●セダコーワ, オリガ Sedakova, Ol'ga
「中国の旅」(『中国の旅│石碑と墓碑銘│古い歌』1990.『オリガ・セダコーワ詩集』1994)
Kitaiskoe puteshestvie. 《Kitaiskoe puteshestvie/ Stely i nadpisi/ Starye pesni》, 1990/ 《stikhi》, 1994
解説 宇佐見森吉
1. 作家について
1949年モスクワ生まれ。72年モスクワ大学文学部卒業後、スラブ・バルカン研究所で博士号取得。76年より科学情報研究所勤務。そのかたわら《初期詩篇より》(1973)《クリャージマ川とヤウザ川》(1974)《野生の薔薇》(1976)《古い歌》(1982)などの詩集(私家版)をまとめる。80年、レニングラードの非合法誌《時計》掲載の詩論《詩の称賛》によってアンドレイ・ベールイ賞受賞。84年、《ある消滅した文学潮流について──レオニード・グバーノフ追悼》。86年、パリで詩集《門│窓│アーチ》刊。87年、ロマン・ヤーコプソン《詩学論集》(共訳)。88年以降、国内の各種文芸誌にも詩と詩論が掲載される。89年より、モスクワ大学で詩学の講義を担当。同年、ヴェニスでの詩の朗読会に出席、ブロツキイを知る。91年、ロシアで最初の詩集《中国の旅│石碑と墓碑銘│古い歌》刊、ロシア詩人に贈られるパリ賞受賞。92年、《ポール・クローデル詩集》(M.グリンベルグとの共訳)。93年秋より、キール大学「学内滞在詩人」として1年間のイギリス滞在。94年、キール大学より詩集《時の白絹》(英文対訳)刊。モスクワで《オリガ・セダコーワ詩集》刊。
詩集について(著者の序文から)
公刊されているセダコーワの詩集は4冊。
・《門│窓│アーチ》
・《中国の旅│石碑と墓碑銘│古い歌》
・《時の白絹》
・《詩集》
ただし各詩集のセクションには重複も見られる。・の《詩集》はこれまでのところ「全詩集」と呼ぶべきもので、おそらくは私家版詩集として編まれた「いくつかの独立した詩集から構成されている」(自序)。それは「ひとまとまりの大きな、あるいは小さな統一体(アンサンブル)として考えられていたもの」で、公刊された詩集の各セクションはこのアンサンブル(しばしば連詩篇とかサイクルと呼ばれるもの)からなる。そして「ときにはそれらはなにかあるトーン(《中国風の》、《古代風の》、《中世風の》)で貫かれているかもしれないが、しかしそれはできあいのテーマの様式化でも、翻案でも、推敲でもない」。「最初は《白紙》のスタイル(最大限に透明で、最大限に直接的な詩的言語)だと思われていたものも、時の経過とともに、──あるいは思考の経過か?──黄ばみ、褪色して、《作風》と化してしまう。そしてふたたび、もっと直接的な、対象の前から姿をくらましてしまうようなことばが必要となる。わたしがいつも求めてやまないのは、実はそのようなことばだ」。
現代詩の諸潮流とセダコーワの詩について
60年代半ばから詩を書き始めたセダコーワはベターキの言う「青銅の時代」に続く「《秘密の自由》」の詩人(クリヴーリン、エレーナ・シュワルツなど)と同世代に属し(《ロシア抒情詩の30年──1956-1986》)、50年代なかば以来の「独立文化」(ウフリャント)の文脈のなかで「もうひとつのポエジー」(セダコーワ)の一翼を担った詩人である。エプシテインは現代詩をコンセプチュアリズムとメタリアリズム(メタファーの類似性に依拠しない隠されたリアリティーの探求──変容の詩学)の2グループに大別し(《第三の波》)、後者に属するセダコーワの詩の特徴をひかえめな比喩の使用、イメージのもつ本質的属性のトランスフォーメションにあるとしている。また音韻のレベルでも、セダコーワの詩が現代の哲学や音楽の影響を受けており、一見無秩序に見える独創的なリズムでも、根底にはある規則性(すべてが3分割されうるといった)がある、という指摘(ポルーヒナ)などは傾聴に値する。
《中国の旅》について
[水墨画というモチーフ]
《中国の旅》(1986)は水墨画をモチーフとした18の連作詩(著者の表現に倣えば「詩集」あるいは「詩的アンサンブル」)からなる。著者がなにかの水墨画を見たとはどこにも書かれていないが、この18葉の(あるいは1葉の?)水墨画に描かれた山水の世界を小舟で旅すること、それが「中国の旅」である。(それゆえ、詩10の「線画家」は水墨画の絵師、また詩集のタイトルともなった「時の白絹」(詩17)は、水墨画の絵紙を表す)。こうしたモチーフの選択のしかたは《石碑と墓碑銘》の場合でも同様である(ギリシアの石碑に刻まれた墓碑銘をモチーフとし、死者たちの語りが連詩を構成する)。
[エピグラフ]
《中国の旅》には《老子》上篇第4章からの詩句がエピグラフとして掲げられている。「挫其鋭。解其粉。和其光。同其塵。堪兮似或存」[それは万物の鋭さを挫き、万物は紛れを解きほぐし、万物の輝きをやわらげ、万物の塵れに己を同じくする。それは深くたたえて常存不滅の存在のようだ。(福永光司訳)]。
[いくつかの主題]
《中国の旅》のテクストを織りあげている一連のイメージは以下の3つのグループに分類される。・自然の領域──地、水、川、空、池、山、樹、海、星、庭、燕、蝶、蜜蜂など。これらが旅の時空を構成し、《老子》のテクストに関係づけられている。・人間存在の諸価値の領域──優しさ、深さ、素朴な驚き、健康、柔和、愛、共苦、赦し。これらはつねに・の諸イメージと結合する。自然という倫理規範。・芸術の領域──線画家(水墨画の絵師)の絵紙。白絹という白紙。それは老子においては、万物の根源にある形なき形、声なき声(=道)を象徴する「いまだ染められぬ白絹」(老子)であり、画家や詩人にとっては「最大限に透明で、最大限に直接的な言語」(前出序文)である。したがって《中国の旅》とは、この白紙のスタイルの探求であった。
[称賛──セダコーワの詩学]
《中国の旅》の詩18(最後の詩)は「誉め称えよう大地を」と切り出される。称賛。これこそがセダコーワにとって「最大限に透明で、最大限に直接的な言語」だというのである。
主要文献
Shkatulka s Zerkalom: Ob odnom glubinnom motive A. A. Akhmatovoi. Trudy po znakovym sistemam. 17: Struktura dialoga kak printsip raboty semioticheskogo mekhnizma. Tartu, 1984. (Uchen. Zap. Tartuskogo gos. un-ta; byp. p. 641.). pp.93-108.
Vrata, okna, arki. Izbrannye stikhotvoreniia. Paris, YMCA-Press, 1986.
Solovei, filomela, sud'ba... Druzhba narodov, No. 10, 1988.
Potomu chto vse my byli. Novyi mir, No. 5, 1990.
Stikhi. Moderne russische Poesie seit 1966. Berlin, Oberbaum, 1990.
Kitaiskoe puteshestvie/ Stely i nadpisi/ Starye pesni. Moscow, Carte Blanche, Literaturnoe prilozhenie k zhurnalu 《Zodiak》. 1990.
Muzyka glukhogo vremeni. Vestnik novoi literatury, No. 2, 1990.
O pogibshem literaturnom pokolenii: Pamiati Leni Gubanova. Volga, No. 6, 1990.
Puteshestvie volkhvov. Znamia, No. 6, 1991.
Zametki i vospominaniia o raznykh stikhotvoreniiakh, a takzhe POKhVADA POEZII. Volga, No. 6, 1991.
Ocherki drugoi poezii: Ocherk pervyi, Viktor Krivulin. Druzhba narodov, No. 10, 1991.
Neskazannaia rech' na vechere Venedikta Erofeeva. Druzhba narodov, No. 12, 1991.
Puteshestvie v Briansk. Volga, No. 6, 1992.
Iz knigi 《Dikii shipovnik》. Znamia, No. 8, 1992.
Iz 《Stansov v manere Aleksandra Popa》. Druzhba narodov, No. 9, 1992.
"A Rare Independence" (An Interview). V. Polukhina : Brodsky through the Eyes of his Contemporaries. 1992. pp. 237-260.
Litso snoviden'ia, smushchen'ia, dozhdia... Druzhba narodov, No. 11, 1993.
The Silk Of Time : Bilingual Selected Poems. Edited and Introduced by Valentina Polukhina. Keele University Press, Staffordshire, Ryburn Publishing, 1994.
Stikhi. Moscow, Gnozis/ Carte Blanche, 1994.
V Rasshirennom serdtse. Arion, No. 2, 1994.
*
Iakobson R. Zametki o proze poeta Pasternaka; Vzgliad na 《Vid》 Gel'derlina. Perevod s nemetskogo O. Sedakovoi. P. R. : Raboty po poetike. Moscow, Progress, 1987.
Klodel' P. Izbrannye stikhotvoreniia. Perevod s frants. O. Sedakovoi i M. Grinberg. SPb. Moscow, Carte Blanche, 1992.
『中国の旅』から
1
わたしもまた驚いていた/なんと水がおだやかなのだろう/なんと空は身近なのだろう/岸にそそり立つ岩と岩の間をなんとゆったりと舟は流れてゆくのだろう〔…〕
2
池は語る/わたしに手と声があったら/あなたをどれだけ慈しみ愛撫したことでしょう/ひとは貪欲で いつも病んでいるから/他人の服をやぶって/包帯につかうのです/でもわたしはなにもいりません/やさしさがすべてを癒してくれるから/わたしはあなたの膝に手をおくでしょう/飼い犬のように/そして空のように天から/声となって降りてくるでしょう
4
あの山の/膝もとのあばら屋を最後に/もはや通う人もなく/その額が雲間からのぞくこともなく/その機嫌のよしあしの消息もないところ──あの山上に/だれかはいていない/あってない//大きさは燕の眼ほど/ひからびたパンのかけらほど/蝶の羽のはしご段/天から降ろされた階段/誰ものぼろうとは思わない/階段ほど/蜜蜂が見わけるよりも細かい/ひとつの言葉があるよりも細かい
8
屋根屋根は驚いた眉さながらに/先端をつりあげている/どうして? まさか? それにしても奇遇だねえ! と/望楼からはいつでも/人の眼に心地よいものすべてが見える/乾いた岸辺も 黄色く輝く川の流れも/潅木の乱れた筆跡の恋文も/通りがかりのふたりは舟橋のうえで/深々とお辞儀を交わし/茶匙の燕は/空の高みを/支え持つ/強心薬を煎じ茶を/けれど中国では病むものはない/空がいつでも/長い針を/打ってくれるから
10
偉大な絵師は義務を知らない/戯れる筆の義務以外に//その筆は山の心にとどき/葉ずえの幸福に達する//一撃のもと ただ従順によって/感嘆によって ただ惑乱によって//彼は不死そのものに達する/すると不死は彼と戯れる〔…〕
17
待ち受けているものをも省みず//霊感のうつろ船に/舫網のゆるんだ筏に//鱗の翼に 漕手のない小舟に/乗りこむ決心をかためるとき//行く末のよきもあしきも思いやり//なにひとつ心の内に求めるものもないとき/すべてとひきかえに//占いの筆は易書の上に投じられる//水の荒地を創りだしたのは誰か 天空の戦を/見出したのは誰か//一粒の燃える麦から/庭を育てるよう命じたのは誰か
鴬さながら──死んでゆくことのほうがましであろう/歌わねばならぬことを歌いつくせぬくらいなら//一国の民に書き得ないことを/時の白絹に書きつくせぬくらいなら//霊感よ、おまえがおまえの/笛を吹き鳴らし//あの陸とわれらの魂の間に/おまえの水が満ちるとき//あの死の嵐が うつろな水の面よ そしておまえが/もしも知っていてくれたら//わたしが慈悲を請い 伏して口づけを捧げることをどれほど望んでいるかを