●リモーノフ, エドゥアルド Limonov, Eduard
「おれはエージチカ」 Eto ia-Edichka. New York, 1979/1982.
解説 沼野充義
1. 作家について
本名Eduard Veniaminovich Savenko エドゥアルド・ヴェニアミノヴィチ・サヴェンコ。1943年2月23日、ゴーリキイ州ジェルジンスク(現在は再びRastiapinoという旧称に戻った?)生まれ。幼年時代から青年時代をハリコフで過ごす。15歳から21歳のころまでは「本物の犯罪者」で、店やアパートに押し入って強盗を働いていたという。親友が逮捕され、死刑を宣告されてようやく、犯罪活動を止める。15歳のころ詩を書きはじめ、初期の詩はサムイズダートで流布する。1967年にモスクワに移住、詩を書きつづける。1974年に亡命を余儀なくされ、1975年にニューヨークに住み着く。作家として生計がたつわけではもちろんなく、ニューヨークで様々な仕事をしながら、「どん底」生活をする。アメリカでは最初の4年間で、石工、土方、給仕など、13もの仕事を転々としたという。しかし1979年にニューヨークで出版した『おれはエージチカ』がスキャンダルを呼び、一躍「悪名」を高め、亡命ロシア人社会ではその名を知らない者がいないくらい有名な存在となった。
その後、ペレストロイカまで著作の出版はもちろん、すべて西側で行われる。アメリカに嫌気がさし、1983年にパリに移る。それ以後パリを本拠地にしているが、ペレストロイカ以後ソ連(ロシア)とは自由に頻繁に行き来し、文学だけでなく、政治活動にも関わり、相変わらず良識あるインテリの神経をさかなでするようなパフォーマンスを続けている。一時彼はジリノフスキーの熱烈な支持者となり、その後喧嘩別れし、別の政治組織を率いているらしい(未確認)。内戦状態のモルドヴァや、セルビアに義勇兵として乗り込んで、話題となったこともある。文筆家としてはかなり多作で(ペレストロイカ以前の時代には大量の原稿が出版されず、眠っていたという)ペレストロイカ以後はロシアでも著作が次々と、大量に出ている。
私生活においても、無頼派的でボヘミアン的な生き方や(暴力を用いる喧嘩沙汰もしばしば)華やかな女性遍歴で有名。最初の妻エレーナ・シチャーポワ・褊* ?焉E籵はたいへんな美人で、モデルとしても活躍(後に自らのヌード写真の入った本を出す)、リモーノフを捨てて、伯爵夫人となった。現夫人(いまでもそうかどうかは未確認)のナターリア・メドヴェージェヴァNataliia Medvedevaもまたモデルをしたことのある美人作家。
なおリモーノフの著作(散文)の多くは「露悪的」な自伝的小説であり、どこまで事実に基づいていて、どの程度フィクションを織り込んでいるか不明だが、いずれにせよかなりの程度までは自伝的な要素が強いものと見なし得る。『おれはエージチカ』はもちろん作家のニューヨークでの体験に全面的に基づいているのはもちろんのこと、<<Podrostok Savenko>>はハリコフの十代の荒々しいボヘミアン生活を描いた自伝的長編だし、<<U nas byla velikaia epokha>>はさらにそれ以前にさかのぼって幼少時代を回想した長編といった具合である。ジリノフスキーと彼が喧嘩別れするまでの経緯は、ノンフィクション<<Limonov protiv Zhirinovskogo>>に詳しい。
リモーノフの主要著作
Russkoe. Ann Arbor, Ardis, 1979.
Eto ia - Edichka. New York, 1979.
Dnevnik neudachnika. New York, 1982.
Podrostok Savenko. Paris, Sintaksis, 1983.
Molodoi negodiai. Paris, Sintaksis, 1986.
Palach. Jerusalem, 1986.
Kon'iak<<Napoleon>>. Rasskazy. Tel'-Aviv, 1990.
Ischeznovenie varvarov. Stat'i, esse. Moscow, 1992.
Smert' sovremennykh geroev. Tel'-Aviv, 1992.
Inostranets v smutnoe vremia. Omsk, 1992.
Ubiistvo chasovogo. Moscow, Molodaia gvardiia, 1993.
Limonov protiv Zhirinovskogo. Moscow, 1994.
*リモーノフの著作は、英訳、仏訳なども少なくない。
【参考】
Elena Shchapova. Eto ia-Elena.
Nataliia Medvedeva, Otel' Kaliforniia. Moscow, Glagol, 1992(同名の長編のほか、いくつかの短編を収める)
リモーノフに関する文献
西側ではカーデン、ギビアン、マチッチ、ポーターなどによる研究がすでにあるほか、ジュルコフスキーによる精緻な論文もある。以下のビブリオはRobert Porter, Russia's Alternative Prose, Oxford/Providence: BERG, 1994からとったもの(この本でもまるまる1章がリモーノフに当てられている)。評価の低さを反映してか、テラス、カザックなどのロシア文学事典にリモーノフの項目はない(ただし、カザックの場合は、1992年に出たドイツ語の新版にはある)。1994年にワルシャワで出たロシア作家事典には収録。項目執筆者アンジェイ・ドラヴィッチは『おれはエージチカ』を高く評価している。
日本での紹介としては、以下の拙稿がある。
「性から聖へ リモーノフの『ぼくはエージチカ』」『海燕』1983年4月。後に 『永遠の一駅手前』に再録。
「美女と詩人──リモーノフの近況」『海燕』1991年8月、214-217頁。後に「お れはあつかましかったか」と改題されて、『世界の文学のいま』(福武書店)に 再録。
「東欧からの移民の天国と地獄」『GS』第6号(1987)〔リモーノフのアメリカ 観について〕
【邦訳】「ロザンナ」(『おれはエージチカ』第9章)、『新潮』1989年11月。
「負け犬の日記」より2編 『三蔵』第4号(「訳詩アンソロジー「『三蔵』 のためにリトアニアとロシアの間で訳した詩」に収録)
2. 作品について
ほぼ「等身大」と思われるエージチカ(エドゥアルドの愛称形)の1人称によって語られる、亡命ロシア人のニューヨーク体験。エージチカはもちろん100パーセント事実に基づいているとは考えられないが、自伝的な要素はきわめて強く、作中で語られる語り手の考えは作家リモーノフの考えと完全に一致しているものと考えられる。自伝的にニューヨークでの体験を語っていくだけなので、「長編小説」としてのまとまったプロットはないが、そのかわり、亡命生活、亡命者の目で異化されたアメリカ、ソ連の過去などについての語り手の──しばしば過激ながら、鋭くタブーを破っていくような──考えがふんだんにちりばめられ、全体として見ると、饒舌な逸脱が異常に肥大した語りのパフォーマンスという印象を受ける。
エージチカはソ連からやってきてニューヨークに住み着いた亡命者。生活保護を受けながら、ニューヨークのうらびれた汚い安ホテルでどん底生活をしている。ほとんど裸で、キャベツ汁(シチー)をなべに一杯つくって食べながら、マンハッタンで普通の市民生活をしている人々の姿を眺め、彼らのことを軽蔑すると同時に、彼らは自分のこういった姿を見て何と思うだろうか、などと想像している。エージチカはもの書きだが、もちろんそれで生計が立つわけではなく、レストランのバスボーイを初めとして、様々な社会下層の仕事をし、英語は不自由ながらも、そこで様々なエスニック・バックグラウンドを持つ人々と知り合う。
『おれはエージチカ』は、また主人公のニューヨークでの性的遍歴の記録でもあり、この面がなによりもまずこの小説をスキャンダラスなものとして、性的な表現に対して抑圧的なロシア文壇で有名にした。最愛の美しい妻エレーナに去られて、彼は絶望し、心の痛手を癒すために同性愛をためしたり、ロシア語をやっている左翼の女と付き合ったり、奔放な性の体験を積んでいく。とくにスキャンダラスだったのは、深夜のニューヨークの片隅で行きずりの黒人の男と同性愛の関係をもつ場面であり、ロシア文学の世界で長い間タブーであった同性愛が公然とここで描かれることになった。また深夜の路上でソーニャというロシア系ユダヤ人女性の性器を指で犯す場面の描写も綿密で、ショッキングなものだった。
この作品ではまた、政治的社会的な問題への言及も頻繁に行われている(・後の政治活動家としてのリモーノフにつながる)。エージチカはソ連に対して批判的というよりは、むしろ偽善的な知識人に対してより批判的である。そして、ソルジェニーツィンやサハロフといった、反体制知識人にとって神聖な名前まで平然と攻撃する。彼の理屈によれば、ろくに西側のこともわかっていないくせにむやみに精神的支配力を行使したがるソルジェニーツィンのような連中にのせられて、楽園を夢見てアメリカに来たものの、住み着いたニューヨークは地獄の町で、そこで生活保護を受けながらどん底生活をする羽目になった。だからその面あてに、たまたまテレビに映ったソルジェニーツィンの顔の前でわざとセックスをしてやるのだ、ということになる。
エージチカが口を極めて罵倒するのは、ソ連にいたときはソ連体制に加担していたくせに、アメリカに移住すると今度はアメリカの体制に奉仕して満足しきっている奴隷根性の知識人である。亡命ロシア人の間では「受入国」であるアメリカを批判することじたい、一種のタブーに近い感じがあるが、あらゆる政治的偏見から自由なエージチカはそういった亡命ロシア人たちの顰蹙をよそに、「幻滅」という論文を発表し、アメリカ批判を堂々と展開する(これは実話)。これにはとんだおまけがついて、『イズヴェスチャ』がこの論文の都合のいい所だけ取り上げて反米宣伝に使ったため、エージチカは亡命者の間で「親ソ派」の烙印を押されてしまう。
『エージチカ』はきわめて露悪的な作品だが、汚い言葉を繰り出す語りの仮面の背後に、意外とナイーヴで純真な詩人がいることも見逃してはならない。エージチカが時折もらす感想を見ても、それはよくわかる。彼は小さな子供を見て心をなごませ、踏みつけられる植え込みを見て心を痛め、またセントラル・パークで寝そべりながら、人生で唯一のすばらしい時期だったソ連での幼年時代を思い起こす。「子供は誰でもエクストレミストさ。ぼくもまだエクストレミストのままで、結局大人になれず、風来坊のままだ。ぼくは自分を売り渡しはしなかった。自分の魂を売り渡さなかった。だからこんなに苦しまなければいけないんだ」。
また露悪的な仮面をはいで見た場合、『エージチカ』は純粋な愛を求める孤独な魂の物語として捉えることもできるだろう。エージチカは妻エレーナとともにソ連を出てニューヨークにやってくるのだが、気儘なエレーナはやがて主人公を捨てて他の男女のもとに走り、奔放な性体験を積んでいく。しかし、彼女のことしか相変わらず考えられないエージチカは、絶望し、泥酔し、町を彷徨する。別れた後もエレーナから電話が掛かってくればとんでいき、彼女に尽くし、自分が生活保護を受けている身でありながら、彼女に高価な買い物をしてやる。やがて彼女への怒りや恨みは静まり、彼の愛は「マグダラのマリアに対するイエスの愛」のようになっていく。つまり、猥雑な都会での過激な体験を通じて、性が浄化され聖に変わっていく物語として読むことができよう。
3.コメント
作品の文学的評価は別にしても、『おれはエージチカ』は現代ロシア文学の中で最もスキャンダラスな作品の一つとして残るだろう。毀誉褒貶はそれほど激しく、いまだに評価が定まっているとは言いがたい。この作品がスキャンダルを引き起こしたのは、語り手の主人公がいかなる社会的偏見・抑圧からもタブーからも自由に考え、話し、行動しているからだった。それは語り手の言語そのものから、政治的信条、さらには振る舞いなど様々な次元にわたっている。
言葉に関して保守的なロシアの読書界を憤慨させたのは、それまで公然と活字にされることのなかった卑語・猥褻語・罵倒語の類が、ごく当然のように、洪水のようにこの本の中で使われているということである。饒舌な主人公によるこういった「自然」で圧倒的なパワーを持った語りは、プロットの構成を越えて、この作品全体を統合する力になっていると言えるだろう。また言語の面では、主人公を初めとする亡命ロシア人たちの日常生活を描いているため、当然英語がかなりの程度入り込んでいて、作品全体が英語との言語接触の好例ともなっている(この点に関しては拙著『屋根の上のバイリンガル』でちょっと触れたことがある)。
語りでのナイーヴなまでの「極端主義」なまなざしは、あらゆるものから約束事の衣をはぎとり、異化する力をもっている。亡命者として当然、エージチカは様々な事象の米ソ比較を行っていくが、ロシア人の目に映った「異化されたアメリカ」が非常に面白い。華やかなファッションショーの音楽はエージチカの耳には奇妙に聞こえ、病み上がりの子供のようなファッション・モデルたちはなぜか皆似通って見え、エージチカの胸は締めつけられる。そして中年の同性愛者ライモンにエージチカが抱きつかれたときの様子は、「取っ組み合う日本の相撲取り」のように見える。またインテリのアメリカ女性ロザンナは性行為の最中に「行った?」とわざわざロシア語でエージチカに尋ねるのだが、そのアクセントが間違っているため、エージチカはすっかり意欲を失ってしまう。また文学者の地位が高いソ連と、極端に低いアメリカの間の落差が、痛いほど思い知らされることになり、文学者の社会的地位の違いに関する考察も興味深い。エージチカの「異化する目」は非神話化作用を持っている。たとえば、アメリカ人がロシア人に比べて勤勉でよく働くという「神話」だが、それについてエージチカはこう言っている。「アメリカに住んでみてよくわかったことだが、アメリか人のほうがロシア人よりも沢山働くなんてのは嘘で、たいていの場合、仕事の量はロシアよりも少ないくらいだ。ただし、アメリカ人は自分の仕事についてあれこれしゃべることが大好きで、自分がどんなに沢山仕事をしているかって、吹聴して回るだけのことさ」。
その一方で、エージチカはソ連での過去を常に思い返し、アメリカ生活と対比している。その結果、ロシア文学史家エドワード・ブラウンが言うところの「亡命文学の2重露出現象」が鮮やかにここで起こることになる。たとえば、ニューヨークの42丁目でエージチカは4人組の不良にあるとき襲われるのだが、そのとき故郷ハリコフでの彼自身の不良時代が思い起こされ、ニューヨークとハリコフがこうして重ねられる。
『おれはエージチカ』の評価は(そしてそれは結局のところは、リモーノフを作家としてどう評価するかということにつながるが)、これまですでに様々なものがある。初版が出たときすでに「これは文学にはまったくなんの関係もない」とか、「親ソビエト的なけがらわしいポルノ」といった全面否定から、絶賛(コンスタンチン・クジミンスキー、サーシャ・ソコロフ、ゲンリフ・サプギール)に至るまで、じつに様々な評価が飛び交った。欧米の研究者の間では、「亡命文学の2重露出」機能の傑作としていち早く評価し、『ロシア文学史』でもかなりのスペースを割いて論じているエドワード・ブラウンを初めとして、マチッチ、カーデンなど、真面目な研究に値する対象と見なす者も多い。短編「詩人に霊感を与えた美女」については、アレクサンドル・ジュルコフスキーが緻密な分析を試みている。エージチカの目に映ったアメリカ像については、拙稿「東欧からの移民の天国と地獄」でも少し論じられている(マクミリン編Under Eastern Eyesも参照のこと)。しかし、テラスやカザックのロシア文学事典にまだリモーノフが(これほど「有名」であるにもかかわらず)項目として拾われていないのは、一般的な評価を反映したものだろう。「ヘンリー・ミラーの著作に見られるような、人間の孤独、そしてあらゆる拘束からの自由を描きだす心理的ポートレートの正確さには、多大な文学的価値がある」という、ポーランドの研究者アンジェイ・ドラヴィチの評価は、妥当なものではないかと思う。