●シャラーモフ, ヴァルラム Shalamov, Varlam
「コルィマ短編集」「4つめのヴォログダ」「アンチロマン『ヴィシェラ』 Kolymskie rasskazy. Chetvertaia Vologda. Vishevskii antiroman.
解説 高木美菜子
1. 作者について
1907年6月18日(旧暦では6月5日)、ヴォログダにて、司祭の三男として生まれる。モスクワ大学法学部在学中の1929年、いわゆる「レーニンの『遺言』」の地下印刷に関わったかどで逮捕され、ヴィシェラの収容所へ。1931年末に釈放、雑誌記者となる。1937年1月の二度目の逮捕以来1954年秋までの17年間、コルィマの収容所での強制労働を耐え凌ぎ、生還。1956年に名誉回復され、モスクワに帰還。1973年、ソヴィエト作家同盟に加盟。1982年に養老施設で死去。詩人・短編作家。
作品集(散文、単行本に限定)
Kolymskie rasskazy. London, Overseas Publication Interchange, 1978. p.895.
Kolymskie rasskazy: 2-e izdanie. Paris, YMCA-press, 1982. p. 895.
Kolymskie rasskazy: 3-e izdanie. Paris, YMCA-press, 1985. p. 895.
Voskreshenie listvennitsy. Paris, YMCA-press, 1985. p. 321
Levyi bereg. rasskazy. Moscow, Sovremennik, 1989. p. 559.
Voskreshenie listvennitsy. rasskazy. Moscow, Khudozh. lit., 1989. p. 495.
Shokovaia teratsiia. Khabarovsk, Kn. izd-vo, 1990. p. 224.
Kolymskie rasskazy: V 2-kh tt. Moscow, Nashe vasledie, 1991-1992. p.398+444.
Kolymskie rasskazy: V 2-kh tt. Moscow, Russkaia kniga(Sov. Rossiia), 1992. p. 592+432.
Chetvertaia Vologda. g. Vologda, Grifon, 1997. p. 192.
Shalamovskii sbornik. Vyp. 1. g. Vologda, Poligrafist, 1994. p. 248.
(短編集から外した短編のほか、回想、「コルィマ回想記」を含む)
Neskol'ko moikh zhiznei. Proza. Poeziia. Esse. Moscow, Respublika, 1996. p. 479.
(Kolymskie rasskazy の抜粋. Chetvertaia Vologda. Visherskii antiroman.を含む)
(参考:詩集は生前にソヴィエト国内で5冊出版されている)
2.作品について
1)『コルィマ短編集』について
『コルィマ短編集』というタイトルは、「コルィマものがたり」「ルポ・犯罪世界」「シャベルの名手」「左岸」「カラマツの蘇生」「手ぶくろ、あるいは第二コルィマものがたり」の6つの短編集の総称とされる。執筆時期は、1954年から1973年にかけての20年間。数編のルポルタージュで構成される「ルポ・犯罪世界」以外は各々約30の短編から成り、全体では150編を越える。
短編の題材は、コルィマ地方の収容所での出来事を中心に、強制移住、教会弾圧などに求め、スターリン時代の無法状態と苛酷な現実を暴き出す。数々の短編をつらぬく一貫した主題は、生死の「狭間」における人間の「心理」を観照することによって、「人間とは何か」を思索、探求することである。また、長きにわたる劣悪な処遇を乗りこえる支えとなった「言葉」、「詩」、信念、人物に対する熱い思いを綴る。時として作家評、作品評をも織りまぜるが、その対象は幅広くギリシア・ローマ時代以来の西欧文学全般に及ぶ。
個々の短編は末尾に捻りがきいており、これは作品中に散りばめられた皮肉や恨の発現とともに薄笑いを誘うが、筆者はこれをもって「スターリニズムへの平手打ち」とすることを目している。ただし、最後のシリーズである「手ぶくろ、あるいは第二コルィマものがたり」は、執筆時期が関係していると思われるが、特定の人物を取り上げた回想記の要素が増しており、若干作風を異にする。
文体は、詩人の言葉らしく、簡素にして深重な凝縮された文体で、淡々とした語りの口調が特徴的である。また、収容所の俗語や刑事犯の隠語が、段階的だが、かなり多く用いられており、ロシア人にとっても難解な作品と言われている。
2)『4つめののヴォログダ』について
筆者が17歳までを過ごした生郷のヴォログダをめぐる回想。タイトルの「4つめの」は、一般的に認識されているヴォログダの3つのイメージ(・かつてモスクワ直轄時代に栄えた由緒ある町、・地方の州都、・帝政時代の流刑地であり多くの知識人を迎えた町)をふまえたうえで、著者自身にとってのヴォログダを描こうとする意図を示すものである。ロシア国立文学芸術古文書館で1966年からシャラーモフの草稿の整理を担当しているイリーナ・シロチンスカヤ(著作権継承者)がヴォログダを訪れたことがきっかけとなって、1968年から1971年にかけて執筆したといわれる。
30年代の両親の葬儀以来訪れていない生郷にふと想いを馳せ、文学を志す素地となった諸要素(あるいはその不足)、己の人生観に影響を与えた幼・少年時代の出来事などを回顧し整理しようとしたもの。そこに散見される作家評、例えば「ドストエフスキイはロシアの作家のなかで最も反宗教的だ」などの断片的な作家評もこの作品の重要な要素といえる。また、ロシア正教の司祭であり、文学を毛嫌いする父親との確執も、誇張もあろうが鮮やかに描写されており、後のシャラーモフの言動や作品を考察するにあたっての一助となる。
この作品も躍動的な文体で書かれているが、他の散文作品と比較すれば、語彙は平易である。なお、「修道士ヨシフ・シマリッツ」と題し末尾に付された文章は、この人物に関する回想記でありながら、短編の語り口調に近く、独立した短編とも考え得る。
3)「アンチロマン『ヴィシェラ』」について
1970年から71年にかけて執筆された。ヴィシェラとは、一度目の逮捕の際に送られた収容所があった北ウラル地方の地名。「アンチロマン」は、ロシア文学のひとつの伝統である「ロマン(=長編小説)」という形式への挑戦を意味する。「アンチロマン『ヴィシェラ』」は、著者が同時期に抱いたこの二つのテーマを実現しようとした作品である。原稿は清書されたが、一冊の本を編む用意はされなかったという。
ここにおさめられるべき「アンチロマン」作品は、現在のところ未だ確定されておらず、ジャンルの性格を特定する段階には至っていない。あるいは、未完と言うべきかもしれない。
現在収録されている作品について言えば、著者が「ルポ」と呼ぶ作品(「スチコフの一件」)があるかと思えば、評論の性格を持つ作品(「収容所に罪人なし」)もある。ただし、語り手は「Varlam Tikhonovich」と呼ばれる「私」であり、他の登場人物も実名らしく、この点で、類似した題材を用いた『コルィマ短編集』の短編やルポルタージュとは、性格を異にしている。また、ソヴィエトで最も苛酷なコルィマの収容所を体験した者の視点でヴィシェラの体験に相対的評価を与えている点も特徴といえる。
文体は、『コルィマ短編集』よりは『4つめのヴォログダ』に近い。すなわち、詩的要素や語りの要素は少なく、書き言葉が用いられている。また、収容所の俗語はほとんど用いられていない。
3.コメント
上記三つの散文の特徴を概観しただけでも、シャラーモフが「短編(集)」「ルポルタージュ」「回想記」「アンチロマン」などのジャンルにこだわり、ジャンルの問題を創作テーマのひとつの柱としていることは明らかである。「新散文論」および「私の散文について」等の散文論もあわせて考察するならば、20世紀初頭から1920年代までのロシア・アヴァンギャルド運動に少なからぬ影響を受けていることがわかる。