● エヴゲニイ・ポポフ Popou, Evgenii
『「緑の音楽家たち」の真の物語』
岩本和久
1.作者について
エヴゲニイ・ポポフは1946
年にクラスノヤルスクで生まれた。1960
年代から短編小説を執筆しているが、1979
年に文集『メトロポーリ』に参加したため作家同盟への加入を拒絶される。その後、非公式なグループ≪Клуб
беллетристов≫に加わり、1982
年に文集『カタログ』をアメリカで出版した。長編小説にДуша
патриота (1989)、Прекрасность жизни (1990)、Накануне
накануне (1993)がある1。
2.作品の概要
『「緑の音楽家たち」の真の物語』は1998
年の『ズナーミャ』6
号に発表された。単行本は翌年、ヴァグリウス社から出版されている。この文章の執筆に当たっては、単行本をテクストとした(Попов
Е. Подлинная история ≪Зеленых музыкантов≫.
М.: Вагриус, 1999)。
この小説は短編小説『緑の音楽家たち』とそれについての注釈から構成されている。短編小説は1974
年に、注釈は1997 年に執筆されたという設定になっている。
短編小説『緑の音楽家たち』は、K
市(クラスノヤルスクと思われる)の有力者イヴァン・イヴァヌィチの半生を描いている。この話は、元ジャーナリストのポプガソフが語り手に伝えたものという設定になっている。
学生イヴァン・イヴァヌィチは、ジャーナリストのポプガソフのもとに自作の短編小説『卑怯な若者』を持ち込む。
『卑怯な若者』の語り手は郵便局員。彼は秋の冷たい雨の中、コルホーズに郵便を届けるため自転車で悪路を走っている。自転車の上で夢に見るのは、家に帰ってから読むはずのパウストフスキイ。だが目的地へあと2
キロという時、腕に刺青をした若者が自転車の前に現れる。狩りの最中にけがをした友人を助けるためコルホーズまで医者を呼びに行くから、自転車を貸してくれというのだ。郵便局員は自転車を貸し、コルホーズまで歩いていく。しかしコルホーズに自転車はない。持ち逃げされてしまったのだ。「彼には一滴でも良心があるのだろうか?この短編を読んだ後で、彼は私のところに来るだろうか?」という文章で小説は閉じられる。
『卑怯な若者』は書き換えられ、『ありがとう』の題で新聞に掲載される2。『ありがとう』ではパウストフスキイが削除される。けがの原因は狩りではなく牛小屋の火事の消火作業だ。自転車も無事に返却される。
イヴァンはポプガソフの文学サークルのメンバーになる。彼は中断していた詩作を再開し、時事評論を新聞に掲載する。大学の学業にも打ち込み、秀才として賞賛される。薬科学校のパーティーで知り合ったミールカとは、デートを重ねていく。
だが文学という麻薬に溺れたイヴァンは学業を怠けるようになり、大学から追い出されてしまう。イヴァンは途方に暮れるが、アルコール中毒のあげく失踪してしまっていたポプガソフがそこに現れ、書くための材料を集めるよう忠告する。イヴァンはポプガソフの言葉を信じ、倉庫番になる。文学の邪魔になるミールカとも離別する。しかし倉庫で出会う人の語る話は卑俗なものばかりで、とても文学の材料にはならない。やがてイヴァンは家で寝転がって過ごすようになり、目の前に現れる緑の火花の中に大事なものを探そうとする。この行為を彼は創作方法と考えるが、大事なものは何も見つからない。
そんなイヴァンの前に再びポプガソフが現れる。ポプガソフは人生の経験が足りないとイヴァンを非難し、麻薬を勧める。麻薬を吸ったイヴァンは幻覚を見る。空中に張られたロープを見覚えのある人々(実はソヴィエト作家たち)が渡っているのだ。謎の声(実は悪魔の声)がイヴァンにも綱渡りをするよう勧めるが、転落を恐れるイヴァンはそれを断る。イヴァンは声にもっと幻影を見せろと要求し、声はしぶしぶ別の幻影を提供する。それはイヴァンの周囲で生活していた様々な人々、ドストエフスキイやトルストイといった古典作家、そしてのたうちまわる「緑の音楽家たち」だ。
「緑の音楽家たち」の姿に怯えたイヴァンは、我に帰るとミーラのもとに急ぎ、交際を回復する。彼は大学にも復学し優秀な成績で卒業、卒業後は工場の作業の効率化を行い、それをきっかけに地元の名士となる。文学に対する未練は彼にはもうない。しかし信頼できぬ噂によれば、彼はしばしば自室にこもり、ベッドの上で数日間にわたって煙草を吸い続けているという。
短編『緑の音楽家たち』の後には、この小説についての膨大な注釈、そして人名索引が続く(単行本の頁数で数えると、本文は54
頁、注釈は278 頁である。また注釈の数は888にのぼる)。この注釈は本文を解説したものというよりは、本文をきっかけとした作者の自由な連想という性格のものだ。たとえばшуга
という単語に付された注では、「シュガーとは最初の氷のことである」と語義の説明がなされた直後、「V.シュガーエフという作家がいた。彼も死んだ。私はかつて彼とバイカルで喧嘩したことがある。だが彼の晩年には、互いに不満をもってはいなかった」という、本文とまったく関係のない文章が続く(337
頁)。
イヴァンは本当の女性問題を知らない、というポプガソフの非難についての注釈では、現代のベルリンの「ラヴ・パレード」が描写される(234-236
頁)。「コメントできない」という不条理な注もある(262、286
頁)。мина
という単語の説明の後には、「読者の休憩のために」≪мина≫と題された長編小説の冒頭部分がかなりの分量にわたって引用される(236-250
頁)。
注釈のスタイルも学問的な真面目さからは程遠い。ソ連の悲劇的な歴史と関わっているこの注釈は当然、深刻さや哀しみと無縁ではない。だが注釈に導入された卑猥な冗談や語
句、猥雑な歌、アネクドートなどは、時にアイロニーを超えた陽気さを醸し出している。
ユダヤ人差別に対する反論を述べた後には、ポポフとヴィクトル・エロフェーエフが作家同盟から排除された際のアネクドートが続くのだ(「ユダヤ人より悪いロシア人もいるよ」「それは誰かい」「たとえば、この二人さ」、309-312
頁)。
「今でいうクラスノヤルスクの知事」は、息子が奇妙な詩を『ピオネールスカヤ・プラウダ』に投書したために、編集部から叱られることになる。
Ленин, Ленин, гражданин! Ты лежишь в земле один. Как немножко подрасту, К тебе в гости я приду. |
レーニン、レーニン、一市民! 地中に一人で寝ているね。 もすこし大きくなったなら 僕が訪ねていくからね(97 頁)。 |
ディヴノゴルスク市の女学生たちは、寮の窓辺に腰掛けて卑俗な歌を歌う。
Я профоргу дала И парторгу дала. Председатель . тоже блядь, Ему тоже надо дать. |
組合オルグにあげたし 党オルグにもあげたの。 議長もゲスな奴だから あいつにもやっぱりあげなくちゃ(140 頁)。 |
ソ連社会の苦しみもアネクドートを通して語られる。たとえばソ連版「人生ゲーム」とでも言うべきすごろく遊びが紹介される。「この遊びは《三つの道》という叙情的な名前をもっており、三つのサイコロを用いた。サイコロは塗装された紙の上に投げられる。コースは《産院》から始まり、《託児所》、《幼稚園》、《学校》、《市職業技術学校》、《コムソモール》、《KGB》、《大学》、《軍》、《監獄》、《精神病院》、《外国人ヴィザ登録部》、《中央委員会》、《政治局》、《墓地》と続いていた」(176
頁)。
ガスチェフの息子は行進曲「スラヴ女性の別れ」(прощание
славянки)の、次のような替え歌を作ったという。
Коммунисты схватили
мальчишку, Затащили к себе в КГБ. . Ты признайся, кто дал тебе книжку, Руководство к подпольной борьбе. |
コミュニストが子供をつかまえて、 KGB へ引きずった。 「誰が本をくれたか言えよ、 地下闘争の手引きを。 |
Ты зачем совершил
преступление? Клеветал на общественный строй? . Срать хотел я на вашего Ленина! . Отвечает им юный герой. |
なんだって罪を犯したのか? 社会体制を悪く言ったのか?」 「あんたらのレーニンに糞をかけたかったの さ」 若い英雄は答える(315 頁)。 |
この雑多な注釈は、実は作者の回想という性格が強い。そこには、作者の自伝、家族やソヴィエト作家の思い出、1970
年代を中心としたソ連生活の断片が多く含まれている。ソヴェイト作家の中でも最も多く登場するのは、『メトロポーリ』に参加した結果、亡命することになったアクショーノフと、同じ理由で作家同盟から除名されたヴィクトル・エロフェーエフだ(エロフェーエフはこの小説の中には「魔法使いエロフェイ」の名で登場する)。『「緑の音楽家たち」の真の物語』はソ連崩壊後の社会変化の中で、あるいは21
世紀を目前とした時期に、過去を物語ろうとした試みとひとまず言うことができるだろう。
3.文学的コンテキスト
『「緑の音楽家たち」の真の物語』は回想という性格がきわめて強い小説だが、プロットに注目するならば、まず何よりもメタフィクションであるといえる。このテクストは、小説家を目指し挫折する主人公を描いた短編小説と、その短編小説に対する注から成り立っているのだ。
『「緑の音楽家たち」の真の物語』ではソ連の風俗だけでなく、ソヴィエト文学の方法も反復されている。『卑怯な若者』ではパウストフスキイの小説が参照される。『卑怯な若者』は盗みを諌める小説であるが、この幼稚ですらある教訓性もきわめてソヴィエト的なものといえる3。牛小屋の火事を消すために火傷を負うという、『ありがとう』に導入された自己犠牲のエピソードもまた、ソヴィエト文学を容易に想起させるものだ。
『「緑の音楽家たち」の真の物語』は、スカースや断片性といった20
年代文学の方法も参照している。
短編小説『緑の音楽家たち』の冒頭の文章は、物語的な語りへの志向がきわめて強いものである。
С величайшей робостью и тихой творческой
печалью приступаю к изготовлению этого
небольшого труда, посвященного нескольким
занимательным эпизодам из раннего
периода жизни моего не очень близкого
знакомого, некоего Ивана Иваныча, человека
ныне весьма и весьма в нашем городе
уважаемого, члена многих постоянных и
временных комиссий, талантливого
хозяйственника, депутата.
極度の気恥ずかしさと静かな創造の哀しみと共に、私はこの小さな労作の準備に取り掛かった。それは私のさほど親しくもない知人であるイヴァン・イヴァノヴィチという人、すなわち我々の町で現在、とてもとても尊敬されている人物であり、多くの常設および臨時委員会のメンバーであり、才能ある経営者であり、議員でもある人の、若い時代の若干の興味深いエピソードに捧げられたものだ(11
頁)。
注釈の語り手はしばしば20
年代文学に言及する。たとえば小説のサブテクストとしてブルガーコフの名が挙げられる。悪魔の誘いを断り文学と縁を断つものの、自分の部屋にこもって文学を夢見るというイヴァンの結末は、注釈によれば『巨匠とマルガリータ』のベズドームヌイを反復したものである(330
頁)。
断片を集めることで自分の人生や周囲の社会について語るという方法は、オレーシャの『一行とて書かざる日なし』を想起させる。『「緑の音楽家たち」の真の物語』の注釈では、オレーシャについての言及が繰り返しなされている(その一部分は、オレーシャについて語るカターエフを回顧したものだ)。またポプガソフはイヴァンに「一行とて書かざる日なし」という金言を教えている。
ポプガソフの文学サークルで行われる儀式についての注釈では、「セラピオン兄弟」グループの挨拶「やあ兄弟、書くことはとても難しい」に言及がなされる。
舞台や語彙の選択にみられるクラスノヤルスク、シベリアへの愛着には、農村派との共通性を指摘できるかもしれない。ちなみに1976
年に『ノーヴイ・ミール』が初めて掲載したポポフの文章の序文は、シュクシーンが書いている。
ソヴィエトのテクストを再構成し新たなテクストを生み出すというこの小説の方法は、モスクワ・コンセプチュアリズムとも共通するものだ。作者自身はプリゴフらコンセプチュアリズムの作家と個人的に近い関係にあり、この小説の中でもルビンシテイン、プリゴフ、ソローキン、カバコフへの言及を行っている。『卑怯な若者』についての注は次のようなものだ。「悪くないテクストだ。まったく《ポストモダニスト的》でもある。今、たとえばカバコフのイラストを付けて出版しても恥ずかしいものではない」(98
頁)。だが、ポポフと《ポストモダニスト的》なテクストに違いがあることも事実である。
『「緑の音楽家たち」の真の物語』はソヴィエトの暮らしを懐かしむものではない。語り手は過去のテクストに対して、一定の距離を保っており、しばしば批判的な言葉も語る。
しかし語り手は《ポストモダニスト的》に過去のテクストを脱構築しようとはしていない。
ここでは逆に、ポストモダン的な理論や方法に懐疑の目が向けられている。「引用を行う現代の個々のポストモダニストたちは、酔っ払った《60
年代人的》警句をさんざん聞き、幼稚さからそれこそが文学であると考えたのではないかと、私には時々思えるのだ」(113頁)。
『「緑の音楽家たち」の真の物語』には、歴史や人間の実在に対する信頼と敬意が残っている。これはポストモダン小説にみられる、テクスト自体への志向と異なっている点であるといえよう。その意味において『「緑の音楽家たち」の真の物語』は、むしろ旧来の文学を継承するものであるといえる。断片から成るこの小説の形式にしても、決して新しいものではない。
ソローキンやペレーヴィンの小説がファッショナブルなまでに注目を浴びている一方で、このような伝統的な文学は現在、ますます目立たぬ地位に追いやられつつある感がないでもない。だが、この「文学の危機」についてポポフは、『「緑の音楽家たち」の真の物語』の序文で次のように語っている。「人々は現在、ますます読まないようになってきている、と多くの人が主張する。だが私はこの意見と争う用意がある。というのも人々は生殖し、ウォッカを飲み、物語を聞くことを決してやめないからだ。世界文学の作品は全て、例外なくこのような物語だったのだ」(7
頁)。
1 Казак В. Лексикон
русской литературы XX века. М.: РИК ≪Культура≫,
1996. С.327-328.
Курицын В. Попов Евгений Васильевич//
Русские писатели 20 века: Биографический
словарь/Гл. ред и сост. П. А. Николаев. Редкол.:
А. Г. Бочаров, Л. И. Лазарев, А. Н. Михайлов и др.
М.: ≪Большая Российская энциклопедия≫; ≪Рандеву-А.М≫,
2000. С. 567-568.
2
『ありがとう』とはポポフが初めて公に発表された短編小説の題でもある。この小説は1962
年に新聞『クラスノヤルスキイ・コムソモレツ』に掲載された。
3
ソヴィエト文学の「こども」らしさについては、以下の論文を参照。Чудакова
М. Сквозь звезды к терниям. Смена
литературных циклов// Новый мир. 1990. 4. С.242-262.
Добренко Е. Соцреализм и мир детства//
Соцреалистический канон/ сборник статей
под общей редакцией Х. Гюнтера и Е. Добренко.
СПб.: Академический проект, 2000. С.31-40.