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● アレクセイ・カザンツェフ

 

劇作家 アレクセイ・カザンツェフについて

楯岡 求美

☆前置き ――― ロシア戯曲雑誌概観
《 Современная Драматургия 》: ソ連時代から続く戯曲雑誌。
掲載作品は過去の作品から現代作家まで幅広い。歴史的な資料も時に載る。
《 Театр 》: 基本は劇評誌。毎号2本ほどの戯曲が載っていたが、1997年に廃刊。
(2000年5月に復刊予定との噂もある。)
《 Драматург 》: 1993年、 М. ローシンとA.カザンツェフ(編集長)が発行。
現代作家が作品発表できる場の確保。(同人誌の形式らしい)
(当初は、埋もれた過去の戯曲の発掘や長めの劇評の掲載もあった)
掲載作品が上演されると、舞台写真とともに劇評を転載。
フェスティヴァル情報や翻訳作品も扱うことがある。
http://www.theatre.ru:8080/drama/dramaturg.htmlに、目次と一部作品が掲載されている。

☆作家の紹介
Алексей Казанцев(1945~ )劇作家
アレクセイ・カザンツェフ
  1945年、モスクワ生まれ。モスクワ大学文学部卒後、中央子供劇場のドラマ・スタジオを修了し、中央子供劇場で俳優および演出をする。レニングラード演劇大学演出家クラスでレニングラード・ボリショイ・ドラマ劇場の演出家トフストノーゴフに学ぶ。モスクワ芸術座付属演劇学校の演出科、オレグ・エフレイモフ(現モスクワ芸術座主席演出家)のクラスを卒業。劇作をはじめた70年代半ばにアルブーゾフの演劇スタジオに参加。70年代後半から検閲により、海外での発表を禁止されていた。
  1993年、 М. ローシンと戯曲雑誌『劇作家(Драматург)』を創刊。

♭カザンツェフが演出を手がけた作品
・モスクワ中央児童劇場 : 『タレールキンの死』『罪と罰』(スタジオ用劇)。
・リガのロシア・ドラマ劇場:
   I.ベルイマンの『野イチゴ』《Земляничная поляна》
   B.ローゾフ作『キバシオオライチョウ(聾者)の巣』《Гнездо глухаря》
・モスソビエト劇場
  С.Коковкин『もしも生きていたならば』《Если буду жив》
              (トルストイをテーマにした作品)

♭カザンツェフの戯曲
・『アントンとその他の人々』 《Антон и другие》 (1975 ):処女作
1981年に中央児童劇場でГ.А. Бородин演出
・『古い家』《Старый дом》 (1976 )
1978年にモスクワ新ドラマ劇場でВ. ランスキー演出。70以上の劇場で上演され、70-80年代を代表する"伝説的な"戯曲となる。この作品で劇作家として広く見とめられるようになる。
・『春とともに君の元へ戻ろう』《С весной я вернусь к тебе... 》 (1977)
1979年演出にタバコフ演劇スタジオでВ.フォーキン演出。同演劇スタジオ活動第一作。
・『そして銀の紐もちぎれて…』《И порвется серебряный шнур... 》
1982年にマヤコフスキー劇場で. ラザレフ演出。(1979)
・『偉大なるブッダよ、彼らを助けたまえ!』《Великий Будда, помоги им ! 》(1984 ) 
1988年に創作工房でМ. アリー・フセイン演出。
・『エフゲニヤの夢』《Сны Евгении》 (1988)
1989年にモスクワ・スタニスラフスキー劇場で
・『あの世のようなこの世』《Тот этот свет》 (1992)
《 Драматург 》誌No.2 、1993年。
1995年にペテルブルグ・ワシリエフスキー島風刺劇場でВ. トゥマーノフ演出
1997年にモスクワ・スタニスラフスキー劇場でВ. ミルゾーエフ演出。
1996年にモスソヴィエト劇場でЛ. ヘイフェツ演出
・『さまよえるものたち』
《 Драматург 》誌No.7、1996年。
1997年にモスソヴィエト劇場でЛ. ヘイフェツ演出
1998年にペテルブルグ・マールイ・ドラマ劇場でトゥマーノフ(?)演出
・『兄弟とリーザ』《Братья и Лиза》 (1998):《 Драматург 》誌No.8、1997年。
1999年にモスソヴィエト劇場で上演。
両親を無くしてから多重人格的になった兄(38歳)と面倒を見る弟(36歳)。亡母の代わりをするよう父に迫られて家を出たリーザ(17歳)が疑似家族になる。

☆作品紹介
『さまよえるものたち』"Бегущие странники" 内容紹介
・《Драматург》誌7号(1996年)に発表
・2幕11場(11の場面(Картина)に1幕・2幕を通して番号がつけられている。)

第一幕
 インガ (36歳)かつて恋人のドミートリー (30歳)と一緒に起こした会社「インガ&ドミートリー」を経営する、ビジネスの才にたけた女性である。会社を起こしたとたんに、どこへとも告げずにドミートリーが姿を消したあとも、一人でビジネスをつづけ成功しているのだが、ひどく疲れている。18歳のとき、ポリーナを生んだあと、前夫インノケンティー飲酒と暴力に耐え兼ねて21歳で離婚。29歳でドミートリーに出会う(当時ドミートリーは23歳)。娘のポリーナ (18歳)は一見華やかな生活を送る母親と打ち解けず、死期が近い父インノケンティーの看病に毎日病院へ通う。インガに対し、一度病院に見舞って改心した父を許すよう迫るが、インガは過去の悪夢を忘れることは出来ない、と拒否していて、二人のわだかまりはなかなか消えない。
 「会社の創立5周年」のお祝いにインガの後輩のナージャ(32歳)と夫のロマン (40歳)がインガの家にやってくる。ロマンがシャンパンの栓を抜くことができないので、ナージャは彼のふがいなさをなじる。ナージャもやり手の女性で、 夢想家タイプで新しい時代の波に乗れないでいる夫ロマンに不満たらたらである。彼らも二人で会社を持っているが、事実上、彼女が経営している。病院からもどり、祝いの席に加わらなかったポリーナの様子を見にいったナージャは、「ポリーナにはどこか人を癒す力がある、不思議な子だ」と思う。宴もたけなわになって大人たちがにぎやかに踊るラベルの「ボレロ」のリズムに、隣室のポリーナは体がリズムにのらないように必死にこらえている。
 夜半になって、ナージャが目を覚ますとインガが仕事をしている。ナージャ、ロマンとはまったく合わないこと、仕事で知り合う男性と付き合ったりしていること、さらにはこの間知り合った男女のカップルと関係を持って以来、その女性の方から誘いの電話が掛かると言う。大学中の男性がインガのことを追いかけていたことの思い出話になり、インガは、18で子供を生んで、19で夫が飲酒に暴力を振るうようになり、20で離婚したから、当時は自棄になっていた、と昔を回想する。ナージャはインガが大学時代から、いかに自分の憧れだったか、いまでも頼りにしている、二人で会社を作って、成功しないか、と誘う。インガは、とにかくドミートリーさえ居てくれれば頼りになるのに、と勝手に姿を消した恋人のことを思う。インガにとって彼は夫であり息子のようなものでもある。インガがイコンに祈るのを見て、ナージャも祈ってみる。
翌朝。インガのベッドでロマンとインガが寝ている。ポリーナとナージャが出かけた後、ロマンがいつものようにもぐり込んだのだが、インガは仕事の疲れから、何も覚えていない。インガはもう嘘を重ねるのは嫌だから別れよう、と切り出すが、ロマンはインガの手は母のようだ、と別れることに同意しない。
夕方、インガが仕事から戻っインガに、ポリーナは病状の重い父を見舞い、許すよう訴えるが、インガは同意せず、口論になる。結局ポリーナがひとりで病院へ行き、一人残されたインガが反省していると、突然ドミートリーがやってくる。おどろくインガは最初面食らうが、しばらくして、彼が「戻ってきた」ことに思い至ると、彼をなじり、追い回すうちに気を失ってしまう。
頭に包帯を巻き、青痣を作ったドミートリーにインガが食事を与えて介抱している。インガ、ドミートリーの帰宅に喜び、やさしくなる。病院から帰ってきたポリーナに 二日後に出張から帰ったら病院に見舞いに行くことを約束する。ポリーナはドミートリーに非常によそよそしい。ポリーナは部屋に閉じこもると、本棚に隠したコニャックを一口あおると恋人に電話して、「自分のことを愛している」と繰り返し言うように頼む。

第2幕
インガはノヴォシビルスクに出張中。ナージャとドミートリーがインガのベッドで横になっている。ドミートリーは後悔にさいなまれているが、ナージャはインガのベッドに寝そべってソーセージや塩漬けきゅうりを食べながら、息付く間もなくしゃべりつづけ、ドミートリーをさらにうんざりさせている。ナージャは彼がオランダに一週間出張することを知り、自分もちょうどベルギーに行くからそのまま一緒に西側に残って成功しよう、と持ち掛ける。ドミートリーは自分のふがいなさを思い、イコンに祈ってみる。
ドミートリーは彼と口をきこうとしないポリーナと和解しようとする。彼がポリーナのことを本当に愛していて、これまでずっとポリーナのことを考えていたと口説くが、ポリーナは応じない。父親だと思って信頼していた男に裏切られた心の傷は深いと言って責める。
ロマンがポリーナに悩みを聞いて欲しい、とやって来る。彼女を相手に、ペレストロイカが始まったときにはようやく自分の時代がきたと思ったのに、期待は裏切られた、などと自分が新しい時代に適応できないことを嘆くうち、新しい生活を始めるためにナージャとは別れる、実はポリーナのことをずっと前から愛していたと口説きはじめる。ポリーナは、インガと自分を間違えているのではないか?とただすと、ロマンはポリーナが彼とインガとのことを知っているのだと早とちりして、認めてしまう。ポリーナはあきれて笑い出だすと、ロマンの膝に乗って、母娘で男グセが悪いかのように騙ってからかう。ロマンは傷ついて出て行こうとするが、急に「こうすることが必要なんだ」、とポリーナの前にひざまずく。ロマンは、ダーチャでキャベツやニンジンを作っている夢をまた見たという。
ロマンが去った後、ポリーナは、ドミートリーと和解し、ずっと彼の幸せを願っていた、と告白するが、ドミートリーには自分の体に触れないように求め、二人は、別々の部屋で眠る。
 インガがノボシビルスクから戻り、インガの誕生パーティーが開かれている。
 ロマンはまたシャンパンの栓を抜くことができない。しあわせそうなインガに、ナージャが乾杯をするたびに「苦い」といって、ドミートリーとキスをさせる。インガはドミートリーとダンスをしながら自分を彼の母親にたとえて、「自分を愛しているか、言うことを聞くか、ドミートリーはまだ小さいから母親が居なくては破滅するのよ」と言い含める。ポリーナが部屋に去る。インガ、ドミートリーをひざまずかせ、手や足にキスさせる。ナージャがドミートリーと踊りながら、オランダで会おうと説得するのに、ドミートリーは「またあとで…」と受け流すのだが、次第にナージャのペースに乗せられていく。台所でインガとロマンが踊っている。ドミートリーはポリーナの部屋に行くと、ポリーナに会うために戻ってきたのだという。そして、オランダに行っては行けないような気がする、このところのところやたらに水の夢を見る、という。インガは酔っ払いながら、仕事の部下であるヴァーシンに電話を掛けると、なんだか恐ろしい気がする、たった一人取り残されそうな気がする、といい、ヴァーシンに慰められる。みんなすっかり酔って陽気に歌を歌う。
パーティーも終わり、インガは部屋で寝ているポリーナの様子を見に行く。ポリーナは急に、家を出て遠くに行きたいという。インガが病院の父を一緒に見舞いに行こうとなだめると、ポリーナは「ママはいつも全部知っていて、正しいけど、本当はそうじゃないということがわからないのか?」と非難する。インガは自分のことも他の人のことも、わからないことだらけ、だけど、自分は知っていても心が広い、と暗示的に切り返す。

 突然舞台が暗くなる。どこだかわからない場所、永遠に続く壁、古く厳めしい両開きの扉がついている。(生と死の世界の境目かもしれない。)四人の大人たち座っている。互いの姿は見えない。インガとドミートリーはほぼ変わらないが、ナージャとロマンはかなり歳を取っている。かれらが自らの人生を振り返って語るのをポリーナが聞いている。
 ロマンは、新しい波にのれなかったが、別荘を買ってそこに引きこもり、十分良い余生を過ごした。ドミートリーはナージャと仕事をして最初はうまく行ったのだが、ナージャに財産を全部取られ、さらに彼女が差し向けた殺し屋に撃たれた上、河に落ちて 死んだ、結局インガとポリーナの二人だけを自分は愛していたのかもしれない、と後悔する。ナージャは多くの男を手玉にとって、財産を増やし、子孫も増えて寿命をまっとうした、と満足げに話す。 彼女にとって、もはやドミートリーのことはつまらない男としてあまり記憶に残っていない。インガは、ドミートリーが去ってしまうと、予想以上の打撃を受けて正気を失い、彼が死んだ報せを受けるとそのまま衰弱して死んだと語り、ポリーナの恋人はたいした坊やじゃないけれど子供のことはうれしいと言う。そして、四人は口々に「この扉が開いたとき、すべてははっきりと分かるのだ」と、声を合わせて繰り返す…
ポリーナ、自分の部屋で目覚める。すべては夢だった。インガのもとへ駆け寄る。インガも同じ夢を見ていた。ポリーナはドミートリーが今朝早く去ったことを知らされる。インガはドミートリーが戻ったらこれからは三人で暮らそう、病院にも前夫を見舞いに行こうと言うが、ポリーナは、夢が悲劇的な結末を知らせる予言に思われて不安になる。どうしたら良いの、待つだけしかできないの?と混乱するポリーナに、インガは、「待つこと、希望を持つこと、信じること、愛すること。(間)悪夢がいつも現実化するわけではないのだから」となだめる。 母と娘、互いに抱き合い、穏やかな気分になる。

☆本作品の特徴
 いわゆるノーヴィ・ルースキー(新興成金)の話ではあるが、ロシア正教異端派の「逃亡派」(地上のユートピアを探してさまよう)を暗示するような題名が示すように、時代の波に流されながらも常にどこかより良いところへ行き着こうと悩み、焦り、葛藤するというより広範に通用するテーマであるため、目新しい社会現象への単なる表層的な時事批判になることを免れている。
 作中に登場する人物だけではなく、カドリールのように、互いにパートナーが変わりながら、似たような愛と成功の物語や夢が繰り返される。先の見えない不安感と、機会を捕らえてどうにか時流に乗って成功しようという野心とが交錯して、心理的に不安定な状態になってしまう。その不安感を解消しようと、登場人物は、イコンに、ポリーナに告白しつづけるのだが、どんなにがむしゃらになっても、状況は相変わらず謎に満ちて、先は見えず、閉塞感、喪失感から抜け出すことが出来ない。言葉は一方的に吐き散らされるばかりの独り言に近く、慰めは得られない。
 登場人物たちにとって、しゃべりつづけることしか、不安感を和らげる方法はないのだが、その実、ラベルの「ボレロ」のように、不安を喋りつづければ続けるほど焦燥感が募っていく。語る言葉そのものも、告白なのか自己演出なのかわからなくなっていき、その言葉が本心なのか、演技(騙し)なのか、もはや、誰にも(自分にも)わからなっていく。
 最後の人生を振り返って語るとき、互いに人生が交差した共通の時代を語っているにもかかわらず、まるでお互いに共に過ごしたことが一度もないかのような、まるで違う話をしているような語りになっている。この4人が、非常に密な空間で絡み合うように生き、互いに相手に対して聞かせるために言葉を喋りつづけていたそれまでの場面と比較するとき、大量に消費された言葉がいかに共有(理解)されていなかったかが、鮮明に浮かび上がる。
 濃密で饒舌な人間関係における個人の孤独、という現代ロシアにおいて非常に先鋭化されているテーマについて、その状況を言葉で説明してしまうことなく、舞台上に言葉の洪水を起こす中で観客に提起する構成はかなり成功している。しかしながら、このような孤独感、閉塞感を表現しておきながら、唐突に積極的な希望が残される幕切れは、少々センチメンタルではないだろうか。

☆カザンツェフ作品の特徴
 奇抜な設定はなく、どこにでも有りそうな人々のねじれた関係を、誇張して設定をつくる。声高に問題提起をするわけではなく、人々の不安が
 登場人物は、とにかく誰かを相手にしゃべりつづけなければ時間を埋められない。時には、悩みに執着して閉塞感に酔っているかのようである。十代後半の少女が汚れのない、救いの対象としてシンボル化されるというイメージは、ロシア文学において、かなり伝統的な手法を踏襲している作家だといえるかもしれない。男性たちは、社会での幸せを自力で探し出すことが出来ず、このような少女をはじめ、女性にたいして母のような救いを求める。宗教的なテーマを扱いながら(少女=聖女のイメージとも関連する)、「神」との関係を問題にするのではなく、「救われたい」と思う人々の心情の方がクローズアップされる。

☆ペテルブルグ・マールイ・ドラマ劇場の上演(トゥマーノフ演出)/ 原作との差異

 舞台中央に可動式の白い壁があり、左右に動くことで、ポリーナの部屋(下手)とリビング(中央)が分けられている。上手にインガの寝室への入り口になっている。ベッドが情景によってそこから出し入れされる。リビングの上手の壁にキリスト像のイコンが掛けられている。最後の場面で可動式の白い壁が完全に上手に移動すると、同じ位置に白黒の同じキリストのイコン。告白の場面で、インガとロマンはカラーのイコン、ナージャとドミートリーは白黒のイコンの場で話す。
 テレビが上手と下手の奥に置かれ、ペレストロイカ期のコマーシャルと、「ひとりの人間がえんえんと坂道を上って行く」コンピューターグラフィックが流されている。雰囲気はペレストロイカ末期といったかんじだが、携帯電話などの小道具は90年代末のものを使っていた。
 原作では,ラベルの「ボレロ」のように、似たような状況が少しずつ変わったり、相手を入れ替えたりして繰り返されていることを強調するため、パーティーが2度繰り返されたり、過去の話が少しずつ変えられて繰り返されるが、効果としてはいささか散漫である。トゥマーノフの演出では原作がニ幕のところを、第一幕の3場まで(最初のパーティー部分とインガとナージャが昔を振り返る話)をカットし、状況の繰り返しを暗示させるにとどめて減らし、一幕に圧縮して(休憩がないにしてはそれでも多少長すぎるきらいはあるが)、かえって効果をあげている。
 インガの誕生会に遅れてきたポリーナは急に大人びた格好(ひどく濃い化粧をしている)をして、母に挑戦的である。また、インガは最後の告白の中で、ポリーナのおなかの子供のことはわかっている、と暗にドミートリーとの事を知っていたようなことを言っていたようだ。原作以上に「女としての」親子の対立が鮮明に描かれる。原作ではポリーナには純粋さや神秘的な雰囲気、いわば聖女性のようなものが付与されているが、演出では、ポリーナ自身にそういう性質が備わっているというよりは、周囲の大人(インガ以外)の勝手な思いこみであるかのようになっている。そこに、ペレストロイカ末期以降の混沌とした時期に、救いを求めてなにか神秘的な存在を期待した社会の雰囲気が出ている。
 4人か"死後の"告白をする時、ポリーナは下手舞台枠の外で聞いている。告白が終わる毎に告白者は退場する。最後に母が去ると、ラベルのボレロが大音響で流れ、ポリーナが、「マーマ !」と叫びながら上手奥へ舞台を大きく斜めに横切って幕となる。