● ニコライ・デジニョフ Dezhnev,Nikolai
「コンサートは続く」
沼野 恭子
ニコライ・デジニョフ(Николай Дежнев)
本名をニコライ・ポポフといい、現在50歳前後の外交官らしい。本作品が2作品目に当たる。作家としては無名で、詳細も不明。
長編「コンサートは続く」(В концертном исполнении. Москва: Вагриус, 1995)
時空を越えた「永遠の愛」をテーマにしたロマンティック・ファンタジィー。1997年秋にフランクフルトで開かれたブックフェアで人気をさらったと言うが、本国ロシアではほとんど話題になっていない。
全体は5章に分かれ、現代と1930年代のモスクワ、中世のスペインが舞台になっている。
物語は、1932年以来の共産党員である老婆が死に、姪のアンナが、物理学の助教授である夫セルゲイ・テリャトリコフとともにそのアパートに引っ越してきたところから始まる。ところが、天井からは水柱が降り注ぐ、モノは勝手に飛び回る、セックスしようとするとしゃっくりが止まらない・・・・・・などと奇妙な出来事がつづくのだった。
そんな折、テリャトリコフのもとをシェペトゥハと名乗る男が訪れ、「過去と未来をつなぐ公式」を発見したという。一方アンナは、古代ギリシャの哲学者ディオゲネスについて博士論文を執筆している親友マーシカから、ディオゲネス自身に会ったという体験談を聞く。
じつは老婆のアパートには「家の精」ルカーリィが住みついている。気高い精霊だが、流刑の身だ。「森の精」シェペトゥハがルカーリィを訪れる。人魚のような瞳を持った幽霊ミレジ(リューシ)もやって来る。彼女は、ルカーリィを愛している。
アンナはテレビ局のキャスター。ニュースの収録が始まろうというとき、突然男(ルカと名乗るルカーリィ)が現れて、彼女をデートに誘う。そのとき時間が止まっていた。
ルカーリィが精神病院を訪れる。そこには、前世で幼なじみだったエヴセヴィイが収容されていた。もうひとりの幼なじみセルビナと三人で、かつて、時間の守護神クロノスの世界に足を踏み入れたことがあった。
中世のスペイン。「邪悪な力」局の三等文官であるセルビナは、局長である悪の枢機教ネルガルに呼びつけられ、時間が止まったことを知らされる。
仕事を終えたアンナをルカが待っている。彼は、この世における人間の使命や、善悪と時間との関係などについて話し、過去に戻って歴史の流れを悪から善の方へ変える決意だと言う。
セルビナとルカーリィの対決。血まみれになったルカーリィが壁から現れ、アンナの手を取って姿を消したのを、テリャトニコフが目撃する。
1932年のモスクワ。学者テリャチンとその姪で女優のアンナのところに、死んだと思われていた陸軍大佐ルキーンが現れる。アンナの劇場では、ゴーリキイの創作活動40周年を記念してゴーリキー原作の芝居を準備しているが、封切り日に作家自身がスターリンとともにやって来るというので戦々恐々としている。
ルキーンはある男と接触してモーゼル銃を手に入れる一方、アンナの劇場で美術係になる。近所に住むリューシは、ルビャンカの政治保安部に外国人の素行を報告させられている娼婦。リューシはルキーンを好きになるが、彼とアンナが愛し合っていることを知り、腹いせにルキーンのことを当局に密告する。
数日後、ゴーリキーとスターリンが劇場のリハーサルに来たと聞くや、ルキーンはアンナに逃げるよう指示し、自分はスターリンと思われる人物を狙撃する。その直後に頭を殴られて気を失い、気がつくとルビャンカの監獄の中にいた。尋問を行うのは秘密局員シェペトゥヒン、予審判事セルピン、共産党中央委員会のエルガリ。ルキーンは写真を見せられ、自分が撃ったのは本物のスターリンではなく替え玉だったことを知る。監視を振り切って逃げようとした彼はその場で射殺される。
黒海のほとりの病院に収容されているアンナ(撃たれた記憶がある)。教会に行ってお祈りをする。
ルカーリイが気がつくと、セルピナとネルガリがいる。彼らは、ルカーリイが過去に戻ってスターリンを暗殺しようとしたことを総括する。そこへ不意に天使が現れ、ルカーリイを迎えに来たという(アンナのお祈りが通じたのだ)。ネルガリは驚き、ルカーリイは罪を犯した(時間を止めた)のだから重刑に処せられるはずだと抵抗するが、天使によって灰に変えられてしまう。ルカーリイは天使に、アンナも連れていきたいというが、聞き入れられない。
優しく喜ばしい光に包まれたルカーリイは、それが神だということが分かる。神との対話。ルカーリイは人間として地上に帰してほしいと願い出て、許される。
9月のモスクワ。ルキーンと妻のアンナ。アンナは、ルキーンの空想癖や他人のことばかり心配する性格に苛立ちを感じており、二人の仲はしっくりいっていない。でもルキーンは、かつて女性を腕に抱いて時空を越え、輝く星のかなたへ飛んでいったことがあるような気がする。彼の胸には、生きていこうという熱い思いがこみあげるのだった。
主人公が(ルカーリイ、ルキーン、ルカなどと名前を変えている)、スラヴの民間信仰に現れる家の精(ドモヴォイ)として地上に流刑された「堕天使」だというところが面白い。彼はロシアの不幸な運命を嘆き、人々を善に導きたいと思う理想主義者であるとともに、過去の世界に入りこんでスターリンを暗殺しようとする行動力もあり、人間の女を愛し、二人の女から愛されるダンディな男である。そして最後には、もとの精霊に戻ることを許され、永遠の生を保証されるにも関わらず、敢えて人間の愛を選んで地上にとどまることにする。こうしたロマンティックでひたむきで悲劇的な主人公像が、この作品を魅力的なものにしていることは間違いない。
重要なテーマとなっているのは「永遠の愛」「時間」「善悪」。精霊である主人公が人間の女アンナとの愛を、文字どおり時間を飛び越えて貫こうとするのが物語の骨組みだが、時間や善悪をめぐる哲学的な逸脱がしばしば見られる。さらに、学者たちは時間に関する公式を発見するし、主人公とアンナは歴史に逆行して過去のモスクワで出会う。また善を体現する天空(「崇高な力」局)では悪の枢機卿とその部下たちが策略をめぐらす。確かに善悪の区別はあまりに単純だが、そこに「時間」軸が絡んでいるために、物語は豊かな膨らみを与えられ、平板さをまぬがれているのではないだろうか。
文体はきわめて平易で、読みやすい。
舞台が、現代→1932年代→現代と変わるにつれ、登場人物の名前や相互関係も微妙に変わり、いくつかのパラレルワールドが成立しているのだが、章立てや場面転換が適切なのか、煩雑さはさほど感じられない。3章で主人公が武器を手に入れ、スターリンを暗殺しようとする場面は、サスペンス仕立てで、スパイ小説のような緊迫感とスピードがあり、秀逸。総合的に判断すると、ロマンティックで幻想的な「上質のエンターテインメント」といったところか。善悪についての思索をするあたりはやや冗長に感じられ、私見では、文体的にも3章のような探偵小説路線が成功していると思う。
指摘しておきたいのは、ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』の多大な影響が感じられることだ。例えば、1930年代のモスクワと2000年前のエルサレムといった舞台設定、主人公と愛する女の不滅の愛、悪魔に翻弄される主人公、精神病院の場面など、ブルガーコフからの「借用」といえなくもない(残念ながら、アンナはマルガリータほど魅力的には描かれていないけれど)。キャシー・ポーターは「奇想天外なプロット、魔術、哲学的逸脱、辛口のユーモアがブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』を思わせる」と言っている。
1995年にワグリウス社から単行本として出版されながらロシアの読書界でほとんど評価されなかったのは、『巨匠とマルガリータ』の「二番煎じ」と見なされたためかもしれない。