考文献
Viktor Krivulin. Misticheskaia geografiia《Sotron sveta》. Russkaia mysl', No. 3784, 14-VII, 1989.
2.作品について
《キュンティア》が書かれたのは1978年のことだとされているが、ロシアでの詩集収録は1989年に出た《光の方位》においてなので、あえてここで取り上げることとしたい。ちなみにこの作品は1996年版の詩集《仮想世界》にも収録されているので、ここではこの新しい版のテキストを用いる。
キュンティアは古代ローマの詩人プロペルティウスの恋愛詩集のヒロインの名である。プロペルティウス(紀元前48年ころより16年ころ)はアッシジ生まれのエレゲイア詩人として知られ、彼の「《エレゲイア詩集》4巻の中心をなすのは、キュンティアとよぶ女性との恋のいきさつを神話の比喩を豊富に用いて歌う、難解な、しかし繊細で情熱的な恋愛詩」である(中山恒夫《小学館日本大百科全書》)。「彼はキュンティアCynthiaと呼ぶ女性を対象として恋の喜び、裏切られた者の怒り苦しみ憎しみを病的な熱情と憂愁をこめて歌った。詩集4巻中、第1巻は殆どすべてこの恋でしめられ、「キュンティアの巻」Cynthia Monobiblus の名で古来知られている」(《ギリシア・ローマ古典案内》岩波文庫)。
プロペルティウスが恋したのはホスティアという女性だったが、当時の恋愛詩の規範として、女性の名は仮名とされた(中山恒夫《ローマ恋愛詩人集》(国文社)解説)。このホスティアからキュンティアという文学的形象が生まれる背景について、弓削達は次のように書いている。「当時の男性文学者が歌った愛と恋の歌は、男の、妻ならぬ女との愛欲の歌でしかなかったし、如何に女の肉体を楽しむか、また如何に商売女が男の性を歓ばせるかの指南書でしかなかった。そのような愛欲を歌って比類ないプロペルティウスは、ホスティアとの愛欲の葛藤を、情感をこめて歌いつづけた。ホスティアは、プロペルティウスを誘惑し、裏切り、そしてふたたび陶酔させる、それをくり返すそういう世界の女だった。プロペルティウスの詩では、彼女はキュンティアと呼ばれる。彼は次のようにうたう。「キュンティアが初めてその眼で、まだ愛欲に冒されたことのなかったこのぼくをつかまえて惨めにした」「愛の神アモルは、ついにぼくに、貞淑な乙女らを嫌ってあてもなく生きるようにと、無情にも教えた。そうしてもう丸一年、この狂気に取りつかれたままなのに...」」(《ローマはなぜ滅んだか》中公新書)
シュワルツの詩集(1996)では、《キュンティア》には以下の序文がつく。「キュンティアは紀元前1世紀ローマの女性詩人、プロペルティウスのエレゲイアのヒロインでもあり、その才能のみならずその悪女ぶりをもって世に謳われた。今に残された彼女の詩は存在しない、しかしわたしはそれをロシア語に訳してみることにした」。キュンティアが詩人であるという設定(プロペルティウスのホスティアが詩人であったという保証はない)、その現存しない詩をロシア語に翻訳するという設定、それが《キュンティア》における「仮想世界」の構築の前提となっている。クリヴーリンも言うように、シュワルツの古代ギリシア・ローマ文化へのアプローチの仕方は多分に「制約性」を帯びており、シュワルツが題材とする「古典世界」においては、史実よりも想像力が重視されるのである。シュワルツの詩法はこの点ではセダコーワのそれに通じている。
《キュンティア》はふたつのサイクルからなる2巻から構成されている。各巻はそれぞれ8篇の詩
からなり、題名のついたものも少なくない。とりわけ、第1巻の詩篇の多くは「下女に」「クピードに」「若き詩人に」「クラウジヤに」「田舎住まいの女に」等といった宛先を持つ。第2巻は「対話」と題された詩を含み、この一篇のみが主人公とギリシア人奴隷との間で交わされる問答形式による詩となっている。
《キュンティア》の詩篇を貫いているのは「移り気」な主人公のパトスである。主人公は苛立ち、激情にかられ、自分の周囲の存在を苦しめる。主人公は奴隷たちに鸚鵡の息の根を止めるように命ずる。主人公に道を説く父親は池に放り込むように命じ、主人公の影を踏んだ女中には、フライパンの上で焼いても足りぬと脅し、主人公を侮辱する女には妖術を用いて病気にすると脅迫する。主人公は自らの身体に加えられる一切の苦痛に耐えることができない。第1巻では、主人公が容赦なく他者に加える苦痛の数々を通じて、主人公をつき動かしている激情が執拗に描かれ、その激情に捕らわれて悩む主人公の魂の痛みが炙り出される。その点でシュワルツの描くキュンティアはあまりにも痛みに過敏な女であり、その名を後世にとどめたようなただの悪女ではない。むしろこの過敏さ、主人公の過剰なほどの感受性がこの詩の主人公を詩人にしているともいえるだろう。一方、主人公には詩人プロペルティウスを思わせる情夫がいるが、それは主人公に情熱を燃やす若い剣闘士に嫉妬するだけの小心で惨めな男として描かれる。しかし、主人公はこの情夫が「不憫で」追い出すこともできない。主人公はこうした心理の葛藤のなかである日、ヴァッカスの神女たちの狂燥の宴に加わる。神女たちは「生きたまま雄牛を切り裂いて、/息もつまるほどの勢いで肉をほおばり、/総身に熱い血潮を浴びて、/アンフォラを一気に注ぐ女奴隷さながら、理性を一気に空に」する。この秘儀のイニシエーションを通じて、主人公の病んだ魂の救済の道筋が暗示される。
第2巻の主要なテーマとなるのはディオニュソス信仰、アポロン崇拝にまつわる一群のモチーフを媒介とした魂の浄化と転生である。第2巻の主人公はディオニュソス祭の夜に「ディオニュソスのもとで半死半生の忘却を会得しよう」とする女として、あるいは身体感覚の総合に芸術の基盤を認める感受性の詩人として、あるいは残忍な女という誹謗中傷に異議申立てをする女として、あるいは40の齢を前に自らの死を見つめるひとりの女、自らの運命を受け入れる従順な女として登場する。彼女はオルフェウス教の秘儀に通じ、冥府に下って魂の浄化と転生の秘密を会得しようとし、最後にはギリシア人奴隷との問答を通じて、死すべき人間の運命について、死後の世界について、プラトンの英知を我が物としようとするが、その試みも奴隷の饒舌な言葉を前にして失敗に終わる。
《キュンティア》全篇
キュンティアは紀元前1世紀ローマの女性詩人、プロペルティウスのエレゲイアのヒロインでもあり、その才能のみならずその悪女ぶりをもって世に謳われる。今に残された彼女の詩は存在しない、だがわたしはそのロシア語訳を試みた。
第1巻
・.下女に
茜色の軟膏を持っておいで/唇の風痘が痒くてしかたがない/床を温めたら、バイケイソウを/熱い葡萄酒に浸しておくれ。//
朝から雨は土砂降り/氷の鞭で/ローマを打ち据えている/盗みを犯した奴隷さながらに。
籠の鸚鵡は喚きつづける/忌々しいことに、喋りだしたらとまらない!/わが国は濡れた毛布をかぶって凍えきり、/わずかに遥かピレネーの山中で//
軍勢はゲルマン掃討の進軍をつづける/渓谷を行く軍団は小指さながら、/臨終の苦しみにひたすら戦いている/もはや体は完全に麻痺して。//
このローマにわたしほど移り気な質の人間が/生まれたためしがあるだろうか/今や眼に入るもの/すべてがわたしを苛立たせる。//
鸚鵡はなおも鳴きわめく/こんな惨めな男の惨めな贈り物など/女奴隷よ、すぐに絞め殺しておしまい。/緑色のこの小さな体はいまに涙に濡れて漂い始めるだろう、/そのときわたしはおまえを呪ってやろう、だがいまは一刻も早く息の根をとめてしまうがいい。//
水道は決壊寸前、こんな日に誰が/好き好んで家の外に出ようか──泥棒にせよ、情夫にせよ。/向かいの旅籠の明かりもいたずらに/ぼんやりと灯もったままで。
・.
またしても父がお説教をたれにきた/──そうではない、こういうふうに生きてゆかねばならんぞ、/──ええ、ええ、わかりました、お父様、/これからは気をつけます、お父様。//
従順なそぶりで、わたしは眺める、/この白髪の頭、曲がった両手、ひどく赤い口。/わたしは奴隷たちに命ずる、「とっととこの愚か者を/池の中に放り込みなさい」と。//
父は大理石の床を引きずられてゆく/なにかにしがみつこうとするが、しがみつくものがない、/頬を血が、涙が伝う/「娘よ」、父は叫ぶ、「許してくれ、やめないか!」//
「だめだわ! あんたのような色情狂の偽善者は/餓えたウツボの餌食になるがいいわ」/あるいは、想像してみせましょうか、闘技場で/ライオンがこの偽善者の肝臓を噛み切る様を。//
「わかったわ」とわたしは言う、「改心しましょう、/可哀想なわたしのパパ、年老いたお父さん」/虎が血の臭いを舐め清めたところで、/わたしもいささか彼が哀れに思えた。//
頭のなかでわたしはこの人を手をかえ品をかえ/それこそ何千回も処刑してきたんですもの、/ある時なんか、本当に/鎚を振り上げて、こめかみを叩き割るところだったわ。
・.
よくもおまえにそんなことができたね、なんという卑劣な女!/おまえのような女は島流しにするだけでも足りない、/小便で歯を磨くケルト・イベロ人の嫁にでもくれてやろうか、/あるいは、おまえの腹黒さにお似合いのアビシニア人の嫁にでも。/おお、この恥知らずな女め! カトゥールラには何度も言っておいたのに、/そっと邸内を歩いていると、部屋の隅に置かれた燭台が/わたしの影を長々とひきのばした。/そこへあの女は台所から、ばたばたと駆け込んできた、/金めっきの皿に載せた鯖を抱えて、/そして踏んだのだ、わたしの影を/頭を、それから腕を!/だが、わたしの影はあの女のなめし皮の皮膚よりも、/おお、そうとも! それよりもはるかに痛みに敏感で繊細だ。/たとえおまえを同じフライパンの上で、/あの端正な鯖といっしょに焼いたとしても、/おまえには痛くも痒くもあるまい、/おまえがその足で巻き毛の影を踏みつけたときに/わたしが覚えた痛みに比べたら。
・. クピードに
羽のはえた赤子よ、おまえは痛みなしにはすまないんだね/たとえ熱が冷めても、別れの言葉を告げるのは辛い/おまえの箙には無数の矢/おまえはなぜそんなに貪欲に/喉元を突くほど/強く弓を引きしぼるのだろう/傷口は乾いたばかりなのに?/それとももうわたしの主人ではないから、復讐のつもりなの?/いっそほかの矢を放ってごらん/この矢ではなく、これには触れず/もう血は固まったのだから。/おまえはこのまま飛んでいっておしまい、欲張らずに。
・. 若き詩人に
セプチムよ、あなたはなぜムーサにつきまとうのです?/あなたの調子はずれの歌声や、手拍子が/なんになりましょう。カルリオペーもエウテルペーも/あなたにはほとほと愛想をつかしています、エラートは/あなたから逃れる手だてがなくて困りはてているのですよ。/もうこれ以上、ムーサの袖を引いて仕事の邪魔をすべきではありません。/いいですか、さもないと賑やかな広場で、/雷の声があなたの内部を貫き、/いやがおうにもあなたは、公衆の面前でこう告白することになるのですよ/「ローマの長い一日が/広場に烏合集散させる/わたしのように肥え太り厚顔無恥な面構え/鳥の頭脳と長い舌の持ち主には、/死んだ女たちに欲情することくらいしか能がない。/わたしはムーサの靴を剥ぎ取ったことも、/踝を引っ掻いたこともある。/女神たちの怒りが鎮まるように、どうか善良なる諸君、/石版と石筆を一刻も早く隠してくれたまえ、/わたしの手の届くところから」
・. クラウジヤに
クラウジヤよ、あなたは信じないでしょうが、わたしに恋した剣闘士がいるのです/彼はこの三シーズン敗北を知りません/わたしはもう四〇ですが、彼はまだ若く美しく、/清廉潔白、日に焼けて逞しく、悲しげな人、/ハンニバルの象ですら彼ほどたくさんの傷跡はありません。/闘技場ではいつもわたしのことを眼で探すのだそうですが、/いまだに見つからないとか、わたしはあそこへは行きませんから。/夕闇が迫り来ると、とたんに彼がわたしの扉をたたきます/夕べがぎらぎらときらめく剣にもたれて座っているのです。/彼は苦しげに口元で息を切らせ、/情熱的に、それでいて哀しげに見つめています.../その様を見てわたしの恋人は涙するほど笑うのです。/もちろん、面と向かってではありません、ご存知でしょう、彼は臆病ですし、/あらゆる欠点を兼ね備えた人なのですから、/剣闘士の姿を眼にしたとたん、窓から飛び降りてしまいます。/「情熱は、」と剣闘士は語ります、「闘いの妨げとなるのです、/この情熱がとどまるところ知らぬものならば、わたしはガリアには戻れますまい、/それでなくとも以前の輝きもなしに勝ち続けていますが、/俊敏な相手が現れた日にはたちどころに斬り殺されてしまうことでしょう。」/彼はわたしの内に何を見ているのでしょう? わたしの方はいたって冷静に彼をながめているのに、/あの鹿の眼や黒々とした屈強な腕の輝きを。/クラウジヤよ、どうなるというのです、アムールは気まぐれです/不幸なことに、わたしが愛しているのは頭の禿げた醜男、/惨めな奴隷のように扉の陰に隠れている男、/後になって、あの人殺しを追い払え、などとわめくような男です。/ところが卑劣なことに、わたしには、この男が不憫で追い出すことも出来ないのです、/このうえあんな若い男が思いを寄せていたとしても、/ふたりは老いをごまかすベールでしかありません。/まるで腹のふくれた狼と冬に備える羊です。/わたしは彼の苦悩を長引かせています、でももし恋にやつれ果てて/彼が闘技場に倒れたら、そのときわたしはどうやって生きていったらいいのでしょう、クラウジヤよ、あなたには分かりますか?
・.
ヴァッカスの神女たちよ、わたしはあなたがたが羨ましくてたまりません/あなたがたは山野を軽々と走り抜け、/その眼は月の光を砕き/その駆ける勇姿は大草原の雌馬さながら、/その日、わたしが傍らに立ち、/わたしを連れてきてくれた女友達と、ふたりでそれを見ていると、/不意に彼女は堪えきれなくなって、/自分も酩酊乱舞のなかで身もだえし、/わたしのことなどすっかり忘れ去り、あなたがたを追って駆け出したのでした。/見るとあなたがたの口は歪み、/あなたがたの顔は、醜悪な俳優の/仮面さながらにずり落ちんばかり。/あなたがたは生きたままの雄牛を切り裂いて、/息もつまるほどの勢いで肉をほおばり、/総身に熱い血潮を浴びて、/アンフォラを一気に注ぐ女奴隷さながら、理性を一気に空にしてみせたのです/わたしが傍で見ていたのはそんなあなたがたでした。/家に帰って見ると、腕は傷だらけ、/肘まで血まみれでした... /キュンティアよ、これがあなたの不幸な運命というもの、/あなたは情熱をわが身に、わが身一身に浴びせかけ、/どんなささいな情熱でさえ、/裸で雄牛を追って駆け出さずには/それが消え去ることは許さないのです。...
・. 田舎住まいの女に
アブデラの人よ、あなたはご存知ないのでしょうが、/キュンティアを侮辱するのはとても恐ろしいこと、/キュンティアは薬草に通じ、/キュンティアには妖術の心得があるのですから... /あなたの顔はいまにやつれ、黒ずんでゆくでしょう、/昼となく夜となく、しゃっくりはやまず、/お宅のギリシア人の料理番はスープのなかに鼻をかむでしょう、/わたしが疫病神をさしむけるのですから、/お宅のご自慢のエジプト人の医師も/過度の治療であなたをひどく苦しめることでしょう。//
酔いどれのニグロも、塩に漬かった水夫でさえ、/いくら長旅に疲れ、色恋に餓えていても、/あなたのベッドに潜り込むことだけは思いとどまるでしょう。/だから、アブデラの人よ、キュンティアのことは忘れ、/そっとしておくべきです、それが身のためというものですよ。/もっとも、わたしは指一本動かすこともありません、/わたしになにか悪事を働けば、/どのみちユピテルが罰を下すでしょうから。/キュンティアを侮辱するのはとても恐ろしいことです。
第2巻
・.
先祖の骨壺の灰が渦巻き舞い上がる――今宵はディオニュソス祭の夜。/エスクゥイリーヌスの丘の庭園は乾燥のためにことごとく閉じられている/それは永遠に若きディオニュソスが黒い泡をたてて噴出する場所。/春分ともなれば、春は庭園のそこここの樽の内部で発酵を重ねる。/彼は黒い泥水となり、暗黒となり、光輝となり、忘却となって吹き出しては/消滅し、この夜、新たに蘇る。/たとえおまえが不滅の神、あるいは死すべき人間であったとしても、この世に在るかぎり、/遠い海のかなたに沈んだ奴隷船が、/水底の泥や石、砂に覆いつくされてゆくように、/おまえも錆に覆われ、人生の残滓に覆われてゆくだろう。/わたしはディオニュソスのもとで半死半生の忘却を会得しよう、/ただ死のみが清めてくれるのだ。神とともに滅びよ、/広場を飛び越え、閉ざされた庭園に倒れ落ちる神とともに。/黒い泥水を飲み干し、黒い泥水を噴出せよ、/そのときこそおまえは蘇るだろう、清められ、若がえり――ザグレウスがおまえを復活させるだろう。
・.
どこか遠くの笛の音を聴いて、/かすかに鼻梁をうごかし、鼻孔をふくらませる人、/嗅覚を聴覚の助けとする人は、/音楽を繊細に理解している人にちがいない。/皿を前にして、/その甘い匂い、鋭い香気を味わうときでも、/そこでかすかに耳を傾けてみる人ならば、/それはただ料理に精通しているばかりの人ではない。/六つの感覚のいずれに対しても、――たとえ/それを働かす余地がなくても、――/その人はすぐに隣り合う感覚を巻き込んで、/たちまちそのすべてを動員する。/広大な別荘を切り盛りする/有能なギリシア人さながらに、彼は振る舞う。/土砂降りになれば、彼は水瓶を置くだろう、/ひとつではない、邸内にある水瓶のすべてを。
・.
遙かなるサラトーガの地にかわりはないですか?/あなたはどうしてこんな南方の僻地に暮らしているのでしょう?/もちろん、わたしたちはみな宇宙の/遠い裏庭に身を寄せ合っているにすぎません、/音楽や光、歌声は/遥かかなた、主のヴィラにあるのです。/わたしたちは犠牲の子羊さながら、/隙間に漏れる光の反射や音の反響を/見聞きしながら震えているのです、/いまにも粗暴な手で扉が激しく開け放たれてしまうのではないかと.../あなたがやって来たとしても後の祭りでしょう、/あなたがあとで都へ戻っても、/わたしはいないし、/わたしの墓さえ見つからないでしょう、/あの毛深い鉄の拳が/世界の門を/叩き続けているのですから。
・. クラウヂヤに──病身の祖母を訪ねたあとで
ほんとうにあの人なのでしょうか/わたしにとっての家であり、/宇宙を支える柱、/竈の燠であり、羊の毛皮であった人――/いまではそれが、/弛んで萎びた昆虫さながらに、/扉の抱きにつかまって、/人を見送る目は見えず、/人声を聞く耳は聞こえず、/皮をはがれていくように、立っているのです。
・.
山中を逍遙するうち、色とりどりの石をいっぱい見つけた。/土砂をかぶって転がっているものもあれば、地中から探し当てたもの、/形にひかれたもの、色が気に入ったものもある。/みんな袋に投げ込んで、それをかついで/谷間に下りれば、いつしかその輝きも色も失せてしまうだろうか、/朝の光に照らされて、ただの丸石の山が残るばかりだろうか、/雲の上をさまようように、どっぷり空想にひたっていれば、錯誤に陥ることもまたたやすい。/だがそれでも、わたしは期待に胸を脹らませる、居酒屋で袋の中身を空けるとき、/人は思わず漏らすだろう、平民なら「色鮮やかな石だ」と、物に通じた人なら「希有な石だ」と。
・.
自分たちは流血の競技を見物し、/子羊や子牛や鳩を貪り喰いながら、/いかにもわたしが恐ろしく残忍な女であるかのごとく誹謗します。/このわたしに咎めだてされるなんの罪があるでしょう。/なるほど、わたしはスープをぶちまけて、/あの恥知らずで下劣な青二才に大火傷を負わせてやりました、/たとえ食事の合間に肌着をまさぐられることはなくとも、/わたしにはスープを飲み干す権利があるのです。/なるほど、わたしはブルータスの胸像を/クリエンテス(隷属平民)めがけて投げつけもしたかもしれません。それを大切にしているからこそ、/砕片を投げつけずにはいられなかったのです。/なるほど、わたしは客人を迎える作法も守りませんでした/壁に掛かった祖父の槍を剥ぎ取って、/客たちを追い返してやったのだから。/今ではもう理由も分かりません。覚えてもいません。/彼らは二度と来はしないと言い残し、/憤慨しながら退散していきました。/わたしのことをいくら粗暴な女だと言いふらされようとも、/わたしが従順な女であること、人一倍従順な女であることには変わりません。/奴隷たちはわたしに満足しています。/蟻がいればわたしは避けて通ります。/甲虫は子供から取り上げるでしょう。
・.バイアイの浜辺で
黄金の腫れ物に冒された太陽が落ちていく。/心優しい子羊が黒い山から/おりてくる。/牛蒡の棘にからまって/羊の毛は縺れ/震えている。/濡れた砂のうえでは/海の星が/何者かによって真っ二つに断ち切られている。/不滅の神にとってはそれでよくても、/わたしのような死すべき者にとっては、それは恥ずかしい限りだ、/熱に浮かされて永遠に青ざめたピューティアーが/毒気のこもった蒸気を吸い込み、/頭を振って、ご馳走にくらいつく犬さながらに、/不可視のものにくらいつかねばならないとしたら.../だが、黄金の歌を矢のように縫い上げる/神の命令にわたしは従順だ。/わたしは行く、わたしの肩には洞窟が重いマントのように吊り下がり、/不可視の都市デルポイが/不吉な気配を漂わす。/わたしの人生は銅鍋のなかで煮えくり返り、/血塗れの太陽がいくつもぐるぐると回っている。/パルカたちは絹糸をたぐり、/漁師たちはきらめく網を引く。/あえぎながら、わたしはしきりに鰓を打つ、/わたしの周りでは黄金の兄弟たちが/のたうちながらひあがっていく/死ぬほどの憂愁にとりつかれて。
・. 対話
キュンティア
ギリシア人よ、おまえは覚えておいでかい、いったいいくらについたかを?/別荘のかわりにわたしがおまえを買ったのは、/何年もの間、食傷するほど、/古の英知を詰め込まれたおまえに/ギリシアの事情に疎いこのわたしが/プラトンを理解する手ほどきをしてもらうため。/アレクサンドリア生まれのおまえに、/エジプトの秘密を明かしてもらうため、/いやそれ以上になによりも/わたしの深い悲しみを慰めてもらうため。/明日にはわたしも四〇の峠を越すんだよ。/いったい年齢とはなんだろう。教えておくれ。/いったいいつの間にわたしはこんな老婆になってしまったのだろう、/昨日のことではなかったのかい、おむつをして寝ていたのは?/どうしてこんなことになってしまうのだろう? 説明しておくれ。
ギリシア人
わたしにお訊ねにならずとも、ご自身でお分かりでしょう、/数字などなんの意味もありません、/時の流れは万人に一様ではないのです。/ある者には這うがごとく、またある者には駆けるがごとく。/花開く時を知るものもおりません、/あなたにしても、四〇年でようやく二〇になるのかもしれません。
キュンティア
そんなたわごとを並べるつもりなら、/おまえなど売りに出すか、医者か料理人と/交換してやるよ、あきれたやつめ。
ギリシア人
最初のシャンデリアでは、わたしたちは青みを帯びています、/二番目のそれになると、わたしたちの胸の内の魂は緑色になり、/三番目では真紅に変わることでしょう、/ところが四番目、すなわち二八の齢になれば、/菫色になり、五番目では収穫期の麦さながら、/黄色く色を変えるでしょう。/それから橙になり、その後も/魂はたえずつぎつぎと色を変え、/たえず変色を重ね、知恵をつければつけるほど、/白みを帯びて、ときには見たこともない/色を浮かべることもあるでしょう。/たえず魂は変容し、/変化し、成長し、色を変えてゆくのです、/一生飽き飽きするような赤紫の花のまま、/白い霜に覆われた裸の枝に下がっているわけにはいきません。/それができるのは神々とその寵児だけ、/自分の色を探し出し、その色のままでいるのです、/アルテミスが老いさらばえることがないのも、/ヘーファイストスが赤子でいたことがないのもそのためです。
キュンティア
神々の話や赤子の話ならもう聞き飽きた。/しかしもしわたしが一日に百回、/色を変えるとすればどうだろう、青になったり、緑になったり。
ギリシア人
キュンティア様、あなたの魂は植物なのです/成長しながら縮むわけにはいきません、/むしろ伸びて、実を結び、震え戦くのです。/色には秘められた意味があります、/色には秘密の役割があるのです。/雨がひどく年老いた雪であるのは、/どちらも同じ水だからです。/赤子でも老人でも魂はいつも自分自身にとどまります。/しかしそれでもわたしたちは知らねばなりません、雪なのか、それとも雨なのかを。
キュンティア
雪は六月に急に降り出したりはしない、/雨は一月にけぶるほど降り注いだりはしない。/おまえはぶざまであわれな口舌の徒にすぎぬ。/このどうにもつまらない話のおかげで、/わたしの心は真っ黒だ。
1978
訳注
風痘―― Windpocken の訳語、水痘の別称。水疱瘡のこと。唇に水疱が出来る病気には口唇ヘルペスがある。ヘルペスは疱疹の意。口唇ヘルペスは熱の出たあと、口唇や口唇粘膜に痒みや異物感が生じ、赤く腫れ上がる。すぐに水ぶくれができ、びらん化する。
バイケイソウ──ユリ科の植物。根茎に劇毒がある。ここでは寝床を温めて、とあるから、睡眠薬として用いているのかもしれない。
ピレネー山脈──イベリア半島北東端、フランスとスペインの国境をなす。
クピード――ギリシア神話におけるエロス。ローマ人はそれをクピード(欲望)もしくはアモール(愛)と呼んだ。クピードはしばしば矢をいっぱいにつめた箙をもつ有翼の赤子のイメージとして与えられ、その黄金の矢はそれで射られたものの恋心をかきたて、鉛の矢はそれで射られたものの恋心を冷ました。
ムーサ――詩歌音楽の女神。通常9人姉妹とされる。ムーサエは複数。
カルリオペー、エウテルペー、エラート――いずれも詩神ムーサエの一人。カルリオペーはオルフェウスの母。
ハンニバル――カルタゴの名将。
アムール――クピードとならぶ性愛の神。
アブデラ――トラキヤ(バルカン半島東部)地方の町。トラキアはディオニュソス信仰と縁が深いことでも知られる土地。
灰──ゼウスによって焼き殺されたティーターンたちの灰から人間は生まれたとされる。この神話はオルフィック教では重要な位置を占める。祖先の霊に似るように粉や灰を顔にすりつけるのは、儀礼的な死の体験とされる。
エスクゥイリーヌスの丘──疫病の女神メフィーティスの神殿があるローマの丘。メフィーティスは地中から吹き出る硫黄性の有毒な蒸気の意で、その擬人化された女神。疫病がこの蒸気に起因すると考えられていたことから、彼女は疫病の神とされた。
半死半生の忘却──「冥府降り」のこと。
ザグレウス──オルフェウスの秘儀にまつわる伝説のなかでディオニュソスと同一視されている神。
太陽と羊──太陽神アポロンは予言の神であると同時に、羊飼いの神でもあり、音楽の神、歌と竪琴の神でもあった。
バイアイ──不詳。
ピューティアー──デルポイのアポロンの女神官。
有毒の蒸気──「アポロンのすべての神域のうち、最も有名なものは、予言する蒸気の発散する深い洞窟の中にある、デルポイの神域であった。例の女神官つまりピューティアーが、洞窟の戸口のところへ置いた三脚台の上に座っていた。彼女はまもなく神がかりによって恍惚となり、宣託を伝える錯乱状態にとりつかれ、片言の句や曖昧な言葉を吐き出しはじめるのであった。すると、それらの言葉は、デルポイの神官や神聖協議会のメンバーたちによって、解釈された。」(フェリックス・ギラン《ギリシア神話》)
デルポイ──パルナッソス山の南傾斜面にあるアポロンの聖地。神は大蛇ピュートーンを退治して、この地を自分のものとし、ここに神託所をおいた。この地は大地の中心といわれ、歴史時代のはじめより、ギリシア人の宗教的政治的一大中心であり、ここではピューティア祭の競技が四年ごとに行われた。
パルカ──ローマ神話における、人の運命をつかさどる三女神の一人。
付記
スペースの関係で改行は/によって示した。訳注では主として以下のものを参照した。
『ギリシア・ローマ神話事典』(大修館書店)、高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』(岩波書店)、スチュアート・ペローン『ローマ神話』(青土社)、ミルチア・エリアーデ『世界宗教史』(筑摩書房)、フランツ・キュモン『古代ローマの来世観』(平凡社)ほか。