●クーチク、イリヤ Kutik, Il'ia
アゾフ海のベロサライスク砂洲を訪れた際に吟じたオード
Oda na poseshchenie Belosaraiskoi kocy, chto na Azovskom more. NY, 1995.
訳 たなかあきみつ
1
雲ひとつなく海は鏡凪。
飢えをわしづかみの炎暑は
砂を車輪にこびりつかせた、
移動劇場もどきに。
いびつな形態で上演される
ファルス『アヴリーダのオフィゲーニヤ』、
これも無風状態なればこそ。
このファルスが津波をマラソンに追いやり
海はといえば、ぎらぎらと幾重にも
どうらんを眠りながら塗りたくる。
2
アゾフ海の海水の表層の睡りごしに
わたしは海底の冥府を見つめる。
そこではアイヴァゾーフスキイが鰓をひくひくさせている──
海水の裏面ですら
彼は時化で海水を濁らせている。
鏡をその裏面から黒ずませるように
彼は軟泥を釉も同然に使い果す。
海水は彼を熱で苛む、
嵐で虫喰いだらけの
真皮つきの毛皮外套の熱で。
3
水温より冷たいオヴィディウスは
水のじめじめした地下室へ下降するや
たちまち貽貝の一種となった、
タルコフスキイがそれらの韻を踏んだように。
ほら彼は、二枚の殻をバタンと閉じて、海底にごろんと
横たわっている、さながら競売で買い叩かれる
くたびれたセーム皮の財布のように。
どの稚魚も、爪ほどのサイズだが
ここでは勇気りんりん、ちょっと触ってみることができる
それらがいなくともぐらぐらの錠に。
4
ところが魚と軟体動物には
あらかじめ設定された絆がある。
こうしてバーミューダ三角水域では
砂に埋れたままの頂点から、
巻揚式標的のように
一年に一度だけ影がいくつも浮上する、
まさにそのとき大洋は水母と貽貝を
吐きもどす──「ただでどうぞ」とばかりに──
仮想中線の
脅威で全身をよじって叫び。
5
こうして種子はその発端から
胎内で、底辺を巻きあげながら、旋転し
しばらくはその巻取りリールを全巻
おのれに巻きかえる、
ところがここで、この中間点でつまづき、
とぐろを巻くピュートーンのように
不意に蜘蛛の巣状にさまよい、
ぐいぐい糸を引っ張りながら
ディクタフォンに吹込まれた
啓示を電送する。
6
彼はずたずたの靭帯で反響するだろう。
彼なればこそ最初の一周からただちに
羊水を汲み取ることができたし、
言語の人形使いとなってからは
おのれ自身とも触れあうに至った。
しかも世界は、突如稼働しなくなった
紡績工場のように無力であり、
ときにまだノアの箱船は供されず、
すでに天辺まで駈けあがった
どしゃぶりの紡糸で、世界はもつれたまま。
7
そしてあの上空あたり、これらの糸はいずれも
監視中とてあまりにもきつく張りめぐらされているために
試験飛行中の戦闘機すら
高度という障壁を掘削しても
これらをレーダーでは捉えきれない──
おまけに一撃でぐらっとくる、
さも催涙ガスを充填された
無数のタイヤが、
いきなり一気に噴射するかのよう
車のフルスピードに乗じて。
8
しかも即座に── 何デシベルなのかは不明の
あらゆる負荷にむかう──
魚と軟体動物の間の海底で
緩燃導火索の寒けがしゅうしゅう音を発した、
ジャケットをはしる錐もみ状稲妻ジッパーのように──
すると断裂の黒い歯茎が
この間にぱっくり開口した、
そして── ひっつかまれたテーブルクロスのように──
海底はクレーターへずり落ちる、
底さえ見えぬ底なしのクレーターへ。
9
水が跳びすさった── すると浅瀬で
死んでいる稚魚の呼気が
軌道内の惑星たちをぐらつかせたのだが、
地球においてのみ、
すべては突然ぶきみな傾斜でごっちゃになり
さらに根の接合部が破断したために、
土壌の締め金はばらばらになった──
そして、羊の群れのようにひとかたまりになって、
断裂個所からそのサハラ砂漠全体が
闇へなだれをうって切れおちた。
10
この鳴動は墜落によって役立たずとなり、
海から横断的に運ばれた、
こうして── 飛びすさりながら── 向かい風は
側面のガラスを打ち鳴らすばかり、
そのときもはや風力はなくなっている。
ところがここではこれで充分だった、
船のローリングのせいで
水平線にて無駄口をたたく
船上でのこと、あらゆる羅針盤が
時計まわりに進むには。
11
朝の光がさしはじめたこの波頭では──
痙攣のように── 急激に
沈降した沿岸の急カーヴに沿って
東は南へ跳び移った。
ほらこうしてまなこのまぢかで
カレイドスコープを操りながら、たちまち
あらゆる層の相関図が見てとれよう、
そのとき最初の震動の作用により
模様や彩色がシャッフルされる、
ところが何もかも、視線の位格にすぎない。
12
こうして歩きながら釣糸をとりかえ、
漁師は浅瀬づたいに跛行する、
そして水しぶきという定規で
彼は歩幅を一歩一歩計測する、
漁にうってつけの場所までの。
すると波は波を追いまたぞろ砂を
なめはじめるだろう、彼が足跡をつけるや。
だが彼は── モンテクリストよりも冷静に──
詩人−アクェイストのまなざしで
その波の仕事を追うだろう。
13
もうひとりの漁師は── 浅瀬から遠く離れて
鰈や鯵をおどしつけながら、
漁協の建網のあたりで
モーターボートをけたたましく走らせる。
それゆえこの水の鉋は
モールス信号のさざ波を削りだしながら
安閑としておれない、その間
白い削りくずの緩勾配の波音が
水紋を描いてざらざらした砂のその胴体に
接岸しないうちは。
14
この射的場のあらゆる標的の中心に
前者の瞳の照準は向けられる、
しかしボートは彼のほら吹きブイを
曳綱で曳行し、
そして── ガットの釣糸をぴんと張って──
彼を搬送する、あらゆる網を
よけて、そしてほらほとんど
すでに彼はその順列をよぎった、
ところが視線は── 後者の見落しの
せいで── ばちゃばちゃ網に音たてている。
15
そしてこれらの網の目を通して見えるのは
水面下の世界だが、その暗い正面を
子供たちだけは見ることができる
幼年時代の、寝静まった時刻に一度だけ。
そのとき── ベッドの枕許で
綿入れマットレスを折り曲げて──
罪の予感を抱きつつ彼らは覗き込む、
網状の針金のフレームを通して
あの風の奈落を、
そこからは夢また夢が立ち現われる。
16
なにしろ夢見る人の瞳は
こまねずみのようにせわしなく、ひとたび
おのれの虹のスポークを
白眼の圏内で回すやいなや、
視野の外を覗きみるだろう──
するとたちまち入江の全景がまのあたりに
展開されるだろうし、さらにどの夢も
すべすべした台座へ滑降して後、
まなざしに瞬時に溶ける、
その帯域に入るや。
17
ところが ── 時化ゲームのさなかに
おのれのまなうらに閉じ込められ──
底なしの恐水病を前にして
まなざしはしばし忘れている、
深海で眠り、沈んでいるもののことを。
そのものはとうてい
波先に踏みとどまれまいに、
朝方に、もはや自由の身ともなれば
塩の味のみこみあげる、彼は
夢で生じたことを思いだせるはずなのに。
18
今や彼が意を決し、
全生涯を一瞥に封入して
夜中に完了したことを、
かつてロトの妻がそうしたように
陽光でかえりみれば、
このまなざしは音響測深機の力で
記憶全体を深海で測定することになろうが、
よもや深海は応答しないだろう。
そこには── 海底に代わって── レテが流れ
しかもエコーは波にぶつかって潰える。
19
ところが夢は宇宙のすみずみにまで
拡散する一方では、昼間の地球上
沿岸地帯に打ちよせる
白い泡沫に棲息する。
たとえそれらの平穏な休止の間隙に
視線が入り込んでも、その視線は── 帆さながら──
どんなにそれを操ろうとも、波浪に挟みつけられたまま、
ところが高波というバネ付馬車に乗った海は
覚醒への夢の転位を
ダブルスペースで印字する。
20
それでもやはりその網膜の網目で
夢はもがいている、ぶんぶんうなりながら
ステンドグラスの蜜房での
女王蜂の失神つき。
そのとき── 風と寄せ波ゆえに──
円筒形に巻いた砕け波として
当の夢が落下中にとび散るのも、
夢の可視性をとり戻すためだ、
カレイドスコープへはんだづけされた
眼に見える一致によって。
21
おのれの分け前にしがみつきながら
寄せ波はまだ強情を張っている。
ところがべとつく裏面をつかむまなざしは
全海域を引きつれていく、
木摺りのように、石ころを剥きだしにしながら。
そして魚たちは岸辺の葦をしきりに開脚中、
全世界の寄せ波の海域を
鰭のちからで拡げて──
やおら遠近法が弾ける
岸辺たちの角膜上で。
22
そして影は──アロエよりもとげとげしく──
滑らかな平面を貫通し、そして皮下の
注射のように、水のどの
層にも── 闇が屯する。
そして羽白だけは── 襞あかりで──
目撃できるかもしれない、底流の
狩りたてる沈澱物が
岸辺に流れつき、突きあげる
その褐色の血液の突きによって
海藻の腐敗した静脈を。
23
そして破裂した。大気はヨード質になった。
次いでその舞台裏から
荒波が水平線に対して決起し
いわば階上からどっと滴りおちた──
エスカレーターのように段差をなして。
そしてネジ山からねじきられた赤道は
われわれの全世界こそマトリョーシカのモデルだとは、
その確度を証明できないはず、
水路の背面からの
上昇はかくも夥しい段々からなる、ということ以上には。
24
こうして血液循環の原系にあっては
同一構造のピラミッドの
空間は小さな円であるのに対し、時間は
大きな円である、というのもそれは疾走するからだ
さながら動脈から毛細血管へと、
小石という小石を伝いつつ── それから小石どうし
ギヤのようにはめ込まれてあるが、
ギヤなればこそお互いのパスワーク
にいそしむ、そもそも分包包装にくるまれる
どの埃であれ、ツタンカーメンだから。
25
だからこそ時間は凝縮したのだった、
その瞬間に、波は
自重を重圧として払いのけ
またふたたび滑らかな海面となった
その瞬間に、海原の拡がりへと波は
決然と乗り込む、海は呼気も
同然だが、そのとき不意によぎっていくのは
もうひとつの自由を想う訣別の溜め息。
海とはまさに自然の肺であり、
世界の血液の小さな円である。
26
そして水しぶき−蜜蜂や水しぶき−雀蜂が
海水空間の四方から
飛来した、そして風の
薔薇の萎びたつぼみが
それら水しぶきに向って全面的に芽ぶいた。
こうしてかつて── 民会にはせ参じ──
使徒たちはその席から跳び退いた
孤児まだらの粗衣をまとい、
神の姿を見ずに、神の磔という
断面的世界を見るや、羅針盤だ、十字架だ。
27
ところが磔のイェズスはおのれの血を
十字架の垂直の支柱に
滴らせた、まるでわれわれの血液のRh因子を
イェズスは臨終の際にプラスに改善したかのよう。
横木に沿って長く伸びた
イェズスは先駆者の予測を実行にうつした、
その結果、今ようやく水平線は
垂直線と血盟関係を結んで
道となり、その道のはるか彼方に鎮座する
コロンブスの聖杯。
28
遠距離とは、水晶体の回路においては
回文であり、そして水晶には
聖なる血ではなく、時間が
凝固した、深夜をすぎてからの
時計の零時のように、あるいは零へと至る
荒波ゆえに、ほとんど滴り−弾丸ゆえに
正午は身震いした、そして
天頂にある太陽が、次いで天底にある
月が、射的場の二つの的のように
軸上でさかさになった。
29
そして垂線にしたがって半円状に
停止した二本の時計の針の地点から
天体は弧を描いたものの、
反時計まわり── すると突然
かつてのように北と南は差しむかい、
生起したのだった ── 互いに対向し
水平に── 太陽−線
ならびに線−月は、かつての穴から
常に同じく発光しながら。ほら図形だ
それらの対の明滅の。
30−31
ところが、水の循環運動とは
逆にぐるぐる円を描いて
天空が運動するのを
見ることができる瞬間は
潰え去った。そして月光は南−
東にあって、この遠心分離器で
加速され、ロストフを凍りつかせた
月光とともに湾を、その湾の薄い綿織物を
対岸までレヴィチは氷上を渡った
捕囚の身から前線へと
あの果しない1941年という
年に、渡渉した、どのぴちゃぴちゃをも耳にし、
魚の鰭にぶつかる波の明滅、
水中で育ったオルガンの
パイプの鰓でのぎゅうぎゅうをも──
耳さえつららとなって。振動膜は
やにわに哀れなぐちをもらし出した。音が失くなった。
そしてあそこ、右の、はるか彼方から
シヴァシュはウオッカで唇をしめらせて
死海を回想した。
32−33
こうして古えに── メシアを求めて──
水上を歩いて、何世紀も
ブルキヤ王子は彷徨した、
魚扠さながら笏杖で
御方をミズノミのうちに探しながら。
ところが御方、愛しい神の漁獲よ、
砂地で眠り、そして鰓の下から──
御方の呼吸の平らなくつわを
たわめながら── 昼の天体は
上空へ昇った、おのれの熱気を──
羽のように── 空で思いきり伸しながら。
魚は汗だくになり、稚魚だけが
海から尋ねた。「レーベよ、
どうして鈎に誘い餌を
浅瀬の漁師はつけるのか、
なのに彼は、周知のように
彼自身、蛆虫かつ奴隷であり、汝こそ── 王かつ神ではあるまいか?」
御方はその問いに応えて眠り、
やがて御方においては── 変身する以前に── 成熟したのだ
最後の33番目の溜め息が。
34
暑さは南からますますつのり、
浅瀬はますます拡がった。
御方は眠っていたが、魚の鎖帷は
焼きあがらなかった── それどころじゃない。
その鎖帷は、アナクシマンドロスの言葉通り、
今や宇宙服がわりとなった、
それも100万パーセクで御方のもとへ
気圏を何層も貫き飛ぶ者に特有の事態で
要は御方においてめざめて後、信仰の重さに
神人が耐えられるようにするために。
35
不意に海は海鳴りゆえに泡立った、
そして影はといえば、
雷雨に吹き払われる幹の
梢のように、枝分れし暗かったが、
突如一気に明るくなり、
身体の輪郭を顕現していく、
いわば木の鱗でおおわれている
身体の。水は直立し
その眼前でうなだれた── どうも
葉むらが水面下でぞよめいたらしい。
36
波が穏やかになればなるほど
体はますます敏速に動いて、
根の重量を引き上げる
若枝のあるいは鰭の
尽力によって。途方もなく嵩ばったものの上に
隆起しただけのもの、その背中に跨ったまま
視覚はそれを眩まし、
脅す── 細い紐さながら──
ギリギリのスピードで、機敏に
アゾフ海の水平線を切り取るぞと。
37
矢のように魚は標的へ突進した、
水もまた── 水圧を消しつつ──
若干でもエンジンを冷まそうと
鰓の裂け目へ流入し、
それから咽喉ごしに流出した、
その水は漁船を
どうやらいっきにポンコツ化してしまったらしいが、
それでも救いとなったのはまさに
広々とした体駆のどこにも
魚眼はなかったということ。
38
古代のマグレブ沿岸から──
イスラム教徒たちの脅威ならびに誇り──
アゾフ海へ泳ぎ着いたのだ、この魚
ペルシャ語の名をもつ── ダンダンは、
またの名は── 有歯魚は。これらの魚たちが
万物を全滅させればよいものを、
破壊すべきはこれ一国ならず、
ところが幸運にもアダムの息子たちの叫びが
魚たちの心臓を直撃し、
それゆえ魚たちは── 死んだまま── 海底へ向う。
39
有歯魚とやらは魚と軟体動物の間にありながら
その絆を断ち切ったかのようで
どの筋肉も不意に張りつめる──
するとたちまちその肉が輝きだした
肋骨まで薔薇色がかった脂肪で。
石の国境警備隊の間隙をぬってそれが
スラロームを敢行した際にも、
どうやら水がいきり立ち、
それゆえ沸立つ炉床から
溝を伝って溶解物が流れだした。
40
そしてこうした黄昏の光のなかで、
夜明け前に出漁する準備にいそしみ
いたるところに網を設置しつつ、
漁師たちはその魚をまのあたりにしたのだった、
まずモーターボートの吠え声を耳にし、
次いで波頭から不意に
波が隆起するさまを目にして、
その魚はかけがえのない引き網に飛び込んだ、
するとその持ち主はみるみる青ざめ、
それにつられて彼ら自身まっ青になった。
41
すでにおのれの気紛れ野郎を脛に
巻きつけた当の漁師が浅瀬にて、
不意に魚の心臓を一撃するや
叫びだす、「いいか、魚よ、いいか!」
そして魔法の呪文に応えて
ついに遅れることなく
めいっぱい背伸びした海水から
血紅色のつるつるした泡にまみれ──
扠状に裂けた影で脅しながら──
魚の尾鰭は上へ跳びはねた。
42
そして── 浅瀬の向うで海底を濁らせて──
その尾鰭はピクッと弧を描いて弓なりになった、
試技に成功する棒高跳び選手が
バーの上で弓なりになり
マットにどしんと落下するのと同じく──
こうしてその尾鰭は中空からもろい頁岩に、
狂おしく倒れ伏したのだった、
それから悶えつつ弓なりにのけぞった魚体は
尾鰭と一体になった── こうして弓には
弦がぴんと張られる。
43
そしていつかその昔、
アレスが、アルゴー船員ディオメデスの槍で
一撃のもとに仕止められて、
血まみれの叫び声をあげたのと同じく、
こうして魚体はわななき
荒狂う波の拷問台でいきなり
直立した、すると砂地はうなりだし
空はピクッとひきつった、
そのとき抑えがたい叫びの矢は
南から東へ疾走した。
44
そして── 遠隔地からその助太刀にくる
神々に煽られて
津波は瞬時に上昇した、
まるで全海洋が
突如、逆立ったかのよう、海域や河川の
後見を振り払ったあげく、しかも自身、振り払うその勢いで
背丈の貯えを隠さず
地表から大空まで開脚したのだった──
存在の大いなる神秘の
処女膜さながらに。
45−47
アゾフ海の砂洲をうきうき
吸い込みながら、それは
直線のように、ぽきんと折れた
あるいは換言すれば、直角をはさむ一辺、
すなわち三角形におけるカーチェトという一辺のように
落下しながら、ざぶんと波を
垂直の浜辺に浴びせるだろう、
あるいは換言すれば、ツポレフ機のようで、そのマッスが
縮小していく、脚部を引っこめ
機体を軽くしながら
離陸して、── そのように波の墜落は
大気中に宙吊りになった、逆向きの
離陸のように、雲まで到達した水分の
泡にまみれてガラスばむ、
その把捉しがたい境界上にて、
その境界から二つの月と二つの太陽の
対置は(29節の後の
図を参照のこと)
波に── この光線上で磔になったまま──
どんより曇った沿岸を
掠奪のため襲わせたりしないだろう、
それまではそれらの光は── 波の
泡ガラスの中にあり、魚網を通して
篩い分けながら── 地上に横たわるだろう
どこであれ等しい格子形に。
光−影、光−影。そのとき蝦蛄の
眼の輝きが深海で閃光を発し、
その閃光が波を照らすだろう、
巨大なチェス盤の
開いた蓋のような波を。
48
くらげの吸盤や触手は
二等分線のビーズ玉を波の
鋼鉄のような斜辺に投げつけた、
波を下方へ引っ張りながら、
いずれ泡の黄金の鉤を
得て、がちゃりとおろす── おお、スカパンども!──
寄せ波の錠を
それらのねばつく陰謀や悪癖のチェス盤に、
磁石の駒もどきにひたすら
隠された── 湿った砂地に。
49
その間の浜辺という御座を、
気狂いのように往ったり来たり
鴎たちがうろうろ。酸素を供給する
二つのアクアラングの背負荷のように
その羽は背中に
たたまれていた、そして鴎たちは寄せ波へ
入っていったり、瞳を細めたり、
海青のスクリーン上でオフェーリヤを
探索していると、その咽び泣きゆえに
海底から気泡が浮上してきた。
50
ところで漁師たちは、時ならぬむし暑さで
むんむんする乾いた陸に群れつどい、
早くも呼吸困難を覚えながら
恐れ戦いて移動していたが、
たじろいで凍りついた、
あたかもゴルゴン=メデューサの顔面と
思いがけずまみえたかのよう。
彼らの顔はといえば、汗の滴りにより
金箔が照らしだされる場であったが、
驚愕がその顔を彫刻に一変させたのだった。
51−52
波が動きだした。茶褐色と
なったのは砂地の陸棚の色調、
そのとき泡立つトゥールニュールの外に
波の重い裳裾は這い出した、
そしてまさにそのとき古い埃を
カーペット、あるいは細長い敷物から
振り落とし、バルコンは振動する
織られてある重さのせいで、その咽び泣きは
波のカーヴをなぞる、
瀑布となって流れ落ちているよ──
中庭へ、通りへ、都市へ──
そのように大気は、もはや元通りの大気ではなく、
波動によってほどかれ、
発したのだ、うめき声でも、ぞよめきでも、吠え声でもなく、
ある種の咽び泣きを、すると湿気の勢力は
それを挽き、砂とともに転位した
一挙動で、それからまた次の挙動で
それからますます密度を増し、ますます強力になるばかり。
大気は波の下であえぎだした、
波が大気の上に横臥したそのときに。
53
そして交接中の二体の重みによって
陸地はたわんだ、チェス盤は
ばたんと閉った、天体の糸は
ちぎれた、浜辺の上空で波を天幕のように
しばらくは保持していた天体の。
今や、瞬時の竜巻に巻かれて
浜辺みずからどこかへ駆け上がった、
深淵まで砂だらけになりながら、
砂の暴走をくいとめようと努めながら、
波の裾をつかみながら。
54−55
あのようになだれをうって次の面々が疾走した
鳥、漁師、水母や魚、
ブイ、暴れん坊トゥール、ポーン、トゥール山羊
ナイト、船、その甲板の軋り、
そして爬虫類の甲羅の軋み、
そして鮫、海豚、バラクーダから成る
艦隊の艦旗にそよぐ風。
これらすべての鰓や翼は
来襲した水の大軍を
撃退しようと努めた、
その間、波は波とて、全海域を泡立たせ
そして浜辺を直立させ、
軟泥のこびりついた海底から、
恐怖をまとった石たちの
どくろをおおわらわで掬いとっていたが
ついにこれら水の巫女たちの
墓場へ辿りついて、「アーメン」を
その墓場まで沈めていく、北東風にのる
魚尾女胸のベレーギニたちの
ジャスミンの歌声とともに。
56
荒れはてた海豚のデルフォイでは
水びたしの祭壇が朽ちはてていた、
そのとき死者たちの陸棚では波が
土塁にやおらブレーキをかけ、
そっくり後退していくと、その闘技場は
裳裾の先端を気紛れに締めつけて
波の上でその円環を閉じた、するとほら──
茶褐色の漆喰が何層にも
崩落し── 星辰の骨組を
やにわに天空があらわにした。
57−58
津波は裳裾を── 外へ突きだしながら、
水平線が倒れつつ蘇生したところで ──
もう立上がり、陸地に変容した、
その陸地を水は王座のように
まつりあげ、鎮座の線から落下
しはじめ、やがて脚の影のように
横たわった、その両側から
楽園の外縁を円くしていく、
まだじめじめしているベロサライスクの
砂洲の外縁を円くしていく水、その砂洲は
砂のヴェールを朝焼けによる加熱のため
敷きのべた、大海原を右側に
置き、左側にはおのれを──
潟を配置して、
陽光のもとでは何もかもレモン・イエロウ
とはいえ風が夕焼けから
吹きだすやいなや── 杏の炎熱の色調へと
風は色を変える、
その象牙色の呼子は重い、
果肉をまとっているとはいえ果実よりも。
59
ところで有歯魚の魚精は── 地水風火の
格闘において── メレキノの岸辺
その波打際からマラッカ海峡まで
広がった、さながらたび重なるカタストロフの
珊瑚礁の形をした濃いリンパ液
のようで、カリフたちの野望を
暗く染めあげる、またしてもその前方には── 水の
帯、そこの魚と軟体動物の間の
狭域に横たわった
ベロサライスクの砂洲。
60
すると間もなく天の後見人が
紺青を浄化した、朝方には
寄せ波が、ギリシャの雄弁家のように
小石を口の中でころがしている。
そしてほら洪水の青い水から
女神カリオペが登場してくる
岸辺へと、カメーナたちの先陣を切って
彼らを小石の向うへ先導していく、
行列の全景をわたしが見渡せるところへと。
彼らの後をこそわたしは追っていくだろう。
1980−84
モスクワ
■原註■(Alef Books, N.Y. 1995所収)
2−第3行
アイヴァゾーフスキイ、イヴァン・コンスタンチノヴィチ(1817−1900)は、厳密に言えば常に写実主義的であるが、「ロシアのターナー」だった。彼は海に憑かれ、海を一生涯描きつづけた。彼が無人の巨大な寄せ波や浜辺や船を描くとき、彼の作品はある種の形而上性をおびる。経済的に非常に成功して、彼はフェオドシア(クリミア)に邸宅を購入した、黒海を邸宅から一歩も出ずに窓辺で描くために。
3−第1行
1行目はオヴィディウスの『アモーレス』を参照のこと(第三の書第二悲歌、・47−48)
陽気なネプチューンよ、大海原を信じすぎるすべてのものよ、
海のことはわたしの関心事ではない、乾いた土地こそわたしの関心事。
(A.D.メルヴィル英訳)
3−第4行
タルコフスキイ、アルセニイ・アレクサンドロヴィチ(1907−1989)は、60年代末にようやく著名になったとはいえ、今世紀後半のすぐれた詩人の一人である。マンデリシタームならびにアフマートヴァの友人かつ「弟子」として、彼はロシア詩におけるアクメイズムの潮流に近く、そのために彼の詩集はいわゆる雪どけ前には刊行されなかった。彼はロシアの偉大な映画監督アンドレイ・タルコフスキイの父。オヴィディウスは彼の愛誦する詩人の一人だった。
12−第9行
「詩人−アクェイスト」は、20世紀ロシアのアクメイズムの明かな参照。
30−第9行
レヴィチ、アレクサンドル・ミハイロヴィチ(1921生)。詩人で、詩(アラビア語を含む)のロシア語への翻訳者のひとり。この2連(30−31)は彼の生涯から実際の逸話を描写している。第二次大戦最初の数週間のうちに、彼は逃亡し、白ロシア及びウクライナのドイツ軍占領下の地域を(困難を極め、冒険もなくはなかったものの)抜け、アゾフ海のほとりのソ連領に至る。ついにロストフに到着して、彼は渡るのに海が氷結するまで待たねばならなかった。
31−第9行
シヴァシュはアゾフ海と黒海の間にあるじめじめしたクリークで、ロシア人にとっては、白軍の最後の海岸堡として歴史的な意義をもつ。赤軍によるその奪取は1918−20年の内戦を終結に至らせた。
32−第3行
ブルキヤ王子は『千夜一夜物語』の登場人物で、多くの海を渡った。彼はメシアを発見したいと望み、数多の冒険を生き延びた。ロシア語の「王子」はツァーレヴィチで、レヴィチという名と響きかわす。
33−第7行
7行目は18世紀の最も著名なオード、ガブリエル・デルジャーヴィンの「神」(1784)の古典的な詩行からの歪めた引用。人類に言及しつつ、彼は書く。「我はツァーリなり── 我は奴隷なり── 我は蛆虫なり── 我は神なり」。ロシア詩に果すデルジャーヴィンの役割は英詩におけるダン及びポープの役割に比較しうる。
34−第5行
アナクシマンドロス(B.C.610−B.C.547以降)。ギリシャの哲学者で「自然について」という論考の著者、その論考において彼は人類は魚に由来するという考えを推し進めている。
38−第4行
ダンダンという魚はこれまた『千夜一夜物語』に由来する。その魚はアラーによりスーパー・キラー(ジョーズ参照)として創造され、人間の声によってのみ破壊されうる。
59−第2行
メレキノはベロサライスク砂洲に近い小さな漁村で、滞在中クーチクはそこに住んだ。
イリヤ・クーチク
1960年ウクライナ西部のL'vovで生れる。モスクワのゴーリキイ文学大学卒。
詩集には、
Piatibor'e chuvstv. Moscow, 1990.
Luk Odisseia. SPb., 1993.
ODA na poseshchenie Belosaraiskoi kosy, chto na Azovskom more. New York, 1995.
があり、他にスウェーデンの詩人たちの訳詩集がモスクワで、研究書The Ode and the Odic(英文)がストックホルムで刊行されている。
90年代前半、スウェーデンのルンドに居住して作品活動、現在は米ノースウェスタン大学でロシア詩を教えている。
掲載・刊行史
1) Literaturnaia ucheba, No. 5, 1986. pp. 38-41.
1〜15、56〜60 のみ掲載。
2) Alef Books (New York), 1995刊。
フルテクストでの初めての刊行。詩人Kit Robinson による英訳とパラレルになっている。
3) Arion, No. 2, 1997. pp. 22-39.
ロシアにおけるフルテクスト初出。
4) 英訳としては、2)所収の全訳の他にAndrew Wachtel による部分訳(1〜5、50〜60のみ)がある。
Third Wave: the New Russian Poetry. Univ. of Michigan, 1992. p.59-64.