●ポストモダンと現代ロシア文学
望月哲男
目 次
はじめに
・ リアリズム文学と新傾向の文学
1.リアリズム文学
1)筋の明確さ 2)時・空間の一貫性 3)人格の一貫性
4)思想のレベルの単一性 5)叙述の隠蔽 6)意味の単一性
2.新傾向の文学
1)筋の複雑さ 2)時空間の複数性 3)「人格」の非一貫性
4)思想の多元性 5)叙述の自己顕示 6)意味の複数性の主張
・ ポストモダン文学の概念
1.大きな物語の終焉
2.シミュレーション
3.倒錯した芸術世界
4.多重の定義
・ ポストモダンとロシア
1.発生とドミナンス
2.倫理的および審美的な批判
1)個別的批判の限界性 2)反イデオロギーの逆説
3.ポストモダンとソ連文化
1)ポストモダンとアヴァンギャルド
2)ソ連文化ポストモダン論
a.ポストモダンのコンテクスト b.シミュレーションとしてのロシア史 c.ソ連 版ポストモダンの諸側面 d.ポストモダンとしての社会主義リアリズムとコンセプチュ アリズム e.ソ連文化ポストモダン説の逆説
まとめ
注
ポストモダンと現代ロシア文学
望月哲男
はじめに
本論は90年代のロシア文芸界においてポストモダンと総称されている創作傾向と、それに関する議論を素材にして、今日のロシアの文化的自己意識の一面を描写しようとするものである。ここではその前提として、今日の文学の外面的な状況を、ごく簡単に性格づけてみたい。
ペレストロイカ期とソ連以後の文化状況を、文学の社会的な力の消長という側面から比較してみることが可能と思われる。
ペレストロイカの時代は、言葉の直線的な指示機能への信頼が高まった時代であった。「ものをその名で呼ぶこと」がスローガンとなり、曖昧さは日和見的態度を意味するものと受け取られた。自由、民主主義、多元主義、市場原理といった抽象的な言葉も、あたかもそれぞれがある単一の具体的な指示内容を持つものであるかのように扱われた。
文学の世界と社会との関係も、直接的な相互作用を許容する、直線的なものとなった。各種の文芸雑誌が非常に多くの購読者を維持し、それらが相互に呼応しあって、共同のコミュニケーションの場の感覚が生まれた。また一時期は、創作家同盟の代表が直接国政に関与する、文人政治のイメージが制度化された。さらには文壇の内部に政治的な党派が形成され、彼らの論争が大きな社会的反響を呼んだ(そしてこの文壇の右派の一部が、91年8月クーデターのイデオローグともなった)。
こうしたことは文学作品自体の読まれ方にも反映した。ソ連期の発禁図書も、亡命文学を含む世界文学も、同時代作家の作品も、なんらかの情報を伝達し、社会論的なメッセージを表現し、理性や良心に訴えることによって、社会変革のガイドラインを提供するものとして読まれた。あるいは評論が、文学に社会論的な解釈を提供した。文学は明らかにペレストロイカ派と保守反動派に分類され、そして社会的に何物をも示していないようなテキストは、「もう一つの文学」というカテゴリーに入れられたのである。
文学が単なる文学以上のものであり、作家が単なる作家以上のもの(教師、あるいは人間の魂の技師)であるというロシアの伝統的な考えは、この時期に最もその力を回復したように見える。
ペレストロイカの終焉とともに、言葉の意味指示機能への信頼も失われ、同時に文学の社会的な力も衰退した。今日デモクラシーや市場経済という言葉が、曖昧で多義的で、結局は何も示していないのと同じように、文学作品の言葉も、社会に対する情報伝達力やイメージ喚起能力を失っている。80年代のソルジェニーツィンという個人名や、『ズナーミャ』という雑誌名のように、それ自体が社会的権威を持つような名辞は、もはや存在しない。かつてチンギス・アイトマートフの長編『処刑台』が社会的なレベルの議論を巻き起こしたのに比べ、今日の文学をめぐる議論(例えばゲオルギー・ヴラジーモフの『将軍とその軍隊』に関する議論)は、文壇内部の局地的なものに過ぎない。このことは文学の場の拡散(さまざまなモチーフを持った出版社やメディアの混在)、ジャンルの多様化、出版のビジネス化、純文学や評論ジャンルの需要の急激な減少、といった現象と直接関連している。
今日文学は、各種の娯楽書、趣味や実用の書物、あるいは別の情報媒体との間で、不利な競争を強いられている。また文学の意味や価値を判定していた評論も、困難な立場に置かれている。今日さまざまなルートで出版される作品群を包括的に捉える情報網は存在せず、批評家はそれらを概観することが物理的にできない。また今日の文学作品は、その傾向も様式も非常に多様であるため、それらを一律のレベルで論ずることは非常に難しい。結果的に批評家たちの間では、限られた媒体、限られた傾向の作品を、選択的に批評する(それ以外は無視するか、あるいはしばしば十把ひとからげに批判する)という分業体制が出来上がっている。従って、かつて好まれた文学プロセスという概念は、それがある一定の場とコンテクストの継続性を前提とする故に、使いにくいものとなっている。つまりいろいろな傾向の文学作品が、それぞれのコンテクストを引きずってさまざまな媒体に登場する有り様を、全体として適切に描写する言葉が得られていないのである。
こうして文学の社会的な需要が減ってゆく一方で、書かれる作品の総量は減っていないので、必然的に言葉のインフレが生じ、あらゆるインフレ状態につき物のパラドキシカルな感覚が生まれている。すなわち無数の政令の存在が政治(法秩序)の不在を意味するように、文学作品や文学的な言葉の過剰が、多くの人に文学(あるべき本当の文学)の不在という印象を与えているのである。
このような状況下では、文学の社会的な意味は、演出によってしか生じない。モスクワでは出資者・編集者・批評家・作家を構成単位とした、小規模なパトロネージュ・システムが形成され、ベストセラー作りが追求されている。この権威の演出の見本が文学賞の導入であるが、これは文学の社会的な力を復活させるよりも、まさに演出された儀式としての側面を社会の目にさらし、文学の真面目さをうたがわしめることになった。事実、91年からイギリスの資本によって導入されたブッカー賞は、権威として定着する以前に、数々の憶測を伴った一種の見せ物と化し、95年にはこれに対抗する形で1ドルだけ賞金の多い(そしてどうやらその分だけロシア的なメンタリティーも多い)アンチブッカー賞が出現することになった。こうした出来事はいくつかの意味で、例えば大統領選挙のような政治世界の出来事と同様の印象をもたらしている。つまりそこではなんらかの理念的な対立(例えば外国資本と結びついた国際化の志向とロシア的なものへの志向という対立)が想定されながら、同時にそれぞれが価値の選択という真面目な主旨の背後に、人脈や利権と結びついた曖昧な要素を正当化する目的を隠しているという感覚があり、そしていずれにしろそれが限られた関係者のステータス争いでしかないという、冷めた観察がなされているのである。
作家が単なる作家以上のものであるという伝統的な観念は払拭されたが、文学が社会にとって何であるかというイメージは混沌としている。こうした状況を社会の変質の結果と見ることも、逆に文学の変質に起因するとみることも、十分ではないように思われる。今日の文学、とりわけ本論で問題とする新傾向の文学は、ある意味で変化する社会の姿を正確に反映している。すなわちそこには、あたかもテレビ番組の一覧表のように、定型的なものと実験的なもの、生真面目さと遊び、哲学の言葉と卑俗な言葉、教養や啓蒙と皮肉やシニシズム、ロマンチシズムやイデアリズムとグロテスクやエロチシズムが同居しているのである。
仮に社会現象を全面的に写し取ってみせるのがリアリズムだとするならば、今日の文学は過激なリアリズム文学と呼べるかも知れない。だから文学の側に変質があるとすれば、それは文学が上記のようなリアリズムに徹し始めたこと、すなわち社会の思想をリードする前衛の立場を放棄し、社会の意識をありのままに映し出す「後衛」(ミハイル・エプシテイン)(1)の位置に自らを置き始めたことと関係がある。いわば文学は、政治の言葉も文学の言葉も信用しなくなった社会の意識と生態をリアルに描いているために、社会に教えることを何も持っていないのである。
現代ロシアの批評家や思想家たちの一部は、こうした現象を単にロシア的なものと捉えず、今世紀後半の世界文化における「ポストモダン」と呼ばれる思潮と関係づけている。以下まずこのような創作のある一般的な特徴を、旧来のタイプの文学との比較においてとらえ、続いて一般文化的なコンテクストにおける意味を検討し、さらにロシアにおけるこうした現象をめぐる言説を検討してみたい。
・ リアリズム文学と新傾向の文学
1.リアリズム文学
伝統的なリアリズム的文学様式に新しい時代の問題意識を盛り込んでいるという意味で、オーソドックスと呼びたい一連の作品をまず概観しよう。話題として取り上げるのは、ゲオルギー・ヴラジーモフ『将軍とその軍隊』(1994)、アレクセイ・ヴァルラーモフ『誕生』(1995)、チンギス・アイトマートフ『カッサンドラの刻印』(1994)である(以下も含め作品の実例は重点領域研究報告輯2号、7号および今号に紹介されたものを主として用いる。個々の作品・作家の多少なりと詳しい紹介は本論の規模からして無理なので、適宜上記論集の該当項目を参照されたい。ちなみにヴラジーモフとヴァルラーモフの作品は、それぞれ95年度のブッカー賞、アンチブッカー賞を受賞している)。
これらの作品の特徴を以下羅列してみよう。
1)筋の明確さ
これらの作品は一定の明確な筋を持ち、その中心的なコンセプトを、出来事の筋という形で要約することができる。すなわちヴラジーモフの作品は、第二次大戦(独ソ戦)の一軍指揮官が、総司令部の方針と対立して解任されてゆくプロセスを描いたものであり、ヴァルラーモフの作品は、未熟児の子供を得た現代ロシアの夫婦が、その救命の経験を通して新しい世界観に目覚めてゆく様を、アイトマートフの作品は、胎児が人類の将来に対して発する警告を聞き取った生命工学者=宇宙飛行士の経験を描いたものである。もちろんこうした要約はそれだけでは何事も語っていないし、また要約をいかに延長しても、作品の重要な要素を全て網羅することはできない(文学を語り直すことはできない)。しかし重要なのは、要約が(もしそれが誠実に行われるならば)非本質的な、誤った情報や解釈を作品につけ加える可能性がほとんどないということである。
2)時・空間の一貫性
主人公ないしは叙述者の経験世界は、ある安定した輪郭を持っており、場面は経験者の視点の動きに応じた整合性を持って動いてゆく。我々は叙述のオリエンテーションに従って、ウクライナの戦場に、モスクワの産院に、さらには人工衛星の中にまで、違和感なく移動してゆくことができる。いわば作品は時計と地図を持っていて、個々の場所の位置を全体の中で確認することが可能である。これらの作品は自らの主題の展開のために、単一の時空間体系を必要としている。
3)人格の一貫性
主人公はその外見、社会的立場、癖、内面生活などにおいて一定のアイデンティティーを持った存在である。このアイデンティティーの外枠が一定していることが、その中身の追求に意味を与える。すなわち彼は何者かという読者の問いも、自分は何者かという主人公自身の問いも、「彼」ないし「自分」という存在の一貫性を前提としている。
4)思想のレベルの単一性
作品は2つ以上の思想の対立の場となっている。例えばヴラジーモフでは人命尊重を第一とする主人公の思想と、目的追求の大義を第一とする軍の思想が、ヴァルラーモフでは未熟児の生命に対する母親と父親の関心、あるいは病院や国家の論理が、アイトマートフでは人類の将来に関する個人の観点と類や種としての観点が、それぞれ対立している。こうした葛藤が形成されるために、作品には一定の領野を持った思想のレベルが設定されていて(この3作品では、たまたまそれがさまざまな段階で切り取られた生命の問題となっている)、それは複数の思想を包み込むと同時に無関係な思想を排除する役割を果たしている。従って同じ生命の問題を対象としていながら、ヴァルラーモフの問題は、ヴラジーモフの作品にもアイトマートフの作品にも入り込めない(もし押し込めば、作品の枠が破壊されてしまう)。もちろん全く別レベルの思想、例えば(後に触れるコロリョーフの作品に登場する)性を人間の本質とする考え方や、嗅覚の保護を第一目的とする調香師の思想は、このいずれの作品にも登場する余地がない。
5)叙述の隠蔽
部分を全体へと組み上げてゆく際に、叙述者はさまざまな工夫をしている。出来事の描写の順序、叙述の視点の遠近法、ハイライト(強調シーン)の選択、レトリックの使用法など・・・こうした叙述上の工夫の組み合わせが、それぞれの作品に独自のリアリティーの肌触りを与えている。比較的広いパースペクティヴにおける状況描写、心理描写と、民話的なシンボル群や推理小説的な倒叙法(叙述の時系列の転倒)などを組み合わせたヴラジーモフの起伏に富んだ作品世界、終始主人公たちの視点に張り付いて、見通しを欠いた視点から均質なテンポで描かれるヴァルラーモフの空間、同一の現象に関して複数の主観が描き出す像を張り合わせてゆくような、コントラストに充ちたアイトマートフの世界・・・これらは相互に非常に異なった感触を持つ世界である。
だが大切なのは、叙述者のこのような「戦略」が、テーマにふさわしい規模とパースペクティヴを備えた、一定のリアリティーを作品に与えることを目標としていることである。フィクションがリアリティーを持つためには、その骨組みの部分、すなわち文学的な仕掛けや約束事を含んだ叙述そのものの存在が隠蔽されなければならない。叙述者の課題は、いわば全ての仕事をしたうえで、自分の存在を隠すところにある。
6)意味の単一性
以上の全体を通じて、作品は読者をある意味の場へと誘ってゆく。作品は世界の出来事(歴史的であれ現在的であれ)の本当の姿を知り、解釈するために有効な、単一の論理や視点があるという事を前提としているのであって、提示された問題が作品の中で解決されているか、答えられぬままに開かれているかに関わりなく、問いかけ自体の意味は疑われない。読者に期待されているのは、その意味の質もしくはその価値や有効性を判断することであって、意味の有無を問うことではない。
2.新傾向の文学
以上は決して網羅的な分析ではないが、ここでオーソドックスなリアリズムと呼んだ作品のいくつかの共通特徴を述べたものである。これらに照らして、新しい傾向の文学を性格づける努力をしてみよう。新傾向の文学を一つのあるいは数点の作品で代表させることには無理があるが、ここでは主として技術的な制約から、アナトーリー・コロリョーフの長編『エロン』(1994)をその代表的な一例として取り上げ、必要に応じて他の作品に言及することにしたい。
1)筋の複雑さ
『エロン』のような作品を出来事の筋という形で要約することは非常に難しい。ここには1970−80年代のモスクワの若者たち(政治家の息子、学生、見習い女工らから素性も職も知れない者たちまで)の風俗、思想、経験が、断片的に描かれている。またその一方で、作品の随所に語り手独自の言説の場が開けていて、そこに新旧の哲学や宗教の概念をはじめとして現代の科学技術、文化、政治、風俗、三面記事的な話題が散りばめられている。主人公たちの経験は、相互にほとんど関係を持たないために、小説世界を把握するためには、とびとびに置かれているいくつかの断片から個々の物語を読みとった上で、そこから(作者のふんだんなコメントを頭に置きながら)何かの全体像(結局何について書かれている話か)を反省的に組み立てなければならない。つまりこの作品は、読者が自分なりの(いわば勝手な)解釈を組み込まずには再話できない性格のものである。このことは以下のことと深く関連する。
2)時空間の複数性
『エロン』の時空間は単一の体系性を持っていない。作品は一応(惑星間探査通信機パイオニア10の飛行時間である)1972年から88年までを時間の枠組みとする(語り手はこれを人類が太陽系における自らの孤独を確認するまでの時間と見なしている)約束事の枠を持っているが、いわばこうした観念的な時間枠の設定自体が、小説の時間と空間を非日常的な、実験的なものとしている。実際現代モスクワを主な舞台としたこの小説で、主人公たちは生命の誕生時の光景、知恵のある一角獣が住むカメルーンの洞窟、中世の修道士の見る幻想のような世界といった、異質な時空間を経験する。それらは現代都市の風俗を背景とした彼らの、エロチックでグロテスクで、滑稽でもあればきわめて思想的・内省的でもある「生活」と拮抗するような、別のリアリティーを持つ世界である。いわば主人公たちは複数の時空間に生きており、彼らも、また読者も、その都度の位置を確認するための地図が与えられていない。
時空間の複数性、不確定性は、この種の作品に共通した特徴である。ヴィクトル・ペレーヴィン『昆虫の生活』では、さまざまな種類の昆虫たちの視点から見たそれぞれ異質な世界像が並置され、黒海沿岸の蟻の穴がマガダンに通じたりしている。ユーリー・ブイダ『ドン・ドミノ』では、そもそも存在するかどうかも分からない田舎の駅が全編の主舞台となる。この複数性が歴史や伝説の世界に応用されると、そこにさまざまなパラレルワールドが発生する(サーシャ・ソコロフ『パリサンドリア』、アレクセイ・スラポフスキー『最初の再臨』、ヴァレリー・ザロトゥーハ『インド解放大遠征』)。
主体の占める位置の決定不可能性、何が現実かという事のわからなさこそが、こうした作品に共通のコンセプトとなっている。
3)「人格」の非一貫性
作品の主人公たちには一定のアイデンティティーが与えられているが、彼が(社会的、人格的に)何者であり、何を経験し、どのような人生を辿ったのかという外部からの問いには、関心が払われていない。作品はあえてこの点を強調するように描かれている。例えば作品前半で内向的なエゴイストの建築学生として、不毛な恋愛生活をしていた主人公の一人アダムは、10年ほど後と推測される後半では、事故にあった少女を背負ってロシアの僻地をさすらう姿で登場する。この間の経緯は一切触れられていない。彼はそこで一連の神秘的体験をし、個々人があるのではなく神が世界の全体であるという中世神学的なメッセージを感得する。これは彼の出発点にあった唯我論や個人を足場にしたヒューマニズムへの全面的な否定と感じられる。しかしこの体験が彼を新たな何者かにするのではなく、彼はそのまま小説舞台を去ってゆく。ヴラジーモフの将軍が終始将軍としての立場で思考し、経験し、その伝記的な生涯の一貫性が思想の営みと直結していたのに対して、コロリョーフの主人公はある思想、感情、欲望の器であって、その個的運命には意味が与えられていない。いわば彼の経験は、他の人物の経験と取り替えがきくのである。
この意味で人間は何者でもないと同時に何者でもあり得る。事実作品には数々のレベルの変身物語が登場する。(もう一人の主人公がアフリカで対決する獣は、野生の猫から一角獣へ、さらにスフィンクス、ファラオへと変身する。別の主人公は、ペトロニウスの変身話の主人公になぞらえられ、ひとたびエジプト式の供儀によって殺され、解体された後、復活する。作中唯一安定したアイデンティティーを持っているかに見えるヒロインは、実は本来が曖昧な存在−両性具有者である)。
このアイデンティティーの曖昧さも、新傾向の作品の共通特徴の一つである。スラポフスキーの『最初の再臨』では、ソ連の田舎町に育った人物(ピョートル)がキリストに、かれと同年齢の祖父の息子(同じくピョートル)がアンチ・キリストに見立てられ、非常に曖昧で冒涜的な笑いに充ちた物語が展開する。この点で最も過激なパロディー性を持つのがペレーヴィンの作品『昆虫の生活』で、主人公たちは人間の思考と昆虫の肉体や生理を持った虫=人間、あるいは人間=虫である。例えばそこではアタッシェケースを持ってアメリカからロシアを訪れたビジネスマンの蚊が、レストランで食事をしたり、市場調査で酔っ払いの血を吸って意識を失ったり、雌のハエと恋に落ちたりする。いずれの作品でも、作者は登場人物が何者かということを意識的に曖昧化している。
4)思想の多元性
作品の思想的な許容度は莫大である。『エロン』のなかには、形而上学や神学の概念(自我、他者、神、無、生命・・・)をめぐるさまざまな哲学的思想やイメージ、現代の諸学(宇宙科学、遺伝子学、コンピュータ科学・・・)から導き出されるさまざまな世界モデル、性に関する多様な解釈や嗜好、新聞記事の羅列から浮かび上がってくる現代世界の風俗、心理、政治状況といったものが混在している。これらの思想やイメージは、なんらかの平面で直接対決し、止揚されるといったあり方をしているのではなく、等しい権利を持って共存している。しかもそれぞれの思想は、語り手の言葉で語り直され、本来のコンテクストから切り離されて異質なものと並置されることにより、奇妙な格上げや格下げを経験している。例えば自我と他者世界との関わりが、性行為や生殖を連想させる文脈で語られ、宇宙空間をゆくロケットのイメージが、女体の中を進む精子のイメージと重なる。(この冒涜的な思想のパロディー化はペレーヴィンにも顕著である。そこでは例えば自己のアイデンティティーに関する問いが、フンコロガシの子供がフンの玉に対して持つ疑問として叙述される)
この多元的な思想の混在は、個人の生き方に関するリアリズム小説的な問題意識の枠には収まらない。実際この小説の背後には、非常に巨大な問い−−エゴイズムと類的な意識、認識の志向と恍惚や無我への志向といった相対立する属性を与えられた人間が、宇宙における自らの孤独と生命自体の有限性の認識を踏まえて、自らの内なる曖昧なもの(性、暴力、死・・・)をどのように処理してゆこうとしているのかという問い−−が想定される。だがこの問い自体も、解決しうるものとして提示されているのではなく、開かれている。つまり作者の努力はこの問いのさまざまなあり方を描写し、異質なコンテクストで組み合わせることによって、それぞれの有効性や限界性を検討することに捧げられているように見える。作品の各部分は、いわばこの問いをさまざまな角度から眺めるための装置として理解できるのである。
5)叙述の自己顕示
新しい傾向の小説の叙述者が行っていることは、ある意味でリアリズム小説の場合と正反対である。
叙述者(語り手あるいは語り手たる主人公)は、ときに作品の表面から読者に向かって挨拶し、テキストの背景や約束事に言及し、筋にコメントを加え・・・といった形で、自己の存在と役割を顕示する。仮にそのようなことを行わない場合でも、彼は作品の全体をもって、同じようなことを行っている。すなわち、物語の筋の分断や恣意的な組み替え、複数の物語の混在、異質な文体や異なったジャンルに属する用語の混用、他のテキストへの頻繁なレミニッサンス(直接の引用やパリンプセストと呼ばれるオリジナルの明示されない引用)、パロディーやパスティーシュと呼ばれるモチーフの明らかでないもじりの多用、描写のバランスを破壊するような過剰な形容辞の積み重ねや果てしない列叙法、突然の中断や黙叙・・・といった「目立つ」文学手法を用いることにより、叙述者は叙述という行為の存在を強調するのである。『エロン』ではこのほとんど全てが行われているうえに、最終頁の印字面が斜めに切られて読めなくなっているという遊びによって、物語世界が文字の世界である(でしかない)という事実が明示されている。
こうした現象も新しい文学に共通するもので、ヴラジーミル・ソローキンの『ノルマ』では、ある1章の全体が、この作品のタイトル語(ノルマ=規範=作品中で住民の食料となっている排泄物の名称)を含む何百もの熟語の羅列に捧げられている。また同じ語のアナグラムからなる題名を持つ姉妹編『ロマン』(Norma-Roman:こうした遊び自体が文学の約束事性を強調している)は、全体がロシア近代文学の諸作家たちの文体カタログのような観を呈しており、また最終章では作品と同名の主人公ロマンを主語とした2〜3語からなる単文が何百も列挙される(これ自体があるジャンル、例えば旧約聖書の文体のもじりとなっている)。一方スラポフスキーの『コード化された物語、あるいは8つの第1章』は、題名どおり8つの異なった中編の序章を並べた「作品」である(作者は自分がどんな文体でも書くことができると表明している)。
現代の叙述者はこのような形で、物語世界が独自のリアリティーを持つ自己完結した世界ではないこと、物語を構成するのも破壊するのも言葉であり、しかも言葉は全てすでにさまざまな人々によってさまざまな文脈で用いられた痕跡を引きずった、多義的なものでしかあり得ないという認識を強調している。
6)意味の複数性の主張
以上触れたさまざまな要素(筋の複雑さ、時空間の複数性、アイデンティティーの曖昧さ、思想の多元性、叙述者の自己顕示)を通じて、小説はきわめて多義的な世界をつくり出している。世界の事柄の本当の姿(事実)を知り、あるべき単一の意味や解釈(真実)を求めようとする志向(作品の個々の登場人物が担わされている志向)を、作品は悉く相対化してしまう。世界を単一の意味体系を持った全一的存在として見通す視点は、人間のものではない(『エロン』ではこの超人的な視点のイメージが、神学や宇宙科学、コンピュータ科学の概念によってほのめかされているが、そのことは人間の視点の相対性を強調するばかりである)。従って世界は複数の顔と複数の解釈を持つ。しかも世界はすでにさまざまな思想、イメージ、解釈の集合として与えられているのであって、人は本当の世界そのものと向かい合うことはできない。いわば言葉(記号)のみから構成され、言葉のみがリアリティーを持つような世界像を、こうした作品はつくり出している。それは時空も人格も思想も、いくらでも導入可能で相互に入れ替えのきくゲーム空間、実体や奥行きという概念と無縁な、書き割りのように表面的な世界である。
・ ポストモダン文学の概念
コロリョーフおよびここに触れたような作家たちの作品を例とする文学傾向に対して、今日ポストモダニズムという呼称が用いられている。それは今世紀後半、特に70年代以降のアメリカを中心として世界に広がった、同名の文化・芸術思潮に通ずるものが、そこに読みとられているからである。
絵画におけるアンディ・ウォーホールらポップアート、新表現主義やネオリアリズムと呼ばれる流派(ソ連画家がアメリカに持ち込んだソツアートも含まれる)、音楽におけるジョン・ケイジ以降(テリー・ライリーらによるクラシックとポップスの折衷やパンクロックなど)、映像におけるゴダール以降の実験やテレビ文化の広い領域、ロバート・ベントゥーリ、チャールズ・ジェンクス、磯崎新などの建築、チャールズ・オルソン、ジョン・アシュベリーなどの詩(ロシアにおけるコンセプチュアリズムと呼ばれるスタイル)、ナボコフやボルヘスを先祖としてトマス・ピンチョン、ジョン・バース、フランスのヌーボー・ロマン、ウンベルト・エーコ(ロシアではアンドレイ・ビートフ、ワシーリー・アクショーノフら)等に継承される小説−−代表的な名詞をあげただけでも非常に多様なものからなるこの芸術潮流は、現代文学の解釈という面から重要ないくつかの基本コンセプトを持っている。
1.大きな物語の終焉
ポストモダンの基本概念の一つは、ジャン=フランソワ・リオタールが「大きな物語の終焉」と呼んだものである。(2)それによれば、近代社会の知性は、いくつかのシンプルな物語(未来を構想する思想)に依拠してきた。その代表例は、知識が人間を邪悪な無知から解放するという啓蒙主義、精神が弁証法的に自己疎外状態から解放されてゆくというヘーゲル主義、プロレタリアートの世界革命が人間を搾取から解放するというマルクス主義、「見えざる手」の介入が諸利益の対立から普遍的な調和を創造し、人間を貧困から解放するという資本主義原理である。こうした物語(思想)の背景には、人間性は普遍的であり、それはある方向に向かって進歩してゆく(そしてそれを理性の言葉で説明できる)という信念が存在した。
しかし20世紀の経験によって人間はこのような物語の虚構性(無効性)を認識した。ドイツのアウシュビッツやソ連の収容所、核兵器の開発、ベトナム戦争、経済原理の支配とくに市場と効率を求めて政治のコントロールを越えて肥大してゆく多国籍企業、欲望を生産するメディア−−こうしたものはモダンの物語によっては説明できない。現代では人間の知性(そのシンボルとしての大学)そのものが、経済原理に支配され、効率を目的とする技術的な知と化している−−これがポストモダンの一つの認識ベースである。単純に文学の言葉に翻訳すれば、これは例えば、個人が経験を経て精神的に成長し、より高次の世界観を獲得し、それが人間一般の進歩とパラレルな意味を持つという、教養小説的なコンセプトが、文字どおりには受け取られなくなったことを意味する。
2.シミュレーション
これと密接に関連するもう一つの基本認識は、ジャン・ボードリヤールがシミュレーションと呼んだ現象に関するものである。(3)シミュレーションとは、モデルによってなんらかの現実を模倣する事ではなく、モデルが現実に先行し、真と偽、実在と空想の境が取り払われたような、現実よりも現実らしい(ハイパーリアルな)世界をつくり出し、ついにはそれが現実に成り代わってしまうような現象を意味している。この現象の一例として、ボードリヤールは実在のアメリカの典型的家族の生活を7カ月間密着取材して放映し続けたテレビの例をあげている。この一家はまるでカメラがそこにいないかのように自然に生活し、その過程で不和が現出し、夫婦は離婚する。アメリカの典型的な中流家庭という題材のもっともらしい虚構性、カメラの前で家族が普通の生活をするという不自然な自然さ−−こうした事実−虚構の倒錯した関係を含みながら、この番組は本物よりももっともらしいハイパーリアルな魅力で2000万の視聴者を魅了し、そして家庭破壊というアメリカの平均的中流家庭にとって「統計的に正しい」結果を伴って完了する。この作用がシミュレーションである。
シミュレーションは複雑な倒錯した意図を伴って現れる。例えばディズニーランドは子供の夢(優しさ、愛情、冒険・・・)をリアルに模造している。そしてそれは同時にアメリカ人的な価値観を(矛盾に充ちた現実を隠して)リアルに美化した姿でもある。しかしそれは同時にもう一つのことを隠蔽している。つまりそれはアメリカの全体が、アメリカ的な価値観という虚構によってすり替えられた現実の中に暮らしているということを隠すために、わざとそこにあるのだ。同じくウオーターゲイト事件は、政治自体が非道徳的なスキャンダラスなものであるという事実を隠すために、スキャンダルとしてシミュレートされた。
しかしシミュレーションの現象は、個別的な意図には還元できない。ボードリヤールによれば、経済を始めとする人間活動の全域において、使用価値という実体に結びついた価値と、交換価値というある価値構造体系の中での記号的な価値が切り離され、後者が前者を圧倒する状況が生まれているからだ。そこでは容易に倒錯したシミュレーション現象が現れる。ものは使用価値のために生産されるわけではない。だがそれが交換価値のために生産されるというのも正確ではない。資本は、一定の価値構造体系が存在するということを証明するために(それが実体のない虚構だということを隠蔽するために)、商品を生産し続け、市場という虚構に送り出し、そしてそれが最終的には使用価値とさえ結びついている。つまり現実の全体がシミュレーションなのである。
貨幣記号が生産の現実や金本位制に準拠することなく、無際限の投機へと進んでゆくことができるように、表現記号は指示対象や意味という「内容」を離れて、記号体系の中に自分のリアリティーをつくり出すことができる。したがってそれは、現実のものをすっかりシミュレートして、ものの実在感を揺らがせてしまうこともできれば(これはハイパーリアリズムというポストモダンの絵画のボードリヤールによる定義である)、全く実在のものに依拠しないリアルな世界をいくつもつくり出してゆくこともできる。シュミレーションが現実となった世界の自己意識のようなもの、それがボードリヤールのイメージする現代芸術である。
3.倒錯した芸術世界
リオタールやボードリヤールの立場は、近代自体の中にあった近代批判(例えば形而上学的な自我の概念に対するニーチェやフロイトの批判)を、高度産業社会、高度消費社会、高度情報社会の感覚の中で読み変えたものと理解することもできる。このような感覚は、芸術創作にある倒錯した性質を与える。すなわちそれは、物語の終焉を意識した物語であり、社会がシミュレーションであることを意識したシミュレーションである。
このことはまず、作品世界と外部世界との境界を曖昧なものとする。例えばアンディー・ウオーホールの描く缶詰やマリリンモンローの絵は、外部世界にある缶詰やモンローという「作られた商品」や、ポスターという別レベルの作品と、きわめて曖昧な関係に置かれている。作品はそれらの作品を前提とし、そのコンテキストの中で存在している。ロシアのポストモダニズムの理論家ヴャチェスラフ・クリーツィンは、ウンベルト・エーコのコラージュ論および「テキストとしての世界」という概念を援用して、次のように述べている。
「この二つのアプローチ、二つの視点は、ともに一つの結論に導く。つまり作品と描かれた現実とを区別することができないということだ。・・・『テキスト』が『世界』を描くと同時に、『テキスト』が『世界によって』描かれる。『テキスト』と『世界』は、互いに互いを含みあっているのだ。」(4)
また作品のオリジナリティーも曖昧化する。創作は(建築も音楽も文学も映画も)、なんらかの独自の世界を構築するというよりも、すでにある情報、作品、スタイル、言葉の引用、もじり、折衷的な組み合わせに捧げられる。創作とはいわばすでにある情報や思想の間の関係の追求である。ロシアポストモダンの流れを作ったコンセプチュアリズムの詩人レフ・ルビンシュテインの次のような発言は、このことを説明している。
「『モスクワ・コンセプチュアリズム』の詩とは、実践においても理論においても、『すでに全てが書かれている』という仮定から出発する。それは『詩の後の詩』だと言ってもいいだろう。だから、この流派の詩にとっては、文体や主題の探求の領域における『古いもの』と『新しいもの』といった問題は存在しない。全ては同じように古いものであり、また同じように新しいものなのだ。だから新しさの問題は文体のレベルではなく、文体に対する関係のレベルにおいて解決される。コンセプチュアリズムの芸術的実践とは、作品の創造というよりは、むしろ関係の解明なのだ。作者とテキストの間の、そしてテキストと読者の間の関係、テキストにおける作者の『存在』と『非在』の間の関係、『自分の』言葉と『他人の』言葉の間の関係、文字どおりの意味と比喩的な意味との間の関係、等々。テキストの枠内でのこれらの諸関係の形成が、『ゆらぎ』の効果を生み出す。文体、意義、意味などがゆらめくのだ。この効果はこれらのテキストを理解するためにきわめて重要なものと思われる。」(5)
さらに作品の価値評価も曖昧なものとなる。前出のクリーツィンは書いている。
「ポストモダンにおいては、価値というカテゴリーはぬぐい去られてゆくように見える。これは第一に、ポストモダン自身があらゆるヒエラルキーを嫌うからであり、また第二に、文化自身が内向する結果、外からどう見えるかという事にあまり気を配らなくなるからだ。・・・ポストモダンでは例えば『良い』というカテゴリーは『正しい』というカテゴリーに置き換えられる。・・・文化、コンテキスト、エネルギー、自分自身にふさわしくあること、それが大切なのだ。」(6)
4.多重の定義
クリーツィンは結局は、ポストモダンという時代の雰囲気を写し取りながら、自らその風景の一部になってゆくのがポストモダン芸術のあり方だと言っているように見えるが、実際ポストモダン作品の目的に関して述べることは難しい。さまざまな時代の様式を組み合わせた現代建築、缶詰を缶詰として描き並べたウォーホールの絵、あらゆる手法を駆使して自らの虚構性を際立たせようとしている文学−−こうしたものが社会の虚構性や無意味さを暴露しようとしているのか、それとも虚構の中の快楽を表現しているのか、決定できない。従ってその効果や目的について語るよりは、その動機をなしているある種の心的態度や創作手法上のドミナントを取り出してみるのが現実的である。
例えばブライアン・マクヘイルにとって、ポストモダンのドミナントは「存在論的」である。つまりそれは、世界とは何か、どんな種類の諸世界が存在して、それらはいかに構成され、どのように互いに異なるか・・・テキストの存在様態とはなんであり、それが投影する世界(諸世界)の存在様態とは何か・・・といった問いに立脚している。(7)
またイアブ・ハッサンは、モダンとポストモダンの形式や心的態度における差異を、32項目からなる対比図式として性格づけている。例えば、閉ざされた形式/開かれた反・形式、目的/遊び、構想/偶然、ヒエラルキー/アナーキー、達成・完成/プロセス・ハプニング、集中/拡散、意味/レトリック、深み/表面性、偏執症/分裂症、明確さ/曖昧さ、など。(8)
マクヘイル的な演繹論とハッサン的な帰納論は、相互補完して、ポストモダニズムの雰囲気を描きだしてくれる。そしてこのような批評的な言説そのものが、またポストモダンの風景に取り込まれてゆくのである(実際、ポストモダンの一つの特徴は、フィクションと批評的な言説が一人の作家や一つの作品の中に同居しているという、自己批評性にある)。
ここに触れたような概念(大きな物語の終焉、シミュレーション、ハイパーリアリズム、ハッサンの一連の比較パラダイム、マクヘイルのいう存在論的問いかけ、「関係の解明」というルビンシュテインの感覚など)を、先に検討したような現代ロシア小説の特徴(筋の複雑性、時空間の複数性、アイデンティティーの曖昧さ、思想の多元性、叙述の自己顕示、意味の複数性)と個別的に対応させる作業はもはや不要であろう。ロシアの新しい小説は全体として、人間性の普遍性を前提として世界を説明する大きな思想(大きな物語)の時代が終わったという感覚、現実自体が多重のフィクションを抱え込んでいるという感覚に立ち、そのような現実を背景に文学を創作することのアイロニーに文学的表現を与えようとしている。その意味で、それがポストモダンという名称を与えられることは正当と思われる。
こうした事情を踏まえて1992年に前出のクリーツィンは、ポストモダンが現代ロシア文芸の主調音となったことを宣言している。
「今日、ほくそ笑みを浮かべながら着々とその領土を拡大しているポストモダン的な意識こそが、恐らく美学的に見て唯一生き生きとした『文学プロセス上の』事実なのだと主張したい。ポストモダンは今や単なる流行なのではなく、いわば大気現象なのだ。つまり好むと好まざるとに関わらず、これのみが現在焦眉の問題なのである。(9)
・ ポストモダンとロシア
1.発生とドミナンス
ロシアにポストモダン的な思潮がいつ現れたのかという問題は、あまり明白ではない。ナボコフをロシア文学に含めるならば、ロシア文学はすでに世紀前半からの、ポストモダンの先駆者という事になる。また70年代以降の非公式なロシア詩(コンセプチュアリズム、ネオリアリズム)や絵画(ソツ・アート)、実験的な散文(アンドレイ・ビートフ、ワシーリー・アクショーノフ、アレクサンドル・ジチンスキーなど)は、明確な政治的メッセージを持ったいわゆる反体制文学とは全く異質な、メタ文学(もじりの諸形式や語り手の顕示などを含んだ、フィクション性を際立たせた文学)性や、観念と現実との関係への関心、あるいはハイパーリアリズムの要素を示し、それが現在の文学状況に直接結びついている。従って70年代をロシア版ポストモダンの出発点と考えることも充分合理的である。さらに現在の思想家の中には、ソ連文化そのものをポストモダンと同一視する、あるいはそれへの過渡期として捉える者もいる(これについては後出)。
しかしながら、ポストモダンという語の使用も含めて、こうした思潮が文芸界の表面に突出するようになったのは、90年代のことと考えられる。ポストモダンの概念をきわめて広く捉えようとしているミハイル・エプシテインのような論者さえ、89〜90年をロシアの文化意識の大きな屈折点と見なし、それ以降の時期を「未来以降」(未来に投影された大きな思想や形式が最終的に失われた時代)と呼んでいるのである。すなわち世界的なレベルで見ても未だ新しい文化現象であるポストモダンは、きわめて短時間の間にロシアの文化舞台に登場し、主役の座をうかがおうとしている。まさにこのプロセスの短さ故に(エプシテインの表現によれば「まだモダニズムさえもがほとんど味わわれていないうちに」それが登場した故に)(10)ロシアのポストモダンはさまざまなレベルの議論を伴って存在している。以下はその議論の主なものを2つの論点に分けて検討することとしたい。すなわちポストモダンの倫理性や美学的質に関する議論、およびそれがロシア・ソ連文化史との関連において持つ意味に関する議論である。
ちなみに誰があるいはどの作品がポストモダンであるかという本質的な事柄は、ロシアだけでなく世界的にも曖昧なままになっている。ポストモダンが思想なのか手法なのか、一人の作家がポストモダンであったりなかったりしうるのかといった問題についても、非常に多くの議論があり得る。ポストモダンはこの点でも、限定、枠づけ、ヒエラルキーを嫌う曖昧な観を呈しており、我々はただ何人かの代表的作家(それもしばしば相互に非常に異なるのだが)を一般化して考えることができるのみである。ここではロシアにおけるポストモダンの構成メンバーに関する議論には立ち入らず、ただ・章にあげたような作家のうち、コロリョーフ、ペレーヴィン、スラポフスキー、ソローキンらは含みうるが、ヴラジーモフ、ヴァルラーモフ、アイトマートフは排除するような集合と考えておきたい。
2.倫理的および審美的な批判
1)個別的批判の限界性
文学に思想性と倫理性、およびそれを伝える形式の明快さを要求する伝統のある国では当然予想されることだが、ポストモダン文学に対するロシア社会の第一反応は、その非道徳性や猥雑さへの批判である。主な論点を例示すれば、異常性愛のバリエーション、暴力、スカトロジー等々を含む題材の醜悪さ、それらと神聖なあるいは哲学的なテーマとを結びつける悪趣味、描写のあくどさや語彙の汚さ、抑制を欠いた饒舌な文体、その背後に想像される、作者のシニシズムといったもので、しばしば倫理的な批判と美学的な批判とが同居している。
作家ホルモゴーロフにとって、ポストモダンは単なる無軌道な創作である。
「わが国のポストモダンは、ある決定的な傾向としての地位を徒にうかがいながら、刻々と尽きかけた負のエネルギーを貪り喰っている。それは縛られた奴隷のエネルギーであり、やっといましめをほどいて自由へとたどり着きながら、自由をどうしてよいのか全く分からないのである。」(11)
この作家は、ポストモダニズムという概念をポスト(精進、味気なさ)のモダニズムと読み替えている。
また『ノーヴィ・ミール』の一寄稿者は、現代文学の諸特徴は、体制の崩壊にともなって、従来抑圧されていた性的にマージナルな部分が表面に噴出したものだと捉えている。
「A.ボロドィニャ、Yu.ブイダ、D.ガルコフスキー、V.ズーエフ、V.クリーツィン、E.リモーノフ、V.ピスクノーフ、S.ソコロフ、V.ソローキン、Yu.アレシコフスキー、V.エロフェーエフ(とまあその数は非常に多いのだが)の作品を読むと、ある強固な印象が生まれてくる。すなわち彼らと支配体制との間の不和の原因は、その『下半身』が抑圧されていた事にあったのだ、と。正常な人間の大半にとっては『あちらの方面』で大した問題は起こり得ないが、精神に問題のある周辺分子にとっては、そもそも性の問題ほど大切なものはないのである。勃起や排泄のプロセス、エクスタシー体験が、彼らにとってはモーツアルトを聞くのと同じ経験を与える。従って彼らの登場人物が性交するとき、必ずローザノフやハイデッガーやサルトルの名前を口に出すのも偶然ではないのだ。」(12)
新しい文学への批判は、作者のモチーフへの疑念とも結びついている。多くの真面目な批評家や読者にとって、コロリョーフのような作家は文化の空白に乗じた異分子であり、単なるグラフォマニヤ(書狂)でなければ、なんらかの投機的な意図を隠している存在である。
例えば硬派の批評家パーヴェル・バシンスキーの意見では、コロリョーフは「時代の精神をキャッチして、さまざまな作家的技巧を駆使しながら、自分を一つの現象として演出する、悪しき作家の典型」である(バシンスキーがコロリョーフの作品を悪しき文学と見なす根拠の一つを、それが要約して語り得ないという事に置いているのは、彼の文学観の質を見るうえで面白い)。この論者にとって現代は文学の堕落の時代であり、「みんなが文学というカーニバルに自分の席を確保しようと奔走し、もし空席がない場合には、何とかそれをでっち上げて、この席は昔からあったのだと他の者たちを説得しようとしている」のである。(13)
こうした議論は、文化の生態を見るという意味では面白いが、生産的ではない。それは批判者たちが、ポストモダンの意識にとってすでに失われたもの(例えば良き目的に奉仕する倫理的文学のイメージ)の不在を批判しているからである。批判者たち自身、すでに批判の無意味さ、もしくは逆効果に気づいている。つまり真面目な批評家の批判は、かえってポストモダンの宣伝に結びつくだけであり、文化の覚醒のためには検閲を復活させるしかないという考え方である。
2)反イデオロギーの逆説
だがこうした倫理的な批判が、作家の個人的なモチーフに向けられるのではなく、文学が社会において持っている意味や効果に向けられるとき、そこにはポストモダンの逆説性を照らし出す視点が開ける。
例えばセルゲイ・ノーソフにとって、ポストモダン文学とは現実からの逃避である。彼によれば、20世紀後半の文学は、あたかも残酷で執拗な追跡者を逃れて、快楽や慰めや気晴らしを考え出すことを強いられてきたような観を呈している。そしてロシアの現代文学も、意識的に現実に見出せないものをつくり出し、生活に欠けているように見える内容を考え出し、存在の空白を埋めようとしているのである。それは文学の「遊び」としての側面が極度に肥大したものであり、その効果は現実を遊戯的にカモフラージュすることにある。(14)
もちろんポストモダンの思想によれば、現実自体がすでに遊戯的かつ虚構的なのであって、文学はその反映に過ぎない。しかしノーソフ的な立場からすれば、社会がポストモダン的状況にあるという言説自体がポストモダン文芸のイデオロギーであり、現代文学はその状況をつくり出すことに奉仕している(そしてその結果として何か非常に重要な空虚さを覆い隠している)のである。ノーソフのような解釈は、社会主義から資本主義へ、社会主義リアリズムからポストモダンへと、急激かつ軽薄に変化する社会の中にいる者の目を前提とするなら、一層よく理解できるものである。
ロシアにポストモダン状況が存在するのかという問題については後に触れるが、ノーソフのような視点は、ポストモダン文学の意図や目的について常に存在する議論に結びつくものである。例えばマルクシズム系の批評家フレドリック・ジェイムソンは、ポストモダン芸術のパラドクスを次のように批判している。すなわちそれは、後期資本主義社会の現実を模倣する新しいタイプのリアリズムであると同時に、その同じ現実から人々の目をそらせ、現実の持つさまざまな矛盾をごまかし、多様な芸術的ミスティフィケーションを駆使してそれらに見せかけの解決を与えるものである。ポストモダンは「正しい」とか「悪い」とかいう価値のカテゴリーを無にしてしまう。それはまさに資本というものが正しくも悪くもあり得るように(そしていずれでもないように)、倫理的な価値を逸脱したものである。そしてこうしたあり方を通じて、ポストモダン芸術は、後期資本主義(ポスト産業主義、多国籍資本主義、消費資本主義)の論理の表現となり、それに奉仕している。(15)
ノーソフやジェイムソンの論理によれば、ポストモダンはあらゆるイデオロギーの不可能性と現実の多元性を前提としながら、一定のイデオロギーや現実に仕えている。表現者たちが反映していると主張する現実(シミュレートされた現実)は、彼らが見よう(見せよう)としている現実に過ぎない。全てを相対化しようとする者は、自身が相対化される。こうした批判が常に成立することが、ポストモダン文芸の危うさを証明しているのである。
3.ポストモダンとソ連文化
文学様式や創作への態度という点から、ポストモダンの性格の曖昧さを指摘する意見は数多く存在する。ポストモダンは現実への新しい態度を主張しているように見える。しかしポストモダン文学が得意とする手法−−主人公のアイデンティティーの曖昧さ、語りの手口の顕示、他の文学へのレミニッサンス、パロディーやパスティーシュの諸形式、ジャンルや文体の混交、そうしたものから来るリアリティーの流動や遊びの感覚など−−は古来存在したものに過ぎない。そもそも文学は、先行する文学の理念や様式と闘いながら存在してきた。そうした歴史の中で、ポストモダン文学はどのようなものとして位置づけられるのか。とりわけそれは、社会主義リアリズムと総称されたソ連時代の支配的な文芸様式と、どのような関係にあるのか。
こうした疑問に対する回答には、二つの大きな方向が観察される。一つはそれがソ連文芸への特殊な反動の形であると捉えるものであり、もう一つはソ連の全体主義的な文化が、本質的な面でポストモダンの属性をすでに備えていたとするものである。以下では両者の代表としてN.S.アフトノモヴァとM.エプシテインの説を紹介したい。
1)ポストモダンとアヴァンギャルド
N.S.アフトノモヴァは文化の過去との闘いにおけるポストモダン的な態度とアヴァンギャルド的な態度の差異という観点から、この問題を論じている。(16)彼女によれば、文化が過去の文化と闘う仕方には、二つの態度がある。一つは過去の文化を解体したうえで、その諸部分を新しい発想のもとに自由に組み合わせて利用しようとする態度であり、もう一つは過去を排除して、何か全く新しいもの、できる限り異質なものをつくり出そうとする態度である。彼女によれば、前者がポストモダン的な態度であり、後者がアヴァンギャルド的な態度である。
例えば20世紀初頭のロシアでは、シンボリズム(当時のモダニズム)への反動として、アクメイズムとフトゥリズム(未来主義)という二つの流派が興った。アクメイズムのテキストは、独自性を主張しながら、その言葉の中にプーシキン、ダンテ、あるいはシンボリストの言葉へのアリュージョンを容易に見出せるようなものであった。それは既成の文学に依拠した文学であった。これに対しフトゥリズムは、可能な限り新奇なものを追求した。過去の芸術様式は全く捨てられ、何物にも依拠しないもの、あたかもこの世で初めての人間が書いたような表現が求められた。こうした志向は言葉そのものにもおよび、ザーウミという意味の彼岸にある言語が開発された。前者はすなわちポストモダン的であり、後者はアヴァンギャルド的である。
現実においてはポストモダンはアヴァンギャルドよりも長命である。なぜなら前者が本来雑食で、あらゆるものを吸収して生きられるのに対して、完全な新しさを狙う後者は、繰り返しが生じた段階で破綻してしまうからである。しかし歴史的なパースペクティヴにおいては、後者のほうが永続的な意味を持つ。すなわちポストモダンが自らの後に何物をも生まないのに対して、アヴァンギャルドは自らに対するより新しい反動を生みだし、様式と芸術原理の面で、文化発展の連鎖を形成してゆく力を持っているからである。
アフトノモヴァがルネッサンスから現代のソツ・アートまでを対象に描いているポストモダン/アヴァンギャルドの対立の遠大な図式は省略するが、彼女によれば現代ロシアのポストモダンは、社会主義リアリズムへの「ポストモダン的」反動であり、20世紀文芸のあらゆる様式の折衷である。そして社会主義リアリズムへのアヴァンギャルド的反動は、まだ正体を現していない。
彼女が現代ポストモダンに見出す意味は、あくまでも消極的な効果といったものである。すなわちそれは価値体系の崩壊した世紀末的な現状にあって、いくつかの危険な選択から人間を猶予してくれる効果を持っている。すなわち、思想の断片から性急に総合的な思想を組み立てず、精神的な忍耐力を養い、生と文化の多元性に耐える感性を磨き、あらかじめ保証されていない生を生きることを、人間に教えてくれる。そしてポストモダン的な思想や情熱自体に関しても、慎重に対することを促しているのである。
一定の文化の変化パターンを基礎にポストモダンを一般化して考えるという傾向は、以下に触れるエプシテインにも共有されている。彼によれば、ロシアの近代文学は、4つの段階(文学が社会に奉仕する段階、文学が個人の問題に集中される段階、文学が宗教や哲学的な志向を得る段階、芸術性自体が文学の目的となる段階)を一つのサイクルとして、3つのサイクル的発展を経験してきた。ソ連時代は第3のサイクルをなし、社会主義リアリズム、50年代以降の人道主義的文学、ソルジェニーツィンや農村派から現代のA.キム、アイトマートフらに代表される宗教志向、70年代以降のコンセプチュアリズムが、それぞれの段階を示している。そして現代は第4のサイクルに入ろうとしている。(17)
しかしエプシテインのサイクル説は、アフトノモヴァの説のような明快なポストモダンのイメージを与えてくれない。現代文学は、社会に奉仕する文学への回帰という傾向を示していないばかりか、総じてサイクル自体が破壊され、あらゆる段階の文学傾向が混在したような、アモルフな観を呈しているからである。むしろ同じ論文の中で彼が用いている「後衛」としての文学という考え方の方が、アフトノモヴァのアヴァンギャルド(前衛)/ポストモダンの対立図式との関連においても、説得力のあるイメージを与えてくれる。彼によれば、現代文学は「リアリズム的に」現実と一致することにも、「アヴァンギャルド的に」現実に先んじることにも、ともに疲れている。現実はどこか先の方で、歴史法則に従って激しく変化しているが、文学は後方を進みながら、その道程にある一つ一つのものに目を向け、掃き集めている。アヴァンギャルドが新しい形式や技法を開発し、素材を厳密に構造に当てはめ、未来への愛情に駆られて過去を抹殺しようとしたのに対して、現代の芸術は無定型、空虚であり、過去の偉大な形式や思想の残骸を、無際限に呑み込んでゆく汚物処理機のような様相を呈している。すなわち20世紀ロシア文学は、前衛に始まり後衛に終わろうとしているのである。(18)
2)ソ連文化ポストモダン論
a.ポストモダンのコンテクスト
しかしエプシテインやボリス・グロイスなど、現代のポストモダンの批評家の狙いは、ポストモダンをソ連文化との対立の構図で見るよりは、むしろそれとの関連において捉えようとすることにある。そしてそれは、ロシアポストモダンの起源や根拠に対する特殊な問いと関連している。
ロシアのポストモダンに関して特徴的な問いは、それが単なる欧米文学の模倣ではないのか、歴史的な必然性を持った現象なのかという事にある。すなわち文学がポストモダン的な傾向を呈していたとしても、それがポストモダン的な文化状況を背景としているのかという問題である。これはポストモダンの前提として一般的に想定されている高度資本主義社会の諸特徴(高度消費文化、多元的に発達した情報文化、多国籍資本など)がロシアに存在するか、あるいはそもそもロシアはモダンの時代をいつ経験したのかという、根本的な疑問と結びついている。現代文化の基本的な性格に関するこのような疑問が、現代のポストモダン批評家を、直前の時代すなわちソ連時代の文化の性格づけへと向かわせるのである。
ここで代表として取り上げるエプシテインは、ロシアのポストモダンは単なる西欧の文化傾向への反響ではなく、ソ連文化を支配していたメンタリティの新しい発展段階であると捉えている。そして彼によれば、ポストモダンも社会主義リアリズムも、ロシアの文化伝統に根ざした、単一のイデオロギー・パラダイムに属すのである。(19)
b.シミュレーションとしてのロシア史
こうした一見逆説的な論理の根拠として、エプシテインはポストモダンの中心的な概念の一つであるシミュレーション作用が、ロシア史を通じて一般的な現象として存在したことをあげている。ロシアでは常に観念(理念・思想)が現実の代用をしていた。ヴラジーミル公のキリスト教国教化、ピョートル大帝による西欧化の事業に端的に現れるように、文化や制度はまず第一に歴史的現実や伝統とは関わりのない理念、名辞、ラベルとして「移植」され、現実がそれに適応させられてゆくという形を取った。それはファッサードばかりで奥行きのない国、カタログの帝国、まるで存在する「かのような」国、つまりはシミュレーションの世界であった(ペテルブルグという都市にこの感覚は象徴的に現れている)。19世紀スラブ主義者の国民的アイデンティティーへの問いかけも、こうした文化の実体のなさの感覚に立脚している。ヨーロッパをさまよう「妖怪」としての共産主義が、ロシアでリアリティーを獲得したのも当然なのである。
ボリシェヴィキ革命の後、このシミュレーション作用は一層強い、構造的なものとなった。そこではイデオロギーが歴史発展の唯一の力とみなされ、単純な事実に対する観念の優位が組織的に確立された。リオタールの描く高度資本主義社会におけるのと同じように、イデオロギーが現実を、もっともらしいリアリティーを持って再生産してゆく。ものの不足はものの観念によって補われ、自由で自発的な労働という観念が、スボートニク(土曜労働)という現実の儀式を生み出してゆく(現代ロシアでも、政党や企業の存在は、プレゼンテーションと呼ばれる発足のパーティーによって代替されている)。こうしてイデオロギーの記号に塗りつぶされた、「リアリティー以外は何でも存在する国」が誕生した。
エプシテインによれば、こうした現象はロシアの宗教的アイデンティティーの二重性と結びついている。ロシアでは、現実を仮象と見て現実の彼岸に実体の世界を求めようとする「東洋的」精神と、経験世界と同一レベルの実体としての神の存在を想定する「西欧的」精神とが、同居している。すなわち宗教(ロシア正教)の世界では、現世を放棄して神の国を求める志向が、国家の忠実な僕として国家と合体してある教会のあり方と自然に共存している。そして共産主義の内部でさえも、その唯物論的な原理と観念論的な生態が、調和して存在しているのである。すなわちロシア的な文化は、常に自己否定をはらんだ体系、巨大な「虚」の貯蔵庫である。
ソ連と同じくアメリカも、リアリティーを再生産してきた国である。しかしアメリカの手法が、「組織心理学」的なプラグマティズムに立脚した、マスメディアや広告という分かりやすいリアリティー生産システムを持っていたのに対し、ソ連の手法はマルクス主義という単一のベースに立った「イデオクラシー」であった。エプシテインによれば、心理に訴えかけるモノやイメージが大量生産されるアメリカよりも、観念(言葉)のみが実在であるようなソ連の方が、よりポストモダン的なのである。
c.ソ連版ポストモダンの諸側面
ソ連文化のポストモダン性を証明するための各論として、エプシテインは引用文化、イデオロギーの換骨奪胎、文化的ハイアラキーの解体という現象をあげている。
ソ連文化では、純粋な個人の思考というものが市民権を得られなかった。「真の社会主義」においては、人々は非個人的な、一般的な考え方をするものと見なされたのである。従って個人の思想とは、あたかも誰か他の人間の思想の応用のような、引用のような観を呈する。そこでは作者が無名の存在として、一般的に受け入れられた見解の羅列(引用)の中に姿を隠してしまう表現様式(百科事典、教科書、博物館)が主流となった。
またマルクス主義がマルクス・レーニン主義に変質し、唯物論が国家イデオロギーの道具となるに従って、その教義自体が逆説的な変貌を遂げた。西欧のマルクス主義が、キリスト教やフロイト主義という別のイデオロギーとの確執の中で、歴史現象に関する独自の(限定的)解釈態度を作り上げることを強いられてきたのに対して、思想の市場を独占したロシアのマルクス主義は、ポストモダンのいわゆるパスティーシュのように、あらゆる思想の折衷的混合物を作り上げてしまった。すなわちそれは、真のマルクス主義という名辞のもとに、国際主義と愛国主義、リベラリズムと保守主義、実存主義と構造主義、テクノクラシー思想と環境保全思想といった、さまざまな対立物を包摂し、肥大してきたのである。
ソ連文化はまた文化の階層構造をも破壊した。大衆が高級な文化の需要に向けて訓練されると同時に、通俗小説やキャバレーのような卑俗文化が排除された。一方でアヴァンギャルド、モダニズム、シュールレアリズム、フロイト思想といったエリート文化も抑圧された。結果としてそこには、西欧的な高級文化と低級文化のいずれからも遠い、新しい、均一化された中流文化が形成された。
ソ連がポストモダンだとしたら、それはいつモダンの時代を経験したのか。この問いに対するエプシテインの回答は簡単である。ロシアはシンボリズムとフトゥリズム(未来主義)の時代からソ連時代の初期まで、すなわち前世紀末から1920年代にかけての短期間に、モダニズムを急激に駆け抜け、34年に社会主義リアリズムが宣言された時には、すでに本質的にポストモダンの時代に突入していたというのである。
d.ポストモダンとしての社会主義リアリズムとコンセプチュアリズム
エプシテインは社会主義リアリズムという文化様式がはらんでいたポストモダン的な要素を、7つの点において指摘している。すなわち・ハイパーリアリズム(それは何千万もの国民にとってリアリティーとなった観念を提供した);・反モダニズム(それはモダニズム文芸の個人主義や言語的な純粋主義を時代遅れとして排斥した);・思想のパスティーシュ(それは特殊マルクス主義的な言説をぬぐい去り、さまざまなイデオロギーや哲学の折衷物をつくり出した);・様式の折衷(古典主義、ロマン主義、リアリズム、フトゥリズム等の様式が、そこで混交された);・個人性の排除(作者や個人という概念を越えた「引用」のスタイルが優勢となった);・エリート文化と大衆文化の対立の解消;・「ポスト歴史」感覚(過去の偉大な思想の全てが最終的な解決を見出すべき、歴史の終わりの場のイメージが追求された)。
もちろん社会主義リアリズムは、現在のポストモダン文芸に見られる「遊び」や「アイロニカルな自意識」の要素を備えていない。エプシテインによれば、ポストモダンと呼ばれている現象は、ポストモダン的な文化の実体と、その実体に対するポストモダン的な解釈とを含んでいる。ソ連ではこの二つの要素が時間差をもって現れた。すなわち30年代からの社会主義リアリズムの時代は、ポストモダン的実体がまだ意識化されていない段階、すなわち過渡期であり、「モダニズムの顔をしたポストモダニズム」の時代であった。この文化の自己意識が表面化するのが70年代であり、その代表者がコンセプチュアリズムという詩の流派であった。
その説の全体から明らかなように、エプシテインは基本的に、ポストモダンが必ずしも後期資本主義社会の物質的およびテクノロジー的な環境を前提としないと考えている。すなわちロゴス(言葉)中心主義のロシア/ソ連には、物質(金、資本)中心主義の西欧とは違って、商品やテクノロジーの関与を必要としない、ロゴス中心的なシミュレーションがあり得るのだ。しかし観念や言葉のみが実在感をもつロシアのポストモダン文芸は、その意識の表現において、西欧のポストモダン芸術とは異なった戦略を必要とする。「西欧のコンセプチュアリズムは、『一つのものを別のもので』代替する。言葉による描写を実物で代替する。しかしロシアでは、代替するべきモノが単に存在しないのだ。」
エプシテインの解説するロシアのコンセプチュアリズムは、観念(思想)こそがソ連的な生活の唯一の実体であるということを表現する。それは例えば、ある文学的テーマ(共産主義者が内心のためらいを乗り越えて生産性向上のために大胆に同志を導いてゆく、というテーマ)が、通例文学作品の中でまとっているもっともらしい粉飾(人間的な肉付けや筋の曲折)をはぎ取り、その思想を単純で平凡な言葉で図式的に語りなおす。いわば身も蓋もない「悪しき芸術作品」の見事な見本をつくり出す。そうすることによって、観念が社会の精神において、実在としてあるあり方を描き出してみせるのである。
e.ソ連文化ポストモダン説の逆説
エプシテインの議論は、シミュレーションというポストモダン的な概念を、ロシア精神史の全体に適用したところに特徴がある。彼の描き出すロシア/ソ連は、イデオロギーの記号が現実の細部を埋め尽くした世界であり、イデオロギーの内容や質自体はそこで意味を持たない。それがロシアという土壌に特徴的な観念の生態であって、ロシアのポストモダンもそうした精神風土に特徴づけられているというのである。彼の仕事は、ヴラジーミル・パペルヌィ、ピョートル・ヴァイリ、アレクサンドル・ゲニス、そしてボリス・グロイスなど、現代のソ連文化評論家たちの仕事(20)と一体となって、特異な「ロゴス中心的ソ連文化」の有り様を提示してくれる。
しかしエプシテイン流のポストモダン的ソ連文化論は、いくつかの問題をもっている。ポストモダン論としてみた場合、そこではシミュレーション、ハイパーリアリズムという側面のみが強調されている結果、この現象の解釈が非常に偏ったものになっている。それが一因となって、ソ連後期のコンセプチュアリズムとソ連後の現代文学との関係が、あまり明白ではない。ソ連が崩壊した後の文学(彼の言う「未来の後」の文学)と、ソ連的ポストモダン状況が意識化されたブレジネフ期の文学とは、連続しているのか、それとも体制崩壊は文学にも本質的な変化をもたらしたのか。例えば彼と似た立場からソ連文化をモダンとポストモダンの過渡期と捉えているグロイスやヴァディム・リネツキーは、ソ連文化が非ソ連文化を取り込み、応用してゆく段階(50年代後期以降)をポストモダンと呼び、体制崩壊後の文化をすでに別物(グロイスによれば大衆文化)と規定している。(21)こうしたことは、現代文化に関する議論をますます複雑にしているのだが、いずれにせよイデオロギーの王国がひとたび崩壊した後の現代文学が、シミュレーションという限定された概念で性格づけられるのか否かが、エプシテインの議論からは明らかでないのである。
またソ連/ロシア論として見た場合、彼の議論は意識的にか無意識にか、ロシアの伝統的な思考の枠組み、すなわちロシアと西欧との対比のパラダイムを引きずっている。「西欧は・・・しかるにロシアは・・・」という視野の中には、例えばロシア文化論にとって有益なガイドラインとなるはずの、現代東欧世界の文化は全く入ってこない。悪くすると彼の議論は、ロシアには何でもあった、シミュレーションもポストモダンでさえも存在したという類の、逆説的なアイデンティティーの主張になりかねない。
しかし最も逆説的なのは、共産主義という「大きな思想」が、文字どおりの意味での「言葉」としてのみではなく、権力装置、計画経済、テクノロジー、軍備を伴って存在したスターリン期のソ連を、ポストモダン状況という言葉で形容できるという精神である。ここでは観念のみが実体として存在するという「転倒」がソ連史の現実だったという説が語られているわけだが、転倒しているのは恐らくソ連史のみではない。エプシテインをはじめ今日ポストモダン的な記号によってソ連文化を語るようになった者たちの視覚自体が、ソ連末期からソ連後にかけてのどこかで、転倒を体験している。彼らはその結果、ソ連という巨大な体制が、権力者も犠牲者も含めて、張りぼての観念の王国であったと語りうる立場に立った。恐らくこの転倒こそが、ポストモダンと呼ばれる現象なのである。
ポストモダンは過去の文化を否定して新しいものを作るのではなく、過去の諸部分を新しい発想のもとに利用することであるというアフトノモヴァの説は、本当らしく思える。エプシテインおよび現代の作家たちにとって、ソ連史は解体し、利用し、作り替えるべき、大きな素材の宝庫である。彼らはそこで過去を自在にシミュレートし、その結果はきわめてもっともらしく見える。これは単なる歴史の分析という以上のもの、巨大な体制が消えた後の、魔除けの儀式のようにも思えるのである。
まとめ
本論で行われたのは、新傾向のロシア文学作品の分析、それとポストモダン文芸と呼ばれているものとの突き合わせ、ロシアにおけるポストモダン論の検討という作業である。
本論でポストモダン文学をテーマとしたのは、それが現代文学界において優勢な現象だと考えるからである。ただしここで優勢という意味は、量的なものでも価値的なものでもない。すなわち筆者は、コロリョーフ的な作品がヴラジーモフ的な作品よりも多く書かれているとか、価値的に優れているとか考えているわけではない。優勢とはあくまでも効果の強さの意味である。つまりコロリョーフ的な作品は、それが存在するというだけで、あたかも宝石の脇に置かれた精巧なイミテーションのように、場の雰囲気を変えてしまう効果を持っている。ヴラジーモフの作品がコロリョーフの作品の受容に何の影響も与えないのに対して、コロリョーフの作品の存在は、ヴラジーモフの作品の読解のコンテクストに影響するのである。本稿の狙いはこうした不協和音のような文学の性格を探ることでもあった。
しかしここで検討された素材はきわめて限定されたものであり、一般的な結論を導くには充分なものではない。なによりも現在進行中の文学現象という素材自体が、包括的な物言いを不可能にする。以下はあくまでも条件付きの、本論の作業に限定されたまとめであり、補足や改変の可能性(必要性)を前提とする。
1.現代ロシアの文学作品の一部は、筋や時空間の複雑さ、アイデンティティーの曖昧さ、思想的多元性、叙述の顕示、意味の複数性といった諸点で、従来のロシア文学とは異なった傾向を示している。
2.こうした文学は、物語の終焉、シミュレーション的現実などの意識に基づき、一定の心的態度や創作手法を共通特徴としてもつ、ポストモダンと呼ばれる現代文学のグループに属すものと考えることができる。
3.ロシアのポストモダンに関する言説は、倫理的・審美的レベルでの議論と、その起源に関する議論とを含んでいる。こうした言説のいくつかは、ポストモダンの逆説的な性格を浮かび上がらせている。すなわちイデオロギーの無効性を前提とするポストモダンは、それ自体がイデオロギーとして作用する可能性をもっている。またポストモダンの起源に関する議論の中で、ポストモダン的な意識自体が歴史論に投影されてゆく、歴史のシミュレーションが生じる可能性がある。
注
(1)Mikhail Epshtein. Posle budushchego. O novom soznanii v literature. Znamia, No. 1, 1991. pp. 226-229.
(2)以下にのべるリオタールの説は、次の書物からの要約である。
ジャン=フランソワ・リオタール『ポストモダン通信』(管啓次郎訳)朝日出版社、1986。
同『ポスト・モダンの条件。知・社会・言語ゲーム』(小林康夫訳)水声社、1986。特に第9章「知の正当 化の物語」
(3)以下のボードリヤールの説は、次の書物による。
ジャン・ボードリヤール『シミュラークルとシミュレーション』(竹原あき子訳)法政大学出版局、1984。
第1章「シミュラークルの先行」
同『象徴交換と死』(今村仁司・塚原史訳)筑摩書房、1982。第1部「生産の終焉」
(4)Biacheslav Kuritsyn. Postmodernizm: Novaia pervobytnaia kul'tura. Novyi mir, No. 2, 1992. p. 226.
(5)Lev Rubinshtein. Poeziia posle poezii. Oktiabr', No. 9, 1992. p. 84.
(6)Viacheslav Kuritsyn. Op. cit. p. 227.
(7)Brian McHale. Postmodernist Fiction. Methuen, New York, London, 1987. p.10.
(8)Ihab Hassan. Postface 1982: Toward a Concept of Postmodernism. in The Dismemberment of Orpheus, Madison, 1982. pp.259-271.
(9)Viacheslav Kuritsyn. Op. cit., p. 231.
(10)Mikhail Epshtein. Op. cit., p. 229.
(11)M. Kholmogorov. Vremia sobirat' kamni. Voprosy literatury, No. 1-2, 1996. p. 7.
(12)V. Sediuchenko. Progulka po sadam rossiiskoi slovesnosti. Novyi mir, No. 5, 1995. p. 223.
(13)Sovremennaia proza: 《Peizazh posle bitvy》. Voprosy literatury, No. 4, 1995. pp. 16-17.
(14)Sergei Nosov. Literatura i igra. Novyi mir, No. 2, 1992. pp. 232-236.
(15)Fredric Jameson. Postmodernism, or The Cultural Logic of Late Capitalism. New Left Review, No. 146, 1981. pp. 53-92.
(16)N. S. Avtonomova. Vozvrashchaias' k azam. Voprosy filosofii, No. 3, 1993, pp. 17-22.
(17)Mikhail Epshtein. Op. sit., pp. 222-226.
(18)Op. cit., pp. 226-229.
(19)以下のエプシテインの説は、次のものの要約である。
Mikhail N. Epstein. The Origins and Meaning of Russian Postmodernism in After the Future. The paradoxes of Postmodernism and Contemporary Russian Culture. The Univ. of Massachusetts Press, 1995. pp.188-210.
(20)Vladimir Papernyi. Kul'tura "Dva". Ardis, 1985.
P. Vail'., A. Genis. Strana slov. Novyi mir, No. 4, 1991.
Boris Grois. Utopiia i obmen. izd. Znak, 1993.
(21)Boris Grois. Poltornyi stil': sotsialisticheskii realizm mezhdu modernizmom i postmodernizmom. Novoe literaturnoe obozrenie, No. 5, 1995. pp. 44-53.
Vadim Linetskii. Ot 《gomososa》 k 《zmeesosu》 i po tu storonu (tak kto zhe postmodernist?). Daugava, No. 1, 1994. pp. 140-149.