●ナールビコワ, ワレーリヤ Narbikova, Valeriia
解説 井桁貞義
1. 作家について
1958年、モスクワに生まれる。20歳の頃、最初の中編小説 滝粽錮 を完成。インタビューによればこれはあまりにエロティックな作品なので未発表とのこと。ゴーリキイ文学大学*に学び、作家アンドレイ・ビートフ*の教えを受ける。1988年に下記・でデビュー。以後〈沈黙の世代nemoe pokolenie〉の代表的表現者として活躍。
《作品名》 《雑誌・ヴァリアント》 《単行本》
・ Ravnovesie sveta dnevnykh i nochnykh zvezd. Iunost', No. 3, 1988. 1990
・ Plan pervogo litsa i vtorogo. 1989
・ Okolo ekolo. Iunost', No. 3, 1990. 1992
・ Probeg--pro beg.. Znamia, No. 5, 1990.
・ Ad kak da -- ? 1991
・ Velikoe knia... Iunost', No. 12, 1991.
・ Shopot shuma. ?
・ Izbrannoe ili Shopot shuma.(・、・、・を再録) 1994
このほか、フランス、ドイツ、オランダ、イタリア、チェコスロヴァキアで翻訳が出版されている。日本でも・の翻訳が進行中。
近年は作品をモスクワの諸雑誌のほか、西側の雑誌 Strelets にも発表。・はアレクサンドル・グレーゼル Aleksandr Glezer の編集による企画「新しいロシア散文叢書 Biblioteka novoi russkoi prozy *」の第1巻として刊行された。
1988年に 《Ravnovesie sveta dnevnykh i nochnykh zvezd》 でデビューしたとき、アンドレイ・ビートフ Andrei Bitov が異例とも言える紹介文を書いて注目された。それによるとビートフは1978年、ゴーリキイ文学大学の授業で初めてこの女性作家に会った。彼女は最初から自分自身の方法を確立しており、見知らぬ人々への呼び声のように感じられた。言葉の才能はもとより、既に一つの世界を感じ取ることができ、痛みを聞くことができる、という。
文学大学時代のエピソードは亀山郁男氏のインタビュー記事でも触れられている(「群」参照)。
インタビュー記事は Knizhnoe obozrenie, 23-III, 1990. Moskovskie novosti, 1-IV, 1990
4,1. など。それによれば、ロシア古典作家のなかで好きなのはゴーゴリ。「彼は古典作家なのに、絶対にモダンだと感じるわ」
1990年当時のソ連は不条理芸術に最適の状況と言う。しかし彼女の小説に大きなイデアが不在というわけではない。Velikoe knia... は愛の物語だが、その背景にはプーシキン、グミリョーフ、ザボロツキイの死を扱う。19世紀における詩人の死は肉体的に襲うが、20世紀においては詩人は精神的に殺害される、という。
2.作品について
▽ Plan pervogo litsa i vtorogo. 二人の男 Dodostovskii と Toest'lstoi の肉体の間を往復する Irra の物語。二人を相手に展開する彼女の奔放なセックス・ライフが「第1のプラン、第2のプラン」という題名の由来だ。苛立たしい共同生活に疲れて、ドドストエフスキイはトイエスチルストイを絞殺し、解体する。二人を憎む群衆に追われて、イーラとドドストエフスキイは空高く舞い上がって行く。「私達は罰せられたの?」やがて二人は幼稚園の砂場に墜落し、子供達に埋められる。
▽ Shopot shuma. 空港で飛行機を待っているヴェーラの目の前で、男がバスにひかれて死んだ。妻と3人の子供が残された。悲劇を見てショックを受けたヴェーラを車に乗せて家まで送り届けてくれたニージン=ヴォホフ。彼はヴェーラの部屋で、「きみは僕の夢に描いていた女性だ」と告白する。ヴェーラは独身の画家。展覧会を開くために画商に電話すると、それが偶然にあのニージン=ヴォホフだった。こうして事件から2週間後に再会した2人は愛し合う。ヴォホフは結婚しており、さらに別の女性とも付き合っていることがわかる……物語はヴェーラがヴォホフのもとを去るところで終わる。
3.コメント
……何が欲しいか、誰と一緒にいたいか、彼女は知っていた。でもその人は電話してこないで、未知の相手から電話がはいる。街路に出てみるとやはり未知の物があった。昨日約束されたものは降った。しかし雪はこれっぽっちもなく、かわりにアラビアの盗賊がいた。盗賊バラビイが、盗賊バラビビイが、盗賊バラバがいた。愛するためにはブアローの三一致の法則が必要。でもいつも時間がないし、場所だってない……出来事の一致だけは守ること。
Ravnovesie sveta dnevnykh i nochnykh zvezd. はこんなふうに始まる。
ビートフは彼女の文体は呼吸そのもの、と指摘するが、言葉遊びと自由な連想によって運ばれる小説世界は彼女独特のものだ。ここで描かれるのは都会に住む男女の世界。いわゆるロシアの土の匂いも社会政治状況もここにはない。たちこめるエロスの香りのなか、死の予感が漂う。現代ロシアの30歳過ぎの人々の密やかな内面を表現するのだろう。
意識の流れを追う精緻な織物に対して、既にウラジーミル・ナボコフ賞が贈られている。